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「帰る」
背をむけて歩きだす。
足もとは暗く、折れた鉄骨に引っ掛からないように気をつけて進む。彼は追い掛けてくることなく、声だけが俺の背に触れた。
「僕はここにいるつもりだよ。夏が終わるまで」
錆びた鉄が声を拡散するのか、澄んだ声が廃墟に反響する。
弦の奏でが海の底から響いてくるような、奇矯な音の波長だ。
ふと思い至る。
彼の声は、鯨に似ている。52ヘルツの。
どこまでも響くのに、誰にも響かない。海の端から端までを彷徨っても、その鯨が同族の群に逢うことはない。彼だけが、他とは違う声で叫んでいるから。俺はその声を拾ってしまった。だからたぶん。
「君を歓迎する」
またここにくるのだろうと思った。
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