ある神官の華麗なる旅人デビュー

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ある神官の華麗なる旅人デビュー

 城塞都市(じょうさいとし)ルテルブルグ。  古くから土地の名前と建物はあったものの、『街』としての歴史は比較的新しい。  かつて(とりで)として作られた街の中は、大通(おおどお)りから少し入れば、いくつもの細い路地(ろじ)と階段が交差する迷路になっている。さらにそれらの間を()って大小の水路が走っており、徒歩だけで街を移動しようとすれば、迂回(うかい)に迂回を重ねることになる。  実際は主要(しゅよう)な水路にはゴンドラが行き来しており、景観(けいかん)と便利さを兼ね揃えた移動手段として人気が高い。  元々これらの水路は砦の用水路(ようすいろ)だったが、ある時に地殻変動(ちかくへんどう)によって海とつながってしまい、先人(せんじん)たちはこの場所を手放したという。  現在はその()()を生かし、水路で養殖(ようしょく)した貝やエビが街の特産品となっている。 「――――ソル!」  屋根の上に見知った姿を見つけ、イストは声を張り上げた。周囲の家々から頭二つ飛びだすような円筒状の建物である。  外壁沿()いに取り付けられたハシゴを上っていくと、ややあって唐突に視界が開けた。  かつては見張り台だったのだろうか。柵もロープもない屋上(おくじょう)からはルテルブルグの街並みが一望(いちぼう)できる。 「すごいところにいるね。それ、お昼ごはんかい?」 「うん」  イストは床に手をつくようにソルへ近づいた。(かたわ)らに置かれた長剣を境界線(きょうかいせん)にして、同じ方向を眺める。露店のものらしき紙袋がカサカサと音を立てた。 「……あれ、魔導師くんは?」  イストはあたりを見回した。そう広いわけでもない屋上には、二人以外の人影はない。  ソルがサンドイッチを咀嚼する。 「あいつは店で食うほうが好きだから」  ――――どぉんっ!  ソルが言い終わる前に、街の一角で煙が上がった。 「…………あの辺?」  異世界から魔王が現れ、平和だった世界に魔物が闊歩(かっぽ)するようになって、十数年。  多くの人間が魔王を倒すための旅に出たが、いまだ大きな成果は上がっていない。魔物による被害は増加の一手を辿り、つい先日も、ある一つの街が壊滅に追い込まれた。  多くの僧侶や神官を育成していた聖都(せいと)・シンクレア。  その数少ない生き残りであるイストは、事態を解決したソルたちに同行を願い出た。  ――――『王都(おうと)に今回のことを報告しなきゃいけない』  これ以上の被害を防ぐために。そして、聖都が再び立ち上がるための支援を求めに。  そんな、よくある世界のよくある話。 「―――――どぉぉぉゆうことなんだぁぁぁぁっ!!」  (かか)えた頭を振り回して、イストは絶叫した。 「騒ぐんじゃねぇよ、他の客の迷惑だろ」 「今一番迷惑かけてるのはキミだからね!?」  びしと突きつけられた指に、ウィザが不機嫌に顔を背けた。  落ち着いた内装の喫茶店である。オープンカフェを狙ったのだろうか、風通しのいい店内に、今は午後の日差しが真上から降り注いでいた。屋根のほとんどが吹き飛んだ天井の裏から、金づちの音がひっきりなしに聞こえる。 「何があったの!? いや、なにかあったとしてもやりすぎだよ!」 「そこの野郎が―――」 「なんとなくわかってんだろ」  ソルが頬杖をついて店の(すみ)を見やる。人相の悪い男が数人、壁際(かべぎわ)で黒()げになっていた。 「だからって天井ごとぶっ飛ばすなんて、非常識にもほどが……!」 「ご注文はなんになさいますか?」 「イスト、ここシーフードがうまいんだっけ」 「うん、特に海鮮炒(かいせんいた)めが―――って違う!」  イストはテーブルに()()して(うめ)いた。 「おかしいな……オレは命の恩人たちと旅をしてるはずなのに……どうして一緒にいるのはちんぴらまがいの二人組なんだろう……」 「あんまりヘコむなよ」 「誰のせいだよ!?」 「ほい、ご注文の海鮮炒めだよっと」  そう言って現れたのは、先の店員ではなかった。40を軽く回った程度の、エプロンをかけた男である。 「ああ、マスター……修理代はおいくらですか?」 「いーよ、ワリカンになってるから」  財布を取り出したソルに、イストは目を(またた)かせた。 「それについてちょいと相談があるんだけどな……お前さんたち、旅人だろう?」 「ああ」  ことん、とテーブルに置かれた料理に、全員の声が揃う。 『……海鮮……?』  ソルがフォークを持ち、皿の中身をひっくり返した。値段の割には大盛りだが、炒められているのは野菜ばかりで、エビの尻尾(しっぽ)さえ見当たらない。  二人分の半眼がイストを見る。イストは慌てて首を横に振った。 「実は、水路に魔物が棲みついちまってな。貝やエビが片っ端からやられてるんだ」  店主が天井を指差す。 「こんなことができるんなら、相当腕も立つだろう? 奴を退治してくれたら修理代は半額にしとくよ。――――ちなみに、全部だとこんなもんだ」  イストは二人の脇から請求書を覗き込んだ。  屋根の修理代としては妥当(だとう)な額だが、安くなるならそれに越したことはないだろう。 「とりあえず、冷める前に食うぞ」  手を合わせたソルに続き、イストも指を組んだ。 『水路の魔物? ええ、知ってるわ』 『あたいも遠目(とおめ)に見ただけだけど、あの姿……うう、思い出しても寒気がするね!』 『悪魔の化身(けしん)ですわ! ああ神様!』 『奴の足に(さわ)れたら1500R(アール)。今うちの店でホットな賭けよ。度胸(どきょう)試しにどう、ボウヤ?』 「――――と、まあ、街の人は相当困ってるみたいだ」 「聞く相手が(かたよ)ってねーか?」 「失礼な! ちゃんと役立つ情報も取って来たよ」  イストは水路の手すりにもたれると、ぴっと人差し指を立てた。 「ウワサの魔物が現れたのは半月前。この広い街の水路をねぐらにしてるから、どこにいるかは分からない。ただ目撃証言からすると、夕方から夜に活動してるみたいだ。――――やあお嬢さん、そのお菓子いくら? 可愛いラッピングだね」 「オイ」  物売りの少女に手を振って、イストはカップを傾けた。フォークの刺さったドーナツを一つつまんで、ウィザが水路を眺める。 「あと2、3時間は待つってことか」 「観光してればすぐだよ。ゴンドラでも乗るかい?」 「パス。先に宿決めよーぜ」  と言われて、イストはソルたちの後について歩きだした。  頭の上にあった太陽はやや西へ傾き、さんさんと降っていた日差しが一段柔らかなものになっている。日が暮れるまではもうすこしあるだろう。  午後の一休みが終わる時刻だからか、通りには人が(あふ)れ始めていた。  帰路(きろ)につく住民や観光客に加え、体に看板をつけた呼び込みが通りを横切っている。 「今夜の宿はお決まりですか!? うちは全室空調(くうちょう)付きですよ!」 「朝日の見えるスイートルーム! 旅の思い出にいかがです?」  呼び込みに行く手を遮られて、イストは数歩たたらを踏んだ。脇を抜けようとしたところで向かいからの旅人と(はち)合わせ、前を行く二人を見失う。 「失礼、レディ」 「ごめんね神官さま」  イストは周囲を見回した。この人波をどう抜けたのか、ソルとウィザは2メートルほど先を歩いている。 「ソ……!」 「え――っ、本当にこのお値段で!?」 「もちろんですとも!」  イストは眉根を下げて足を速めた。  迷子になってどうなるというものではないが、あまりはぐれたくはない。  (とう)の二人はイストの不在に気づいていないらしく、ゆったりと歩きながら何かを話していた。ウィザが適当な店先を指す。 「女」 「男」  山積みの箱を抱えた男がふらふらと出てきた。ソルが渋い顔をし、ウィザがくつくつと笑って歩調(ほちょう)を緩める。  そのスキに、イストは小走りで二人に追いついた。 「イスト、お前はどこに泊まりたい?」 「キミたちがいつも泊まるところでいいよ。あそこは?」 『…………』  イストが指した先を見て、ソルとウィザが口を開けた。  大通りの真ん中という立地に、思い出作りを(うた)ったオプションの看板――――まず間違いなく観光客向けの宿だろう。 「あ゛ー……風呂とベッドがあって、表通(おもてどお)りにある食事つきの宿だな。それで間違いねえか?」 「? そうだね、ありがとう」  イストの死角で、ソルとウィザがこっそりと財布を確認した。ときだった。 「きゃあああああっ!!」  ――――――どぼぉぉぉんっ!!  かん高い悲鳴を遮るような水音が上がった。  周囲の通行人たちが足を止め、慌てた様子で周囲を見回す。 「例の魔物か!?」 「あっちから聞こえたぜ」  三人は悲鳴の元へ急いだ。  通りに面した水路の一角が(けず)り取られたように崩れ、一人の女が這うようにそこから離れようとしている。晴天にもかかわらず、頭から水をかぶったようにびしょぬれだ。  周囲のやじ馬が彼女に駆け寄るよりも早く、水路から伸びてきた細い(あし)が女の足首に巻きつく。 「加護(かご)を!」  空中に生まれた障壁(しょうへき)が魔物の足を(はば)んだ。  辞書ほどの厚みがある教典(きょうてん)を脇に抱え、イストは女に駆け寄った。 「大丈夫ですか、おケガは!?」 「ま、魔物が……! 水路の悪魔が……!」  がくがくと震えながら、女が自分を抱きしめるようにうずくまる。相当な力で掴まれたのだろう、足首には濃いアザがついていた。  イストに追いつき、ウィザがきっと水路を見据(みす)える。 「はじけろ!」  水中で発動した爆発呪文が、間欠泉(かんけつせん)のように水路の水を吹き上げた。降り注ぐ水しぶきの向こうで、べぢゃり、と何かが(りく)に落ちる。  かすむ視界に顔をしかめながら、やじ馬たちが霧の向こうを透かした。 「――――っぎゃあああ!! 水路の悪魔だ―――!!」 「出たぁっ! 何ておぞましい姿なんだ!」 「見るんじゃない呪われるぞおおおお!!」  口々に叫びながら逃げていくやじ馬たちを背に、イストはごくりと(つば)を飲んだ。  濡れたタオルケットを伏せたようなシルエットは、魚とも獣とも異なっている。胴と足の境が曖昧な体を引きずるように移動させ、横長の瞳孔(どうこう)がこちらを見た。  薄い粘液で覆われた8本の(あし)を持ち上げ、魔物がゆっくりとイストのほうへ―――――すたすたすた、ずばんっ!! 「ソォォォル!!」 「うわっなんだよ」  無造作(むぞうさ)に振り下ろした長剣で一撃され、魔物が大きく地面を後ずさった。 「こっこっ、怖くないのかい!?」 「いや、だって……タコだぞ」  ソルが呆れた顔で背後を指す。  ちょっとした二階建てほどの大ダコの魔物が、威嚇(いかく)するように体を広げていた。 「塩ゆでにするとうまいらしいぜ。食ったことねーけど」 「冗談だろ!?」 「…………」  ウィザは若干()いた眼差しで二人のやり取りを眺めていたが、気を取り直すように咳払いした。 「火炎(かえん)よ!」  吹き上がった火柱が魔物の行く手を塞いだ。  向きを変えて水路に逃げ込もうとする魔物に、長剣を(たずさ)えたソルが走る。  足首を()ぐように繰り出された肢の一本を跳んでかわし、逆方向からの一撃を受け止めざまに斬り飛ばす。 「おおっ!」  やじ馬から感嘆の声が上がった。  8本の肢の付け根は丸太ほどの太さがあったが、先端に向かうにつれ、人の手首程度に細くなっていた。正確な狙いと動体視力(どうたいしりょく)があれば、斬り飛ばすことも不可能ではない。  それに気づいたのか、魔物の肢はソルの脇をすり抜け、水路の鉄柵(てっさく)の一つを掴んだ。  大人が数人はもたれられるそれを根元から引き抜き、ソル目がけて振り下ろす! 「げっ!?」 「吹き飛べ!」  ウィザの放った衝撃波が金属製の(さく)を数回折り曲げて叩き飛ばした。柵はもぎ取られるように魔物の手を離れ、そのまま水路の向こうへと消える。 「貫け!」  長剣が魔物の頭を一閃し、その傷跡に重なるように圧縮した衝撃波が風穴(かざあな)を開ける。  ゼリーが潰れるように魔物の体が平らになり、(うごめ)いていた足が地面に投げ出される。  一瞬の静寂(せいじゃく)ののち、やじ馬たちから|歓声《かんせい》が上がった。 「さってと、戻るか」 「これだけの人数が見てりゃ十分だろ。念のために誰か連れてくか……」  ソルが長剣を納め、ウィザがやじ馬たちに視線をやる。  イストはため息混じりに苦笑した。 「つくづくすごいねえ」  そう呟いて、イストが二人から目を離したときだった。  魔物の肢の一本がたゆたうように揺れ、ソルのブーツに勢いよく巻きつく。 「ッ!?」  がぐんっ―――とソルの体が前へつんのめり、振り向きざまに放った一閃が空を裂いた。釣り上げるようにソルの体を宙へ振り、魔物がもろともに水の中へ飛び込む。 「ソル!」 「しまった!」  ウィザとイストが水路の淵へ走ったが、ソルと魔物の姿は水面(みなも)の奥に消えていた。  誰かが呼んだのか、数名の警備兵(けいびへい)――王都で兵士としての訓練を受け、各都市に赴任(ふにん)している者たちだ――が水路を覗き込む。 「いかん、このあたりは特に水が深いんだ!」 「すぐに水路を封鎖しろ! 別のエリアに逃げてしまうぞ!」 「救助が最優先だ! 落ちた戦士が魔物の手を逃れていれば――――」  最後の声に重ねるようにウィザが呻く。 「……あいつ、気絶したら浮いてこねえぞ」 「なんだって!?」  イストは周囲を見回し、傍らにたたまれていた投網(とあみ)を掴んだ。本来は養殖に使うものだろうが、魔物の被害を受けて引き上げたのだろう。 「魔導師くん、手を貸してくれ!」 「るせえ」 「ええっ!?」 「……邪魔すんじゃねェよ」  背後の騒ぎを無視するように、ウィザはじっと水面を睨んでいた。  その視線を追い、イストも再び水路を見る。  波打つ水面に変化はない。  言いようのない焦燥(しょうそう)の中で、一秒、二秒と時間が過ぎ――――― 「火炎よ!!」  伸びあがった火柱が水面の一角(いっかく)を叩き割った。  濃い水蒸気が吹きあがり、一瞬、左右に分かれた水の底があらわになる。 「戦士さん!」  やじ馬の誰かが叫んだ。  高温の水蒸気から顔を庇い、ソルが足首に絡む肢を一閃する。と同時に逆の足で魔物の胴を蹴り、ソルと魔物の間に若干の空間が生まれた。 「吹き飛べ!」 「加護を!」  ウィザの衝撃波が追いすがる魔物を突き飛ばし、ほぼ同時にイストの結界が発動する。  光の壁はソル自身ではなく、その足元へ水平に広がった。  一瞬生まれた足場を蹴り、ソルが転がり込むように陸へ戻る。 「大丈夫かい!?」 「……っ悪り、助かった」  ソルが数度咳き込み、脇腹(わきばら)を押さえて立ち上がる。 「動けるか」 「ヨユーで」  共に水路を見据え、ソルとウィザがめいめいに構えなおす。  がごん、と機械じみた音がして、イストはそちらへ視線を転じた。  先ほどの警備兵たちが通りのあちこちへ散り、等身大はあろうかというレバーと格闘している。  それを知ってか知らずか、すっ――――とウィザが虚空を指した。 「火球よ!」  空中に無数の火の玉が生まれ、一斉に水路へと降り注ぐ。あるものは水面を、あるものは石造りの壁を(ねっ)し、たちどころに水路の水を沸騰させた。 『~~~~~~~!!』  鳴き声にならない悲鳴を上げて、大ダコの魔物が水から飛び出した。体中の傷から黒い血を流しながら、やけくそのように不揃(ふぞろ)いな肢を振り回す。 「っ、と!」  横殴(よこなぐ)りの一撃を打ち払い、ソルが頭部の傷に交差するように斬りつけた。食い込んだ刃を立てて横へ振り抜き、死角から伸びてきた肢を斬り飛ばす。  手数(てかず)では(まさ)っているはずの相手に押され、魔物が大きく下がった。開いた間合いを薙ぐように行き過ぎた肢を飛び越え、ソルが再び距離を詰める。 「貫け!」  慌てて伏せた魔物の頭部を衝撃波が打ち抜いた。最初の傷に重なるような穴を開けられてなお、魔物の動きが鈍る気配はない。 「くそ、頭が急所(きゅうしょ)じゃねえのか?」  舌打ちしたウィザに、ソルがはっと目を見開いた。 「火炎よ!」  水路を向こうとした魔物の鼻先を火柱が掠める。退路(たいろ)を遮られ、魔物が激昂(げっこう)してソルに襲い掛かった。 「いかん、危険だ!」 「まともに食らったら背骨がへし折られるぞ!」  肢の先を斬り飛ばすことのできた先程とは違い、付け根に近い、丸太ほどある肢が宙を裂く。  突風(とっぷう)のような風圧がイストにまで届いた。  交差するように放たれた一撃を(ふところ)に飛び込んでかわし、地面を打った肢を足場に跳ぶ。  それを見越していたかのように、横薙ぎの肢がソルに向かった。  と同時に、ソルが長剣を逆手(さかて)に握り変え、迫る肢を水平に突き刺す。 『~~~~~!!』  魔物が悲鳴を上げて肢を振り上げた。その勢いで魔物の真上へと放られながら、ソルが引き抜いた長剣を構え直す。 「おお、落下の勢いで突き通す気か!」 「だが見ろ、魔物も黙ってないぞ!」  やじ馬の指す方向を見るまでもなく、再びの横薙ぎがソルへと向かう。  イストは片手で教典を開いた。 「(いまし)めを!」  広げた指先から電流が伸び、魔物にぶつかって帯電(たいでん)したように広がる。  魔物の肢の動きが目に見えて鈍くなる。 「なんだ……!?」 「護身用(ごしんよう)麻痺(まひ)呪文だよ。威力は低いけど、広い範囲の相手を無力化(むりょくか)できる」  イストはそっと教典を閉じた。  厚い紙束が触れ合う音がやけにはっきりと聞こえた。  (ひと)呼吸に満たない静寂を割って、長剣が魔物の顔面を()し貫く! 『…………………………!!』  人で言う眉間(みけん)の位置を貫かれ、魔物の目から光が失せた。  麻痺した体を数度痙攣(けいれん)させ、巨体がゆっくりと脱力する。  ざぁ、と強い海風が吹き、砂と化した魔物の体をいずこかへさらっていく。  ソルはまとわりつく砂粒(すなつぶ)を振って落とし、長剣を鞘に納める。  そうして、不意に膝をついた。 「ソル!? どうしたんだい!?」  押さえた上着には血がにじんでいた。 「この傷で魔物と戦ったぁ!? お前さん命がいらんのかね!」  初老の医師が声を張り上げるのを、イストは肩身(かたみ)の狭い思いで聞いていた。ソルの脇腹で開きかけている傷口はこの街で負ったケガではない。 「あの、ドクター、あまり(しか)らないで……その傷はあの、彼がオレの故郷を……」 「だぁっとれい! 付き添いは(おもて)に出とれと言うたじゃろーが!」  閉めた扉にカルテが投げつけられた。 「ひでぇ医者だな」 「……キミが言うとよくわからなくなってくるよ…」  先に支払いを済ませようとしたイストを、ウィザが止めた。自分の財布を出し、金額の半分を受付に手渡す。  イストは目を瞬かせた。 「……ワリカン…なのかい?」 「おう」  待合室(まちあいしつ)の椅子に腰かけると、ウィザは伸びをした。イストもその横に腰を下ろす。どこからか消毒液の匂いがした。 「ええと……ケガは?」 「ねえよ。そっちは?」 「おかげさまでね。ありがとう」  待合室に人はまばらだった。窓の外ではじれったくなるような速度で夕日が沈んでいく。  イストは髪をかき混ぜた。 「さっきの魔物だけど……今考えれば、キミが呪文を(はな)った瞬間、体勢を低くしてわざと頭に受けてたようにも見えた。あの魔物の本当の急所はそれよりも下にあったのかもしれないね」 「案外、塩ゆでにして食う大陸じゃ常識かもな」  イストは手のひらを上に向けて首を振った。ウィザがくつくつと肩を揺らす。  二人の苦笑が収まったころ、診察室の扉が開いた。 「よ。どうしろって?」 「しばらく動き回んなって」  上着を着なおして、ソルが口を尖らせる。眉を寄せているのは、散々(さんざん)叱られたせいだけではないだろう。  医院から出ると、イストはソルの上着越しに手をかざした。 「癒しを」  一瞬の光のあと、ソルが軽く目を見開いてイストを見る。 「まだ痛むかい?」 「いや、……全然」  イストは顔の前に人差し指を立てた。 「あんまり多用するものじゃないけどね。傷口は塞いだから、ゆっくり休めると思うよ」  イストは通りの左右を見渡した。食堂や酒場が軒を連ねている。  夕食の時間ということもあり、どの店もよくにぎわっているようだった。 「さてと、どうしようか? さすがに今日退治したところじゃ、シーフードは難しいかな」 「そこの店のピザうまいらしいぜ」 「あっ、なにそれガイドブック?」 「久しぶりに飲みてぇな……イスト、この辺に」 「――――ねえそこの神官さぁん、アタシたちの店で一杯どぉ?」 「きゃーきゃーアタシたちの店がいいわよぉ――――」 「…………」  ソルがコインを空中へ放った。 「表だったらピザな」 「裏ならこっちのバーだぜ」 「オレの意見は!?」  ソルとウィザがゆっくりとイストを振り向く。 「誤解だよ! 夕食に行こうって時にそんなこと!」 「なんだ、横が出たら行こうと思ってたのに」 「えっ……」 「揺らいでんじゃねぇよ」 「よし、表」  二人が向かいの店に足を向ける。イストもその後に続いた。 「なんだよコインの横って、天文学的(てんもんがくてき)確率じゃないか!」 「イスト」 「なに!?」  振り向いたソルと目があった。ドアにつけられた呼び鈴が鳴る。 「サンキュ」 「……どういたしまして」  窓から洩れる店の灯りが通りを照らす。  夕方の騒ぎさえ生活の一部だったと言うかのように、ルテルブルグはいつもと同じ夜を迎えようとしていた。 end.
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