よくある狼退治

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よくある狼退治

 宿の夜は静かだった。  小型ランプの(ほの)かな灯りが部屋の(すみ)を照らし、壁に不格好(ぶかっこう)な影絵を作る。  緩慢(かんまん)に伸びた指先が(ちゅう)を一()でした。  絞り出すような吐息が空気に混じる。 「ぅう……ん、ぅぅうーーん………美しいお嬢さん、お名前は……?」 「何回同じ寝言言ってんだ」  ウィザがイストの(ひたい)を弾いた。  金髪を乱した青年があお向けにベッドに倒れる。枕元には神官の証明である銀のロザリオがひっかかっていた。 「寝たか?」 「いや、うなされてるぜ」  ソルは水に浸したタオルを絞り、逆さまにイストの顔をのぞきこんだ。  時期外れの毛布を借りたばかりだが、氷も買ってきた方がいいだろう。  はしっ、と、額に置いた手が掴まれる。 「これまた素敵なお嬢さん……あちらでお茶をぅ……」 「やべぇな」 「ああ、医者呼ぼうぜ」  平和だった世界に魔王が現れ、魔物が闊歩するようになって十数年。 『魔王を倒したものには望みの褒美を与える』  そんな王家からの通達を受け、多くの者が旅に出た。そしてソルとウィザも、それぞれの目的のために同行している。  かつて聖都(せいと)と呼ばれた街の神官、イストを旅仲間に加え、一路、この先の港を目指す予定だったが―――― 「疲れでしょうな」  初老の医者が聴診器を外した。  すでに月の高い時刻であるにも関わらず、手際よく脈を計り、カルテにペンを走らせる。 「どなたか、薬湯(やくとう)の調合ができる方は?」  ウィザが片手を上げた。 「レシピを書きますので、栄養剤代わりに飲ませてあげてください」 「どうも」 「お大事に」  ソルは宿の外まで医者を見送った。  ウィザがレシピ片手に自分の荷物を探る。 「ソル、薬草何枚持ってる?」 「こないだから買い足してねーからなあ……」  ソルは物入れを開けた。  床に並べた二人分の薬草を見て、ウィザが厳しい顔をする。 「全部使ってぎりぎり一回分か。……イスト」  返事はなかった。医者の打った睡眠薬が効いたのだろう。  ソルは部屋の隅のナップサックを指した。 「開けるか?」 「…………女の手紙がごっそり出てきそうだな」 「ふはっ」  ソルは短く笑って薬草を放った。ウィザが自分の荷物から鍋を出す。 「手間賃二割増しで許してやるか」 「―――さあさあ、新鮮な果物はいかが?」 「今朝取れたばっかりの魚だよ!」  市場の左右から呼び声がかかる。  ソルはあくびを噛み殺した。  日が昇って間もない朝市だ。にもかかわらず人の動きは忙しない。  カゴを担いだ数人がソルのわきを通り過ぎ、競りで手に入れた魚を手際よく店先に並べていく。 「道具屋、道具屋……っと」  市場を通りすぎて少し行くと、実店舗の並ぶ通りに繋がる。  メジャーなアイテムや日用品を扱う店がほとんどだが、路地の奥には専門店らしき店構えも見えた。呪術(じゅじゅつ)用品の類いか、看板代わりに奇妙な生き物の標本が吊るされている。  ともあれ、今日の目当てはそちらではない。  ソルは道具屋の店先をくぐった。 「いらっしゃい! 何をお求めだい?」  恰幅(かっぷく)のいい女主人が身を乗り出した。  旅人の相手に慣れているのか、ソルの注文を先読みするように商品をカウンターに積み上げていく。 「あとは魔力薬と、薬草を3ダースな」  女主人が手を止めた。 「悪いねぇ。今、薬草は切らしてるんだよ」  ソルは目を瞬かせた。  向かいの露店を振り返ると、そちらの主人も苦笑とともに首を横に振る。 「最近急に(おろ)される量が減っちまってね。栽培してるのは南西の村だから、行けば詳しい事情が聞けるかもしれないけど」  レシートを裏返し、女主人が簡単な地図を描く。  ソルは釣りと商品を受け取って宿屋に戻った。  ベッドに寝ているイストの横で、ウィザがランタンを使って薬湯を煎じている。出がけにも見た光景だが、換気をしたのだろう。部屋の空気は新鮮だった。 「薬草がない?」 「ああ、この辺は全部同じとこから仕入れてたから、どこも品切れだって」 「まいったな……流し込むか」  ウィザが鍋の中身をコップに注いだ。濃い草の香りに混じり、うっすらと焦げ臭い匂いが漂ってくる。 「イスト、ほら起きろ、薬」 「うぅ~~~……ん……」  投げ出された指先が数回曲がった。ウィザがベッドに乗り上げ、ソルがイストを羽交(はが)()めに抱き起こす。 「……待ってよ……それ、さっき吹きこぼれてたやつ」 「ソル、口開かせろ」 「ばっちこーい」 「もがががが」  気絶――――ではなく、再び寝息を立て始めたイストを宿に残し、ソルとウィザは薬草の仕入れ先だという村へ向かった。  道具屋の主人に教えられた道のりを南に下ると、徐々に景色(けしき)に緑が混じり始めた。  ぽつぽつと生えていた木々は少しずつ密度を増し、やがて視界を埋め尽くすほどの巨大な森に変わる。  その緑の(かたまり)を背にして、(さく)に囲まれた小さな村があった。 「ごめんくださーい、っと」  ―――――――ひしゅんっ!  背後から飛んできた何かが、ソルの服を(かす)めて地面に刺さった。振り返る数秒未満を細切(こまぎ)れにするように風切(かざき)り音が鳴る。  ソルは腰の長剣(ちょうけん)を引き上げた。(どう)を狙う気配の一つを鉄製の(さや)で弾き、(なな)めに引き抜いた刃で肩と頬への軌道を断つ。  数本の矢がぱらぱらと地面に落ちた。  ウィザが目つきをきつくして矢の出どころを振り向く。 「貴様ら、何をしに来た」 「あ゙ァ?」  木々の向こうから現れたのは、弓矢を手にした17歳ほどの若者だった。灰色がかった黒髪を短く切り、利き手の逆の腕には革の肩当を着けている。髪と同じ色の三白眼(さんぱくがん)がソルとウィザを睨んだ。 「見たことのない顔だ。用を言え。森を荒らすつもりならば、()つ」 「言う前に撃ってきた野郎がずいぶんじゃねえか。てめえこそなんなんだ?」 「…………」  若者が一層表情を(けわ)しくする。 「ハーニャ、どうしたのー?」  村の奥から能天気(のうてんき)な声がした。  若者がぎくりと肩を跳ねさせる。  見れば、長い銀髪の少女が、もたもたとこちらへ走ってくるところだった。 「あっ」  泥だまりに足を滑らせ、少女が綺麗にそっくり返る。 「エアル!」  それが名前なのだろう。  ハーニャと呼ばれた若者はソルたちの脇を抜け、少女の元へ駆け寄った。  髪に泥の塊をつけたまま、エアルというらしい少女が笑う。 「あ、旅人さんだ。えっと、こんにちはー。うちの村にご用ですかー?」  ソルたちとエアルを一度ずつ見比(みくら)べ、ハーニャが舌打ちとともにきびすを返す。 「あ……ハーニャ」  返事はない。  エアルは眉を下げたままソルたちを振り返った。その視線が地面の矢にとまる。 「……えっと。ごめんなさい。ケガしてませんかー?」 「そっちに比べりゃ平気だよ」 「えへへー」  エアルは苦笑してワンピースの泥をを払った。 「ハーニャ、最近ずっと難しい顔しててー……あちこちケガしてるのに手当てもいらないってー、森にこもりっきりなんです」 「森に?」 「はいー。キジとかイタチとかー、()るの上手なんですよー」  ソルとウィザの視線が交差した。エアルはにこにこと笑っている。  ウィザが咳払いした。 「あ゛ー……っとな、薬草が欲しくて来たんだ。村長と話せるか?」 「こちらへどうぞー」  一歩先導(せんどう)した足が(すべ)り、エアルはあお向けにすっ転んだ。 「薬草をお分けするわけにはまいりません」  背丈(せたけ)ほどに積まれた木箱の山を背にして、村長は険しい顔をした。  さほど広さのない作業小屋の一角である。表では二十人近い村人が薬草の小山をより分け、乾いた板の上に広げている。 「でもー、お友達がご病気だって……」 「エアル、これはわしらのものではないんだよ」  村長は深いため息をつくと、ソルたちに顔を向けた。 「ひと月前、裏の森に狂暴な魔物が現れましてな。薬草を採っていた者たちが何人か襲われ、そこのエアルも危ないところで逃げてきたのです」  ソルはちらりとエアルを見た。エアルは叱られた子供そのものにしゅんと肩を落としている。 「以来、森には入れず……少しばかりの在庫があるとはいえ、近くの町へ卸すだけで精一杯(せいいっぱい)なのです」 「(ねば)るわけじゃねえがな……こっちも丸三日寝込んでる奴がいるんだ。薬湯だけでも飲ませなきゃまずい」 「ふーむ……」 「あ、あの」  エアルがソルの上着を引っ張る。 「わたし、ちょっとなら持ってます。昨日ハーニャが採ってきてくれてー……」 「あンの(わる)たれめ、まだ森にいるのか!」  声を上げたのは村長だった。額に手をやり、薄い頭を掻く。 「命知らずな……! もし魔物に出くわしてみろ、ケガでは済まんぞ!」 「お、怒らないであげてくださいー……! ハーニャは多分、わたしがそそっかしいのを心配してくれたんだと思いますー……」 「どーゆーヤツなんだ?」 「えっと、小さい時はよく遊んでてー。わたしより森のことはずーっと詳しいんです」 「……じゃなくて」 「あ、魔物ですね」  エアルは口元を覆った。 「えっと、狼に似てました。濃いグレーの毛で、最初は野犬(やけん)かと思ったんですけど、近くに来たら仔牛(こうし)より大きくてー……」 「ただの狼なら、人より牛や馬を狙うだろうしな」  ウィザがため息をつく。 「わたし、怖くて気絶しちゃって、気づいたらハーニャがそばにいたんですけどー……あ、ありました」  エアルが一束の薬草を差し出す。  伸びかけたウィザの手が(ちゅう)で止まった。 「……ダメだ。欲しい種類じゃねえ」 「え?」  ソルは横目でウィザを見た。  ウィザが村長に向き直る。 「ひと月前に出たっつったな。退治は頼んでねえのか?」 「依頼を受けるという連絡はあったのですが、一向にここへ来ないのですよ」 「途中でなんかあったのかもな」  ソルは窓の外を見やった。  緑の森と、抜けるような青い空が広がっている。  ウィザがため息をついた。 「ソル。一晩付き合え」 「いーぜ」  村長が目を丸くしかける。エアルがきょとんと首をかしげる。  ウィザが親指で窓の外を指した。 「もののついでだ。退治してやんよ」  折り重なる枝葉の影が次第に濃くなり、日没と共に闇に溶ける。  ソルの頬を生ぬるい風が撫でた。  人間二人がしゃがんで潜めるほど伸びた下草を揺らし、森の奥へと吹きすぎていく。 「アレ、昨日渡した薬草と同じじゃねえ?」  ウィザがぐっと息を詰めた。 「イストが聞いたら面倒くせぇと思ったんだよ。勘違いすんな」 「お前のそれも安定だよな……」  薬草を差し出したエアルの手には相当な数の擦り傷やひっかき傷があった。一つひとつは大したケガではなかったが、治るはしから次の傷を作っているのだろう。  何度目かの風で流れてきた雲が月を隠す。  がさり、と、遠くで草の擦れる音がした。 「来たぜ」 「分かってるよ」  ソルは長剣に手をかけた。  途切れ途切れに聞こえる茂みの音が徐々に近づいてくる。  ウウウ、と(かす)かな獣の唸り声が耳に届いた。  片膝を立てて身を沈めるソルの後ろで、ウィザが静かに呼吸を整える。  月にかかっていた雲がゆっくりと()がれた。  ソルは月明かりを待たずに背後を一閃した。  刈り取られた下草が八方に散るが、気配の主は寸前で方向を変え、横からソルへ飛びかかる。 「吹き飛べ!」  放射(ほうしゃ)状に広がった衝撃波が小ぶりな影を宙へ突き上げた。  地面へ転がった体を月明かりが照らす。 『ウウゥゥウ……!』  銀色の毛並みをした狼が二人を睨んだ。ダメージを感じさせない機敏(きびん)な動きで跳ね起き、きびすを返して森の奥へ走っていく。 「追うぜ!」  ソルは地面を蹴り、跳躍(ちょうやく)の勢いで長剣を振り抜いた。切っ先が毛皮を掠めるが、その下の肉には至らない。  ふと、昼のエアルの言葉が頭をよぎる。 「(『グレーの毛』って言ってたな?)」  がざっ、と音を残し、狼の姿が茂みの中に消える。  同じく茂みに飛び込みかけて、ソルはその手前で足を止めた。  微かな葉擦れの音は遠ざかることなく、円を描くようにソルの死角へ回り込もうとしている。  肉食の獣特有の能力とでも言うべきか、徐々にその音も薄れ、闇の中の殺気だけが鋭さを増していく。 「――――っそこか!」  ソルは振り向きざまに長剣を一閃した。  ギャンッと短い悲鳴が上がり、柄に鈍い衝撃が伝わる。 「はじけろ!」  爆発が付近の下草を木々ごと消し飛ばした。再び茂みへ逃げ込もうとした狼がたたらを踏む。  ソルはその胴体めがけ、まっすぐに長剣を降り下ろした。 ――――――――っかかかかッ!!  いずこからか飛んできた矢の群れが長剣の軌道を(さえぎ)った。  狼は跳ねるように森の奥へと逃げ、追い付いてきたウィザが木の上を降りあおぐ。 「てめえ、昼間の……!」  弓を手にした若者が木から飛び降りた。ウィザの方を一瞥もせず、狼の逃げた方へと走る。  確かハーニャと呼ばれていたか。  ソルは地面を蹴った。幹を蹴って加速をつけ、反射を繰り返すようにしてハーニャの横へ着地する。 「仕留めてーんなら手伝うぜ」 「……ちっ!」  ハーニャが舌打ちと共に大きく身を捻った。  一瞬そちらに気をとられたソルの足元で細いヒモが切れる。 「なッ!?」  強い力でブーツごと足首を掴まれ、そのまま景色が逆さになる。  ソルはすぐさま長剣を振り、片足を捕らえる縄を切った。 「獣狩り用のトラップかよ……!」 「貫け!」  呪文の声はすぐ後ろで聞こえた。  ローブに絡まる(あみ)を引き剥がし、ウィザが指を鳴らして唸る。 「……ッの、野郎……!!」  ソルは無言で長剣を納め直した。  闇の向こうに動く影は二つ。  手前で忙しなく動くのはハーニャだろう。  指に挟むようにつがえた複数の矢を、(わず)かに方向をずらして放っている。素人にはマネのできない連射の技術だが、狼に当たっている様子はない。  おそらく、一対一で挑んでも大抵の攻撃はかわされてしまうだろう。  それぞれに闇の向こうを見据えたまま、ソルとウィザの呼吸が重なった。 「吹き飛べ!」  地面を蹴ったソルに数秒の間をあけ、ウィザが衝撃波を放った。(おうぎ)状に広がったそれは木々を叩き、多少勢いを()がれながらも標的へと向かう。  ソルはその余波に背を押されるようにハーニャを追い抜き、空中で長剣を鞘から抜いた。  狼が慌てて向きを変えようとするが、コンマ数秒後には衝撃波の本波がやってくる。  ソルは落下と共に長剣を振り下ろした。 「やめろ! そいつに手を出すな!!」  絶叫に近い声量が響き渡った。  ウィザが肩を跳ねさせ、ソルの長剣の軌道がぶれる。   ハーニャは刃の下をくぐって狼の前足を掴み、抱き込むようにして前方へ身を投げ出した。 「なっ!?」 「―――ッぐぅっ!」  直後、押し寄せた衝撃波に打ちのめされて、ハーニャは狼もろとも地面に転がった。 『ガァァァァァッ!!』  興奮した声を上げて、狼がハーニャの喉笛に噛みつこうとする。  ソルは長剣の鞘を引き抜くと、狼の眼前に割り込ませた。  ――――がぎんっ!!  鉄製の鞘に牙を立てて、狼が興奮した唸り声を上げる。大きく首を振るたびに(よだれ)が地面に滴った。 「そ……そのまま、押さえていろ…!」  ハーニャが細い針を取り出し、這いずるように狼の足に刺す。狼はしばらく鞘を噛みながら唸っていたが、やがて力尽きるように地面にうずくまった。 「……キカラシウリの根から取った麻酔薬だ。これでしばらくは大人しくなる……」 「大人しくなる、じゃねえだろ! 呪文のど真ん中に飛び込みやがって、どういうつもりだ!?」 「! ウィザ」  ソルはウィザの肩を叩いた。  横たわる狼の毛皮が霧のように薄れ、肉球のある前足が五本の指へ分かれてゆく。素肌に細かな擦り傷を作って、エアルが深い寝息を立てていた。 「まさか、魔物憑(まものつ)きか……!?」  ハーニャが無言で頷く。ソルはウィザを見た。 「魔物憑き?」 「傷口から魔力を流し込んで、相手の精神を乗っ取ったり、同族に変化させたりする呪いだ。そうすりゃ自分が死んでも種全体の数は(たも)たれるって理屈らしいが……クソ、吸血鬼の持ち芸だぞ…!」 「オレも最初は信じられなかった」  ハーニャが呻くような声を出した。 「ひと月前にこいつが襲われたときは、噛まれてたなんて思いもしなかった。すぐに駆け付けたつもりだったし、ケガも軽症だったからな……」  ――――だがその数日後、ハーニャは夜の村をふらふらと歩くエアルを見かけた。寝ぼけているのだろうと腕を掴んだ直後、雲の間から月光が差した。 「体を掴んでいたから、その時はとっさに押さえこめた。だが月が上ったら最後、こいつは顔見知りの区別もつかなくなるんだ。人を襲わせないためには、森に居させるしかないんだよ!」  ソルは先ほど引っかかった罠の方向を振り返った。 「イストなら解けるんじゃねーか?」 「あんなのでも神官だからな。……っつーか、解呪(かいじゅ)自体は大して難しくねえんだよ」 「へえ」  ウィザが持ち物からストールを広げる。 「本体の魔物を見つけて、銀製の武器で心臓を貫けばいい。今から探して――――」 「無理なんだよ!!」  ハーニャが叫んだ。 「もう本体はいないんだ。ひと月前、最初にエアルが襲われたときに――ーーオレが仕留めた!」 「なっ……!」  愕然(がくぜん)とするウィザの前で、ハーニャが地面を握りしめる。 「エアルは何も知らない。オレの命に代えても、こいつに人は襲わせない……だから村から出て行ってくれ! もう、オレ達に構わないでくれ!!」  いつの間にやら東の空が白み始めていた。仄かな朝日の差し込む森の中に、エアルの寝息だけが聞こえる。  ソルはちらりとウィザを見やると、森の外に足を向けた。 「イスト」  返事はない。カーテン越しの日差しに照らされた宿の部屋で、ベッドの毛布がごくゆっくりと上下していた。  ソルはその横を通り過ぎて窓を開けた。吹き込んできた風が髪を撫で、先ほどの村長との会話が頭をよぎる。 『おお! いかがでしたか、魔物は!』 『あー…っと』 『逃げられた。っつってもそれなりの傷は負わせたからな、しばらく誰も森に入れるんじゃねえぞ』  ウィザがベッドへ近づき、イストの額に手の甲を当てた。 「熱いな……ソル、水差し」 「ん」  ソルはテーブルに置かれたままのガーゼをよけた。  イストの頬や腕にある火傷は、道中の魔物との戦闘でできたものだ。傷自体はさほどでもないが、体のあちこちが痛むという状況は思いの(ほか)に気力を消耗する。  ケガに慣れていない人間ならなおさらだ。  唇を濡らす程度の水を落とすと、イストがうっすらと目を開ける。 「…う……プリス……? プリスは……?」 「妹に面倒かけんじゃねえよ」  ウィザが苦笑とともに額の髪を払った。 「疲れっつったか。精神的なもんもあるかもな」 「そうだな」  ソルは手近な椅子を引き寄せた。  少し前、ある魔物の手により壊滅に追い込まれた街がある。聖都と呼ばれたその街は多くの神官や僧侶を育成しており、イストもそこで修行する者の一人だった。 「聖都から遠出したことねえって言ってたし。フツーの魔物に襲われたんならともかく、あの景色はキツ…………」  ソルは口を閉じた。  (しかばね)に特殊な呪文を施してしもべとする、ネクロマンシーという呪術がある。学術的に解明された『呪文』とは違い、『呪術』は効果の怪しい迷信であることが多い。  だが、ソルとウィザは、ある魔物がこの呪術を成功させるのを見たことがあった。  脳裏に浮かんだ閃きが口をつく。 「倒しちまった魔物を蘇らせれば……なんとかなるんじゃねーか……?」 「珍しいな」  ソルははっとウィザを見た。 「……ま、ほっといてもいーんだけどな」 「どっちをだ?」 「どっちも? になんのか」  ソルは苦笑いを洩らして立ち上がった。  宿を出て大通りを行き、いくつかの路地を通り抜ける。 「ウィザ、一応聞くけど呪術は」 「できるか」 「だよな」  ソルとウィザは商店街の隅に位置する建物の前で足を止めた。あと数ブロックも進めば住宅街に入るだろうか。  壁には修繕の跡があり、いくつかの石灰レンガが薄くくすんでいる。  玄関右手の石看板には『傭兵派遣所(ようへいはけんじょ)』と刻まれていた。 「呪いたい相手でもいるの?」 「違ェよ」  カウンター向こうの女性が肩をすくめる。  ソルはウィザの後ろから身を乗り出した。 「呪術師が登録してるかだけでも教えてくんねえ? 説明してもいいけど、詳しい奴がいねーとややこしいと思うぜ」 「待ってて」  係の女性が席を立つ。  ソルとウィザは椅子に座り直し、カウンターの向こうに積み上げられていくファイルを眺めた。  傭兵派遣所――地域住民から依頼を集め、旅人へと仲介する施設である。  特定の職業人たちの組合を指す『ギルド』と混同されがちだが、こちらはれっきとした公的組織だ。  利用には所定の登録料が必要だが、負傷に備えた保険や装備の貸し出しなども行われており、まとまった路銀を稼ぎたい時に籍を置く旅人も多い。  女性が最後のファイルを閉じた。 「うちには登録してないわ。おおっぴらにする職業でもないし、裏路地で聞いたほうが早いんじゃない?」 「どーも」  ソルはサインを終えた書類を差し出した。 「銀の武器のレンタルね。聖職者がいれば二割引だけど」 「そいつが寝込んでんだよ」 「お気の毒」  女性が奥の壁を示した。小振りな銀の銃が金具で固定されている。 「どっちか撃ったことある?」  ソルはウィザは顔を見合わせた。女性が苦笑する。 「試すのは自由だけど……弾丸一発9000Rよ」 「うぐっ」 「剣とかねーの?」 「銀の武器は基本的にヤワなのよ。主流なのは杖とか、ペンダントとか……」 「弓矢とか?」  ソルは女性の視線の先を見た。  繊細な彫刻の(ほどこ)された銀の弓矢が窓からの光を返している。 「え、でもあなたたち、戦士と魔導師でしょ?」 「ウィザ、サイン頼む」  ソルは代金と登録料を合わせてテーブルに置いた。  派遣所の玄関を出ると、傾き始めた午後の日差しが目に刺さった。  ごつ、と、ソルの背中に反りのある感触が当たる。 「持たせてんじゃねえよ」 「お前が村長のおっさんに見得(みえ)切ったんだろ」 「この作戦はてめえの案だ」  ソルとウィザは互いを見たまま歩みを止めた。玄関を通る旅人たちが眉を寄せて脇を通り抜けていく。  ソルとウィザは同時に廊下の奥を見た。 「男」 「女」  手前のドアが開き、書類を抱えた男性職員が顔を出す。  ウィザが舌打ちと共に弓を引いた。 「酒場はテメエが回れ」 「いーぜ」  薄暗い立地の店を何件か訪ねたが、呪術師の噂は出ない。  いくつめかに入った古道具屋の店主が(ひげ)のない顎を撫でた。 「ネクロマンシーを使える呪術師の心当たりねえ……ならハンゴンコウなんてどうだい」 「ハン……なんだ?」  ウィザの質問には答えないまま、店主がカウンターの下へもぐる。  ソルは立ち込めた(ほこり)を払った。 「何年か前に東の大陸から仕入れたんだけどね。死人が蘇るとかなんとか、うさんくさいシロモノなんだよ」  細い木の箱がカウンターに置かれた。  中には棒状の香木が入っており、筆文字で商品名が書かれている。――ー―『反魂香(はんごんこう)』 「説明書きもついてるんだけど、向こうの言葉で書かれててなにがなにやら……」 「見して」 「読めんのか?」 「ちょっとは」  ソルは説明書きに目を通した。  香木の先端に火をつけ、煙を焚きこめることで効果が現れるらしい。使用の際は煙が洩れないようにし、必ずふすまを閉めておくこと――――ふすま? 「コレ部屋ん中で使うみたいだぜ」 「あ゛ぁ?」 「煙が立ち込めた範囲全体で効果が出るから、なるべく他のヤツがいねーところで、用が済んだらさっさと換気して薄くしろ、みてーな」  ウィザが長いため息を洩らす。 「いいぜ、ないよりマシだろ」 「58000Rね」 「あ゙ぁ!? てめえ、ケタごまかしてんじゃねェぞ!!」  箱をさっと小脇に抱え、店主がわざとらしく口笛を吹く。 「無理に買えとは言わないけどねぇ? 説明書きの内容も分かったし、ボクは明日にでも別の客に売ればいいんだから〜」 「あ……ッしもと見やがって……!」  曲げた指をぐっと握って、ウィザがソルを指差す。 「55000Rだ。こいつが読めたから売れるんだ、それくらい(やす)ぇだろ」 「ん……まあ、そのくらいは」 「ソル。……っくそ、4万貸せ」 「2万でいーぜ」  ソルは財布から紙幣(しへい)を抜き、物入れから大判の札入れを出した。  個人の手持ちとは別に、弁償や入院費など、パーティー全体で起こる出費に備えたものである。  紙幣の束と引き換えに反魂香を掴み、ソルとウィザは再び南の村へ向かった。 「貴様ら……! なぜ戻ってきた!? オレたちのことは放っておけって言っ、うぐっ!?」 「ツラ貸せ」 「機嫌悪ぃな」  ウィザがハーニャの襟首(えりくび)を掴み、村の外れへ引きずっていく。  ソルは半眼で目の前の景色を眺めた。地平線の上にあった夕日は半分ほど沈み、表で遊んでいた子供の姿もない。  ウィザが投げうつように手を離し、銀の弓矢をハーニャに突きつけた。 「貴様ら……まさかエアルを!」 「手伝え。あいつを元に戻すのに、二人じゃ手が足りねえんだよ」 「……どういうことだ?」  胸ぐらを掴むハーニャの手を払い、ウィザが反魂香の木箱を取り出す。 「死人を蘇らせる反魂香と、呪いを断ち切る銀の弓矢。これでもう一度例の魔物を仕留(しと)めなおすんだ。ただ死骸(しがい)が残ってねえ以上、森全体に焚き込めることになる」  人や動物のそれと違い、息絶えた魔物の体は砂となって朽ちる。反魂香の効果がどの程度の範囲に及ぶかはわからないが、巻き添えで蘇る魔物は十や二十ではないだろう。  それらをいなしながら目的の魔物を見つけ出し、なおかつエアルの呪いを解くために、銀の武器以外でとどめを刺してはならない――――となれば、二人では分が悪すぎる。  ハーニャは奥歯を噛むような声を出した。 「……なぜオレに頼むんだ。昨日、お前たちに弓を向けたんだぞ……?」 「だとよソル」 「お前が賭けに負けたの」  ウィザは苦々しくハーニャを睨みなおした。 「カン違いしてんじゃねェぞ。こっちにも病人がいるだけで、テメエとあいつがどういう仲だろうが『キョーミねえ』んだよ」 「ばっ……! か、カン違いしてるのはそっちだ!」 「お前ら気ぃ合うなー」  後ろ手に突き込んだ弓がソルのみぞおちを打った。  ソルが体を折って咳き込み、ウィザがハーニャに弓矢を突き出す。 「日が沈んだら香を焚く。一緒に来い」 「駄目だ」 「……そうかよ」  ウィザは目をすがめて弓矢を引こうとした。  その先端がぐ、と掴まれる。 「エアルが変身するのは月が昇りきってからだ。あいつを森に入れ次第、合流する」  ハーニャが強い眼差しで顔を上げた。  濃い草の匂いが夜の森を通り過ぎ、薄い雲から月が顔を出す。  生暖かい風がソルの頬を撫で、ウィザのローブを僅かに揺らした。辺りに二人以外の姿はない。  (ほの)明るい月明かりに照らされた森は、生き物の気配を断たれたように静まり返っている。 「来ねーな」 「……ああ」  時刻は深夜、夜明けの三時間前といったところか。  ソルは腰の物入れに意識をやった。薬草を使いきった物入れはひどく軽い。  山を探せば五、六枚は見つかるだろうが、薬湯を煎じるには到底足りないだろう。 「始めるか」  ソルは頷いた。  ウィザがマッチを擦り、その火を反魂香の束に移す。腕を一振りして香の火を消すと、帯のような紫煙(しえん)が横に伸びた。  夜の闇そのものがうごめくような気配とともに、足元の地面が盛り上がる。 『ケカカカカカッ………』 『グキャキャキャ……!』  二十数体の魔物の群れが地面を押し上げて現れた。植物、人型、獣型、さまざまな種類の魔物が光のない目でソルとウィザを見る。 「残すのは狼だけだな」 「ああ。ーー――来るぜ!」  ソルとウィザは二方向に跳んだ。  閃いた長剣が猿に似た魔物を叩き斬る。振り上げた右腕から胴を両断され、かりそめの肉体は再び土に(かえ)った。  ウィザの持つ香の煙を追うように、次々と地面から魔物が顔を出す。 「貫け!」  圧縮した衝撃波が直線に並んだ魔物を打ち抜いた。  方向を変えたウィザの死角に回り込むように、蛇の魔物があぎとを開く! ―――――ずばだんっっ!!  脳天から(あご)を縫い付けるようにして、鉄の矢が魔物を貫いた。  ハーニャが頭上の枝から飛び降り、ソルとウィザの間へ着地して次の矢をつがえる。 「すまん、遅くなった!」 「カノジョは?」 「近くだ! 足止めの罠は置いてあるが、10分後に一度抜けるぞ!」  ソルは低く口笛を吹いた。  続けざまに周囲の魔物を射抜き、ハーニャが首を横に振る。  ソルたちは香の煙を引きずるように移動した。現れた魔物を確認しては一掃し、また森の奥へ走る。そんなことを何度繰り返しただろう。  目の前の一体を両断した直後、ソルは背後で短い咆哮(ほうこう)を聞いた。 「ッ!」  とっさにひねった肩を跳び越え、濃いグレーの影がソルの横を通り過ぎていく。 「ソル!」 「貴様は……っ!」  ハーニャの声に激情が(にじ)んだ。  足元の草を踏み荒らし、仔牛ほどの狼が唸りを上げる。二の腕程度なら貫通しそうな鋭利な牙は、(よだれ)でぎらぎらと濡れていた。  ソルは居合の態勢で上体をかがめ、ハーニャと狼の間へ割り込んだ。  さらにその後方から、ウィザが慎重に狙いをつける。 「こいつで間違いねえな?」 「忘れるものか……! よくもエアルを!」  ハーニャが矢立(やたて)から銀の矢をつがえる。  それを視界の端で確認して、ソルは地面を蹴った。 『―――――グルルァァアア!!』  ノイズの混じった咆哮を上げ、狼がソルへと突進する。その跳躍が間合いに入った刹那、ソルは相手の右目を狙って剣を抜き放った。  しかし、狼は刃が触れる直前に頭を振り、瞳孔を長剣の軌道から逸らす。 「火炎よ!」  ソルのすぐ横を行き過ぎた火柱は、密集した枝にぶつかって周囲の木々へ燃え広がった。あくまで牽制の一撃だが、一かけらの本能が残っていたのか、狼がすくみあがるように動きを止める。  そこへハーニャが矢を放ち、返す刃が頭部を一閃する! 『ギャィィッ!』 「やったか!?」 「掠っただけだよ」  ソルは油断なく長剣を構え直した。  跳ね起きた狼の片耳が砂となって消え、ハーニャが矢立に手を伸ばす。  再び突進してきた狼を打ち払い、ソルは足もとに目をやった。 「(銀の矢5本で10000R。今1本ミスったから、残りは4本か)」  地面に落ちた銀の矢じりは巻貝のように潰れていた。鉄や木を尖らせたものとは違い、拾って撃ちなおすには向かないだろう。 「それに、二回倒される気はねーみてーだしな!」  視線が外れたスキを逃さず、狼がソルに飛びかかる。体を捻ってかわそうとした刹那、前足の爪が上着にかかった。  距離を詰めてくる狼と場所を入れ替わるように片足を引き、(はず)みをつけて後方へ跳ぶ。  ―――――ずばんっ!!  追いすがろうとした狼の背を2本目の銀の矢が掠めた。振り下ろした刃をかわし、狼が森の奥へと走る。 「追うぞ!」 「ウィザ!」 「吹き飛べ!!」  立て続けに放った衝撃波が木立(こだち)を叩く。不可視(ふかし)のそれを難なく飛び越え、狼が下草の茂みへ姿を隠した。  風と木の葉ずれの音に紛れ、ソルの耳に別方向からの唸り声が届いた。 『―――――ッガァァァァッ!!』 「っうわ!?」  ソルの行く手を遮るように、白い塊が薄闇に(ひるが)った。  とっさにその場に転がったソルを振り返り、白い塊が地面を蹴ろうとする。 「エアル!」 「っこの!!」  ハーニャが叫ぶよりも早く、ウィザが横合いから塊のすねを払った。 『ギャィン!』  転ばされるまま横倒しに転んで、白い塊ーー白い狼が頭を振る。 「くそ、何が10分だよ」  ウィザが眉を歪めて指先を向ける。当てるわけにはいかないが、放っておけば元凶を仕留めるどころではない。  ソルは起き上がって狼の消えた方向を見た。  その間も反魂香の煙に()かれ、次々と魔物がソルたちを囲む。 「ウィザ、こいつら頼む」 「……なら、任せるぜ」 「ん」  ハーニャがソルとウィザを交互に見た。  ソルが森の奥を示し、ウィザが息を吸い直す。 「吹き飛べ!」  扇状の衝撃波が包囲を突き崩した。次の魔物の群れが蘇るまでの数秒、無人になった地面の上をソルとハーニャが走り抜ける。  その後方で何度かの爆発音がした。 「あと3本だよな」 「あ、ああ」  ハーニャが後ろの騒ぎから視線を戻す。  ソルは闇の中へ目をこらした。  夜風にそよぐ木の枝の下で、下草の茂みが不自然に揺れる。 「そこか!」  地面を蹴ったソルを追い抜き、ハーニャの矢が茂みを射抜く。  矢は茂みの中に張られた縄を切り、ばぢんっ! と跳ね上がったネズミ捕りが狼の前足を捕えた。 「トラップか」 「この森はオレの狩場(かりば)だ。仕掛けの位置は全て頭に入っている!」  続けざまに放たれた矢を転がるようにかわし、狼が足を抜こうともがく。 「このっ!」  ソルが長剣を振り抜くより早く、罠を結わえていたロープが引きちぎれた。前足をネズミ捕りに挟まれたまま、狼が森の奥へ逃げていく。 「戦士、右に跳べ!」  跳躍したソルの真横を時間差をつけた矢の群れがすり抜けていく。  それらをかわした狼の足元から、狩猟用の網が浮き上がる! 「これで動けまい!」  ハーニャが3本目の銀の矢を放った。矢は網の目を抜け、宙に吊し上げられた狼へ向かう。  ―――――ざぁっ……!!  しかし、その矢が届くよりも早く、狼の体は砂となって崩れ落ちた。網の下に溜まった砂の塊は再び狼の形を取り、泡を飛ばしてハーニャに襲いかかる。 「このっ!」  ソルは長剣の背で横殴りに狼を打ち飛ばした。  ハーニャが(うめ)く。 「そうか……煙が溜まるのは地面の近くだけ……跳ね網の高さと勢いが反魂香の煙をかき消してしまうのか……!」 「他に仕掛けは」 「500mごとにボウガンがある」  ソルは頷いた。  薙ぐように振られた長剣をかわし、狼が再び飛びのく。  その瞬間を狙い、ハーニャが矢を()った。  ――――ばぢんっ!  放たれた鉄の矢は枝に張り巡らされたロープを射抜き、樹上のボウガンを作動させる。  バネの勢いで発射された矢に足を射ぬかれ、狼が体勢を崩す。  と同時に、一閃が前足を切り飛ばした! 『ギャィイイッ!!』 「よくやった!」  ハーニャが4本目の銀の矢をつがえ、ソルが軌道から体を引く。  障害物のなくなった直線に狼の目がぎらりと光った。 『――――――ルグォォォォォォッ!!』  やけくそに近い咆哮を上げ、狼が後足(あとあし)で地面を蹴る。  とっさに突き込んだ長剣は前足のあった空間を行きすぎ、狙いの狂った4本目の銀の矢は背後の闇に吸い込まれていった。 「……ッ!」  ソルが体勢を変え、刃を返して狼へ斬りつける。しかし、その数秒のうちに、狼は牙をむきだしにしてハーニャへと飛びかかっていた。  滴ったよだれが肩当てに落ちる。  が、ハーニャは動かない。  あと数秒で腕へ食い込む牙を無視して、引き絞った矢の先端を狼へ向ける。  最後の銀の矢が心臓への軌道を(とら)えた。 『…………ォォォオッ!!』 「はじけろ!!」  彼方からの咆哮を追うように爆炎が上がった。   脇の茂みから白い塊が飛び出し、軌道上にいたハーニャに体当たりする。 「あ……っ!?」  ハーニャの体が大きく傾き、最後の銀の矢が空中に逸れた。と同時に狼も宙を噛む。  白い狼はハーニャを押し倒し、金属と牙がぶつかる鈍い音が響く。 『ガルルルッ!!』 「ぐぅっ!」 「やめろエアル! てめえの幼なじみだろうが!」  もつれあって転ぶ音にハーニャの苦悶(くもん)の声、ウィザの怒声(どせい)が重なる。 「…………ッ!」  ソルはかかとで半円を描くように体を捻った。  樹上のボウガンに繋がるロープを視界にとらえ、長剣を投げる勢いでそれを断ち切る。  ――――ばぢんっ!!  射出された鉄の矢と、地面に向かいつつある銀の矢、そして狼の体が一直線に並んだ。  硬度(こうど)の低い銀の矢じりは鉄の矢の表面に(かぶ)さるように変形し、背中から狼の心臓を打ち抜く!! 『ギ………………ッィィイ……ッ!』  貫かれた心臓の穴がざらざらと広がり、狼の体が吹き散らされるように消滅する。それと同時に白い狼の体が輝き、光が人間の形に収束(しゅうそく)した。 「エアル!」   華奢(きゃしゃ)な体を抱き止め、ハーニャが背中から地面に倒れた。  わだかまる反魂香の煙に誘われ、なおも新たな魔物の屍が起き上がる。 「ウィザ!」 「はじけろ!」  木々をなぎ倒すほどの爆風は森に溜まった煙を残らず吹き飛ばした。地面から顔を出そうとしていた魔物たちが動きを止め、音もなく土に還っていく。  ウィザが大きく息をつき、燃え残った香を叩いて消した。 「おつかれ」 「てめーもな」  かわした視線が同じ速度でほどける。  ソルは長剣を(おさ)めてハーニャを見やった。 「よ、色男。着替えとか用意してねーの?」 「う……うるさい、見るな」  平和そうに眠るエアルに上着をかぶせ、ハーニャが真っ赤になった顔を逸らした。 『薬湯の効能は、それを煎じたときの臭いに比例する』  レシピ片手に鍋を睨むウィザの背を見ながら、ソルはそんな俗説を思い出していた。ただ、そういった皮肉というのは意外と的を得ているものだ。 「ごめんね、一週間も足止めさせて」 「もう起きられんのか?」 「おかげさまでね。朝ごはんおごるよ、ウィザは?」 「まだ寝てんじゃねえ?」  高く(のぼ)った朝日に照らされ、食堂は徐々に活気を増しつつあった。食事を終えた客と今起きてきた客、その間を行き来する店員の声で賑わっている。   森での騒動が明けて一日。  五回に分けて大鍋の薬湯を流し込まれたイストはすっかりもとの顔色を取り戻していた。  入れ替わりに疲れを見せたウィザは鍋底の一杯をあおり、『寝る』と言い残してシーツに埋もれている。 「チェックアウトの時間が来ちゃうね……見てくるよ」 「よろしく」  ソルはベーコンエッグを咀嚼(そしゃく)した。ふと思い出して口の中のものを飲み込む。 「気をつけてな」 「ウィザ、起きてるかい?」  イストはそっとドアを押し開けて部屋を見渡した。  思いがけず慣れ親しんだ宿の大部屋である。病人特有の湿気がこもっていないのは彼らがまめに換気をしてくれたからだろう。  一週間見続けた天井と壁を新鮮な角度で眺めつつ奥へ向かう。  自分が寝ていたベッドと、ソファがわりにされていたらしい隣のベッド。そしてその横で、ツインタイプのベッドを横断するように上掛(うわか)けの山が丸まっていた。 「ウィザ、昨日はありがとう。もうすぐチェックアウトだよ」  布の奥から言葉にならない呻き声が上がる。  イストは苦笑した。 「なんだろうね、弟がいたらこんな感じなのかな……起きなよ、朝ごはん食べよう?」  軽く背中を叩き、顔を覆う上掛けを巻き取るように()ぐ。  差し込んだ日射しに眉をしかめ、ウィザが薄く目を開いた。 「おはよう、いい朝だね」  と笑うイストを視界にとらえ、おもむろに口を開く。 「……はじけろ……」 「えっ」  沸き起こった爆発が窓ガラスと天井を消し飛ばした。 「ひどい! ひどいよ!! 寝起きに爆破呪文って!!」 「俺も昔言ったわー」 「知ってて起こしに行かせたのかい!?」 「気をつけてって言っただろ」 「いつ!?」 「モーニングをお待ちのお客さまー」  ウィザがトレイを受け取り、伝票を置いた店員が機械的に去る。  一旦はまばらになった客足も次のピークに向かって数を増しつつあった。 「一人前890R(アール)か」 「うまいのに安いよな」 「修理代70000Rって書いてあるんだけど!?」  ウィザが自分の財布に手をかける。それをイストが軽く制した。 「今日はオレがおごるよ」 「70000Rを?」 「朝ごはんだよ、知ってるだろ」 「あ゙ぁ?」 「ソルに聞いたよ、南の森で大変だったって……」  店内の話し声は徐々に重なりあい、店員が忙しなくテーブルを行き来する。  どこからか昨日の薬湯の匂いがした――のは気のせいだろう。  目の前のやり取りを眺めつつ、ソルはこれからの予定を組み立てていた。  70000Rは安いとは言えないが、賞金つきの魔物を二、三体仕留めれば釣りがくる額だ。派遣所への登録は先日で済んでいる。  ()み上がりのイストを引っ張って港へ急ぐより、もう数日留まって路銀を確保するのも手だろう。 「(そう言や久しぶりだな、そーゆーの)」  (はず)んだ指先が長剣の柄を叩いた。 end.
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