§5

1/1

5人が本棚に入れています
本棚に追加
/37ページ

    §5

ハンバーグを焼いていたら、裏の玄関の引き戸が開く音がして、千里が帰ってきた。 「ちょっと何よ、あの部屋の散らかり具合!」 「お帰り~」 「なんなの? お兄ちゃんは、いまだに小学生男子なの?」 俺はフライパンの火を止めて、千里を見る。 「お帰り」 「ただいま」 俺たちは家族じゃないけど、一緒にご飯を食べる。 いただきますもする。 焼き上がったハンバーグを、皿の上にのせた。 「あの部屋を先になんとかして! 家中がお菓子くさくて、耐えらんない!」 まぁ確かに、千里がそんなことを言いたい気持ちも分かる。 俺は畳に転がっていた、空のポテトチップスの袋を拾い上げた。 「早く御飯にしたいなら、千里も片付け手伝って」 「はぁ? 私は今からお風呂入るんだから。その間に片付けといてよね、ご飯はその後よ」 「御飯は、みんなで『いただきます』だろ!」 「あんたはこないだまで一人で食べてたくせに、なに言ってんの?」 「今は違うでしょ」 「なにが違うのよ」 「一緒に住んでる」 「それが何よ」 俺と千里とのにらみ合いが続く中、家の黒電話がなった。 俺は携帯電話を持っていない。カネがないからだ。 電話に出ると、尚子だった。 『あ、今日私のご飯、いらないから』 それだけ言って、すぐに切れた。俺は受話器を叩きつける。 千里はすでに、二階に消えていた。 「一緒にご飯食べられないんだったら、今すぐここを出て行け!」 着替えを抱えて降りてきた千里は、あっかんべーをしてから浴室に消えていく。 俺は、小さなちゃぶ台に並んだ三人分の食事を見下ろした。 誰も一緒に食わないなら、俺が先に一人で食ってやる! 「いただきます!」 手を合わせて、挨拶をしてから食べる。 一人でも、そうする。 誰も血の繋がらない人間同士なのに、何が家族だ。 そんな都合のいい言葉に、もう俺は騙されないぞ! 自分の分の食事を、押し流すように胃に突っ込んで、千里が風呂から出てくるまえに食べ終えた。 そのあと、尚子の分を冷蔵庫にしまってから、俺は二階へと上がって、寝た。 ざまーみろ、だ。 翌日は、朝早くから、北沢くんがランドセルを背負ったまま、本当にやってきた。 「おはようございます」 彼は相変わらずの爽やかな笑顔で、堂々と店に入ってくる。 「今日も学校休みだったの、忘れてたんですよね」 北沢くんは、ランドセルを背負ったままレジ台の横から居間に上がり込むと、テレビのチャンネルを変えた。 「ジュースかなんか、あります? あ、いいですよ、自分で取りますから」 背負っていた、ちょっと風変わりなランドセルを放り投げた彼は、台所に入っていった。 そして、寝起きの千里と鉢合わせる。 「ちょ、お兄ちゃん? 誰よ、この子!」 「北沢くん」 「は?」 「北沢くん」 「バカ、違うって!」 千里も混乱していたけど、千里以上に混乱していたのは、北沢くんの方だった。 「え、えぇっ? えぇー!」 どすっぴんの千里に視線を奪われたまま、手足だけは、バタバタと動いてる。 「さ、桜坂花百合隊の、ちりりん?」 その言葉に、パッと千里のアイドルスイッチが入った。 「あ、君、北沢くんっていうの?」 「はい!」 千里は、テレビでしか見たことのない顔で笑う。 「実はね、ここ、私の実家なの、実家って、分かるかな?」 「わ、分かります!」 北沢くんは、頬を真っ赤に染めて、夢見るように千里を見上げる。 「みんなには、このこと、内緒にしておいてくれるかな、千里からのお願い、ね?」 「はい!」 千里は北沢くんの頭越しに、スゴイ目で俺をにらんでくる。 にらまれたって、そんなこと知るか。 ここに住むと勝手に決めたのは千里自身で、勝手にやってきたのは北沢くんだ。 その北沢くんは、すっかり夢見る少年に変わってしまった。 千里はこれからレッスンがあるからとかなんとか、多分適当な嘘を言って出て行った。 北沢くんは、きちんと正座をしてちゃぶ台の前に座る。 「いや、驚きました。こんな運命の出会いって、本当にあるんですね」 どこからか入って来た導師が、ちゃぶ台の上に飛び上がる。 「私は魂の指導者」 「もしかして、この猫もちりりんの飼い猫ですか?」 北沢くんは、昨日は見向きもしなかった導師の頭をなでた。 俺は正座をして、導師と向き合う。 「ところで、本日の修行だが」 「はい」 「わぁ! やっぱり、そうなんだ!」 北沢くんは、いきなり導師を背後から抱きしめた。 びっくりした導師は、逃げようとしてあばれてる。 なんとか北沢くんの腕から逃れた導師は、どこかへ走り去ってしまった。 「あぁ! 行っちゃった」 今日もまたすることがなくなった俺と、北沢くんの目が合った。 「これから、どうします? ちりりんの、お部屋の掃除でもしておきましょうか」 「勝手に入ったら、殺されるよ」 「それはいけませんね」 「俺は、店番があるから」 「じゃ僕は、持ってきたゲームでもしながら、適当に過ごします」 店先から見える屋根付きの通りは、いつでも薄暗い。 北沢くんは、しばらくうちでごろごろしてたけど、昼前に一度戻ると言って出て行ってしまった。 本当は、魔法使いになる修行をしないといけないんだけど、導師もいないし、どうしたもんだか。
/37ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加