追悼

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多分中学生の頃だった。神上等と思っていたのは。 イエスが人々の罪を背負って十字架にかけられたと聞いて、 自分が世界中の人の苦しみを引き受けることを想像した。 何せ神は信者しか救わないのだから、 オレを信じない人間の苦しみまで引き受けることができたらオレは神を超える。 求めるのは自己満足、感謝や信心など何があろうとも望まない。 しかし想像を深めて挫折を覚えた。 一秒か二秒に一人死んでいく苦しみ、その何万倍もの人がどこかで殴られる、刺される、撃たれる、犯され、縛られ、言葉を奪われ、命より大切な人を奪われ、自ら死を選ぶほどの苦痛を受けている。 到底この脆弱な心と体には収まりきらない。 世界は痛みでいっぱいだ。 オレは涙に明け暮れた。 自分が何と卑小な存在か。 誰も救うことができない、誰も癒すことができない、誰も……ああ。 せめてできるのは、ほんの数人を忘れないこと。 新聞に遺書の全文を載せて自殺した女の子、空腹で死んだアフリカの少年、中東の紛争地で頭を打ち砕かれた少女、理不尽に刺し殺された小学生や大人。 オレは救えない、ごめんなさいうぬぼれてました、だけどあなたたちを忘れない。 救えない、癒やせない、助けられない、細々できるのはせめて覚え続けることくらい。 それがあなたたちにとってどんな意味があるか分からない。 だけどオレは覚えておく。 理不尽に失われた命を。
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