きみと空の下

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 頭上には鉛色の空が広がっている。厚い雲は遠雷を轟かせながら今にも降り出しそうな雨の匂いを拡散させ、梅雨入りして二日目の今日、家路に向かう晴人(はると)の足を急がせていた。  通りがかった幼稚園の庭では子供たちが空を見上げ、雷が来るぞ、大雨が降るぞとはしゃいでいる。中にはカッパを着て準備万端の園児もいた。が、数分もしないうちに慌てて教室から飛び出してきた若い女の先生が、子供たちを中へ入れた。  ──婆ちゃんもよく、雨の中遊ぶ俺を慌てて呼び戻していたっけ。  晴人は先日他界した祖母との思い出を鉛色の空へと映し出した。  戦争を経験していた九十五歳の祖母は、晴人が子供の頃から三十路に手が届きそうな現在まで、しょっちゅう自身の体験談を話して聞かせてくれた。  爆撃が続く中、親友の手を取って走り続けた少女時代のワンシーン。もう走れないから(あや)ちゃんだけでも逃げてと叫ぶ親友を無理矢理引きずり、祖母は何度も声を張り上げたと言う。  ──こんな所にいたら死んじゃうんだから!  祖母の脳裏には、その記憶が一番強く残っていたのだろう。晴人が「それは聞いたよ」と何度言っても、時が経つと繰り返し同じ話をしていた。認知症になった時も、肺炎を起こして入院した時も、そして死の間際にいた時も。  だから晴人が戦争を思う時、決まって網膜には二人の少女が走っているシーンが浮かび上がる。  防空壕から声をかけてくれた大人達の中へ親友と飛び込んだお陰で二人の命は助かったが、実際、諦めかけていた親友の命を救ったのは祖母だ。  ──こんな所にいたら死んじゃうんだから!  心からの叫びだったろう。恐怖すら忘れてしまうほど必死だったろう。その日、その時の決意と覚悟があったからこそ、祖母は温かな病院のベッドの上で逝くことができたのだ。今頃、あの時の親友と空で再会しているだろうか。  祖母の介護に疲れていた晴人の母は祖母が死んだ時、複雑な顔をしていた。理由は聞かずとも分かる。母の中では解放感と虚無感がせめぎ合い、どんな表情をすべきか判断できなかったのだろう。  やっぱ、家族は多い方がいいよ。  晴人が子供の頃、母は大声で笑いながらことある事にそう言っていた。だが、晴人が小学二年生の時に祖父が他界し、十八歳の時に姉が嫁に行き、二十一歳の時に父が食道癌で亡くなり、次第に母はその言葉を言わなくなった。  父が死んでからは晴人が父親の代わりに大黒柱となっていたのだが──そのせいで祖母の介護は母に任せ切りとなり、病院で動かなくなった祖母の傍らに立つ母に、あの複雑な顔をさせてしまった。  父も祖母も、そして祖母が逝く数日前には飼っていた猫も亡くなり、これからは正真正銘、母と二人暮らしだ。晴人が結婚して家庭を持てばまた明るくおおらかな母に戻るかもしれないが、今のところ晴人にその予定はない。母は静まり返ったリビングで一人、今もきっと本を読んでいるだろう。  とにかく、雨に濡れる前に帰らなくてはならない。  息子の帰りを待つ母のためにも、風邪を引きたくない自分のためにも。
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