§3

1/1
前へ
/37ページ
次へ

    §3

あのお腹の子は、誰の子供なんだろう。 「あれ、ちょっと、どこへ行くんですか?」 「ちょっと、さんぽ」 店の外に出た俺の目の前に、菜々子ちゃんが立っていた。 「違うの! 用事があって、ここを通っただけなの!」 「うん、俺も、散歩に行こうと思ってただけで、菜々子ちゃんに会いたいなんて、思ってもなかったよ」 彼女は、くるりと背を向けた。 駆けだしていく小さな背中を、俺は追いかけることができない。 「お~い! 菜々子! 約束してた塾のテキスト、持ってきてやったぞ!」 北沢くんのその言葉に、菜々子ちゃんは振り返った。 「バーカ!」 捨て台詞というには、あまりにも哀しいひびき。 「おい! なんだよ、せっかく持ってきてやったのに! ねぇ、バカとか酷くないです?」 そんなことを言ってる北沢くんは、俺の横に立っている。 「追いかけていかないの?」 「追いかけていって、なにするんですか?」 北沢くんは、動かない。 俺も、動けない。 「でも、追いかけていった方が、いいような気がする」 「まぁ、本来はそうなんでしょうね」 彼とまた目が合った。 所詮、俺たちはこの程度で、これが限界なんだ。 追いかけていって、何をしよう。 俺はただ見上げている北沢くんと、全く同じ顔をして北沢くんを見下ろしている。 追いかけていって、なんて言おう、追いかけていって、何が出来るんだろう。 「僕、テキスト、持ってき損ですよね」 「うん」 「なんか、気を使って、損しましたよね」 「うん」 男二人は居間に戻って、何となくいつもの流れでお菓子の袋をあけたけど、誰も手をつける人がいない。 「なんか、静かですね」 「うん」 「静かになって、よかったんですかね」 「さぁ」 長い沈黙。 男二人だと、本当に間が持たない。 「なんか、しゃべってくださいよ」 そんなことを言われてからの、数秒経過。 「菜々子ちゃんってさ」 北沢くんは減らないお菓子を見つめていて、俺も減らないお菓子を見つめている。 北沢くんが、それを一つ手に取った。 「どんなお菓子が好きだっけ」 「あいつ、出てるものなら、何でもだいたい食べますよね」 「今度さ、それを聞いといてよ。なにが好きなのか」 俺が彼女を追いかけられなかったのは、多分それを知らなかったせい。 「分かりました」 そう言って彼は、手にしていた細長いスナック菓子の一本を、元に戻した。 「なんか、つまんないから、僕、もう帰りますね」 気がつけば、いつの間にか北沢くんがいなくなっていて、そのことにふと気づけば、部屋も薄暗くなっていて、千里が帰ってきていたことにすら、俺は気づいていなかった。 きっと北沢くんなら、こんどから菜々子ちゃんを追いかけられるだろう。 彼女の好きなお菓子を、知ってさえいれば。
/37ページ

最初のコメントを投稿しよう!

6人が本棚に入れています
本棚に追加