心に翼を

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光の王国守護国家の風、火、水、土の四国には、それぞれ国家の中枢を担う者を教育する為のアカデミーがある。 その受験資格は、健康な若者である事のみ。 広く受け入れる代わりに、卒業することは難しい。公には男女問わずの募集だが、暗黙の了解で女子の入学は受け付けていない。 そもそも教育を受ける機会の無い女性達に、アカデミー受験が出来る程の基礎学力を身につける術が無い。識字率は限りなくゼロに近く、学力のない女性達は家に縛られて独立した職に就くことは極めて稀だ。 女性は家を守り、子を慈しむもの。その考えは全ての国に浸透しており、早くに結婚して跡取りになる男の子を産む事こそが女性の大切な役割であると考えられていた。 それに異議を感じても個人の考えなど弱いものだ。国家最難関のアカデミーで、伝説級の難問を生み出したルーク教授は心でため息をついた。 正解率一割とまで謳われたその難問に挑む受験生たちは、まだ誰一人正解を出していない。 (今回も正解者が出ることは無いだろう……) その難問は完璧なまでの機密となっており、外部の者は誰もその内容を知らない。試験を受けた者も、その秘密を漏らせばアカデミー生の資格を失い、卒業生であったとしても卒業資格を失った上に反逆罪で投獄されるとあっては誰もが口を閉ざす。 まして、解くことが出来なかった問題があった事を、プライドの高い生徒達が積極的に話す事はまず無い。 驚くほどシンプル、アカデミー生だからこそ陥るひっかけ問題のようなものなのだが。 「今年も正解者は出ないようですなぁ」 「……まだもう一組残っている」 「いやいや、後ろに行く程世間知らずの田舎者ですぞ? 地元では天才と褒めそやされても、こうして天才ばかりが集まれば身の程を知るってものです。いやぁ、これも教授の設問あってこそですなぁ! このふるいで近年の生徒はますます基準が高い」 「……」 隣に座っている同僚はやたらと媚を売ってくる。学長選挙戦が近く、勝手にルークが出馬するものと勘違いしているのだ。 本気で学長の座を狙う者がやたら敵視してくるだけであって、ルークにその意思は全く無い。権力になど興味が無いし、一生追いかけていきたい謎の前では、そんな面倒なものを背負うのはごめんだな、と思うだけだ。 最後の一組が入室してくると、流石に同僚も仕事を思い出したらしく、ピタリと口を閉ざした。 (ム……?) ルークは、最後に入って来た少年に目を止めた。勉強ばかりで華奢な体つきの多い少年達の中でも一際細い。他の試験官は気付いていないようだが……。 (あれは少女の骨格では無いか) 手元の資料では、確かに男であるようだが……。 他の試験官は誰一人気付いていない。ここまで残ったのならば、ふるい落とし式の筆記試験を合格してきたのだろう。つまりそれは、平均を遥かに上回る頭脳の持ち主である証だ。 ルークも、細かい事は一先ず置いておき、試験を進めた。 緊張に固まる少年達の前に置かれた机に、三種の白い細かな粉を乗せた皿が置かれた。 「この中に一皿だけ、塩がある。その見分け方を明確に説明しなさい」 見た目でも出来るだけ似通うように、三つの皿の粉は同じ大きさの粒になるように丁寧にすり潰してサラサラの粉状になっている。 全部、多少の色の違いはあってもパッと見た程度では見分けが付かないだろう。 正解の塩、塩と区別出来ない程丁寧に精製された砂糖、小麦粉の三皿だ。小麦粉と他の皿はよく見れば質感の違いで見分けが付くが、塩と砂糖は区別が付かない。 必死で二つの皿を睨みながら頭を回転させている様子が見て取れた。 少し考えてから、最後に入って来た少女のような少年が手を挙げた。 「答えなさい」 「はい。三つの内、一つは小麦粉です」 「その理由は」 「はい。色合いが異なります。これは穀物の粉です」 「フム。では、残りの二つはどのように見分けるか」 「味見して、塩っぱい方が塩です」 あまりに単純明快な答えに、他の受験生はポカンとしている。 「やってみたまえ」 「はい」 指先に粉を付けて舐めている。一皿目が塩だったようだ。 「こちらが、塩です」 「フム、味は誤魔化しようが無い。では、何故味見以外の手段を述べなかったか?」 少女のような少年は姿勢を正して、 「僕は、塩が他の物と比較してどんな違いがあるか分かりません。その知識は無いので、自分で分かる手段を取りました」 答えに至るまで少し時間がかかったのは、塩は他の物体と比べて早く水に溶けるだろうか、同じ体積で重さが異なるだろうか、触って判別出来るだろうか、と思い付く限りの方法を考えたが、それを実証する裏付けとなる知識が無いと気付いた。 だから、自分が確かに知っている方法で確認を取ることにした、とハキハキ答えた。 ルークがこの問題を考えてから、「舐める」手段まで思い付く者も居たが、その考えに至る経緯までも、最も理想的な答えを目の前の少年は持っている。 正解率一割と言われていたが、ルークの中でこの問題を本当に解けたのは目の前の少年だけだ。 「素晴らしい」 たった一言褒めただけだが、隣の同僚どころか試験官全員が動揺を隠さなかった。ルークが生徒を褒めた事など、一度も無かったからだ。 「君は、優れた学者になれるだろう。アカデミーで学び、君は何を求めるか?」 「僕は医者になります! 医者になって、病で苦しむ人を助けたいのです」 「己の知らぬ事を冷静に判別出来る君は、きっと優れた医師となろう。励みたまえ」 「は、はい! ありがとうございます!」 アカデミーを目指すプライドの高い少年達の中では珍しく、素直に喜んで頬どころか顔も首も真っ赤になっている。 答えられなかった少年達は己の無知を認めず、「こんな馬鹿な問題、答えられなくて構わない」と言わんばかりにふて腐れた顔をしていた。 彼らの成長は、たかが知れているだろう。人は己の能力を正しく受け止めた時、大きく成長する。 知識を求める者は素直な性質が良い。分からない事は分からないとハッキリ言う者の方が、教える側としては至極やりやすい。 そうかと言って、何も考えずに分からないと言うのは論外である。 如何に難問であろうとも実は至極簡単な理論に基づいている場合がある。己の学んだ知識でその問いに答えることが可能か、考える。その力こそがアカデミーの最も求める人材なのだ。 国家運営に携わる者、一つの学問を追求する者、アカデミーの卒業生達の道は様々だが、如何なる場面でも己の意思を持って考える力が必要だ。 即ち、ルークが褒めちぎった少年の答えは実に素晴らしいのだ。口頭試験に至るまでの筆記試験に合格する知識があり、それを活かす為の知恵がある。 この少年はいずれ、国でも最高の名医となるだろう。ルークが満足気に頷いていると、不躾に試験会場の扉が開かれた。 「失礼致します!」  挨拶もそこそこに、身辺調査を行なっていた教師がルークの元に駆け寄った。 「受験生の中に一名、不審な者がおりますので急ぎ報告に参りました」 「見せなさい」 「はい!」 差し出された書類に書かれていたのは、目の前に居る少年の資料だった。名前も、住居も、親兄弟も嘘偽り無い。 だが、彼の身上書は真っ黒な紙に白のインクで記されたもの。これは……。 「受験番号五六五番、リアン君」 「……」 「君はもう、この世に存在しないようだが」 少年の、引き締められた唇が細かく震え始めた。黒い紙に記されるのは、死者のみだ。 「……私は、リアンの姉の、グレイスです」 「確かに。リアンには一つ年上の姉がいるようだな。では、グレイス。君は何故、弟の名を騙ったのか」 「アカデミーに入るために、弟が貸してくれました」 「死人に証言は出来ない。名と身分を偽る事は大罪である」 咎める大人たちに囲まれ、罪人を裁く場のような圧迫感の中でもグレイスは力強い不屈の眼差しを向けて来た。 「誰も信じてくれなくても、これは私と弟の夢なのです。私に、アカデミー生の資格が無いのなら、その理由はこの罪では無く、私自身の素質で問うて下さい!」 凛と響き渡る少女の声に、大の大人が揃いも揃って圧倒されてしまった。 未だかつて、ここまでの決意を秘めて学問の門を叩いた者があっただろうか。 (この娘は門が閉ざされれば、死んでしまう) 大袈裟かも知れないが、ルークはそう感じた。 「馬鹿なことを言うな! 女に学問など無理だ!」 「待て。グレイスの、筆記試験の結果は」 「……え。そんなもの……」 「素質を問えと言うなら、さぞ自信のある結果だろう。筆記試験の結果を見せなさい」 グレイスを頭ごなしに抑えつけようとしていた試験官が渋々と手渡して来た資料に目を通す。 「フム。グレイス、君は首席で筆記試験を合格しているな。しかも、全て満点だ。どのように学んだのだ?」 「弟は、体が弱くて……家に、家庭教師を招いていたので、それを一緒に聞いていました。本を……」 グレイスは、グッと歯を食いしばって激しく瞬きをした。必死で涙を隠そうとしている。 「復習の為に、本を読む体力も無くて……。私が読み聞かせて一緒に、学びました。父が買ってくれた本も全部、こっそり貸してくれて……」 「優れた教師の元で学んだようだな。君達の頭脳は、アカデミーの求めるものだ」 グレイスの眦から一粒だけ溢れた涙は、悲しみによるものではない。彼女は今、己の命を賭けた勝負に、勝ったのだ。 「ルーク教授?」 女性をアカデミーに入れるなど、前例が無いと言い募る他の教師達に、ルークはグレイスの前に立って反論した。 「アカデミーの受験資格は健康な若者である事のみである。男女の区別は無い。そして、アカデミーは広く知識を求め、その探求に励む者達の為に常に平等に門を開くと公言している」  グレイスの目からはすぐに涙が消えた。この娘は並みの男よりも胆力のある、意志の強い娘だ。やるとなったら、必ずやり通すだろう。 「素質ある者を女であると言う理由だけで締め出す事は無い。彼女の言う通り、アカデミー生としての資格は、素質で問うべきである」 「しかし、前例がありません。問題になるのでは……」  学長選挙を目前に、保身に走る者ばかりだ。僅かな権力など、何の意味があると言うのか。己の死を超えてもなお、数百年の時を超えて子孫に残る知識こそが至宝だというのに。  そして、知識を正しく蓄える為には常に新しく若い力が必要なのだ。流れる水は常に澄んで美しいが、流れの止まった水は鈍く濁るだけ。 「問題ならば、すべて私に回しなさい。全責任を私が負う」  グレイスがアカデミー生として受け入れられるには、更に上まで黙らせる必要がある。ルークは一先ず試験会場の教師達を黙らせて、グレイスに手を差し伸べた。 「ようこそアカデミーへ。君を歓迎しよう」 「……ほ、本当に……」 「君が、首席だ。ただし、それに驕らず更なる探求を目指すように」 「は、はい! はい! 私、ここで、学んで良いのですね!」  飛び上がらんばかりに喜んで、グレイスは初めて少女らしい笑みを浮かべた。 「良く学び、優れた医師となりなさい」 「はい!」  グレイスの手は、細くしなやかな少女のもの。いずれ、命を繋ぎ救い上げる医師の手になるだろう。  ルークはそう確信して彼にしては珍しい、僅かな笑みを浮かべた。
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