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よくある別行動
降り注ぐ初夏の日差しの下で、平原はどこまでも続くように思えた。実際は領地ごとに関所が立ち、木の柵がそれらを区切っているのだが。
ある旅人の服装を見て、関所の兵士は眉をしかめた。
「あんたら、二人でこの先に行くつもりか」
「?」
ローブを着込んだ若者が怪訝な顔をする。
「この街道を抜けて、北のほうに行きてえんだが……マズいのか?」
「いや、マズいというか…なんだろうなあ……」
「どした?」
ローブの連れらしい、長剣を携えた若者が顔を出した。
覗き込んだ地図の中で、長い一本道が現在地と街をつないでいる。
「この先の街は、少し前に二つに分かれてな。……まあ、どちらに行っても北には着けるから、問題はないんだが……」
門番はそこで言葉を切ると、一人で何やら唸りだした。
二人の旅人は互いを見やり、無言で頷きあう。
「―――ああッ! おい待つんだ! 北には着けるが、この先の街はな、………! ――――………!」
風に流れて掠れる兵士の声を背に受けながら、彼らは関所を走り抜けた。
平和だったはずの世界に魔王が現れ、魔物たちが跋扈するようになって、早十数年。
王家は幾度となく討伐隊を送ったが、未だ魔王を倒すには至らず、各地での被害は増加の一手を辿っている。
少しでも被害を防ぐため、あるいは王都からの人手を最小限に抑えるため――王家は一つの通達を出した。
『魔王を倒した者には、何なりと望みの褒美を与える』
金を求めるもの、名誉を望むもの、皆がさまざまな願いを持って旅だった。
そんな、よくある世界のよくある話。
「―――ん?」
地平線の広がる草原を一通り走って、彼らはある立て札の前で足を止めた。
ふたまたに分かれた一本道。その間に割り込むようなそれに、簡潔な文が二行並んでいる。
『この西・プリマドーラの街。一切の武器持ち込みを禁ず』
『この東・ビバレントの街。一切の攻撃呪文および、その術者の立ち入りを禁ず』
―――なお違反者を発見した場合、罰金50000Rと地区外追放を申し立てる。
そこまでを胸中で読み上げて、彼らは同時に目を細めた。
「さっき言ってたのはコレか……」
手持ちの地図から察するに、街までの距離はそう遠いものではない。
「……ま、あさってぐらいか?」
「そーだな」
若者が口端を上げる。
「あとから来た方が晩メシおごりな」
「上等じゃねーか」
そう言って、彼らは分かれた道のそれぞれへ足を向けた。
長剣を携えた若者は、呪文禁止の街・ビバレントへ。
ローブを身に着けた魔導師は、武器禁止の街・プリマドーラへ。
■□■□
「ようこそ、平和を愛する武の街へ!!」
ビバレントに足を踏み入れた瞬間、にぎやかな拍手と紙テープが若者を出迎えた。
市場を兼ねた大通りに、鎧を身に着けた住人がずらりと並び、口々にまくしたてる。
「よくぞいらしてくれました! 我々は貴方を歓迎いたします!」
「ここは心正しい戦士と武道家の街! 口先だけの魔導師ふぜいとは比較にもならぬ強者の街です!」
「なにか必要なものがあればおっしゃってください、さあさあさあ!」
迫る勢いに若干肩を引きつつ、若者が答える。
「薬草とか」
「道具屋はこちらです!」
「……フツーに買うんだ」
あるテントの前についた途端、案内役の戦士はさっと姿を消した。代わりに、ぱん! と店主が手を鳴らす。
「らっしゃい! 兄ちゃんいいとこに来たね! 今日のオススメは効き目1.25倍、百本に一本しか取れない貴重な薬草だ! ほらここ、心なしか茎が太いだろ?」
「あー、そういうのわかんねーからな……普通でいいです」
わああああ、と歓声が聞こえて、若者は横目でそちらを見やった。
また他の旅人が来たのだろう、さっきの案内役が街の入口ではしゃいでいるのが見える。
「だったらコレ、100枚セットで1000Rだ!」
「くさるでしょ」
店主が出してきた木箱をわきへよける。心なしかホコリが舞ったのは気のせいだろうか。
「よおし分かった、10枚セットの80R! 有機栽培無農薬、まさか買わないってテはねえだろう!」
「……はあ、じゃいいやそれ―――」
「やめとけよ」
声をかけられて、若者は振り返った。
いつからそこに立っていたのか、10才に届く程度の少年がこちらを睨んでいる。
「葉っぱのフチが干からびてる。しいれて1週間はたってんじゃねーか?」
「こ、コラ坊主! いい加減なこと言いやがると……!」
「おっちゃんはずかしくねーのかよ!! こんな値段でこんなモン売って、うちのじいちゃんのほうがよっぽどいいモン――――むぐ」
若者は少年の口を塞ぐと、片手で向こうへ押しやった。
「5枚ちょーだい。バラで」
「あいよ、まいど!」
「あー! あ――!!」
道具屋と若者を交互に見やって、少年が悲鳴を上げた。
その襟首をひょいとつまみあげ、若者は店を後にする。
「はなせー! はーなーせ――! せっかく教えてやったのに―――!」
「……で、おまえのじーさんどこだよ」
「え?」
しばしきょとんと目を丸くして、少年はぱっと表情を輝かせた。
同時に若者が手を離し、小さな体が地面に着地する。
「こっち!」
駆け出す少年を目で追いつつあとに続いて、若者は下げていた長剣を肩に乗せた。チャリ、という鍔鳴りの音が通りに残る。
ひしめく大通りの喧騒を抜けて、彼らは裏路地への道を歩いて行った。
■□■□
「ようこそ、平和を愛する呪文の街・プリマドーラへ!」
街の入口の門をくぐった瞬間、華やかな火花と閃光が魔導師を出迎えた。
「ここは秩序正しき魔導師の街! 野蛮な戦士どもとは一線を画す、教養と理の街です!」
「各種呪文アイテムや杖など、ここで手に入らないものはありませんよ!」
「魔力薬とかは?」
「ございますとも! こちら、一ビン30000Rになります!」
「ボッタクリじゃねーか」
翻った背中を追いかけるようにして、数人の物売りがカゴを手に走った。
「魔道の書物はいりませんか! 読むだけで強力な呪文が発動します!」
「キョーミねえ」
「魔道のケープはいかがですか! 火にも強いし丈夫で軽い、ヤクーの毛で織った高級品ですよ!」
「今着てる」
追いくる商談を適当にいなしつつ宿を探す。ざっと通りを見つくし、細い道へ抜けようとした、とき。
「ではこちら、ゼラニウムの花で作った口紅はいかがでしょう!」
ぴた。
「…………あ゙ぁ?」
魔導師はゆっくりと振り向いた。
それを好機と取ったか、一斉に距離を詰め、物売りが新たな商品を取り出す。
「人魚の涙の化粧水、誘惑の呪文入り香水なども!」
「いらねェ」
「分かりました……当店の秘蔵、ワノクニから輸入したイモリの黒焼きです!」
「てめえ、いいかげんに……!」
「おにいちゃんだよねえ?」
魔導師は振り返った。
バゲットがのぞいた紙袋を抱え、10才に届く程度の少女がこちらを見上げている。
「おねえちゃんじゃないもん。おけしょうしないよねえ?」
しばしぽかんと少女を見つめて―――魔導師は無意識に目元を緩めた。
少女の栗色の髪をくしゃりと撫で、バゲットの袋を取り上げる。
「貸しな。家どこだ?」
「あのね、あそこの大きいアパートメント!」
「あ、あの、旅の方……」
呻く物売りを視線で蹴りつけて、魔導師は少女の指さす建物へと歩き出した。
■□■□
迷路のような裏路地を抜けて、若者は一軒の店の前に来ていた。家々の隙間から差し込む夕日が外壁を赤く染め、濃い影を落としていく。
頭の中で地図を書いてみるに、おそらくここは街の北隅だろう。
入口を覆うようにかけられた布を跳ね上げて、少年が声を張り上げた。
「じーちゃん! お客!」
ややあって、一人の老人が顔を出す。
「おおエイキ。戻ったのかい」
「うん! それよりさ、お客! 薬草買いたいんだって!」
老人のビーズのような目がこちらを見た。
「……ですかな?」
「まあ、一応」
「いちおう!? あのな、あんなトコで買うよりな―――!」
毛を逆立てた猫さながらに歯を向いて、少年がわめきかける。それを老人が視線だけで見やった。
「エイキ。お前また大通りでモメてきたのかい」
うっ、と呻いて、少年はいったん口をつぐんだ。老人の視線から逃げるように目をそらし、足のあたりを見つめてもごもごと言う。
「だ……だってさ、こいつがあんまり……みんなじーちゃんよりカネとって、ひどいもん売ってるし……」
「…………」
嘆息して、老人がわずかにかぶりを振る。
「旅の方。孫が無理にお連れしたなら、そのあたりの気遣いは結構。……ま、そろそろ暑さも和らぐ時間だ」
茶でも淹れようかい。
そう言って、老人はつぶらな目をつむった。
床に置かれたいくつもの壺を避けるように奥へ進むと、表では分からなかった植物の匂いが鼻先に触れた。日陰の位置には作り付けの戸棚が並び、薄紙に包まれた何種類もの薬草が整理されている。
「へえ……」
「お分かりかい」
「連れのが詳しいんだけど……食えそうかぐらいは」
「結構結構」
ふほほ、と声を上げて、老人が店の奥へと歩んでいく。
「時代が流れたと言っても、こういうものは魔導師の領分よ。ま、それをいいことに妙な品を売る連中がいるのは感心せんがなあ」
戸棚から鍋を取りながら、老人は器用に茶葉の缶を開けた。別の戸棚から湯呑みを出して、少年が老人を見上げる。
「じーちゃん、『ツレ』って?」
「仲間だよ」
ややあって、ほのかな湯気の匂いと共に、盆に乗った茶器一式が運ばれてきた。老人が手のひらほどの小ビンを開け、赤い飴玉を皿にあける。
「精製に少し力がいってな。この街でしか扱っておらん」
すすめられて一口つまむと、唐辛子だろうか、微かな辛みが舌を走った。
「……その様子じゃ、お前さんの相棒は隣街かい」
老人が呟く。
「ここじゃずいぶん嫌われてるみてーだけど、ワケアリなのか?」
「つまらん訳が、な」
カタタン! と甲高い音がして、若者はそちらを振り返った。床に落ちた飴玉のビンをポケットにしまい、少年が走り出す。
「これ、どこ行く気だ」
「『ヤボ用』! 晩ごはんまでには帰るから!」
叫ぶと同時に姿を消すような勢いで、少年は外へ駆けて行った。
「……親が行商人だからかな。最近はしょっちゅう出かけていく」
「へえ」
戸口に向けていた視線を戻すと、老人は仕切り直すように肩をすくめた。
「使い手の魔力に関わらず、攻撃呪文を跳ね返すマジックカウンター。魔導師が扱うことで、切り口から氷や炎を生み出すマジックソード。お前さんも聞いたことくらいはあるだろう」
どちらも、一般には高値で取引されるアイテムである。
「……ここはもともと、そういった道具の発明で大きくなった街なのさ。魔導師は戦士のために、戦士は魔導師のために、互いが無理なく戦えるよう手助けしてきた。ところが、ある代の町長二人がえらい不仲でなあ」
注ぎなおした茶が熱かったのか、老人は顔をしかめた。
「最初は――ただの当人同士の問題だったのさ。けれど、おそらくき奴らは相手への怒りを留めておけなんだのだろうな。……最初は身内、その次は関係者、次第に街のほとんどが――互いを悪く言ってはばからない空気が生まれた」
数年前、街が分かれるというときも、表立って反対する者は数名に満たなかったという。若者は口に運んだ飴を噛み砕いた。
「その二人って、今もこの街に?」
「死んだよ」
もうずいぶん前さ、と言って、老人はゆっくりと頭を振った。
「だからまあ、分かっとるモンもいるだろうさ。このまま仲たがいを続けたところで、この街は長くない。……子供のケンカさ」
外から吹いた風が薬草の匂いをかき混ぜた。微かにではあるが、耳を澄ませば市場の喧騒が聞こえる気がする。
「だからもう、仲直りしていい頃と思うんだがなぁ」
沈みゆく夕日を見つめて、老人はぽつりと締めくくった。
■□■□
緩いらせんの階段を上がり、ドア横の呼び鈴を鳴らす。魔導師がドアを引いてやると、少女は室内に飛び込んでいった。
「ただいま――!」
「おかえりストラ。……あら? バゲットは半分のサイズでいいって言ったのに、重かったでしょ?」
「だいじょうぶ! 外のおにいちゃんが持ってくれたんだ――」
「ええっ!?」
ばたばたと廊下を走る音がして、若い女性が玄関に出て来る。とはいえ魔導師よりは5つほど年上だろう、おそらくは少女の母親か。
「すみません、うちの娘が……このご近所にお住まいですか?」
「いや、通りすがりだ。連れと別れたとこでな」
じゃ、と背を向けたローブの裾が、くい、と引かれる。母親の足に抱き着くようにして、少女がにっこりとこちらを見上げていた。母親が苦笑した。
「これからお茶にするところなんです。よかったら」
「………はあ」
「灯火よ!」
しゅぼうっ! と空気の擦れる音を立てて、手のひらに乗るほどの火の玉が生まれる。その上にポットを置いて、母親は棚から茶葉を取り出した。
「――そう、旅人さんなの。連れの人は宿に?」
「いや、立て札の前で」
「ああ……」
察したように頷いて、母親が低い位置の引き出しを開けた。
その足にもたれるように床へ座り、少女が首を傾ける。
「つれって?」
「お友達よ」
そっか、と返事をして、少女はすくっと立ち上がった。先ほどは持っていなかったポシェットを首から下げ、テーブルに置いてあった小ビンを手に取る。
その中身をざらざらとポシェットに落として、少女はにっこりと笑って見せた。
「またね、おにいちゃん」
そう言ってドアへと駆け出す後ろ姿を、母親が目ざとく見つける。
「ストラ! どこ行くの!?」
「おともだちのところ――!」
「友達って、それだけじゃ……!」
声を張り上げかけて、母親ははっと魔導師の方を見た。そのスキに少女はドアを抜け、家の外へと出かけてしまっている。
「ごめんなさい。あの子最近あんなことばかり言って、どこで遊んでるんだか……」
苦笑して、母親は新しい小ビンを開けた。可愛らしいリボンが巻かれた中に、薄緑の飴玉が詰まっている
「薬草に特殊な呪文を施して作るもので、ここのおみやげなの」
会釈代わりに目を閉じて、魔導師は一つを口に運んだ。濃い砂糖の甘さの後に、ハッカのような風味が口に広がる。
「……あの、余計なことかもしれないけど」
「?」
「仲直りできないかしら? こんな街に影響されて、大事な友達をふいにすることないんだし」
一瞬、何を言われているのか理解しかねて―――魔導師は苦笑した。
「ンなんじゃねぇよ。あさってには会うし」
「え」
真剣な表情を見せていた母親が、おそらくは自分と同じような思考を辿って、目をぱちくりとさせる。
「やだごめんなさい、私ったら……!」
真っ赤になった頬を隠すように手を振って、よかった、と呟く。
「たまにいるの。旅の仲間とケンカして、もううんざりだってここに来る人が」
「あんたは違うのか?」
「夫が昔、騎士だったから。…結婚するとき剣を捨ててくれたけど、できれば好きに生きさせてあげたかったわ……」
それが思いのほか重い呟きになったことに気づいたのだろう。声のトーンを明るいものに変えて、母親がポットを運んでくる。
「市場の押し売りには困ったんじゃない? 私が子供のころは、本当に珍しいアイテムが並んでたんだけど」
カップに紅茶を注ぎ、砂糖壺とミルクをテーブルに置く。魔導師の向かいに腰掛けて、母親は目を瞬かせた。
「そういえば、そのローブも少し変わってるのね」
「ヤクーの毛だよ」
袖を差し出すように手を上向けて、魔導師は目元を緩めた。
遥か東の山脈を越えた先にある草原地帯。その一角にのみ生息するヤギの一種が、ヤクーである。人工飼料による飼育が非常に困難なため、その加工品は西に行くほど高値で取引されている。
「綺麗な織り目……こんなに大きいとお値段も張るでしょう?」
好奇心できらめく目に、どことなく先の少女を思い出すのは、やはり親子だからだろうか。
魔導師は視線を彷徨わせ、空いた片手で頬を掻く。
「俺は故郷から着っぱなしだからな……スカーフとかならこっちでも買えんだろうけど」
その瞳に、ふ、と懐かしむような色が映る。
「秋ごろ王都に行きゃ、商隊が来てんじゃねえか?」
俺は行ったことねえけど、と付け足して、魔導師は紅茶に口をつけた。
■□■□
その夜、高くのぼった三日月が少し陰り、西の空へ傾き始めた時刻のこと。
大地を揺るがすような雄叫びが、呪文の街・プリマドーラの静寂を破った。
「魔物が出たぞ―――!!」
鳴り響く警鐘、そのけたたましい音さえかき消すように、巨大なつむじ風が路地を吹き抜ける。
街の入口を塞ぐように降り立った一匹のドラゴンは、ひときわ大きな鳴き声と共にあたりを火の海に沈めた。
「炎よ!」
「光よ!」
「雷よ!」
住人達が口々に呪文を唱えるが、厚いウロコを貫通するには至らない。
うっとうしげに振り回された尾の直撃を受け、数人が弾き飛ばされる。まとまって倒れた彼らに、ドラゴンの前足が振り下ろされようとした―――とき。
「吹き飛べ!」
横殴りに放たれた衝撃波が、三階建てほどある巨体を弾き飛ばした。
「旅の方!!」
現れた魔導師に、周囲にいた数名が歓声を上げる。その中には、昼間しつこく商品を売り込んできた輩も二、三人いた。
「こういうのは多いのか?」
「まさか! 街が分かれる前だって来たことはありませんよ!」
「……」
魔導師は思案するように目を細め、何か言おうと口を開きかけた。
が、
「旅人さん!! うちの娘、見かけてない!?」
人混みをかき分けるようにして現れたのは、昼間出会った少女の母親だった。
「あの子、夕方から帰ってこなくて……知り合いはみんな来てないって言うし、私、どうしていいか……!」
「……悪ぃ。見てねえ」
「そんな……」
ぐらりと傾いた母親の肩を支え、周囲の人間が避難を促す。魔導師は舌打ちし、ドラゴンを吹き飛ばした方向を見やった。
「探してくる。危ねえから来るなって言っといてくれ」
「いや、ドラゴンですよ!? 貴方だって危険でしょう!」
「そっちじゃねェよ」
吐き捨てて、魔導師は駆け出した。
燃え盛る家々の間を抜けて、ドラゴンの視界を避けるように周囲を見渡す。大方の住人は避難しているのだろう、あたりの家屋に人気はなかった。
ふと、おそらくは酒場だろうか――積み重ねられたタルの裏で、小さな影が震えているのが目に留まる。
「おにいちゃんっ!」
手招くと、少女は半べそで泣きついてきた。服は煤で汚れ、肌には軽いやけどの跡がある。が、ドラゴンに見つかっていればこんなものでは済まなかっただろう。
「……泣かねーで我慢したのか。偉かったな」
焼けた地面に膝を付き、えぐえぐとしゃくりあげる少女を抱きかかえる。
―――――と。
瞬間、魔導師は世界から自分だけが切り取られたようなプレッシャーを覚えた。嫌な予感をこらえて、ゆっくりと背後を振り返る。
『―――グルオォォォ……』
肌がちりつくような熱気を鼻孔から洩らして、ドラゴンがまっすぐにこちらを見据えていた。
びくっ! と、腕の中の小さな体が震える。
「お…おにいちゃ、」
「びびんな」
動物相手の対応というのは、相手が大きかろうと小さかろうと似たようなものだ。こちらを睨む爬虫類の眼を見返しながら、片腕でしっかりと少女を抱え直す。
「大丈夫だから、しっかり掴まってな」
『―――オオオオオォォッ!』
「はじけろ!」
大きく息を吸って鎌首をもたげ、ドラゴンが火炎を吐き出す。向かってくるそれを爆風で散らして、魔導師は身を翻した。
少女を抱えて細い路地に飛び込む、と同時に、背後に向かって呪文を放つ!
「吹き飛べ!」
直線状に放った衝撃波は、壁と壁の間につかえていたドラゴンを後方へ突き飛ばすように転ばせた。その機を逃さず、次の呪文を唱える!
「火球よ!」
―――ひゅぼぅっ!
いくつもの火の玉が空中に生まれ、対象へと降り注ぐ。しかしドラゴンは気にした様子もなく、厚いうろこに包まれた巨体をむくりと起こした。
舌打ちして、魔導師が懐に手を入れる。小指の爪ほどの宝石がつけられた細身のブレスレット。
「使い方は分かるな?」
受け取って、少女がこくりと頷いた。――と。
ひゅごうっ!!
ドラゴンの羽ばたきが、暴風となって路地に吹き込んだ。周囲のレンガを吹き飛ばし、そこにいる人間をたやすく壁へ叩きつける!
「……ッ!」
とっさに少女をかばおうとして、魔導師は頭部に走った衝撃に息をつめた。目の奥が痺れるようにぶれて、こめかみのあたりに生ぬるい感触を覚える。
一方、先ほど渡した腕輪が強く輝き、少女は壁に叩きつけられることなく地面に降り立った。
「おにいちゃんっ!」
「……っの、野郎…」
びしり、と、腕輪の宝石が砕ける。
『マジックシールド』……呪文を反射する高級品には劣るが、たった一度、ほとんどの攻撃を無効化してくれる品物だ。
駆け寄ってくる少女を目の端で捉え、引きずるように身を起こす。が、すぐさま次の行動を起こすには、魔導師の体に走った衝撃は大きすぎた。
火種の混じった鼻息を吹いて、ドラゴンが一歩ずつ近づいてくる。
かすむ視界で眉をしかめて照準を合わせ、魔導師が大きく息を吸う。
「貫け!」
びぢぃっ! と、濡れた布を裂くような音がした。
通常の魔物ならば、たやすく体に風穴が開く威力の呪文。しかしそれは、ドラゴンのうろこを一枚引きはがしただけだった。
ドラゴンは一声吼えると、大木ほどある尾を振り上げた。
■□■□
時は少々さかのぼる。
呪文の街・プリマドーラが火の海になっていたその頃、武の街・ビバレントも魔物の襲撃に見舞われていた。
「女子供は街の外へ逃げろ―――!」
そう叫んだ剣士を切り捨て、剣を手にした魔物の軍勢が街に乗り込んでいく。
ようやく一匹を叩き伏せた武道家を、背後から別の魔物が切りつけた。
「くそっ! 数が多すぎる!!」
倒れてゆく住民と、増える一方の魔物たち。必死で応戦しながらも、戦士たちは苦戦を強いられていた。
「だれか、だれか―――うわっ!」
逃げ惑う人波に押され、一人の少年が路地に放り出された。
呻きながら身を起こした彼と、壁に張り付いていたトカゲの魔物との目が合う。
「ひっ……!」
反射的に目を閉じた直後、ざぐっ! と生々しい音が響いた。が、いつまで待っても痛みはない。
「よ」
おそるおそる目を開けると、そこには昼間、祖父の店に案内した若者が立っていた。
地面に突き立てた長剣に貫かれ、先の魔物が絶命している。
すでに数匹魔物の相手をしたのか、長剣にはうっすらと血の膜が張っていた。
「こういうのはよくあんのか?」
聞かれて、少年はぎこちなく首を横に振った。
ふぅん、と相槌を打って、若者がその横を通り過ぎる。
「ま―――待って!!」
服を掴むと、若者が視線だけで振り返った。
「じーちゃんがまだ店にいるんだ! おれ、帰ってくるの遅くなっちゃって、そしたら魔物がたくさん、店に……!」
歯を食いしばるようにして涙をこらえ、少年は顔を上げた。
「たのむよ、いっしょに来てくれよ!!」
若者の眼差しは変わらない。
仮に、そこに転がっているくず入れに頼んでいても同じことではないだろうか。
――そんな思いが頭をよぎった瞬間、目の前の若者はきびすを返した。
「あ、ま、待ってよ!」
その足を掴もうとして、今度はそれよりも早く、襟首を掴んで持ち上げられる。
「あっ、こっちにも人がいるぞ!」
「オイそこの二人、無事か!?」
若者は声の方向を一瞥すると、掴んでいた少年をそちらへ放り投げた。綺麗な放物線を描いて、この街の住民であろう剣士に受け止められる。
「おい、一人じゃ無茶だよ!」
そう叫んだ住民の声も聞こえたのかどうか。
顔を出した魔物を一振りで切り捨て、若者は裏路地への道を走ってゆく。
「ん? たしかお前、薬草屋のじいさんの―――あ、待ちなさい!!」
少年は住民の腕から飛び下りると、若者を追って駆け出した。
足手まといと言われても、なにもせずじっとしていられるわけがない。
それに――――気のせいだろうか。
角を曲がった若者の口元は、奇妙な弧を描いていた。
■□■□
「癒しを」
一人の住民の手に光が生まれ、少女の母親の火傷が消えてゆく。
「よし、これで応急手当は済んだ。一旦避難しよう」
「でも、娘が……!」
「大丈夫、さっきの呪文を見たろう? 我々では手も足も出なかったドラゴンを吹き飛ばしたじゃないか!」
「王都には名のある魔導師一族が多いって言うから、そのあたりの人じゃないか?」
「さ、行こう!」
肩を支えられながら、母親は燃え盛る街を振り返った。
(けどあの人、王都には行ったことがないって……)
再び轟音が鳴り響き、周囲の人間が足を速める。それに押し流されるようにして、彼女はやむなくその場を離れた。
『――――ッオオオオオ!!』
振り下ろした尾が石畳を砕き、無差別に吐く炎が夜の闇を焦がす。
激痛にのたうちまわるドラゴンと距離を取りながら、魔導師はかすかに口端を上げた。
先ほど引きはがしたうろこ――喉の下に、一枚だけ逆さに生えていたそれを見やる。うかつに触れればドラゴンを激怒させるというが、厚い鎧を持つ彼らの唯一の急所でもある。
「“逆鱗”っつってな……どこかの大陸じゃ有名なんだと」
ぽた、と滴り落ちた血に、足元の少女が不安げに見上げてくる。
「おにいちゃん……ケガ、なおさないの?」
「出来りゃ苦労しねーよ」
手のひらでそれをぬぐって、魔導師が苦笑する。
それを聞き咎めたように、ドラゴンの両目が彼らを捉えた。怒りと激痛に焦点を失いながらも、一戸建てほどある翼を広げて突進してくる。
「これで済むから、心配すんな」
少女の目元を逆の手で覆って、魔導師は微笑んだようだった。
「――――吹き飛べ!!」
柔らかな皮膚がむき出しになった喉の下――ぎりぎりまで引きつけたそこを中心に、最大威力の衝撃波を叩き込む。
カウンターの形で放たれたそれに、ドラゴンはなすすべもなく首をのけぞらせ、あおむけに地面に倒れた。
■□■□
狭い空間は剣を振るうには適さない。
何人かが擦れ違える程度の路地、パニックになった者たちが行き来する人波の中。まして生活用品に溢れた家の中など――実力の半分も出せるかどうか。
「―――っぐう!」
刃の背で腹を一撃され、老人は戸棚と共に床へ転がった。
弾みで灯りが倒れたのか、それとも目の前の連中が火をつけたのか―――広がる炎は室内を赤く染め、薬草の焦げるにおいが鼻を突く。
「まったく、元気なジイさんだなオイ」
そう言って落ちた剣を踏みつけたのは、鉄の鎧を身に着けたトカゲの魔物だった。同じような姿の仲間を背後に従え、愉快そうに口元を撫でる。
「何故だ、何故この街を襲う……以前と違ってここはもう、お前たちが危ぶむような力はなかろう!」
「そうさ、今はな」
口元を歪め、トカゲ兵は剣の背をべろりと舐めた。
「なにも昨日今日決まったわけじゃねえ、ここを襲えって命令はずっと前から出てたんだ。だが戦士と魔導師、強力なアイテムのそろってるとこに乗り込みゃタダじゃ済まねえ。どうしたもんか……」
長い爪の生えた手で顔を覆い、トカゲ兵は頭を垂れた。その肩が小刻みに震えはじめる。
「そう思ってるうちに、お前らは勝手にバラバラになってくれた! いつだかの町長どもの大ゲンカ、ありゃ見ものだったよなあ!」
ギャッハッハッハ!! と甲高い笑い声が室内にこだまする。
「まさか、奴らの不仲は貴様らが……!」
「おっと、そりゃ勘ぐりすぎだ」
馬鹿笑いをぴたりと止め、トカゲ兵が目を細めた。老人を見下ろし、手にしたサーベルをゆっくりと振り上げる。
「奴らの不仲はただの偶然、街が分かれたのはその成り行き。そして、その分裂を今日まで放っておいたのもお前らだ。どうして今まで俺たちに襲われずに済んだのか、そんなことも分からなくなっちまったばっかりにな!!」
じゃっ―――と、肉を切り裂く音がした。
濃厚な血の匂いと共に、驚愕に固まったトカゲ兵の首が地面に落ちる。
「お、お前さん昼間の……!」
老人が言い切る前に、周囲の魔物たちの怒号が空気を裂いた。
一斉に剣を抜き、戸口に現れた若者目がけて飛びかかる!
『―――シャァッ!』
頭上の一匹が剣を振り下ろした瞬間、若者は膝をつくように床を蹴った。
振り抜いた長剣で一匹の腹部を切り裂き、その下をくぐって群れの背後へ抜ける。
手近な一匹を切り捨てた若者に、左右の魔物が剣を構えなおした。
『ギィッ!』
交差するように突き出された切っ先を、若者は大きく跳んで避けた。着地の反動を利用して、足元から一方の魔物の胴に長剣を突き立てる。
しかし、もう片方の魔物はこれを好機と見たのだろう。
深くまで刺さった長剣は容易には引き抜けない。無防備な若者の背を目がけ、手にした剣を振り下ろす!
視線だけでそちらを見やり―――若者は、す、と目を細めただけだった。
たった今長剣を突き立てた魔物――こと切れているその手から剣を拾い、振り向きざまに一閃する!
『ギュウッ……!』
絞り出すようなうめき声を上げて、絶命した魔物が床に転がる。同時に長剣を引き抜かれ、もう一方の魔物も仰向けに倒れた。
――――バンッ!!
戸口から聞こえた音に、若者は弾かれたように身を返した。そちらを視認するよりも早く、現れた人影に長剣を振り抜く!
「じーちゃん!!」
「エイキ!」
――――ギャギャギャッ!
戸口の少年に向かおうとしていた長剣は、その真横の壁に突き立って止まった。
少年は呆然と室内を眺めていたが、やがて若者を見て悲鳴を上げる。
「にーちゃん、すげー血!」
「……俺のじゃねーよ」
少年はこくこくと頷いて、若者の横を走り抜けた。それを目で追って、若者は初めて老人に気づいたように目を瞬かせた。
老人にすがりつくように一通り泣いて、少年が若者を見上げる。
「あ、ありがと…! じーちゃんのこと、たすけてくれて……!」
「…………」
若者は少年と老人から目をそらした。
■□■□
「本当に行かれるんですか、この街に住まないんですか!?」
「貴方なら歓迎ですよ、この街の恩人ですし!」
「いえね、昨晩隣の街にも魔物が出たそうなんですが、たまたま泊まっていた剣士が剣一本で薙ぎ倒したそうなんです!」
「たった一人でですよ! どんな血に飢えた男なんでしょう、想像するだに恐ろしい!!」
ぶっ、と、魔導師は吹き出した。
まだわいわいと騒ぐ街の人間を尻目に、くつくつと笑いながら歩みを進める。
「おにいちゃん、もういっちゃうの?」
くい、とローブを掴んだのは、昨夜の少女だった。
「悪ぃな。今日会おうって約束してんだ」
「おともだちがまってるから?」
「ああ」
「そっかー」
少女は小さな手を差し出した。赤い飴玉が二個乗っている。
「いっこはおともだちにあげてね」
「おう。ありがとな」
頭を撫でられて、少女ははにかむように首をすくめた。
■□■□
「本当に行かれるんですか、この街に住まないんですか!?」
「貴方なら歓迎ですよ、この街の恩人ですし!」
「いえね、昨晩隣の街にも魔物が出たそうなんですが、たまたま立ち寄ってた魔導師が街の一部ごと吹っ飛ばしたらしいんですよ!」
「それを向こうでは英雄扱いですって、なんてアブナい連中なんだか!」
くっ、と長剣を携えた若者が吹き出した。
まだぎゃあぎゃあと騒ぐの人間をすり抜けて、どこか楽しそうに出口へと向かう。
「にーちゃん、もうでてくのか?」
とてて、と走り寄ってきたのは薬草屋の少年だった。
「んー、連れが待ってるからな」
「きのう言ってたヤツか?」
「そ。後から来た方が晩メシおごり」
「ふーん」
ぐい、と腕を引かれて、若者は足を止めた。その手のひらに薄緑の飴玉が二個、乗せられる。
「にーちゃんにやる。ちゃんと“つれ”とわけっこして食えよ」
ケンカしちゃだめだぞ! と胸を張られ、若者は苦笑した。
■□■□
――――そして、ここからは後日談になる。
それぞれの街が復興にいそしむ中で、こそこそと出ていく小さな人影があった。
呪文の街と武術の街、道が二又に分かれる立て札の近く。
落ち葉や枯れ木で入り口を隠し、木々の間にまぎれるようにして、小さな“ひみつきち”が存在していた。大人なら気づかず通り過ぎてしまうほどのささやかな空間に、一人の少年が周囲を確認し、草木をかき分けていく。
「エイキくん!」
「ストラ!」
先に来ていたらしい少女の姿を見つけ、少年はぱっと表情を明るくした。が、すぐに少女の手に貼られたガーゼに目を止める。
「ケガ…したのか?」
「うん。でもへーき、はってるだけなの」
ぺりっ、とガーゼを剥がし、少女が手を振る。それを見て、少年はほっと息をついた。
「じゃあ今日はかけっこはナシだな。またみせてよ、灯りのじゅもん!」
「いいよー。でもそのまえにおやつたべよ!」
地面に敷いた紙の上で、赤と緑の飴玉が混ざる。
二十年後、プリマドーラとビバレントは、再び一つの街に戻ることになるのだが―――それは、ただの後日談。
■□■□
「ソル」
名前を呼ばれて、若者は目を開けた。街を出てしばらく街道を行けば、分かれていた道は北への一本道に戻る。
木漏れ日を透かすようにして、ローブ姿の魔導師がこちらを見上げていた。
「何やってんだ?」
「昼寝」
くぁ、と、枕代わりの長剣を腰に戻して、若者は木から飛び降りた。
「つーかウィザ、なんでちょっとローブ焦げてんだ?」
「ヤボ用だよ。てめーこそ血生臭ぇぞ」
遮るもののない平原で、吹く風が肌を撫でていく。どちらともなく苦笑して、彼らは道を歩き出した。
end.
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