14人が本棚に入れています
本棚に追加
ある神官の華麗なる旅人デビュー
城塞都市ルテルブルグ。
古くから土地の名前と建物はあったものの、『街』としての歴史は比較的新しい。
かつて砦として作られた街の中は、大通りから少し入れば、いくつもの細い路地と階段が交差する迷路になっている。さらにそれらの間を縫って大小の水路が走っており、徒歩だけで街を移動しようとすれば、迂回に迂回を重ねることになる。
実際は主要な水路にはゴンドラが行き来しており、景観と便利さを兼ね揃えた移動手段として人気が高い。
元々これらの水路は砦の用水路だったが、ある時に地殻変動によって海とつながってしまい、先人たちはこの場所を手放したという。
現在はその地の利を生かし、水路で養殖した貝やエビが街の特産品となっている。
「――――ソル!」
屋根の上に見知った姿を見つけ、イストは声を張り上げた。周囲の家々から頭二つ飛びだすような円筒状の建物である。
外壁沿いに取り付けられたハシゴを上っていくと、ややあって唐突に視界が開けた。
かつては見張り台だったのだろうか。柵もロープもない屋上からはルテルブルグの街並みが一望できる。
「すごいところにいるね。それ、お昼ごはんかい?」
「うん」
イストは床に手をつくようにソルへ近づいた。傍らに置かれた長剣を境界線にして、同じ方向を眺める。露店のものらしき紙袋がカサカサと音を立てた。
「……あれ、魔導師くんは?」
イストはあたりを見回した。そう広いわけでもない屋上には、二人以外の人影はない。
ソルがサンドイッチを咀嚼する。
「あいつは店で食うほうが好きだから」
――――どぉんっ!
ソルが言い終わる前に、街の一角で煙が上がった。
「…………あの辺?」
異世界から魔王が現れ、平和だった世界に魔物が闊歩するようになって、十数年。
多くの人間が魔王を倒すための旅に出たが、いまだ大きな成果は上がっていない。魔物による被害は増加の一手を辿り、つい先日も、ある一つの街が壊滅に追い込まれた。
多くの僧侶や神官を育成していた聖都・シンクレア。
その数少ない生き残りであるイストは、事態を解決したソルたちに同行を願い出た。
――――『王都に今回のことを報告しなきゃいけない』
これ以上の被害を防ぐために。そして、聖都が再び立ち上がるための支援を求めに。
そんな、よくある世界のよくある話。
「―――――どぉぉぉゆうことなんだぁぁぁぁっ!!」
抱えた頭を振り回して、イストは絶叫した。
「騒ぐんじゃねぇよ、他の客の迷惑だろ」
「今一番迷惑かけてるのはキミだからね!?」
びしと突きつけられた指に、ウィザが不機嫌に顔を背けた。
落ち着いた内装の喫茶店である。オープンカフェを狙ったのだろうか、風通しのいい店内に、今は午後の日差しが真上から降り注いでいた。屋根のほとんどが吹き飛んだ天井の裏から、金づちの音がひっきりなしに聞こえる。
「何があったの!? いや、なにかあったとしてもやりすぎだよ!」
「そこの野郎が―――」
「なんとなくわかってんだろ」
ソルが頬杖をついて店の隅を見やる。人相の悪い男が数人、壁際で黒焦げになっていた。
「だからって天井ごとぶっ飛ばすなんて、非常識にもほどが……!」
「ご注文はなんになさいますか?」
「イスト、ここシーフードがうまいんだっけ」
「うん、特に海鮮炒めが―――って違う!」
イストはテーブルに突っ伏して呻いた。
「おかしいな……オレは命の恩人たちと旅をしてるはずなのに……どうして一緒にいるのはちんぴらまがいの二人組なんだろう……」
「あんまりヘコむなよ」
「誰のせいだよ!?」
「ほい、ご注文の海鮮炒めだよっと」
そう言って現れたのは、先の店員ではなかった。40を軽く回った程度の、エプロンをかけた男である。
「ああ、マスター……修理代はおいくらですか?」
「いーよ、ワリカンになってるから」
財布を取り出したソルに、イストは目を瞬かせた。
「それについてちょいと相談があるんだけどな……お前さんたち、旅人だろう?」
「ああ」
ことん、とテーブルに置かれた料理に、全員の声が揃う。
『……海鮮……?』
ソルがフォークを持ち、皿の中身をひっくり返した。値段の割には大盛りだが、炒められているのは野菜ばかりで、エビの尻尾さえ見当たらない。
二人分の半眼がイストを見る。イストは慌てて首を横に振った。
「実は、水路に魔物が棲みついちまってな。貝やエビが片っ端からやられてるんだ」
店主が天井を指差す。
「こんなことができるんなら、相当腕も立つだろう? 奴を退治してくれたら修理代は半額にしとくよ。――――ちなみに、全部だとこんなもんだ」
イストは二人の脇から請求書を覗き込んだ。
屋根の修理代としては妥当な額だが、安くなるならそれに越したことはないだろう。
「とりあえず、冷める前に食うぞ」
手を合わせたソルに続き、イストも指を組んだ。
『水路の魔物? ええ、知ってるわ』
『あたいも遠目に見ただけだけど、あの姿……うう、思い出しても寒気がするね!』
『悪魔の化身ですわ! ああ神様!』
『奴の足に触れたら1500R。今うちの店でホットな賭けよ。度胸試しにどう、ボウヤ?』
「――――と、まあ、街の人は相当困ってるみたいだ」
「聞く相手が偏ってねーか?」
「失礼な! ちゃんと役立つ情報も取って来たよ」
イストは水路の手すりにもたれると、ぴっと人差し指を立てた。
「ウワサの魔物が現れたのは半月前。この広い街の水路をねぐらにしてるから、どこにいるかは分からない。ただ目撃証言からすると、夕方から夜に活動してるみたいだ。――――やあお嬢さん、そのお菓子いくら? 可愛いラッピングだね」
「オイ」
物売りの少女に手を振って、イストはカップを傾けた。フォークの刺さったドーナツを一つつまんで、ウィザが水路を眺める。
「あと2、3時間は待つってことか」
「観光してればすぐだよ。ゴンドラでも乗るかい?」
「パス。先に宿決めよーぜ」
と言われて、イストはソルたちの後について歩きだした。
頭の上にあった太陽はやや西へ傾き、さんさんと降っていた日差しが一段柔らかなものになっている。日が暮れるまではもうすこしあるだろう。
午後の一休みが終わる時刻だからか、通りには人が溢れ始めていた。
帰路につく住民や観光客に加え、体に看板をつけた呼び込みが通りを横切っている。
「今夜の宿はお決まりですか!? うちは全室空調付きですよ!」
「朝日の見えるスイートルーム! 旅の思い出にいかがです?」
呼び込みに行く手を遮られて、イストは数歩たたらを踏んだ。脇を抜けようとしたところで向かいからの旅人と鉢合わせ、前を行く二人を見失う。
「失礼、レディ」
「ごめんね神官さま」
イストは周囲を見回した。この人波をどう抜けたのか、ソルとウィザは2メートルほど先を歩いている。
「ソ……!」
「え――っ、本当にこのお値段で!?」
「もちろんですとも!」
イストは眉根を下げて足を速めた。
迷子になってどうなるというものではないが、あまりはぐれたくはない。
当の二人はイストの不在に気づいていないらしく、ゆったりと歩きながら何かを話していた。ウィザが適当な店先を指す。
「女」
「男」
山積みの箱を抱えた男がふらふらと出てきた。ソルが渋い顔をし、ウィザがくつくつと笑って歩調を緩める。
そのスキに、イストは小走りで二人に追いついた。
「イスト、お前はどこに泊まりたい?」
「キミたちがいつも泊まるところでいいよ。あそこは?」
『…………』
イストが指した先を見て、ソルとウィザが口を開けた。
大通りの真ん中という立地に、思い出作りを謳ったオプションの看板――――まず間違いなく観光客向けの宿だろう。
「あ゛ー……風呂とベッドがあって、表通りにある食事つきの宿だな。それで間違いねえか?」
「? そうだね、ありがとう」
イストの死角で、ソルとウィザがこっそりと財布を確認した。ときだった。
「きゃあああああっ!!」
――――――どぼぉぉぉんっ!!
かん高い悲鳴を遮るような水音が上がった。
周囲の通行人たちが足を止め、慌てた様子で周囲を見回す。
「例の魔物か!?」
「あっちから聞こえたぜ」
三人は悲鳴の元へ急いだ。
通りに面した水路の一角が削り取られたように崩れ、一人の女が這うようにそこから離れようとしている。晴天にもかかわらず、頭から水をかぶったようにびしょぬれだ。
周囲のやじ馬が彼女に駆け寄るよりも早く、水路から伸びてきた細い脚が女の足首に巻きつく。
「加護を!」
空中に生まれた障壁が魔物の足を阻んだ。
辞書ほどの厚みがある教典を脇に抱え、イストは女に駆け寄った。
「大丈夫ですか、おケガは!?」
「ま、魔物が……! 水路の悪魔が……!」
がくがくと震えながら、女が自分を抱きしめるようにうずくまる。相当な力で掴まれたのだろう、足首には濃いアザがついていた。
イストに追いつき、ウィザがきっと水路を見据える。
「はじけろ!」
水中で発動した爆発呪文が、間欠泉のように水路の水を吹き上げた。降り注ぐ水しぶきの向こうで、べぢゃり、と何かが陸に落ちる。
かすむ視界に顔をしかめながら、やじ馬たちが霧の向こうを透かした。
「――――っぎゃあああ!! 水路の悪魔だ―――!!」
「出たぁっ! 何ておぞましい姿なんだ!」
「見るんじゃない呪われるぞおおおお!!」
口々に叫びながら逃げていくやじ馬たちを背に、イストはごくりと唾を飲んだ。
濡れたタオルケットを伏せたようなシルエットは、魚とも獣とも異なっている。胴と足の境が曖昧な体を引きずるように移動させ、横長の瞳孔がこちらを見た。
薄い粘液で覆われた8本の肢を持ち上げ、魔物がゆっくりとイストのほうへ―――――すたすたすた、ずばんっ!!
「ソォォォル!!」
「うわっなんだよ」
無造作に振り下ろした長剣で一撃され、魔物が大きく地面を後ずさった。
「こっこっ、怖くないのかい!?」
「いや、だって……タコだぞ」
ソルが呆れた顔で背後を指す。
ちょっとした二階建てほどの大ダコの魔物が、威嚇するように体を広げていた。
「塩ゆでにするとうまいらしいぜ。食ったことねーけど」
「冗談だろ!?」
「…………」
ウィザは若干引いた眼差しで二人のやり取りを眺めていたが、気を取り直すように咳払いした。
「火炎よ!」
吹き上がった火柱が魔物の行く手を塞いだ。
向きを変えて水路に逃げ込もうとする魔物に、長剣を携えたソルが走る。
足首を薙ぐように繰り出された肢の一本を跳んでかわし、逆方向からの一撃を受け止めざまに斬り飛ばす。
「おおっ!」
やじ馬から感嘆の声が上がった。
8本の肢の付け根は丸太ほどの太さがあったが、先端に向かうにつれ、人の手首程度に細くなっていた。正確な狙いと動体視力があれば、斬り飛ばすことも不可能ではない。
それに気づいたのか、魔物の肢はソルの脇をすり抜け、水路の鉄柵の一つを掴んだ。
大人が数人はもたれられるそれを根元から引き抜き、ソル目がけて振り下ろす!
「げっ!?」
「吹き飛べ!」
ウィザの放った衝撃波が金属製の柵を数回折り曲げて叩き飛ばした。柵はもぎ取られるように魔物の手を離れ、そのまま水路の向こうへと消える。
「貫け!」
長剣が魔物の頭を一閃し、その傷跡に重なるように圧縮した衝撃波が風穴を開ける。
ゼリーが潰れるように魔物の体が平らになり、蠢いていた足が地面に投げ出される。
一瞬の静寂ののち、やじ馬たちから|歓声《かんせい》が上がった。
「さってと、戻るか」
「これだけの人数が見てりゃ十分だろ。念のために誰か連れてくか……」
ソルが長剣を納め、ウィザがやじ馬たちに視線をやる。
イストはため息混じりに苦笑した。
「つくづくすごいねえ」
そう呟いて、イストが二人から目を離したときだった。
魔物の肢の一本がたゆたうように揺れ、ソルのブーツに勢いよく巻きつく。
「ッ!?」
がぐんっ―――とソルの体が前へつんのめり、振り向きざまに放った一閃が空を裂いた。釣り上げるようにソルの体を宙へ振り、魔物がもろともに水の中へ飛び込む。
「ソル!」
「しまった!」
ウィザとイストが水路の淵へ走ったが、ソルと魔物の姿は水面の奥に消えていた。
誰かが呼んだのか、数名の警備兵――王都で兵士としての訓練を受け、各都市に赴任している者たちだ――が水路を覗き込む。
「いかん、このあたりは特に水が深いんだ!」
「すぐに水路を封鎖しろ! 別のエリアに逃げてしまうぞ!」
「救助が最優先だ! 落ちた戦士が魔物の手を逃れていれば――――」
最後の声に重ねるようにウィザが呻く。
「……あいつ、気絶したら浮いてこねえぞ」
「なんだって!?」
イストは周囲を見回し、傍らにたたまれていた投網を掴んだ。本来は養殖に使うものだろうが、魔物の被害を受けて引き上げたのだろう。
「魔導師くん、手を貸してくれ!」
「るせえ」
「ええっ!?」
「……邪魔すんじゃねェよ」
背後の騒ぎを無視するように、ウィザはじっと水面を睨んでいた。
その視線を追い、イストも再び水路を見る。
波打つ水面に変化はない。
言いようのない焦燥の中で、一秒、二秒と時間が過ぎ―――――
「火炎よ!!」
伸びあがった火柱が水面の一角を叩き割った。
濃い水蒸気が吹きあがり、一瞬、左右に分かれた水の底があらわになる。
「戦士さん!」
やじ馬の誰かが叫んだ。
高温の水蒸気から顔を庇い、ソルが足首に絡む肢を一閃する。と同時に逆の足で魔物の胴を蹴り、ソルと魔物の間に若干の空間が生まれた。
「吹き飛べ!」
「加護を!」
ウィザの衝撃波が追いすがる魔物を突き飛ばし、ほぼ同時にイストの結界が発動する。
光の壁はソル自身ではなく、その足元へ水平に広がった。
一瞬生まれた足場を蹴り、ソルが転がり込むように陸へ戻る。
「大丈夫かい!?」
「……っ悪り、助かった」
ソルが数度咳き込み、脇腹を押さえて立ち上がる。
「動けるか」
「ヨユーで」
共に水路を見据え、ソルとウィザがめいめいに構えなおす。
がごん、と機械じみた音がして、イストはそちらへ視線を転じた。
先ほどの警備兵たちが通りのあちこちへ散り、等身大はあろうかというレバーと格闘している。
それを知ってか知らずか、すっ――――とウィザが虚空を指した。
「火球よ!」
空中に無数の火の玉が生まれ、一斉に水路へと降り注ぐ。あるものは水面を、あるものは石造りの壁を熱し、たちどころに水路の水を沸騰させた。
『~~~~~~~!!』
鳴き声にならない悲鳴を上げて、大ダコの魔物が水から飛び出した。体中の傷から黒い血を流しながら、やけくそのように不揃いな肢を振り回す。
「っ、と!」
横殴りの一撃を打ち払い、ソルが頭部の傷に交差するように斬りつけた。食い込んだ刃を立てて横へ振り抜き、死角から伸びてきた肢を斬り飛ばす。
手数では勝っているはずの相手に押され、魔物が大きく下がった。開いた間合いを薙ぐように行き過ぎた肢を飛び越え、ソルが再び距離を詰める。
「貫け!」
慌てて伏せた魔物の頭部を衝撃波が打ち抜いた。最初の傷に重なるような穴を開けられてなお、魔物の動きが鈍る気配はない。
「くそ、頭が急所じゃねえのか?」
舌打ちしたウィザに、ソルがはっと目を見開いた。
「火炎よ!」
水路を向こうとした魔物の鼻先を火柱が掠める。退路を遮られ、魔物が激昂してソルに襲い掛かった。
「いかん、危険だ!」
「まともに食らったら背骨がへし折られるぞ!」
肢の先を斬り飛ばすことのできた先程とは違い、付け根に近い、丸太ほどある肢が宙を裂く。
突風のような風圧がイストにまで届いた。
交差するように放たれた一撃を懐に飛び込んでかわし、地面を打った肢を足場に跳ぶ。
それを見越していたかのように、横薙ぎの肢がソルに向かった。
と同時に、ソルが長剣を逆手に握り変え、迫る肢を水平に突き刺す。
『~~~~~!!』
魔物が悲鳴を上げて肢を振り上げた。その勢いで魔物の真上へと放られながら、ソルが引き抜いた長剣を構え直す。
「おお、落下の勢いで突き通す気か!」
「だが見ろ、魔物も黙ってないぞ!」
やじ馬の指す方向を見るまでもなく、再びの横薙ぎがソルへと向かう。
イストは片手で教典を開いた。
「戒めを!」
広げた指先から電流が伸び、魔物にぶつかって帯電したように広がる。
魔物の肢の動きが目に見えて鈍くなる。
「なんだ……!?」
「護身用の麻痺呪文だよ。威力は低いけど、広い範囲の相手を無力化できる」
イストはそっと教典を閉じた。
厚い紙束が触れ合う音がやけにはっきりと聞こえた。
一呼吸に満たない静寂を割って、長剣が魔物の顔面を刺し貫く!
『…………………………!!』
人で言う眉間の位置を貫かれ、魔物の目から光が失せた。
麻痺した体を数度痙攣させ、巨体がゆっくりと脱力する。
ざぁ、と強い海風が吹き、砂と化した魔物の体をいずこかへさらっていく。
ソルはまとわりつく砂粒を振って落とし、長剣を鞘に納める。
そうして、不意に膝をついた。
「ソル!? どうしたんだい!?」
押さえた上着には血がにじんでいた。
「この傷で魔物と戦ったぁ!? お前さん命がいらんのかね!」
初老の医師が声を張り上げるのを、イストは肩身の狭い思いで聞いていた。ソルの脇腹で開きかけている傷口はこの街で負ったケガではない。
「あの、ドクター、あまり叱らないで……その傷はあの、彼がオレの故郷を……」
「だぁっとれい! 付き添いは表に出とれと言うたじゃろーが!」
閉めた扉にカルテが投げつけられた。
「ひでぇ医者だな」
「……キミが言うとよくわからなくなってくるよ…」
先に支払いを済ませようとしたイストを、ウィザが止めた。自分の財布を出し、金額の半分を受付に手渡す。
イストは目を瞬かせた。
「……ワリカン…なのかい?」
「おう」
待合室の椅子に腰かけると、ウィザは伸びをした。イストもその横に腰を下ろす。どこからか消毒液の匂いがした。
「ええと……ケガは?」
「ねえよ。そっちは?」
「おかげさまでね。ありがとう」
待合室に人はまばらだった。窓の外ではじれったくなるような速度で夕日が沈んでいく。
イストは髪をかき混ぜた。
「さっきの魔物だけど……今考えれば、キミが呪文を放った瞬間、体勢を低くしてわざと頭に受けてたようにも見えた。あの魔物の本当の急所はそれよりも下にあったのかもしれないね」
「案外、塩ゆでにして食う大陸じゃ常識かもな」
イストは手のひらを上に向けて首を振った。ウィザがくつくつと肩を揺らす。
二人の苦笑が収まったころ、診察室の扉が開いた。
「よ。どうしろって?」
「しばらく動き回んなって」
上着を着なおして、ソルが口を尖らせる。眉を寄せているのは、散々叱られたせいだけではないだろう。
医院から出ると、イストはソルの上着越しに手をかざした。
「癒しを」
一瞬の光のあと、ソルが軽く目を見開いてイストを見る。
「まだ痛むかい?」
「いや、……全然」
イストは顔の前に人差し指を立てた。
「あんまり多用するものじゃないけどね。傷口は塞いだから、ゆっくり休めると思うよ」
イストは通りの左右を見渡した。食堂や酒場が軒を連ねている。
夕食の時間ということもあり、どの店もよくにぎわっているようだった。
「さてと、どうしようか? さすがに今日退治したところじゃ、シーフードは難しいかな」
「そこの店のピザうまいらしいぜ」
「あっ、なにそれガイドブック?」
「久しぶりに飲みてぇな……イスト、この辺に」
「――――ねえそこの神官さぁん、アタシたちの店で一杯どぉ?」
「きゃーきゃーアタシたちの店がいいわよぉ――――」
「…………」
ソルがコインを空中へ放った。
「表だったらピザな」
「裏ならこっちのバーだぜ」
「オレの意見は!?」
ソルとウィザがゆっくりとイストを振り向く。
「誤解だよ! 夕食に行こうって時にそんなこと!」
「なんだ、横が出たら行こうと思ってたのに」
「えっ……」
「揺らいでんじゃねぇよ」
「よし、表」
二人が向かいの店に足を向ける。イストもその後に続いた。
「なんだよコインの横って、天文学的確率じゃないか!」
「イスト」
「なに!?」
振り向いたソルと目があった。ドアにつけられた呼び鈴が鳴る。
「サンキュ」
「……どういたしまして」
窓から洩れる店の灯りが通りを照らす。
夕方の騒ぎさえ生活の一部だったと言うかのように、ルテルブルグはいつもと同じ夜を迎えようとしていた。
end.
最初のコメントを投稿しよう!