§7

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    §7

「菜々子ちゃんが、俺でもいいんなら、俺はいいよ」 彼女は、彼女にふさわしい、子供っぽいはにかみを見せてくれた。 「じゃあ、そうする」 なんだかうれしくなって、ついにっこり笑った俺に、菜々子ちゃんも笑う。 「なんだよそれ! じゃあ俺も一緒に勉強する!」 「ははは、いいよ」 「なによそれ、私の邪魔しないでよ!」 「それはこっちの台詞だ! あ、でも」 北沢くんが、俺を見上げた。 「でも、ここのうちのことは、秘密にしておかないと」 「なんで?」 「だって、ちりりんが……」 あぁ、そうだった。忘れてた。 まずはあいつらをどうにかしないことには、やりたいことも、何も出来ない。 「ちりりんって、なに?」 「なんでもないよ。じゃあ、ここで勉強するのは、三人だけの秘密ね」 俺がそう言ったら、二人は快くうなずいた。 菜々子ちゃんは、さっそく料理の本を広げ、分からない漢字を聞いてくる。 俺は本物の調理道具を、台所から持参した。 その日からほぼ毎日のように、菜々子ちゃんと北沢くんは、うちにやってくるようになった。 午前中は学校に行って(たまにサボった北沢くんが来るけど)、午後からの数時間をうちで過ごす。 本当に勉強がしたいらしい菜々子ちゃんは、店のドリルや参考書、問題集を立ち読みして、その問題を記憶してから、居間で学校プリントの裏の白紙に書き写す。 何度も何度も店と居間を往復して、ホッチキスで留めたオリジナル参考書を作る。 俺と北沢くんは、そんな菜々子ちゃんを見ながら、お菓子を食べたり、テレビを見たりする。 「なんでそんなに勉強すんの?」 北沢くんが聞いたら、菜々子ちゃんは問題を解きながら答えた。 「自分で稼げる人間になりたいから」 菜々子ちゃんは、とっても大人だ。 お料理の本は、もう大体覚えたから、うちでは自分でご飯も作るらしい。 お菓子の粉まみれになった指をなめながら、男二人はぼんやりと勉強する菜々子ちゃんを見ている。 「あいつは、魔女になるな」 午前中の、二人ともいない時間が、俺と導師の修行タイムになった。 最近はもっぱら、居間か庭先が修行の場だ。 縁側の上で、後ろ脚で首の後ろを掻きながら、導師は続ける。 「女はみんな、魔法使いになる要素を持っている。それに気づいてる奴は、少ないけどな」 「菜々子ちゃんは、魔女になる?」 「本人がその能力に気づいて、なろうと思えばな」 「ふーん」 導師はきちんと座り直して、俺を見上げた。 「私は魂の指導者。さて本日の修行だが、お前の目指す魔法使いとは、なんだ?」 「えっと、一番強い魔法使い。黒魔道師、攻撃系の呪文使うやつ」 「大魔王?」 「そう、それ! 世界中を、自分の思い通りにしたい」 コホン、と、人間だったら咳払いみたいに、導師はぶるりと頭を振った。 「よろしい。選択に迷った時は、常に難しい方の道を選べ、魔道の基本だ。では、始めよう」 秋口の朝の、柔らかい日差しが縁側に降りそそぐ。 俺はボロい一軒家の庭先で、正座して導師に頭を下げた。 「よろしくお願いします」 「うむ。まずは精神を統一することがなによりも重要だ」 「はい」 「何事にも動じぬ心。齢三十まで禁欲を貫いた者にならば、難しいことではないはずだ」 それはうれしいのか、うれしくないのか、いいことだったのか分からないけど、とにかく大魔王になれるのなら、頑張るしかない。 「はい」 「目を閉じて、意識を腹の底に集中させるのだ。そして、これから私の言うことの……」 ガチャン!  という大きな音に、ハッと導師と目を合わせる。 「何事?」 その瞬間、導師が店へと走った。 導師が熱心にのぞき込む店内、その背中の上から、のれんを押し分けて店の奥を見る。 白い影が、視界を横切った。 導師も店の外へ飛び出す。 真っ白い、大きな猫だ。 「追いかけるの?」 店を無人にするには気が引けるが、どうせ誰もこないし、盗まれて困るものも何もない。 修行の中断は気になるけど、導師がいないことには、どうしようもない。 俺はサンダルを引っかけると、後を追った。
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