よくある廃墟の街

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よくある廃墟の街

 季節は春の終わりに近いというのに、街は妙にひんやりとした空気に包まれていた。  異臭を含んだ(きり)が視界をかすませ、太陽の光もぼんやりとしか届かない。  廃墟(はいきょ)を歩く旅人の後ろで、足元の土がごそり、と動いた。  積み重なった土とがれきを跳ねあげて、一体のリビングデッドが腕を振り上げる!  長い雄叫(おたけ)びと、短い悲鳴。  それで全ては終わった。 「うっわー……」  べったりと長剣(ちょうけん)に付着した液体を見て、ソルは半眼(はんがん)(うめ)いた。  本来赤いはずのそれは、相手の肉体と共に劣化が進んでおり、なぜそうなったのか考えたくもないような色合いと異臭を放っている。 「はじけろ!」  沸き起こった爆発が、背後から襲いかかろうとしていた骸骨(スケルトン)を弾き飛ばした。 「さんきゅ、ウィザ」 「おう」  片手を上げるソルに、連れは軽く肩をすくめた。まだ呪文の余韻が残る風に、身に着けたローブが重たげに揺れる。 「疫病(えきびょう)……って雰囲気でもねえな。魔物か?」 「かもな」  その割に血の跡がねーけど。  と呟いて、ソルはパンフレットを取り出した。  生臭(なまぐさ)い風が吹き抜ける通りには、人影どころか野良犬一匹見当たらない。  見渡せば先ほどの呪文の範囲をはるかに超えて、がれきと化した建物の残骸(ざんがい)が広がっていた。  (かろ)うじて形をとどめている建物から見るに、このあたりは商店街だったのだろう。無人のカウンターには薄く砂ぼこりが積もり、鎖の切れた看板が赤黒く汚れている。  くすんだ白壁(しろかべ)には十字架をあしらった旗がかけられていた。  取り扱うアイテムが教会の祝福を受けたことを示す、一種の品質保証なのだが、この街では妙にその旗が目についた。 『聖都(せいと)シンクレアは、神話にも名を残す大陸宗教の聖地です! 白レンガで統一された町並みは王都(おうと)指定文化財(していぶんかざい)にも名を刻む美しさ! さあ、巡礼者(じゅんれいしゃ)の貴方もそうでない貴方も、まずは街のシンボル・大聖堂(だいせいどう)へ!!』  ソルはパンフレットを捨てた。  平和だった世界に魔王が現れ、魔物がはびこるようになって十数年。王家(おうけ)による討伐(とうばつ)だけではらちが明かず、国全体に一つの通達が出された。 『魔王を倒した者には、なんなりと望みの褒美(ほうび)を与える』  欲に()られる者、正義に燃える者、(みな)がそれぞれの理由を胸に旅に出た。  しかし、依然(いぜん)各地で魔物による被害は後を絶たず、不意の襲撃(しゅうげき)に町が滅びるのも珍しい話ではない。  そんな、よくある世界の、よくある話。  まだ海路が開けていなかった時代、王都へ向かう旅人はみな、とある街で宿を取っていた。周辺には魔物の侵入を防ぐ結界が(ほどこ)されており、信仰の聖地という土地柄治安も良い。  そういうわけで破壊されることなく受け継がれてきた街並みは、歴史学者が泣いて喜ぶ過去の遺産であるらしい。その筆頭である大聖堂は、今なお多くの神官や僧侶を育成しており、王都からの信頼も厚い。  宗教都市と歴史的な価値、そして観光地としての側面をうまく取り入れた街。それがここ、聖都シンクレアのはずだった。 「火炎よ!」  這い出そうとしていたリビングデッドを灰にして、ウィザが一軒の廃屋(はいおく)を見上げる。 「屋根は残ってるが、ここで休むか? ………俺は正直野宿がいい」 「んー……」  ソルは空を見上げた。  相変わらずの曇天(どんてん)で時間の経過さえ分かりにくいが、おそらく日が傾きだすころだろう。こんなボロ屋でぐっすりと休めるかは怪しいものだ。  かと言って文字通りのゴーストタウンで、夜通(よどお)し戦うというのもぞっとしない。 「(一旦抜けて、王都側の街道で寝るか)」  そう、言おうとした瞬間だった。 「――――きゃあああああっ!」  かん高い悲鳴が聞こえて、ソルとウィザは同時に振り返った。  2ブロックほど先で、一人の少女が骸骨の群れに追われている。がれきの間を縫うようにして走っているが、はっきり言って機敏とは言えず、その足取りはひどく危なっかしい。  年のころなら15、6才といったところか。肩のあたりでそろえた金髪は砂ぼこりにくすんでいたが、こんな状況でなければ愛らしいで通る容姿だろう。  しかしそれ以上に目を引いたのは、少女の服装だった。 「僧侶か……!?」  十字をデザインしたローブに、揃いの帽子。ところどころが破れ、薄汚れてはいたが、少女は確かに教会の僧服(そうふく)を身に着けていた。 「きゃっ!?」  がれきに足を取られた少女に、骸骨が剣を振り上げる。ソルは長剣の鞘を引き抜き、その腕めがけて投げつけた。標本(ひょうほん)のような腕が肘から砕け、指先ごと落下した剣先が地面に突き立つ。 「はじけろ!」  膨れ上がるような爆発が死人(しびと)の群れを飲み込んだ。膝をついたまま周囲を見まわし、少女がようやくソルたちに気付く。 「あ……あなた方は……?」 「通りすがりだ。迷ってんなら街の外まで――――」  未だ動揺の濃い少女の瞳に、何かを理解するような色が灯る。 「お願いですっ!!」  ウィザの言葉を(さえぎ)って、少女が彼らの腕を掴んだ。指の跡が残りそうな勢いに、ウィザだけでなく、ソルも少々後ずさる。 「私と――――私と大聖堂に来てください!!」  がしゃん、とがれきを押しのける音がした。  いつの間に集まったのか、十数体の死人の群れがソルたちを取り囲んでいる。 「こんなトコで求婚(きゅうこん)……なワケねーよな」 「返事は?」 「お先にドーゾ」  ウィザが舌打ちした。少女が周囲の死人とソルたちを交互に見る。 「あ、あの」 「あんた、名前は」 「プリスです」 「じゃあプリス。――――話はあとでな」  す、と、ウィザが前方へ手のひらをかざす。 「火炎よ!!」  地面から吹き上がった火柱が包囲(ほうい)の一角を飲み込んだ。一瞬動きが止まった死人たちの間を抜け、がれきの山と化した街並みを突っ切って聖都の出口へ向かう。  北へと伸びる街道の境に、半壊した白レンガの門が(かろ)うじて建っていた。 「ッ!?」  がんっ! と壁にぶつかったような衝撃を受けて、ソルは数歩後ずさった。  数歩先に街道へ続く道が見えているにも関わらず、透明な壁のようなものが道を塞いでいる。ソルは試しに長剣を振ってみたが、刃は(にぶ)い音と共に弾き返された。 「ソル、代われ!」  遅れて走って来たウィザがソルの肩越しに呪文を放つ。 「はじけろ!」  派手な爆発があたりを揺るがすが、やはり、行く手を(はば)む壁には傷一つつかない。 「これ……聖都の結界です……!」 「あ゙ぁ?」  透明な壁におそるおそる触れて、プリスが呆然(ぼうぜん)と呟く。 「神話の時代に(ほどこ)された、一切の魔物を(こば)む結界……誰かがそれを書き()えて、人間を外に出さないものに……」 「そぅお。だから逃げても無駄なのよぉ」  ()りのある女の声が上から聞こえた。  その声の主を確かめるよりも早く、地面から現れたリビングデッドの群れがソルたちを取り押さえる! 「ぐっ!」 「な!?」  腕を掴まれ、加減(かげん)のない力で押さえつけられて、体中の骨がぎしぎしと軋んだ。  同じくウィザの腕を掴んだ一体が背を踏むように制し、隣の一体がプリスの手首を後ろ手に捕まえて膝をつかせる。 「探したわよぅ。あなた、ホントちょこまかすばしっこいんだものぉ」  ソルたちの目の前にふわりと着地して、細身の女が妖艶(ようえん)に笑った。緩くうねったセミロングが頬の辺りで跳ねる。一見すれば美人で通りそうな容姿だったが、濃い青の髪は明らかに人間のものではない。  しかし、それよりも異様なのは女の外見だった。  腕や足、胴の途中に縫い合わせたような傷跡が一周しており、理想の部品を()ぎ合わせたようにも見える。衣服というよりは羽衣(はごろも)のような薄い布が、細身の体の要所を隠していた。 「ネクロ……!」  それが名前なのだろう。  女がソルたちの前を素通(すどお)りし、呻いたプリスに、すい、と手を出す。 「アレを返してちょうだい、おチビちゃん」 「(『アレ』?)」  (いぶか)しむソルの横で、プリスがぐっと唾を飲み込んだ。 「嫌です」 「あらん」  ネクロが頬に人差し指を添える。 「んー、じゃ、素直に返せばあなただけは逃がしてあげるわよぅ? ね、約束」  プリスが顔を背(そむ)ける。 「あぁ、渡したとたんに、って心配かしらぁ。平気よぅ、あなた一人じゃ何もできないって分かるものぉ」 「くっ……!」  肩を震わせ、プリスがネクロを睨んだ。 「今すぐに()(あらた)めなさい……! このような行い、神もお許しになりませんよ……!」 「あなたのお仲間もみーんなそう言ったわぁ。でもあとはもう……」 「黙りなさい!!」  一瞬、リビングデッドを押し返す勢いで、プリスがネクロに食ってかかる。 「これ以上好き勝手をさせると思わないで! 絶対に……殺されたって渡すものですか!!」 「おい!!」  ウィザの制止よりも早く、すぅっ……とネクロが目を細める。 「そ。――――じゃあ試してみるわぁ」  振り上げたネクロの右腕に羽衣が巻きつき、一瞬の間をおいてほどける。肘を一周する傷を境に、しなやかな細腕(ほそうで)が力こぶの浮いた魔物の腕に変化していた。 「さよなら」 「――――――(つらぬ)け!」  拳がプリスに届く前に、ウィザの呪文がネクロの胸を打ち抜く。  一瞬緩んだリビングデッドの腕を跳ねのけて、ソルは長剣を逆袈裟(ぎゃくげさ)に斬り上げた。 「火炎よ!」  ごうっ―――! と渦巻いた炎がネクロを包み込み、残りのリビングデッドたちを土に(かえ)す。肌がちりつくほどの熱気の中で、あとには何も残らない――はずだった。 「ひどいわぁ。気に入ってたのに」  心臓の位置に穴を開けられたまま、ネクロがのけぞった体を起こした。燃え続ける炎の中で、黒く変色した右腕がゆらり、と揺らめく。 「――――ッあぅっ!」  ほとんど灰になっていた魔物の腕は、プリスを一撃した瞬間に焼け落ちた。  しかしその勢いで、きらり、と光るものが(ふところ)から落ちる。  逆の手でそれを掴み取って、ネクロが血の伝う唇を舐めた。 「それじゃ、あとは任せようかしらぁ」  一歩下がったネクロの足もとから新たなリビングデッドが這い出す。円陣(えんじん)を組むように距離を詰めてくるそれらに、ソルとウィザは構えを取った。 「……我が父母(ふぼ)、我が師、我が友たる(しゅ)よ……(きよ)らかなる御名(みな)において、()の者に節制(せっせい)を与えたまえ……!」  (かす)かな詠唱(えいしょう)の声を聞き、ネクロとリビングデッドが弾かれたようにプリスを見た。  刹那(せつな)、プリスが組んだ指を広げる! 「(つつし)みなさい!」  きゅんっ! と走った光の帯がネクロにぶつかった。それと同時に死人たちはその場に崩れ、物言わぬなきがらに戻る。 「……………ッ!!」  舌打ちして、ネクロがプリスを睨みつけた。 「ウィザ!」 「はじけろ!」  沸き起こった爆発が火花と粉塵(ふんじん)を舞い上げた。ネクロがそれをうっとうしげに払う。 「やめてくれないかしらぁ? こんなことしたって――――」  立ち込めた煙が切れる。  そこにソルたちの姿はなく、倒れたなきがらの群れが転がっているだけだった。  背後で土を踏む音を聞いて、ネクロが長いため息をつく。 「――――取り逃がしたのか」 「ちょーっとぉ、油断しちゃって……でもコレはOKよぉ」  ネクロは小指ほどの大きさの金印(きんいん)(かか)げた。名前を刻む場所には複雑な文様が刻まれており、少なくともこの大陸の文字ではない。 「ならば戻ろう。あとは死人どもに探させておけ」 「んー、それがねラディアートぉ」  ネクロはぴこぴこと指を動かした。一向に起き上がる気配のないなきがらを見渡して、ラディアートと呼ばれた人影がため息をつく。 「魔力(ふう)じか」 「大した力じゃないから、そのうち解けると思うけどぉ」 「そうした思い上がりが失態(しったい)を招くのだ」 「なによぅエラそうに。神官たちは片付けたの?」 「とうにな。祈るほか(のう)のない奴らよ、(たわむ)れにもならんわ」 「あーやだやだ汗臭い」 「我輩(わがはい)は汗などかかん」 「知ってるわよ、脳みそまでカチコチだってね」  ネクロは肩をすくめた。 「ま、いいわ。儀式は途中だし、大聖堂に戻りましょ」  青いルージュを引いた唇が()を描く。 「どのみち、あの子達に逃げる場所なんてないんだから」 「二か月ほど前、でしょうか……彼らがここに来たのは」  廃屋(はいおく)に身を(ひそ)めて、プリスはゆっくりと話し始めた。 「先ほどのネクロと、マントで身を隠した大男(おおおとこ)……そう、ラディアートと呼ばれていました」  王都(おうと)使者(ししゃ)だと名乗った彼らは、(すぐ)れた呪文と武術の心得(こころえ)を持っていた。それを惜しみなく周囲に伝え、(いち)神官から僧正まで分け隔てなく接する姿に、最初は警戒していた者たちも徐々に態度を軟化させるようになる。  近隣で魔物が凶暴(きょうぼう)化していたこともあり、彼らは半月もしないうちに神官たちの信頼を得るようになった。  そしてある日、こんなことを言い出したのだという。 『魔物の凶暴化は、間違いなく魔王が力をつけていることの(あかし)でしょう。それに引き換えここ聖都の結界は、施されてかなりの時間が経っている。――――いかがでしょう、我々とともに新しい結界を張り直しませんか?』  彼らからの提案を、大聖堂側は快諾(かいだく)した。 「ただ一人……兄は直前まで中止を(うった)えていました。ところどころ、見慣れない呪文が施されていると言って」 「兄?」  プリスは切なげに微笑んだ。 「私と同じく大聖堂に(つか)える身で……呪文の理論にはとても詳しいんです」  だが結局、儀式は予定通り行われ――――呪文が発動した瞬間に現れたのは、骸骨や生ける(しかばね)といった死人の大群だった。 「待て、兄貴も神官なんだろ。身内の意見に耳も貸さねえのか?」 「…………」  プリスは悲痛な表情でうつむいた。 「さっきの金印は、兄がとっさに祭壇(さいだん)から叩き落としたものなんです。これを持って逃げろ、ここは自分が食い止めるからって。……でも、ネクロがこんなに早く追ってくるなんて……」  涙声を抑えるように、プリスは自分の胸に手を当てた。 「ウィザ、どう思う?」 「結界呪文は詳しくねぇが、あれを破るのは手間(てま)取るだろうな……」  ウィザが頬杖をつく。 「その儀式(あと)を調べるのが妥当妥当(だとう)だろ。結界を破る手がかりが残ってるかもしれねえ」  ソルは頷いて立ち上がった。 「大聖堂だっけ?」 「えっ、あ、あの……!」  膝を払い、プリスが慌てて立ち上がる。 「途中にその兄貴がいたら拾うってことで、いーか?」 「は、はい!」  先の呪文が効いているのか、街に死人たちの姿はなかった。路地を駆け、聖都のほぼ中心で足を止める。 「ここです」  周囲の建物とは対照的に、大聖堂はほぼ無傷でそびえたっていた。  白のレンガを用いて作られた外壁には擦り切れた()(まく)がかけられ、濃い霧でかすむ鐘楼(しょうろう)の屋根に、聖都の象徴である十字架(じゅうじか)がぼんやりと見える。  ソルはウィザとプリスを待たせ、開いたままの入口へと走った。建物の内部は薄暗かったが、ざっと見る限り、魔物の姿はない。  ソルは外の二人を手招(てまね)いた。プリスに続いてウィザが入って来たところで扉を閉める。プリスが小声で詠唱を始め、水を受けるように手のひらを合わせた。 「照らしなさい」  拳ほどの光の(たま)が宙に生まれ、柔らかな光であたりを照らす。 「このくらいはできるんですけど……呪文はあまり得意じゃなくて」  プリスは苦笑した。  くるぶしが埋もれるような絨毯(じゅうたん)はよく手入れされていたが、多くの人間が通るからだろう、多少毛羽立(けばだ)立っている。  正面に見える礼拝堂(れいはいどう)を素通りし、左に曲がると、地下に降りるらせん階段があった。  薄闇のせいで、どれほど進んだのかわかりづらい――ということもあるが、壁に沿うように作られているそれは、正直、1フロアを降りるのにもかなりの時間がかかる。 「……神官の中でも呪文を扱える人は減っているんです」  沈黙に耐えかねたのか、プリスがぽつりと話し始めた。 「修行の中で基礎(きそ)的な呪文を学ぶことはあるんですが、それ以上のことは……やはり、混血(こんけつ)の影響でしょうか」 「混血?」 「はい」  プリスは物語を暗誦するように眼を閉じた。 「神話の時代、私たちの祖先(そせん)は強力な魔力を持っていたとされています。ただ、その力は攻撃や守護(しゅご)など、一つのことに特化(とっか)したものでした。やがて彼らが子を()し、異なる力を持った者同士が結ばれていったことで、私たちはさまざまな呪文を扱えるようになったと言われています」 「魔力が一定以上なら魔導師、それ以下なら神官……って時代もあったみてェだがな」 「最近は、その人自身で選ぶことが大切だとされていますね」  肩をすくめるウィザに、プリスが多少()()けた微笑みを見せる。  ソルは手のひらで先を(うなが)した。 「ええと。ですが近年、人間全体の魔力は弱まっていて……魔導師の家系(かけい)に生まれても呪文を扱えない子供も現れて、王都ではかなり問題視されているようです」 「へえ」 「名のある魔導師の一族は一子相伝(いっしそうでん)を行い、血を守っているそうですが……あと強力な魔力を持っていると言えば、……ええと、確か――――」  ――――ぐらっ!!  階段全体が大きく揺れて、ソルは手すりを掴んだ。  大きくのけ反ったプリスをウィザが捕まえ、引きずるようにその場にしゃがむ。 「見つけたわぁ。ずーいぶんガマンさせてくれたじゃなぁい?」  軽い音を立てて、ネクロが階段の行く手に着地した。  からら、と石の転がるような音に見上げると、十数体の骸骨たちが土を掘るようにレンガを押しのけ、壁の外から階段に至る通路を作っている。 「ひっ……!」  らせん階段の頭上を見上げて、プリスがひきつった声を洩らした。2フロア程度上から、剣を手にした骸骨の群れがこちらへ向かっている。  ネクロがくすくすと肩を揺らす。 「こんなところに逃げ込むなんて、おチビちゃんもお馬鹿さぁん。まあ―――埋葬(まいそう)の手間は省けるわねぇ!!」  ネクロが腕を振り上げると同時に、壁の穴から1ダース近い骸骨たちが飛びかかってきた。 「はじけろ!」  頭上で起こった爆発がそのうちの数体を巻き込み、砕けたレンガがソルたちの上に降り注ぐ。  ウィザが舌打ちするのを聞きながら、ソルは手近な一体に長剣を振り下ろした。  骸骨の肩口を袈裟がけのように砕いた瞬間、逆の腕が長剣の刃を掴む。 「ッ!」  ソルはとっさに長剣の角度を変えると、振り下ろした勢いを相手の手のひらに叩きつけた。ばりん、と、骨だけの手首が折れる。  生き物ならば痛みに怯むこともある。だが、すでに命を終えている死人たちは、黙々とネクロの命令に従うだけだ。 「火炎よ!」  吹き上がった火柱が降りてくる骸骨たちを撫でる。が、やはり彼らは足を止めない。  その間も壁に空いた穴から降り立った骸骨たちが、じりじりとソルたちを囲んでいく。 「うっふっふ……!」  周囲の骸骨の群れを見渡し、ネクロが恍惚(こうこつ)とした笑みを浮かべる。 「いいわぁ、最ッ高……! これが魔力の一部なら、全部もらった時はどんな気分かしらぁ……!」  見せつけるようにかざした右手から、染み出すような青い光がにじむ。  その手のひらを強く握ると、ネクロは高笑いを上げた。 「さあ、それじゃ終わりにしようかしらぁ! アタシに使われる日が楽しみねえ!!」 「ウィザ!」 「吹き飛べ!」  骸骨たちが踏み込もうとした瞬間、ウィザは衝撃波を真下(ました)に向かって放った。  レンガ造りの階段が一気に砕け、その場にいる全員を宙に投げ出す! 「ッキャァアアアア!!」  ネクロは数体の骸骨に手を繋がせると、這うようにして壁の穴へ戻った。階下(かいか)を覗き込んで舌打ちする。  地下深くへと続く闇の中に、(すで)にソルたちの姿は見えなかった。  ――――ぼすっ!! と音を立てて、ソルは地面に着地した。  何度も掘り返したような柔らかい土に、妙に湿気(しっけ)た空気が肌にまとわりつく。 「ウィザ」 「う……っ」  身じろぎして、ウィザが体を起こす。  多少の衝撃はあったが、地面が柔らかかったおかげで大事(だいじ)には至っていないようだ。 「ここ……共同墓地(きょうどうぼち)です」  膝をついたまま周囲を見渡して、プリスが呟く。 「確か、王都歴(おうとれき)以前の住民はここに埋葬されていて……最深部(さいしんぶ)大陸(たいりく)重要遺跡に指定されているはずですから……」  それはつまり、歴史的にも貴重な価値がある場所とみなされ、日常的に出入(でい)りが許されるような場所ではないことを指す。 「にしちゃ、ずいぶん荒れてねえか」  ローブを払いつつ、ウィザが辺りを見た。本来等間隔(とうかんかく)に並んでいただろう墓石(はかいし)はばらばらの方向を向き、土から棺桶(かんおけ)が見えているものも少なくない。  さらに、そのふたはことごとく開いている。 『………………』  嫌な沈黙が場を支配した。この場の空気に押さえつけられるようにして、全員が墓から視線を外せない。  ――――ずるり、と、腕を引きずるような音がした。  白い指がウィザの足を掴み、背後からか細い声が聞こえてくる。 「……ぁあ、うつくしいおじょうさん……よろしかったらお話を……」 「――――ッ、ぎゃあああ!!」  ウィザは身を(ひるがえ)すと、足首を掴む相手を逆の足で蹴りつけた。ソルが一瞬遅れて長剣を構え、さらに一瞬遅れてプリスが叫ぶ。 「(にい)さん!!」 『兄さん!?』  ソルとウィザは暗がりに目を()らした。  体半分をがれきにのまれるようにして、額に綺麗(きれい)な蹴りの跡をつけた青年(せいねん)が目を回していた。 「――――なんてことだ! オレとしたことが男に声をかけてしまうなんてっ!!」  芝居(しばい)がかったしぐさで頭を抱えて、青年は絶叫した。  落ち着いた色合いの生地に、十字模様の縫い込まれた上着――神官(しんかん)の制服を着た、二十いくつかの若者である。 「兄さん。とりあえず、挨拶を」 「あ……、そ、そうだね」  プリスに囁かれ、青年は小さく咳払いした。 「はじめまして。オレはイスト。妹と一緒に、ここシンクレアで神官をしてる」 「聞いてる。なんかこう……イメージと違ったけどな」 「? まあ、サプライズは好きだよ」  苦笑とともに肩をすくめてから、イストはふうと息をついた。 「とにかく、来てくれてありがとう。欲を言えば妹は留守番させてほしかったんだけど……」  ソルとウィザは互いを見た。地上があの状態では、とてもではないが置いて来られるものではない。  人間を閉じ込める結界のことを話すと、イストは深いため息とともに額を拭った。 「……むごいことをするね……分かった、ありがとう」 「大丈夫か?」  顔色が悪く見えるのは、薄暗いせいだけではないだろう。 「今の話で確信(かくしん)したよ。結界に()り込まれてたのはネクロマンシー……いわゆる、死者を意のままに操る呪文だ。ネクロって言ったか、彼女の目的は、結界に使われる魔力を自分のものにすることだったんだろう」  街一つを守る結界、それも神話の時代に施されたものを強化するとなれば、多くの神官や僧侶が力を貸すこととなる。 「兄さん、ごめんなさい、私、金印を……!」 「いいさ、街からは出られなかったんだろう? ……(さいわ)い、まだ全ての魔力が奪われたわけじゃない」 「どういうことだ?」  イストは視線で周囲を示した。 「聖都の歴史は二千年以上……共同墓地で眠るなきがらは数えきれない。儀式が完全な状態で発動していたら、この程度の死者の群れじゃ済まないはずだ」  おそらくその立地(りっち)も含めて、ネクロはこの街に目をつけたのだろう。 「彼女がもう一度儀式を行う前に、見つけ出して止めるしかない。二人とも、ネクロと戦ったんだろ?」 「ああ、心臓に穴が開いても平気な面してたぜ」  言いながら思い出したのだろう。ウィザが嫌な顔をする。  それに頷き返して、イストが(かたわ)らに携えていた本を開いた。辞典に近い大きさと厚みのそれは、本来机に乗せて使うものだろう。  ウィザがイストの手元を覗き込む。 「古語(こご)か? ……己が…光…」 「お、話せるね。“(おのれ)の光の生む影に(まよ)いて、道を(あやま)ることなかれ”」  古めかしい文字で書かれた教典(きょうてん)をなぞり、イストが内容を読み上げる。 「“……これにより生けるものに祝福を、死せるものを御許(みもと)へ”…つまり、聖職者のみが使える浄化の呪文だ。本当は、僧正さま以上の力がないと効果は薄いけど」  一度言葉を切って、イストは笑みを作った。 「鐘楼の上の十字架を見ただろう? あれは歴代(れきだい)の聖職者の力をたっぷり(たくわ)えてる。そのそばで呪文を使えば、オレでもかなりの威力になるよ」 「それじゃあ……!」 「ただ、これは極端(きょくたん)に魔力を消耗(しょうもう)するんだ。オレの力じゃ一回打つのが精いっぱいだし、妹は……」  プリスが力なく首を振る。  イストは教典を閉じると、真剣な目でソルとウィザを見た。 「力を貸してくれ。仮にも聖都の人間として、これ以上好き勝手させるわけにはいかない。それに……」  イストはちらりとプリスを見た。プリスがそれに気づく前に視線を外し、冗談っぽく苦笑する。 「男と心中(しんじゅう)する趣味はないだろ?」 「ここじゃ墓の下でのんびり出来そうもねーしな」 「シャレにならねえこと言ってんじゃねェよ」  三人の視線が交差し、イストが表情を緩める。  すらりと差し出された手に、ソルとウィザが手を伸ばしかけた―――ときだった。  ズゥゥゥン……!!  階段で起きたのと同じ、いや、それ以上の振動が地面を揺らした。  天井から振ってくるつぶてからプリスをかばい、イストが周囲に目を配る。それらが止まないうちに、また新たな振動が響いた。  がしゃん、と、奥の通路へ続くアーチが壊れる。 「ここにおったか、人間ども」  くぐもったようなしゃがれ声が響いた。 「ラディアート……!」  プリスが呻く。  部屋に入ってきた相手は、シルエットだけなら体格のいい男にも見えた。天井に触れそうなほどの上背(うわぜい)と、ドアにつっかえそうな体の幅は、室内を移動するのも楽ではないだろう。  その巨体を円筒(えんとう)状のマントで覆い、顔には鉄仮面のような(かぶと)をつけている。  前閉じの外套(マント)越しに鎧のような凹凸が見て取れた。  合わせから手袋をつけた手がのぞき、光沢(こうたく)のある布を引きちぎる。 「ゴーレムか」  ウィザが低く呟く。  あらわになったラディアートの体は、隙間なく集まった石のブロックで出来ていた。長短(ちょうたん)さまざまな形が組み合わさっており、肘や腕だけを見れば石(づく)りの防具にも見える。  兜の空気穴の向こうに目のような光が灯り、イストを見て山なりに輝いた。 「我輩(わがはい)に気配を(さと)らせんとは、神官にしては見事よ。だが、もって数分だったと見えるな」 「ああ、気絶してた時間を言ってるのかな? 偶然天井が崩れてくれてラッキーだったよ」  ソルたちはあさっての方向を見た。それに気づくことなくイストが続ける。 「それより何の用だい? どうせならあの美人とお話したいんだけど」 「……ネクロならば、鐘楼(しょうろう)で儀式の準備をしておる」  含み笑いをしたラディアートに、ソルとウィザは顔を見合わせた。  イストが声のトーンを落とす。 「……いやにすんなり教えるね」 「隠すことでもあるまいよ。古くは武術に(ひい)でた神官がいたと聞き、奴の()り役に(あま)んじたが……とんだ見当違いであったわ」 「……?」  ソルはイストが眉を寄せる前に地面を蹴った。腰の長剣を(さや)ごと引き抜き、(なか)ば突き飛ばすようにイストの立ち位置に滑り込む。  ――――ぐわんっ!!  死角から振り下ろされた棍棒(こんぼう)の一撃を、ソルは角度をつけて受け流した。  が、鋼鉄(こうてつ)製の鞘が鈍い音と共に歪む。 「我が輩が求めるのは強者(きょうしゃ)との闘いのみ! 神の名にすがり、己の精進(しょうじん)(おこた)るものなど、生かしておく価値もあるまい!」  返す棍棒を脇の下から振り上げて、ラディアートが喜悦(きえつ)を含んだ声を上げた。 「抜け、戦士! さもなくば貴様の命、鞘ごと手折(たお)ることになるぞ!」 「……言われなくても!」  ソルは舌打ちとともに長剣を抜いた。下からの一撃を片足を起点に避け、ラディアートの体の側面に回り込む。  ――――じゃっ!  兜と首の(さかい)を狙って斬りつけた一撃は、石造りの腕にあっさりとガードされた。指がしびれるほどの反動に舌打ちし、ソルが横薙ぎの腕を蹴って飛び退()く。 「()が肉体は岩石(がんせき)以上の固さ。下手に斬りつければ貴様の指が砕けるだけだ」 「へぇ?」 「む……!?」  ラディアートが自身の(ひじ)を見下ろす。一閃を受け止めたブロックの一つに()(さき)の跡が入っていた。  棍棒を握り込み、ラディアートが地面を踏みしめる。 「面白い……! いざ、存分に()り合わん!」 「吹き飛べ!!」  横合いから放たれた衝撃波がラディアートを殴り飛ばした。振り向いたソルに、ウィザが軽く顎をやる。 「ソル。先に行ってろ」 「なっ!?」  声を上げたのはイストだった。  数秒のにらみ合い――と、いうよりは視線での押し合いの末に、ソルが目を閉じて息を吐く。軽い金属音がして、長剣が鞘に収まった。 「イスト、出口は?」 「西の階段が近いはずです!」  ウィザを残し、三人の足音が遠ざかっていく。  それが聞こえなくなったころ、ラディアートが巨体(きょたい)を起こした。 「勝負の最中に手出しとは……やってくれる」 「てめえみたいなのに付き合わせると、あとが面倒なんだよ」 「ふむ?」  ラディアートは顎に手を当てた。が、すぐにどうでもいいと言うようにかぶりを振る。 「お主のような優男(やさおとこ)では(きょう)が乗らんわ」 「ありがてェな」 「き(やつ)らを追うためにも――――ここは早々(そうそう)に片付けさせてもらうぞ」  ラディアートが棍棒を一回しして構える。衝撃波の直撃を受けたにも関わらず、体を作るブロックに目立った傷はない。  ウィザは(しぶ)い顔で肘の亀裂を見やった。 ■□■□ 「あの魔導師くん、大丈夫なのかい?」  ソルは視線だけで隣を見た。  地下墓地と神官たちの宿舎(しゅくしゃ)(ゆう)する大聖堂内には、東西南北と中央の五か所に階段が備え付けられている。ただ建物自体が広いため、階段と階段の間にはかなりの距離があるようだ。  教典を両手で抱え、イストが肩越しに後ろを見る。 「どう見えてもあいつと殴り合いができるようには見えないけど」 「蹴り合いで負けといて何言ってんだよ」 「余計なお世話だよ!」 「兄さん」  プリスが行き止まりの扉に手をかけた。イストが頷き、ソルが長剣の柄に触れる。  ゆっくりと開いた扉の向こうからは、先ほどの共同墓地と同じ、湿った空気が洩れだしていた。  石造りの墓標(ぼひょう)が通路を挟むように左右に広がっている。それでも狭苦しく感じないのは、墓と墓の間に一定の間隔が設けられているからだろう。一直線に伸びる通路の先に、入ってきたものと同じような扉がある。 「ここはね、王都の著名人(ちょめいじん)が眠る場所なんだ。教師や研究者もいるけど、主に騎士(きし)の名をたまわった人たちが多い」  ソルは近くの墓石を見た。故人の没年(ぼつねん)功績(こうせき)が刻まれ、愛用していたらしい武器が立てかけられている。  参列者(さんれつしゃ)で踏み固められているのだろう。一歩進むごとに、かつん、と地面が硬い音を立てる。  かつん。かつん。………かた。  かつん。……かたかたかたかた。 「だから――――ネクロが利用しないわけはないよね!!」  イストが言うのとほぼ同時に、土を巻き上げて骸骨たちが(おど)り出た。  ソルが一閃と共に前へ跳び、イストがプリスを抱き寄せるように後方へ飛びのく。  三人が立っていた空間を十数本の切っ先が貫いた。 『カタタッ、カタカタカタッ!』  不揃いな歯を鳴らし、一体の骸骨が何かを叫ぶ。それに(こた)えた数体の骸骨が武器を携え、ソルの方へ向かって来た。  眉間を狙って繰り出されたレイピアを跳ねあげてしのぎ、その流れのまま横からのサーベルを打ち払う。  背後に嫌な気配を覚えて、ソルはレイピアの骸骨を叩き斬って正面へ跳んだ。鈍い風切り音とともに(うし)(がみ)を掠めた斧が地面に刺さる。 『カタタタタッ!!』  一体の合図を受け、骸骨たちが一斉にソルに武器を投げつけた。八方(はっぽう)から刃が迫る状況では取れる選択は限られる。  傷を覚悟で()()るか、この場にとどまって打ち払うか―――― 「――――進んでくれ、ソル」  イストの開いた教典が淡い光を帯びる。 「加護(かご)を!」  (かね)を打ったような音と共に、ソルの周囲を光の障壁(しょうへき)が包み込んだ。飛んできた刃は一つ残らず弾かれ、(やり)を突き込んだ骸骨が押し返されてたたらを踏む。 「プリス!」 「(ゆだ)ねなさい!」  直線状に吹き抜けた突風(とっぷう)に押され、不意を突かれた骸骨たちが体勢を崩した。  しかし範囲の外にいた数体は武器を拾い、一斉にプリスに襲い掛かる! 「きゃぁああっ!」 「――――っ!」  振り下ろされた刃の前に割り込み、イストがプリスを抱き込むように飛びのいた。  その切っ先が腕を()きかけた刹那、長剣が骸骨の頭蓋(ずがい)を叩き割る。 『――――ギャアッ!』  最後の一体が静かになるまで、そう時間はかからなかった。 「サンキュ、助かった」 「神官のたしなみだからね。プリスも大丈夫かい?」 「兄さん、ケガを……!」 「剣が(かす)っただけだよ」  イストが突き当たりの扉を押し開けた。その背中に手を伸ばしかけて、プリスがぐっと唇を結ぶ。  扉の先は降りたときと同じようならせん階段だった。  ただこちらは比較的小規模(しょうきぼ)で、らせんの中央には柱が通り、大人二人が並んで通れるほどの幅のものになっている。急カーブを一気に駆け上がる危険を考慮(こうりょ)してか、一段一段の幅が広い。 「さっきの話だけど、魔導師くんが心配じゃないのかい? あんな大技(おおわざ)連発して、王都の生まれには見えないし……」 「ああ、どっかの田舎(いなか)だってさ」  イストが一瞬歩みを止めた。それに気づかず、ソルが独り言のように続ける。 「あとなんだっけな……あぁそう、先祖返(せんぞがえ)りだって」 ■□■□ 「――――はじけろ!!」  ウィザは振り下ろされた棍棒目がけて呪文を放った。  爆発の勢いが棍棒を浮かせるが、やはりラディアートの指に目立った傷は入らない。魚の群れのように集まった石のブロックは、それ相応(そうおう)の強度を持っているようだ。 「ぬぉぁあああ!」 「火炎よ!」  足もとから伸びた火柱を打ち払い、ラディアートがウィザへ突進する。一歩ごとに地鳴りのような足音がこだまするが、巨体の(あゆ)みはそう速くない。  脅威的(きょういてき)な腕力から繰り出される棍棒のみに気をつければ良い。 「はじけ……」  ウィザが数度目の爆発を食らわせようとしたときだった。  ―――――――ぢっ!!  火打(ひう)ち石をぶつけるような音がして、ラディアートの姿がぶれる。とっさに脇へ転がったウィザの横を強風を(まと)った何かが突き抜けた。  砲弾のように壁へ突っ込み、ラディアートがゆっくりと振り返る。 「……ふむ。これは()けるか」 「な…!?」  驚愕(きょうがく)の声を洩らす間もなく、再びラディアートが地面を蹴る。  先ほどの位置から壁まで、およそ10メートルはあった。その距離を一瞬のうちに駆ける速さで、ラディアートの巨体がウィザに(せま)る。 「ぬんっ!」  上段から振り下ろされた棍棒が墓石の一つを打った。つぶてと化した石の群れがウィザの頬を叩き、ラディアートが再び加速をかける。 「吹き飛べ!」 「なんの、児戯(じぎ)にもならんわ!」  正面からの衝撃波を押し返し、ラディアートが棍棒を突き込む。 「――――ぐぅっ!」  その直撃こそ食らわなかったものの、石造りの巨体は体当たりのようにウィザを弾き飛ばした。数歩よろけて踏みとどまりつつも、柔い墓土(はかつち)に足を取られる。 「…………っ!」 「膝をついては雌雄(しゆう)(けっ)したも同然」 「はっ、言ってな」  ウィザは切れた口の端を拭った。  最初から荒れ放題だった墓地だが、この数分でますます元の形を失いつつある。先ほど破壊された墓石に加え、突進に巻き込まれた墓の残骸がいくつも足もとに散らばっていた。 「少々の威力を扱えるようだが、所詮(しょせん)は人間……我輩の前に立ったことを悔いるがよいっ!」  砲撃(ほうげき)のような踏み込みの音が響いた。  次の一歩が土を踏む刹那、ウィザがその足元へ狙いを定める。 「はじけろ!」  土と墓石の残骸が舞い上がった。  僅かに体勢を崩しながらも、ラディアートが着地点をずらして爆発の中心から逃れる。  踏みしめた足元が不意(ふい)に抜けた。 「何ッ!?」 「かかった!」  空の棺桶のふたを踏み抜き、ラディアートが大きく前方につんのめる。  ウィザはそのつま先に目を凝らした。  地面に跳ね返ったブロックが(とな)り合うものを弾き、そのブロックがまた隣へぶつかる。体を作る無数の石をビリヤードのように打ちあって勢いを増すことで、巨体に似合わぬ加速を可能にしたのだろう。  ぶつかったブロックが跳ね返る瞬間――――力を逃がす場所を失った瞬間を狙い、圧縮した衝撃波を叩き込む! 「貫け!」  ラディアートの胴に亀裂が広がった。いくつものブロックが大きくひび割れ、細かな欠片を落として震える。 「ぐっ……おっ……!」 「カン違いすんなよデク野郎。膝をついたら終わり、じゃねえ。膝をつこうが『やる』んだよ」  ウィザは片膝を(じく)に上体を捻った。体重の移った足一本で体を起こし、目の前の亀裂をかかとで踏み抜く! 「がは…………………ッ!」  ラディアートの体がくの字に折れ、反動を受けた兜がのけ反るように宙へ外れた。中心から順に砕けた石の群れは、地面に落ちることなく砂となって消える。  ラディアートの体が完全に消滅したことを確認し―――― 「~~~……~~……~っ!」  ウィザは肩を震わせて片足を抱き込んだ。 ■□■□ 「兄さん、先祖返りって?」 「正式な呼び名じゃないから、キミも知ってるはずだよ」  階段を(のぼ)るペースを心なしか速めながら、イストがプリスを振り返った。 「混血の問題は知ってるだろう。でも、(だい)ごとに魔力が弱まる現象(げんしょう)は、最近急に起こり始めたものじゃない。その血に流れる魔力が失われてから、数百年、数千年と続いてきた家系……そこに突然、強力な魔力を持った子供が生まれることがあるんだ」  階段を上り切った先には、繊細(せんさい)な彫刻を施した扉がついていた。イストが膝をつき、鍵代わりの組木(くみき)を外していく。 「主に地方で発見されてるから、はっきりした研究は進んでない。ただ、彼らの呪文には『詠唱』がないんだ。体内の魔力を集めて効果範囲を指定し、望むイメージを組み上げる―――これを一瞬で(おこな)えるから発動(はつどう)も早い」 「さっきの結界も早かったんじゃねえ?」  イストが背中を向けたまま苦笑した。 「術式理論(じゅつしきりろん)、って言ってね。呪文を扱うための数式みたいなものがあるんだ。オレはその余計な部分を(はぶ)いて、短い詠唱で発動できるようにしてるんだよ」  プリスがそっと一冊の本を差し出す。 「普段はこちらを使っているんです」  ソルは本を受け取り、ぱらぱらとめくった。いくつかの教えや祈りの言葉が現代語(げんだいご)でつづられている。厚みは手のひらに収まる程度だろうか。  これならば、教会や宿の引き出しで見た覚えがある。 「難解(なんかい)な古語を解読(かいどく)しなくてもいいように、聖都が発行したものです」  しかしそうして人の手を()たものには、時に省略(しょうりゃく)や解釈の違いが発生する。  深い信仰心と探究心(たんきゅうしん)を持って原典(げんてん)紐解(ひもと)いた者だけが、より鮮明(せんめい)な『神』の教えに――そして、その時代に存在した知識に触れることができる。 「兄は……とても努力家なんですよ」  本をしまって、プリスが(つら)そうに微笑んだ。  かしゃん、と軽い音を立てて、2つに分かれた組木が地面に置かれる。 「開いたよ、そっちを持って」  二人がかりで扉を押し開けると、長い廊下のような空間に出た。深紅(しんく)の絨毯が縦横(たてよこ)に伸び、白亜(はくあ)の壁が薄闇の向こうまで続いている。 「骸骨たちはいないみたいだね。ほら、入口も閉まってる」  ソルはイストの指差す方向を見た。 「(ってことは、ようやく一階に戻ってきたわけか)」 「兄さん、あれ……!」  プリスが声を潜めて奥を指した。  鐘楼へと向かう階段の一つに、誘うようにロウソクが灯っている。  握った手のひらを胸に当て、イストが深く息を吸った。 「……よし。一度状況を整理しようか」  聖都のランドマークである大聖堂――――その最上階に位置する鐘楼は、戴冠式(たいかんしき)や式典の場にもなった歴史から、ちょっとしたダンスフロアほどの広さを有していた。四隅(よすみ)からは白レンガの柱が伸び、頭上で交差して屋根と鐘を支えている。  その一本に背中を預けて、ネクロが一人、眼前(がんぜん)の街並みを見下ろしていた。 「んっふふ……よーうやくステキな景色になって来たじゃなぁい?」  生臭(なまぐさ)い霧が立ち込め、生ける(しかばね)たちが通りを歩く。  満足げに唇を歪めて、ネクロは手元の金印を眺めた。鐘楼の床には魔法陣のような文様が描かれ、骸骨たちが着々と祭壇の準備を進めている。 「これで聖なる(みやこ)は魔王さまとアタシの忠実なしもべ。……あのボウヤがいなければ、とっくに済んでるはずだったんだけどぉ」 『カタタタッ!!』  ネクロは骸骨の声に視線を上げた。  階下へ通じる唯一のはしご階段―――――それをのぞき込んだ骸骨が鉄の鞘に顎を突き上げられ、のけぞるように吹き飛ぶ。  駆け寄った二体の足を抜き放った一閃で砕き、ソルが鐘楼の床に着地した。 「やっぱり来るわよねぇ」  あとに続いたイストを見やり、ネクロが指を鳴らす。  辺りの骸骨が一斉にソルたちへ襲い掛かった。瞬間、はしごにとどまっていたプリスが詠唱を終える。 「委ねなさい!」  吹き抜けた突風はソルには追い風、骸骨たちには向かい風となった。隊列(たいれつ)の乱れた一瞬に目の前の頭蓋を叩き割り、踏み込みと共に斜めに斬り下ろす。  粉々に砕けたあばら骨ごしにネクロが右腕を振り上げるのが見えた。 「ッ!?」  とっさに膝を折ったソルの頭上を掠め、(かま)のようなヒレが行き過ぎる。  ネクロの肘から伸びるそれはソルの髪を数本斬り飛ばし、床へ落ちる途中の骸骨の頭蓋を真っ二つにした。 「一匹足りないわねぇ。ラディアートに(つか)まっちゃったかしらぁ?」 「そいつ『が』捕まってんだよ」  ソルは残りの骸骨たちを斬り伏せ、横薙ぎに繰り出された腕を肘の先から斬り飛ばした。ネクロが舌打ちと共に飛び退き、羽衣が右腕を覆う。 「そぅお、じゃあ全員揃うのが楽しみねぇっ!」  ソルは間合いの外から繰り出された一撃を打ち払った。  羽衣がほどけた腕の先からは2メートル近い(へび)の尾が伸びており、ムチのようにしなって後方のイストへ向かう。 「そっちのボウヤは見学かしらぁ!?」  ソルは踏み込みと同時に長剣を跳ねあげ、刃の側面で(から)め取るように尾の方向を()らした。  大きくカーブした尾の先がイストの肩口を打ち、呻き声と共に詠唱が途絶える。 「っ、すまない!」  床を打った蛇の尾が白レンガにひびを入れた。  再び向かってくるそれをいなし、ソルは階下での打ち合わせを思い出した。 ■□■□ 『状況を整理しよう』  イストがロウソクの下で指を立てる。 『ネクロには、剣も呪文も足止め程度にしかならない。おそらく彼女自身が不死……というか、死者(ししゃ)に近い性質を持ってるんだろう』 『だからあんな風に体をすげ替えて……』  呻くプリスにイストが頷く。 『ネクロを中心に浄化(じょうか)呪文を放って、聖都全体を清める。ただ、魔力の消費が大きいのは話した通りだよ。オレの魔力じゃ打てるのは一回、外すわけにはいかない』 『詠唱にはどのくらいかかるんだ?』 『……急いでも30秒はほしいな』  ソルは地下へ続く階段を見やった。 『(ウィザが追いつけばいーんだけど、キツいな)』  合流(ごうりゅう)を待っているうちにネクロが儀式を終え、おびただしい死者の群れと戦うことになっては元も子もない。 『前に出るから、詠唱頼む』 『どうするんだい?』 『どーにかして当てられるように持ってくよ』 『わかった。信じてるよ』  ソルは青ざめてイストを見た。イストがきょとんと(まばた)きする。 『あの……兄さん』 『ああプリス、ごめんね。じゃあ行ってくる』 ■□■□ 「慎みなさい!」  まっすぐに伸びた光の帯が鐘楼を横切った。骸骨のいなくなった上り口を踏みしめ、プリスがネクロに手のひらを向けている。  慌てて前方へ抜けたネクロの前に回り込み、ソルは長剣を逆手(さかて)に持ち替えた。  突き下ろされた長剣は(うろこ)を貫き、ネクロの右腕を床へ縫いとめる! 「――――ッ、あああ!」  悲鳴というよりは癇癪(かんしゃく)のような声を上げて、ネクロが左腕を振り上げる。その両腕を羽衣が覆うよりも、背後の呪文が完成するほうが早い。 「イスト!!」 ■□■□ 『連れてかねーの?』  ソルはプリスを見やった。 『お前が浄化呪文で手いっぱいなら、一人でもサポートがいたほうがいいんじゃねえ?』 『サポートって……! いや、だけど妹は』 『魔力封じとか。二回は当たんねーかもだけど、向こうの目は逸れるだろ』 『うーん……』  イストは口を結んでいたが、しぶしぶといった様子で頷いた。 『……しょうがないね。でも、あくまで後方(こうほう)支援(しえん)だよ』 ■□■□  詠唱の最後の一節(いっせつ)を唱えながら、イストがネクロに手のひらを向ける。一般的な攻撃呪文と違い、浄化呪文に巻き添えの心配はいらない。  最後の一文(いちぶん)(とな)える口元がゆっくりと動く。  生けるものに祝福を、死せるものを――――  「――――――そぉうはいかないわぁあああああああっ!!」  突き刺さったままの長剣を無理矢理に引き抜き、ネクロが右腕を振り回した。  血の(したた)る蛇の尾が辺りをめった打ちにし、床と柱に亀裂が走る。 「…………ッ!」  跳ねたがれきの一つがイストのこめかみを直撃した。傷を押さえてよろめいた鼻先を蛇の尾が通り過ぎ、頭上の鐘を(にご)った音で鳴らす。  ソルは舌打ちと共に長剣を掴みなおした。一歩踏み出そうとした刹那、腹に鈍い衝撃が走る。  目の前を行き過ぎた蛇の尾がプリスの胴を横薙ぎに殴り飛ばした。 「ごほ……………っ!!」  体重の軽い体はあっさりと床から離れた。一メートルほどの距離を飛ばされ、プリスがそのまま鐘楼の外へ投げ出される。  イストが血相(けっそう)を変えて走るが、伸ばした手は僅かに妹に届かない。  その背中目がけ、ネクロが蛇の尾を振り抜いた。 「! ――――兄さん、呪文を!」  悲鳴じみた叫びを残し、プリスが遥か下へと落下する。  イストが弾かれたように振り向き、慌てて手のひらを突きだした。 「(みちび)き……えっ!?」  ―――――――かっ!!  瞬間、目を焼くほどの光が辺りに満ちた。  数秒、あるいは数時間にも思えるホワイトアウトを経て、辺りに少しずつ色が戻り始める。  イストが荒い呼吸のまま周囲を見回す。  ネクロの姿はない。  ソルは長剣を握ったまま、鐘楼の中央で片膝をついていた。  わき腹を押さえた手袋の下から(しずく)が滲み、白一色であるはずのレンガの上に、じわじわと赤い血だまりが広がっていく。 「――――っ、がはっ!!」 「ソル!」  頭上から飛び降りてきた影がソルを蹴り転がす。 「ざぁんねんだったわねぇ。アタシの動きを封じて浄化呪文を叩き込む……そんな作戦だったんでしょうけど」  肩越しにイストを一瞥(いちべつ)して、ネクロが(ほこ)らしげに自らの足を撫でた。カンガルーのような魔物の足が羽衣に包まれ、細い女の足へと戻る。 「アナタみたいな(いち)神官なら、直撃させなきゃ意味ないわぁ。まさかアタシが知らないとでも思ったのぉ?」 「ぐ…っ……!」  巨大な針のように尖った左手の爪を舐めて、ネクロがソルの傷を踏みつけた。 「さて、お仕置きの時間ねぇ。このコにはさんざんお気に入りをダメにされたし、()(うで)ぐらいもいじゃおうかしらぁ」 「よせ!!」  ネクロがくつくつと喉を鳴らす。 「()かなくてもアナタもぜーんぶ見てあげるわよぉ。顔は自前(じまえ)だけど、そのキレイな目ならココに入れたいくらぁい」 「……そのままで十分魅力的ですよ、レディ」 「お世辞(せじ)でも嬉しくってよぉ、神官サマ」  ぎり、とソルが長剣を持つ手に力を込めた。 「――――――吹き飛べ!!」  下からの衝撃波がネクロの頭上を掠め、鐘楼の屋根を吹き飛ばした。  ネクロが反射的に振り仰ぐ。  その足首めがけ、ソルは片腕で長剣を振り抜いた! 「ギャァァァァアア!!」  怯んだネクロを突き飛ばし、イストが転がるようにソルの襟首を掴む。数歩引きずられた鼻先をネクロの爪が行き過ぎた。 「こぉのッ!」  イストに向かった一撃をしのいで、ソルはせり上がる感覚に片肘をついた。胃から逆流した血が食道を(のぼ)り、咳を(ともな)って床を汚す。 「火炎よ!」  爪を振り上げたネクロの前を火柱が横切った。 「あの魔導師ねぇ……! 好きに打てばいいわぁ、お仲間に当たっても知らないわよぉ!!」  舌打ちと共に地上へ叫んで、ネクロが目を見開いた。  眼下に広がる景色のすぐ足元――――大聖堂の庭先にウィザが立っている。そして、その隣で肩を支えられるようにして、プリスがきっとネクロを見据(みす)えていた。  その意味を考える間もなく、先ほど吹き飛ばされた鐘楼の屋根が落下してくる! 「―――――ッあああぁぁぁぁあああっ!?」  聖都の象徴である十字架に貫かれて、ネクロは悲鳴を上げた。  歴代の聖職者の力を蓄えたそれは人ならざる体を焼き、引き抜こうとする手を電流で阻む。それにかぶせるようにして、イストが静かに呪文の詠唱を始めた。  長い祈りの言葉のような、浄化呪文の詠唱を。 「なッ、なんで……! 呪文はさっき……失敗して…………っ!」  ネクロは動きを止めた。  声を出せる状態であること。術者が集中できていること。その二つの条件さえ満たしていれば、呪文を放つことに制約(せいやく)はない。寝ぼけていようと、大ケガを負っていようと――――落下の最中であろうと。 「さっきの光は、おチビちゃんの明かりの呪文……っ!?」  十字架を引きずるようにして、ネクロは床を後ずさった。 「やめっ……やめてよ、やめなさい! ……そう、あなた家族に会いたくないの!? アタシがいないと全員、ただの死体に戻るのよぉ!?」  イストは答えない。ただ大きくなる光の塊を、気力一つで制御している。 「導きよ」  指先から離れた光がネクロに触れ、直後、大きく広がって聖都を包み込んだ。 「……もっと別の形でお会いしたかったです。レディ」 ■□■□ 『……しょうがないね。でも、あくまで後方支援だよ』 『待って、兄さん』  ソルとイストが振り返る。プリスは静かな意志をたたえた眼差しで二人の足元を見つめていた。 『剣も呪文も効かない相手への()(ふだ)、浄化呪文……ネクロがその存在を知らないなんてこと、あるのかしら』  ソルは横目でイストを見た。プリスは独り言のように続ける。 『少なくとも彼女の知識は本物だった。詠唱の省略や最適化(さいてきか)について、兄さんと二人で話ができるくらい』 『プリス、そうだけど』  イストを遮り、プリスが勢いよく顔を上げる。 『だったら! 簡単な呪文しか使えない私より、兄さんを警戒(けいかい)するはずです!』  ソルは人差し指を口の前に立てた。プリスが口を押さえる。 『っつっても、どーしよーもねーんじゃねえか?』  プリスが首を横に振る。 『思いついた作戦があるんです。……兄さん、お願い。私もこの街の聖職者なの』 ■□■□ 「おい、無理に動くな」  地面に膝をつき、プリスがうずくまるように咳き込む。  ウィザはその背中に手を伸ばしかけてやめた。大した防具もなしに屋根へ落下したのだ。背中の筋肉を痛めていることは確実である。  体全体を(ふる)わせるようにして、プリスが大きく息を吐く。 「……兄さんが作戦を守ってくれてよかった……完成しかけた詠唱をわざと止めて失敗したふりをすれば、きっとネクロは油断すると思って、っ、けほっ、けほ」 「だから、無理にしゃべるなっつってんだろ!」  声を荒げてしまってから、ウィザは苛立たしげに目をそらした。  玄関ホールの絨毯を切り裂き、外へと向かう矢印が記されている。  仮にウィザがソルたちのあとを追い、鐘楼に(のぼ)ったとしても、追いつくまでにはかなりの時間がかかっただろう。だが外へ出れば、合流にかかる時間をゼロにして鐘楼を(ねら)()てる。  ウィザは廃墟にそびえる大聖堂を振り仰いだ。  この街の受けた被害を思えば、無茶の一つや一つ、当然と言えるかもしれない。  けれどこの兄妹(きょうだい)が生き残ったことを喜ぶ仲間も、危機が去ったことに胸を撫で下ろす人間も――――もう、いない。 「……上を見てくる。ここにいろよ」  翻った視界の端で、プリスが(こうべ)を垂れたように見えた。  それから、いくらかの時間を(へだ)てたあとのこと。 「ん……」  ソルは固いベッドの上で目を開けた。  聖都の鐘楼の上ではない。地味な(がら)のカーペットの先に椅子の足が見え、それを辿るようにしてウィザと目が合う。 「起きたな」  返事をしようとして、ソルは腹の奥から滲みだすような痛みに眉を歪めた。  ウィザが水の入ってコップを持ってしゃがむ。 「おら鎮痛剤(ちんつうざい)。三日は安静(あんせい)だとよ」 「……っ、へえ」  ソルは視線だけを動かして室内を見た。  そう広い部屋ではない。風呂場より少し広い程度の間取(まど)りに家具を押し込んだような、素泊(すど)まり前提の安宿だ。  頭上の天窓(てんまど)からはうっすらと朝日が差し込んでいる。にもかかわらず、ウィザが奥へ詰めろと言うしぐさをする。 「お前、徹夜(てつや)?」 「んるせェとっとと詰めろ」  ローブのままベッドに潜り込んで、ウィザが上掛けを引き上げた。  その後ウィザから聞いた話によれば、イストとプリスも、命に関わるほどの傷は負っていないらしい。  あの日鐘楼に上ったウィザが見たのは、血だまりの中で気を失ったソルと、その止血をしているイストの姿だった。二人がかりで二人のケガ人を担いで聖都を抜け、街道の端のこの宿に辿りつくまで、3時間と言ったところか。  顔色を変えて駆け寄ってきた宿の主人を見て、張りつめていたものが切れたのだろう。すすり泣きを始めたプリスの背を抱えるようにして、イストが医者の手配を頼んだ――――のだそうだ。 「昨日、妹もやっと松葉杖(まつばづえ)が取れたらしいぜ」 「ふぅん」  ソルは目の前の枝を横にやった。晴れた空を鳥の影が横切り、街道の脇に流れる(さわ)()()を流していく。  宿の換気(かんき)は悪くなかったが、()んだ空気を吸うのはしばらくぶりの気がした。  街道から聖都へと入る、少し手前の林に人影が見える。 「ああ、ソルさん。ウィザさんも。……おケガは大丈夫ですか?」 「そっちこそ」  プリスは(さび)しげに苦笑した。一抱(ひとかか)えの花を地面に置き、土のあとの残る両指を組む。  聖都の区画(くかく)を埋めるようにして、辺りにはいくつもの埋葬(まいそう)の跡があった。 「……一人でやったのか」 「いいえ。私は兄さんを手伝っただけです」 「そうか」  簡素(かんそ)な祈りの言葉を聞きながら、ウィザがつかの()目を閉じる。  3人の側を柔らかな風が通り過ぎた。 「そろそろ行こーぜ」 「ああ」 「あ、あの!」  ソルとウィザは振り返った。 「本当にありがとうございました。聖都の人たちも……ようやく、安らかな眠りにつかれたことと思います」  プリスが柔らかく微笑んだ。 「どうか、旅路(たびじ)にご加護がありますように」  北へと伸びる街道を進んで、ソルは地図を開いた。  道の左右に生い茂る木々は人の手が入っているらしく、森というよりは林に近い。  それらが正午(しょうご)の日差しを遮って、彼らの行く手は柔らかな木漏(こも)()に照らされていた。 「ソル、これからどうする?」 「俺はカンツァーノに行きてーんだけど」  ウィザが肩越しに地図をなぞる。 「一旦近くの街に寄ったほうがいいんじゃねえか? 例えば」 「東のルテルブルグなんてどうかな? シーフードがおいしいし、綺麗なお嬢さんも多いよ」  ソルとウィザはゆっくりと振り返った。旅支度(たびじたく)を整えたイストが立っている。 「ってめ、いつから()た!?」 「妹は?」 「遠い親戚が南にいるんだ。とりあえず、そこでお世話になるよう言ってある」 「で?」  イストが苦笑した。 「聖都の人間として、今回のことを王都に報告しなきゃいけない。本来は然るべき立場の人が行くんだけど――……」  イストは苦い笑みとともに首を振った。 「北東の港から船が出てるんだ。そこまで同行させてくれないか?」  ソルはちらりとウィザを見た。ウィザが微苦笑と共に肩をすくめる。 「北東か……地図だと山越えすることになってるぜ」 「ああ、半年前にトンネルができたんだ。こっち」  踏み出したイストに続きながら、ソルは腹の傷を撫でた。まだひきつるような痛みはあるが、あとは時間に任せるしかないだろう。  目が合うと、イストは片目をつむってみせた。 「短い間だけど、どうぞよろしく」 end.
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