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心に翼を 2
短い春が駆け足で去って行く。瞬きの間に夏が通り過ぎ、冬を前にほんの少しの秋。
それが土の国の四季だ。瞬きの間の夏に生まれ、風の国の真夏の太陽のように騒がしい男がルークの元に訪れたのは、入試と入学式を終えて直ぐだった。
「……と、言う訳なんだ。急ぎでは無いよ? でも、最も理想的な形だと思うんだよね。本当はこんな格式ばった所苦手だろ?」
「……」
「それにしても首都は暖かいね。この部屋、暖炉も無いのに凄くあったかいよ? 何の魔法使ってるの?」
ルークが空中に指先を走らせると、性質は正反対なのに皮肉にも同じ才能を授かった青年は素早くそれを読み取った。
「へえ! 空気じゃなくて床をあっためてるのか。そっかそっか、堅物クンだから土の精霊と仲良しなんだもんね!」
「……ルチアーノ。お前は黙って待つという事が出来ないのか」
「出来ないね! だって、黙ったらもったいないじゃないか。せっかく遠路遥々会いに来たんだからさぁ」
行儀の悪い事に、ルチアーノはルークの机の淵に腰かけて足をぶらぶらさせた。
「書類を届けるなど、部下に任せれば良いだろう」
「ちょうど空いてたのが僕だったの! こっちには美味い酒場もあるし」
「全く……」
不真面目な発言ばかり飛び出すが、ルチアーノはこう見えて救助隊探索部隊の隊長。この国の抱える最大の財源にして謎を秘めた迷宮探索の責任者だ。
その責務を背負うに足る実力を備えているが……。
気まぐれに机から降りたルチアーノは、部屋の主人に許可も無く、ルークが愛用している読書用の一番良い椅子にゆったりと腰かけた。
叱ろうとすると、態度の大きい来訪者に見習って欲しい謙虚なノックが響いた。
「入りなさい」
「し、失礼します!」
「おお? 女の子だ!」
緊張で全身を強張らせていたのに、更に驚きでこぼれ落ちそうな程大きく目を見開いたグレイスが教本を大事に抱きしめて立っていた。
「ね、ねえねえ、アカデミーって女の子の生徒いないよね? ま、まさか、キョージュの女? まさかの幼女!」
「黙れ、馬鹿者。彼女はアカデミー初の女子生徒。首席入学の素晴らしく才能ある娘だ」
グレイスは見る間に顔を真っ赤にして俯いてしまった。あれほど大胆な行動でアカデミーの門扉をこじ開け、大人達を黙らせる程の気迫は何処から発せられていたのか。
ひょっとしたら同じ少女では無いのかも知れないと疑う程の姿だ。
騒ぐルチアーノを押し退けて、グレイスに顔を向けると、ようやくほんのりと微笑んだ。
「どうしたのかね?」
「は、ハイ! ほ、本日より、ルーク教授の助手に任命されました! 宜しくお願い致します!」
物凄い勢いで頭を下げるものだから、床に教本をばらまいてしまった。慌てて更に顔を赤くして拾っている。
失念していたが、新入生でも優秀な者は教授の助手として授業準備の手伝いなどをする。ルークに付く生徒は少なく、その上三日と待たず根を上げるのですっかりその存在を忘れていたのだ。
(物好きな娘だ。それとも、押し付けられたか)
名義上、誰かがルークの元に付かねばならない。体良く押し付けられたのだろう。ルークの心を代弁するように、
「あー。あれだ、堅物で偏屈なキョージュの世話係を押し付けられたって事か。可哀想に、紳士のする事じゃないなぁ」
「ち、違います! 私が、志願しました!幸いにも希望者が全く居なかったので、そのまま私が任命されました!」
思わず、ルークはルチアーノと顔を見合わせる。
「へえ? 志願。なんで……」
ルチアーノが「こんな堅物に」と続ける前に顔を真っ赤にしたグレイスは大声で割り込んだ。
「ルーク教授は私の大切なお師匠様です! そんなことは言わないで下さい! 確かに堅物かも知れませんが、ただ頭が固いだけの方なら私の入学を認めてはくれません! 私がここで学べるのは、教授のおかげです! なんなんですか、貴方は! 教授に失礼です!」
大声で言い切ったグレイスだが、直ぐに小さくなって「すみません」と謝った。
ルチアーノは少女に怒鳴られても全く怒らず、逆に少女の頭を優しく撫でた。
「あー、僕安心したわー」
「え?」
「こんなに可愛い嫁候補がいるなら、僕がお節介しなくても、兄さんは大丈夫だね!」
「馬鹿者」
「よ、よめっ? にいさ……?」
どちらで驚いたら良いか分からない程混乱してしまったグレイスは、陸揚げされた魚のように口をパクパクさせている。
一つずつ説明した方が良さそうだ。ルークは頭痛を抑える時と同じく、額の端に拳を当てながら、
「グレイス。この男はルチアーノと言って、私の一番下の弟だ。迷宮の町で救助隊探索班の隊長を担っている」
「よろしくぅ〜。まあ、僕は容姿も才能も兄さんそっくりだから分かりやすいでしょ?」
確かに、ルチアーノはルークと良く似ているが、性質が違い過ぎて日頃の表情が正反対なのであまり兄弟と思われる事が無い。
が、何故か弟は兄に似ている事を誇らしく思っているようなのだ。
「そして、嫁というのも気にしないように。コレは私の周りに居る女性を手当たり次第にそう呼ぶのだ」
「そんな事無いよ、ちゃんと人を見るよぉ。グレイスは兄さんにぴったりだよ! 度胸の良さといい、アカデミーに入ってるんだから、頭も良いんだろ? 小難しい兄さんの理解者になってくれるに違いないよ!」
などと、一人で盛り上がって目をキラキラ輝かせている。
「グレイス、助手の件は承諾した。今日は特に用が無いので、好きに過ごしなさい」
「で、では、その……」
グレイスは壁という壁を本で埋め尽くした執務室内をソワソワ見回している。知識欲の旺盛な娘であるし、家ではこっそりとしか本が読めなかったのだろう。
「こ、ここの本を、読ませて貰っても良いでしょうか」
「構わん。ただし、持ち出し禁止の書物もあるので、ここで読んで行きなさい」
「ありがとうございます!」
もう嫁も兄弟も頭から転げ落ちてしまったのだろう。教本を丁寧に机に置いてから、グレイスは目を輝かせて本棚に向かい、読みたいものを物色し始めた。
「……兄さん。冗談じゃなく本気で、グレイスは兄さんにぴったりだと思うよ」
「馬鹿者。この娘とは親子ほども年が離れているのだぞ」
「関係ないよ! 兄さんには、話の合うしっかりした女性が似合うって! 絶対!」
「私の事はどうでも良い。先ほどの件ならば、改めて返事をするから、もう帰りなさい」
ルークは木の実を詰めた瓶に魔法をかけた。木の実を程よく香ばしくし、甘い樹液を絡める。簡単なおやつだが、ルチアーノの子供達が大好きなおやつだ。
「土産に持って行きなさい」
「わあ、ありがとう! 僕の魔法だと、何か違うから伯父さんに頼んでって怒られるんだよなぁ」
「得手不得手があるのだろう。ターニャにも宜しく伝えてくれ」
「分かった。返事は早めに返してよね。絶対だよ、兄さん!」
「分かっている。気を付けて帰りなさい」
ルチアーノは瓶の中から「おすそわけ」とグレイスに一つ、木の実を分けて帰って行った。
コロンと一口木の実を含んだグレイスの目が見る間に輝く。どうやら彼女も、このおやつが気に入ったようだ。
たまに準備しておいて、手伝いの礼にあげるのも悪くは無い。そんな事を考えながら、ルークはグレイスの好きそうな本を彼女の側に積み上げてやった。
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