よくある犬猿の仲

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よくある犬猿の仲

 昼下がりの日射しを受けた波がきらきらと輝く。  堤防(ていぼう)の内側には数(せき)の船が留まり、荷運び用の小舟に積み荷を降ろしていた。  初夏には早い時期の海風はやや冷たく、日差しにほてった体を心地よく撫でていく。  停泊場(ていはくじょう)から少し離れた広場にはいくつもの露店が出ており、船乗りや旅人、親子連れが食事を楽しんでいた。  屋台の店員が愛想よく客をさばく。 「戦士さん、注文は?」 「ベーグルサンド。と、(とり)の串焼きとツナハムクレープ」 「1580R(アール)だ。飲み物は?」 「連れが買ってる」  ソルは右手で釣りを受けとり、手首を返して紙袋をつまんだ。  左手の人差し指と中指に串焼きを挟み、親指でクレープを持つ。  と、細い指がひょいと串焼きを抜き取った。 「ウィザ」  ローブを着た魔導師(まどうし)が串焼きをくわえ、逆の手で紙コップを3つ突き出す。 「ルイボスとストレートティーとカフェオレ」 「中身入れて持てるか?」 「ーーーーぐぉっはあ!!」  ソルとウィザは振り向いた。  停泊場の脇には乗船手続き用の小屋がある。そこの扉がはじけるように開き、年かさの女の団体が二人の前を横切って行った。尖った口調で頷きあいながら、広場の向こうへ去っていく。 「……ひ…ひどいよ、マダムたち……」  開いたままのドアのそばで、神官が一人、ひき潰されたカエルのように倒れていた。  平和だった世界に魔王が現れ、魔物が闊歩(かっぽ)するようになって、しばし。 『魔王を倒したものには望みの褒美を与える』―――そんな王家(おうけ)からの通達によって、多くの者が旅に出た。    そんな、よくある世界のよくある話。  政治経済の中心である王都へは、陸海さまざまなルートが敷かれている。古くは交易路(こうえきろ)と呼ばれる陸路を使うのが一般的だったが、造船・航行技術の発展に伴い、現在は海路を行く者の方が多い。  特に各港からの定期船は観光や出稼ぎの足としても馴染んでおり、手続きをすれば誰でも簡単にチケットを買える。  はずなのだが。 「イスト、メシ」 「あ、ありがとう……でもちょっと待って」  服の土を払い、イストがよろよろと起き上がる。 「時期が悪かったかな……この港から王都に向かう定期船は満席だってさ」 「あ゛ぁ? 秋のバザールには早いんじゃねえか?」  ウィザがストレートティー片手に怪訝な顔をする。  ソルはベーグルサンドをかじってそちらを見た。 「バザール?」 「王都でやってる定期市だよ。氷の結晶から砂漠のバラまで、世界中の品が集まるって聞いてるぜ」 「へー」  イストが肩を落としてため息をつく。 「ちょっと遠いけど北の港から乗るしかないかな。ソル、寄ってくれるかい?」 「行くのはいーけど」  ソルは物入れから地図を広げた。  いびつなΩ(オーム)形の大陸の左下方が現在地。そして、(わん)を挟んだ右側奧にあるのが王都・リモーニアだ。 「ここから北っていうと……カンツァーノより向こうだぜ」 「かの有名な武闘都市(ぶとうとし)だね」 「ああ、前に行きてえっつってた街か」  ソルは頷いた。 「夏が終わるまでに着きてーから、港までは送ってけないかもしんねーぜ」 「十分だよ。言ったろ? キミたちの旅に付き合うって」  緩んだ空気を見計(みはか)らったかのように、果物のカゴを背負った少女が顔を出す。 「食後のデザートいかがですか? 50Rで飾り切りもできますよ」 「あはは、じゃあお願いしようかな」  イストが銅貨を渡して目を細める。 「北か。これからの季節は過ごしやすくなるね」  そんな話をしたのは、ほんの数時間前のことだ。 『――――ッギギャァ!』  ソルは飛び込んできた魔物を打ち払った。体重の乗ったかかとが砂に埋まる。  突き刺すような太陽の光を背負い、イグアナに似た魔物が威嚇(いかく)の声を上げた。  硬化した背びれはナタのようなエッジが効いており、木の枝程度なら苦も無く叩き折れるだろう。  尾をくわえて体を丸め、魔物が車輪のようにソルへと突っ込んでくる。  ソルは長剣を握り直し、低い位置から逆袈裟(ぎゃくげさ)に一閃した。 『ピッ……!』  眉間を裂かれた魔物の口から尾が外れる。  伸びた腹を返す刃で撫で斬って、ソルは背後からの気配に視線を転じた。  牧草用のフォークのように変化したアゴをもたげ、小熊ほどあるクモの魔物が足を狙ってくる。 「火炎よ!」  ソルは垂直に跳び上がった。  足元を横()ぎの火柱が行き過ぎ、ひるんだ魔物が足を止める。  ソルは落下ついでにその背を真上から突き刺した。  六本の脚を痙攣(けいれん)させ、魔物の体が(ちり)となって消える。 「サンキュ」 「おう」  ウィザが(ひたい)を拭い、ソルと同じ方向を見る。  揺らめくかげろうに溶け込むように、二十を超える魔物の群れが彼らを囲んでいた。 「ウィザ、派手にヨロシク」 「言ったな」  ウィザが挑発的に歯を見せて笑った。  めいめいに雄叫びをあげ、魔物の群れが一斉に地面を蹴る。 「はじけろ!!」  沸き起こった爆発があたりの空気を熱風で塗り替えた。  黒焦げになった魔物たちの遺骸(いがい)は砂となって砕け散り、街道に静寂が戻る。 「………ふー」  ソルは長剣を納めた。物入れから水筒を取り出し、喉を濡らす程度に一口飲む。  コップから跳ねた水滴が地面に落ち、染み込む間もなく蒸発した。  脳天を貫く日差しと照り返しが容赦なく全身を(あぶ)る。  それらを(さえぎ)る日陰はなく、ただただ地平まで続く砂の海があるだけだ。 「過ごしやすい気候か……」 「イスト、お前すげーな」 「おかしいよ!! 異常だろこんなの!!」  木の枝を杖代わりにして、はるか後方からイストが叫ぶ。  先程の港町を出て二、三時間といったところか。地図では右手に林、左手に貯水湖からの川が流れているはずだが、見える景色は先ほど述べたとおりである。 「おかしい……絶対おかしいよ…あの港からこの距離でこんなに気候が変わるワケない……」 「あんまりしゃべんなよ、喉乾くぜ」  ソルは地図の裏を見た。  作成日は今年の頭。右下に『傭兵派遣所(ようへいはけんじょ)連合(れんごう)謹製』の刻印がある。王都発行のものに比べれば若干の縮尺ミスがあるものの、手頃な値段が特徴だ。 「(そろそろ買い替えるか)」  ソルは地図を巻いた。 「一応、この辺に町があるはずだけど……なきゃ野宿な」 「…………いいね、こんな大きなベッド初めてだよ」  どこか(うつ)ろな決意をしたらしいイストを横目に見つつ、ソルは内心で手持ちの防寒具を数えた。  砂漠の夜は冷えると聞く。  荷物には防風用のアルミブランケットがあるし、ウィザも大判のストールを持っていたはずだ。一晩(とも)しておく程度の固形燃料もある。二人で野宿をするぶんには問題ないだろう。  ソルはちらりとイストを見た。 「(……こいつは何か持ってんのかな。神官服ったってフツーの布じゃねえ?)」  と、ウィザが目元に手をかざした。 「おい、あれじゃねえか?」  かげろうの向こうに円筒状の木の塀が見えた。魔物の襲撃を防ぐため、町や砦の周囲にはよく設置されているものだ。 「アレルヤ! 行ってみよう!」 「そーだな、野宿もキツそーだし」 「屋根がありゃ上等だろ」  思い思いに口にしながら足を進め、塀の切れ目にある入り口をくぐる。  と。 「――――ッッこの! 盗んだモンを出しやがれこのアバズレぇ!!」  イストが一歩を踏み出したポーズのまま硬直し、ウィザがぎょっとして騒ぎの方を見た。  見るからに人相の悪い筋肉質な男が、華奢な女の髪を掴んで振り回している。  ソルは半眼で町の景色を眺めた。  砂漠のど真ん中ということを差し引いても(ほこり)っぽい。下手をすると町の外のほうが快適に息ができるだろう。  ()ちた看板の道具屋の店先には何の商品も置かれていない。  足もとには何かのカケラが散乱し、風が吹く度に砂に埋もれてはまた顔を出す。  通行人のほとんどがストールやターバンで頭を覆い、騒ぎを避けるように通り過ぎていった。 「風呂はムリかもしんねーな」 「言ってる場合かい!?」  放心から抜け出したイストが男女の間に割って入る。 「お、落ち着いて! 乱暴はいけません、どうしました!?」  男が怒り泣きのような表情で叫んだ。 「この女がうちの品を盗りやがったんだ! 十日かかってやっと仕入れてきた薬草を……!」 「わ、わかりました、ではオレが買い取ります。おいくらですか?」 「は」 「おい!!」  ウィザの制止は間に合わず、跳ね起きた女がイストの手元を(かす)め取った。そのまま、白革(しろかわ)の長財布を抱き込むようにして人波に飛びこむ。 「ソル!」 「しょーがねーなっ」  ソルは地面を蹴って女を追った。  遅れてイストの悲鳴が上がる。 「ええええ!?」  「バカ! こんなところで財布出すな!」  後ろの騒ぎを聞き流しつつ、ソルは腰の長剣を(さや)から引き抜いた。 「ーーーーあっ!!」  投げつけた鞘に足をとられ、女が大きくつんのめった。巻き添えを食らった通行人ともつれあって転びながら、慌てて起き上がろうとする。  ーーーーざずっ!  ソルはスカートの(すそ)へ切っ先を突き立てた。  地面に縫い止められた布地を何度か引き、女が青ざめた顔でソルを見上げる。 「服の文句は神官サマに言ってくんねえ?」 「っ……!」 「ママ!」  小さな影がふらふらと駆けてきた。  10才にもならないような少女である。目に見えて頬が赤く、熱に浮かされているように瞳の焦点が怪しい。 「来ちゃダメ、逃げなさい!」 「ソル!」  ソルは目の端に女を捉えたまま振り向いた。  足早に駆けてくるイストの後ろで、ウィザが牽制(けんせい)するように周りに視線をやる。  大多数の通行人が目を伏せて通りすぎる一方、やじ馬根性にかられた者たちが遠巻きにソルたちを囲んでいた。  女がぐっと息を詰める。 「わ……わかったわよ、気の済むようにすれば!? でも娘には手を出さないで!」 「娘さん……」 「子持ちはやめとけ」 「まだなにも言ってないだろ!?」  イストがウィザの手を振り払った。  こほん、と咳払いする。 「ええと……熱があるのかな、小さいレディ? 脈を見ても?」 「()れんのか?」 「少しはね」  イストが膝をついて少女の首筋に触れた。 「熱中症だね。気付けに少し塩を()った方が……」  と、荷物を開けかけて手を止める。 「いいぜ、開けな。妙な野郎はぶっ飛ばしてやんよ」  ウィザが肩越しにやじ馬を見渡した。  目のあった何人かがこそこそと後ずさる。 「俺もいい加減手が疲れてんだけど」 「……抜けばいいじゃない」  ソルは女に向かって手を出した。女がしぶしぶ財布を出す。  ソルは財布を受け取り、後ろへと放り投げた。  ウィザがそれを片手で受け止める。 「イスト、中は見とけ」 「ありがとう、ちょっと待って。……そう、ゆっくり噛んでね」  イストが少女の手のひらに塩を出し、薬草をかじらせている。  ソルは長剣を鞘に納めた。 「一晩泊まりてーんだけど、宿は?」 「あると思ってんの?……半年前から雨は降らないし、魔物に貯水湖は壊されるし。あたしだって好きで残ってるんじゃないわよ。こんな呪われた土地」 「どういうことですか?」  女はやけくそのように肩をすくめた。 「ここじゃしおれたキャベツ一つが何万Rもするのよ。よそから仕入れる手間賃に、毒バチの血清(けっせい)代まで上乗せされてね」 「血清?」  ソルとウィザは首をかしげた。  イストが苦笑する。 「一種の解毒剤だよ。たくさん精製(せいせい)できるものじゃないから、価格を上げて使う量を調整するしかないんだ。だから最近は教会での呪文治療が主流だけど……」 「そんなもん、とっくに患者で満員よ!! 近くの神父さまは魔物に殺されるし、次から次へ、ろくでもないことばっかり……! 財布くらいなによ! 子供抱えて生きてるあたしの身にもなりなさいよ!」  ウィザがむっと眉を吊り上げた。 「おい、聞いてりゃ言い過ぎーーーー」  ごぅっ、と。  熱風があたりの音をかき消した。  砂漠にはつきものの砂嵐ーーーーではない。  ごうっ、ごうっ、と一呼吸程度の()(たも)って、頭上からの風が吹き付け続けている。  つくりの甘い屋根板が引き剥がされ、立ち込める砂ぼこりの中でちらちらと光るものが舞う。 「熱ちっ!? な、なんだこれ……!」 「火だ! 燃えてるぞ、早く消せ消せ!」  通りのあちこちで悲鳴が上がった。  砂塵(さじん)に混じって街に降り注いだ火の粉が乾いた布や材木に落ち、次々と細長い煙を上げている。  ソルは長剣に手をかけた。  道の前後に怪しい気配はない。熱風の発生源は屋根の上、いや、さらに上ーーーー 「奥さん、娘さんと安全なところに!」 「てめえもだイスト、下がってろ」  ウィザがローブの(そで)で口元を覆い、逆の手を空へ向ける。 「はじけろ!」  上空で起こった爆発が砂塵を吹き飛ばした。  台風の目のように拓けた空の中で、翼のようなシルエットが翻る。 「火炎よ!」  一直線に伸びた火柱が影を直撃した。  炎に包まれた影の主はバランスを崩し、吸い寄せられるように地面へ落下する。  かに、思われたが。 「ぃよっ、と」  骨ばった猛禽(もうきん)の足がソルたちの前に着地した。体の表面を撫でるように炎が切れ、燃えるような赤毛の青年が姿を現す。  金の目が撫でるようにソルたちを眺め、ウィザで止まる。 「よォ。今の呪文はお()ぃかえ?」  隈取(くまど)りのある目元が妙に機嫌よく細められた。  顔だけ見れば二十を過ぎた若者のようだが、袖から伸びる手は足と同じく、鳥のような三本指だ。  唐風(からふう)の衣服の背には細いスリットが入っており、(にわとり)を思わせる翼が伸びている。その(つや)のある羽毛(うもう)のひとつひとつが火の粉を落としながら燃えていた。 「魔物……!」 「魔物だ!」  やじ馬たちが緊張した面持ちで(ささや)きあう。 「貯水湖を壊した奴らの仲間か?」 「神父さまを殺した奴かも……」 「なんのこったぇ?」  青年がぐるりと周囲を見渡した。  ひっ、と短い悲鳴が洩れたが、それでも体格のいい数人が進み出る。 「な、なんだお前は! この町を襲いに来たのか!?」 「ふゥン……? そう言やァ、どこぞの誰ぞがそんな計画を吠えてやがったかの。この年ンなると大概(てぇげぇ)のこたぁ右から左でよ」  と、小指で耳を掻く。 「ナニ、気まぐれ起こして降りただけよ。わしァこの辺りが気に入りでの。見映えのいい庭ンなるように、散歩ついでに弄ってンのさァ」 「庭……?」 「おうサ。風情のある()(にわ)ンなったろう?」  くかかっ、と青年が笑う。趣味を披露(ひろう)する老人のように、(ひそ)やかな得意げを隠さずに。 「水だ緑だを(のぞ)くにゃチョイとかかったが、そこは道楽のうち。手をかけただけの見栄(みば)えにゃあなったの」 「なっ……ん、だとぉ!?」  一際背の高い住民が声を荒げた。 「お。お前が! やっぱりお前がやったんじゃないか! この日照りで何人が死んだと思ってる!? お前らが貯水湖を壊したせいで、俺たちの暮らしは……!」  「知るかェ。庭の具合を見ンのに、足元の羽虫の生き死になんざ気にもしねえよ」 「ふっーーーーざけるなぁ!!」 「いけない、落ち着いて!」  イストの制止(せいし)を聞くそぶりもなく、いきりたった数人が青年に襲いかかった。 「フン」  と鼻で笑って、青年が翼を広げた。  火の粉を落とす程度だった羽毛の火が膨らみ、翼全体に燃え広がるようにして巨大な炎となる。 「くかかかっ!!」  打ち出された炎の(かたまり)に直撃され、先頭の一人が悲鳴もなく炭と化した。  他の者が(ひる)む間もなく、荒れ狂う炎の波がやじ馬たちへ伸びる。 「加護を!」  半透明の障壁(しょうへき)が炎を受け止めた。  神官の扱う結界呪文ーーーーだが、次の瞬間に障壁は大きくきしみ、ふちから無数の亀裂が走る。 「オレの魔力じゃ防ぎきれない……! 早く避難を!」 「はじけろ!」  ウィザの放った爆発呪文が炎を散らした。  瞬きほどの差で、結界の障壁が音もなく砕け消える。  ソルは腰の長剣に手をかけた。  火の粉と砂塵を目くらましに、青年とソルがそれぞれ互いを(とら)える。  ひゅ、と、煙から飛び出してきた猛禽の足が目の高さを薙いだ。  その蹴りをくぐるように膝を折り、下から跳ね上げるように(さや)を払う! 「ぬぁっ!?」  浅い手応えが刃に伝わった。  さらに踏み込んだ一閃で砂煙を裂き、青年の姿を確実に捉えーーーーソルは目を見開いた。  数分前まで二十才半ば程度に見えた『青年』の顔には、深いしわが刻まれていた。  まっすぐに伸びていた背は骨張(ほねば)った弧を描いており、頭髪にも、毛羽(けば)立った翼にも白い毛が混じっている。  絶句したのは1秒未満、動きを止めたのはそれ以下の時間だっただろう。  『青年』が皮膚の余った口元を吊り上げた。 「どうしたぇ、若造(わかぞう)」  下段からの膝蹴りがソルのみぞおちにめり込んだ。  胃から突き上げる衝撃と吐き気をこらえ、返す刃で『青年』の(もも)を斬りつける。 「ぐっ……」 「かふっ……!」  それぞれの反動で間合いが開く。  そのタイミングを逃さず、ウィザが『青年』に狙いを絞る! 「貫け!」  圧縮した衝撃波が放たれる刹那、『青年』の翼が下向きに炎を()いた。  と同時に、『青年』が地面を蹴る。  上空へ飛び上がるには至らない出力だったが、『青年』は宙で体をひねるようにして衝撃波をかわした。  着地の間際(まぎわ)に火の残る翼を広げ、ソルと向けて空打(からう)ちする!  「ゴホッ……!」  ソルは手の甲で鼻と口をかばった。  吹き付ける熱風と火の粉で、耐刃(たいじん)生地のジャケットがちりつくような熱を持つ。それを意識した途端にじわりと汗がにじんだ。  気温と運動によって体温が上がれば、呼吸は早くなるーーーーが、火の粉を含んだ熱気で肺を焼く気はない。  ソルは最低限の息を吐き、再び『青年』へ斬りつけた。 「ッぐぅ!」  振り抜いた刃で『青年』の胴を裂き、側頭部を狙ってきた回し蹴りを打ち払う。 『青年』が悪態と共に後ろへ退がった。  最初にやじ馬を焼いた火の玉、そして先程の火の粉。威力の差を比べるまでもなく、『青年』の動きは秒単位で(にぶ)くなっている。  演技や疲労の類ではない。ソルには思い当たるフシがあった。  筋力の(おとろ)え、動体視力(どうたいしりょく)の処理の遅れーーーー隠しきれない『老い』の(にじ)んだ動きだ。 「ぐ……っ!」  一閃が『青年』の腕を切り裂いた。  艶の失せた羽毛がこぼれおちるように抜けていく。にも関わらず、『青年』の翼が再点火するように燃え上がった。 「規律(きりつ)を!」  虚空(こくう)に現れた光の輪が『青年』の翼をひとまとめに捕らえた。  帯電するような光が走り、翼の炎が弾け消える。 「イスト!」 「魔力封じかぇ……! 神官の割に芸達者(げいたっしゃ)な……!」  『青年』が強引に翼を広げ、光の輪を引きちぎる。  ものの数瞬ではあったが、『青年』の注意がそちらへ逸れた。  機を逃さず、踏み込みの体重を乗せた斬り上げが『青年』の胴の傷へ交差する! 「……っく……!!」  翼をばたつかせて後退し、『青年』が(かろ)うじて深手(ふかで)を避ける。それを追い、ソルは更に一歩を踏み込んだ。  ぐにゃり。  地面を踏んだはずの足が妙な感触を捉えた。 「(え……?)」  ソルの動きが一瞬止まる。  と同時に『青年』が大きく翼を羽ばたかせた。  立て続けの熱波と暴風で限界が来ていた家々が崩れ、頭上からソルを飲み込む! 「しまっ……」 「加護(かご)を!」  イストの唱えた結界はソルの背丈(せたけ)ぎりぎりで発動した。  降り注ぐがれきが次々と障壁の上に積み重なって小山を作る。 『青年』が目をすがめてイストを見た。  毛羽の乱れた翼に炎が灯る。猛禽の指先が、す、と伸びる。 「はじけろ!」  横からの爆発が『青年』の炎を吹き散らした。  余波(よは)に巻き込まれたイストが地面に背を打ち、降り注ぐ火の粉から教典をかばう。  ウィザは苦い顔でイストにかけよった。 「立てるな!? 文句はあとだ、退()がってろ!」 「っ……すまない、……無理、みたいだ……」 「あ゙ぁ!?」  ウィザはイストを引き起こした。  目立つ外傷はない。  今できたばかりの擦り傷とやけどを加えても、起きて走るには支障のない傷だ。  にも関わらずひどく呼吸が浅い。高熱の最中(さなか)のように瞳の焦点が怪しく、手の甲を押し当てた頬が熱い。 「おい! しっかり――――っぐぅっ!」  横からの一撃がウィザのこめかみを蹴倒した。  焼けた砂で頬を擦り、起き上がろうと  仰(あお)向いた胴に、どすん、と衝撃が落ちる。 「…………ッ!!」  みぢッ、と肺の(きし)む音がした。 『青年』が枝に()まるようにウィザのみぞおちに乗り、その場でひょいと膝を折る。 「羊の毛かえ? それにしちゃ燃えねえの」 『青年』が見せつけるように翼を広げた。はらはらと火の粉が落ちるが、ウィザのローブには焦げ跡すら残らない。  ヤクーのローブ。  はるか東の草原地帯にのみ生息する、ヤギの毛で織られたローブである。  燃えにくい繊維の質と複雑に組まれた織り目によって、炎が広がりにくく、刃物で裂くことも容易ではなない。  元々はその大陸に住む遊牧民たちの普段着だったが、商人たちを通じて機能性の高さが広まり、都市部では高級品として扱われている。  とはいえ、鎧のように衝撃を防ぐことはできない。 「なァ、オイ――――最初の種火ァ良かったのぉ」 「あ"ぁ……!?」  ウィザは『青年』の足首を掴んだ。  ぶぁっーーと、かまどから洩れ出したような熱風が吹きつけ、一瞬意識が遠のきかける。  翼で宙を(あお)ぎ、『青年』がくつくつと笑った。 「見ての通り厄介な性分(しょうぶん)での。派手に炎を出すのァいいが、それ相応の老いぼれ姿になっちまう」 「ッ……たら、すっこんで茶でも飲んでろ……!」 「ほ、言うのぉ」  猛禽の脚が角度をつけて押し込まれた。 「がッ……!」 「ナニ、よそから火をくべりゃあ()()になんのサ。そうサの、街ひとつ()しゃあ釣りが来る」  ひぃ、と、遠巻きにしていたやじ馬たちがおののく。 『青年』がウィザに視線を戻した。 「来るが、それよりお前ぃを持ち歩いた方が手間がねェと思ってよ」 「人をマッチみてえに……! っ、ぐ」 『青年』がウィザの口に指をねじ込んだ。 「使い捨てにされるかはお前ぃ次第サ。次の一声(ひとこえ)でわしに足し火をすりゃあ良し。無駄口(むだぐち)叩こうってンなら――――」  押し込まれた爪先がウィザの喉を(かす)った。 「はらわたを焼く」 「ッ……!」  ウィザは相手の指ごと歯を食いしばった。  視界の端で、イストの抱えた教典が(ほの)かに光っている。  辛うじて結界を維持しているようだが、術者(じゅつしゃ)が気絶すればがれきの中のソルは良くて生き埋め、悪くて蒸し焼きだろう。  何よりもソルを守ったままでは、イストが自分自身を守る呪文を使うことができない。  つ、とにじんだ汗が首筋を伝った。  噛まれた指から血が滴っているにも関わらず、『青年』は涼しい顔でウィザを眺めている。  ウィザは深く息を吸った。 「…………は」 「うん?」 『青年』が目を細める。  ウィザはその背後、積み上がったがれきの小山に狙いをつけた。 「はじけろ!!」 「ハッ!」  哄笑(こうしょう)と共に『青年』の翼が燃え上がった。渦を巻いた炎が腕を伝い、ウィザの喉へ向かう。   と同時に、爆発ががれきの小山を吹き飛ばした。 「ウィザ!!」  宙に漂うがれきの残骸(ざんがい)を斬り払い、ソルが地面を蹴る。と同時に、イストの結界が(ほころ)びるように解けた。  ソルの位置から『青年』に至るまで、直線で五歩。 「(――――いや、四歩半!)」  と、判断するまでに一歩。  二歩目の加速を殺さないまま、三歩目で上体をひねり、腰だめに構えた長剣をきつく握る。 「なっ!?」  ―――――ばざぁぁああっ!!  慌てて羽ばたいた『青年』の翼から大量の羽根がソルへ吹き付けた。   燃え盛る羽根と火の粉をもろともに射抜き、四歩目の勢いを乗せた切っ先が『青年』の背を貫く! 「が……………っ!」 『青年』がのけぞるように体勢を崩した。ウィザの唇に届きかけた炎がかき消える。  ソルは五歩目の着地と共に、剣先を鍔元(つばもと)まで押し込んだ。 「…………ッ!」 『青年』の体が強《こわ》ばり、一瞬の間を置いて弛緩(しかん)する。  ウィザが浮いた足の下から転がり出し、咳き込みながら体勢を立て直した。  ゆっくりと前に倒れた『青年』の体は魔物の摂理(せつり)に漏れず、そのまま砂になる。  はずだった。 「ーーーーくっ!?」  不意に『青年』の体が火柱を上げた。  伸び上がった炎に顔を炙られ、ソルが反射的に長剣を引く。  火柱は何も燃やさないままかき消え、一抱えほどの火の玉が地面に落ちた。 「くかかっ! ひとまずぁ痛み分けだのぉ!」 「あ!?」  内側から伸びた翼が火の玉を割り、赤毛の子供がぴょこんと飛び出す。  姿こそ子供だが、唐風の衣装と猛禽の手足、何より幼い顔に不釣り合いな老獪(ろうかい)さは『青年』の面影(おもかげ)を濃く残している。  ソルはとっさに長剣を横へ薙いだ。  それを跳びずさってかわし、『青年』がひよこのような羽根を広げる。 「こいつ……今の野郎か!?」 「明察(めいさつ)。仕切り直し、といきてぇところだが……」  不敵な笑みを浮かべた『青年』の眼差しが横へ滑った。  イストが熱の残る地面に手をつき、這うように立ち上がろうとしていた。 「続きぁ次にさせてもらうぜ!」 「逃がすか!」 「吹き飛べ!」  長剣の軌道と衝撃波が交差する。が、『青年』は一足早く上空へと飛び上がっていた。  つむじ風のような熱風を残し、『青年』の姿が彼方(かなた)に消える。 「追うか?」 「……火球なら届くだろうよ」  ウィザが苦々しく呻いた。  焼けて擦りきれた上着を押さえ、イストがよろよろと二人に近づく。 「ソル……! ……ウィザ!」 「よ」 「あの魔物は?」  ソルは首を横に振った。 「……いや、無事で何よりだよ。早く傷の手当をしなきゃ」 「お前の?」  イストがきょとんと目を瞬かせる。 「オレの治療じゃ不安かい?」 「そうじゃねえよ」  ウィザが拳の背をイストの腕に当てた。  誰のものともつかない苦笑が空気にとける。 「……悪り。ミスった」 「あ゛ぁ?」 「心臓いったと思ったけど、外したみてーだな」  ソルは長剣を納めた。刃にほのかな熱が残ってはいるが、なまくらになるような温度ではない。  ウィザが眉を寄せる。 「今のはしくじったってより、」  ごとん、と、こぶし大の石が足元に跳ねた。  元は崩れたがれきの一部だろう。  その出どころを不思議に思う間もなく、同じような石がソルたちの付近に飛んできては転がる。 「でーー出ていけ!!」 「ええっ!?」  イストが裏返った声を上げた。  やじ馬、いや、おそらくはこの辺りに住む住民たちが、ひとかたまりになってソルたちを睨んでいた。 「み、見てたぞ! そこの魔導師が最初に呪文を撃った! そのせいであいつは()りてきたんだ!」 「奴がまた来たらどうする!? 自分たちはもう街を出ていくから知ったこっちゃないってか!?」 「死人が出たのよ!」  布を被せられているのは最初の男の遺体だろう。後ろに固まる数名が(ささや)きあう。 「魔物相手とはいえ、後ろから刺すなんて……」 「所詮(しょせん)旅人なんざ素性(すじょう)の知れない(なが)(もの)だからな」 「そんな……! 待ってください、彼らだって今、危なく命を落としかけて……!」 「黙れ!」  バウンドした石がイストのすねを掠めた。 「行こーぜ」 「おう」 「あ、ま、待ってよ!」  ソルは住民たちに背を向けた。半歩後ろにウィザが続き、イストが小走りであとを追う。 「ウィザ、薬草いくつ持ってる?」 「10枚もねえな」  追い立てるように足元に小石が落ちる。  住民たちはまだ何かを叫んでいたが、追いかけてまで石をぶつけようという気概(きがい)はないらしい。 「っと」  ソルは角を曲がって足を止めた。  先ほどイストが手当てした少女が拳を握って仁王立(におうだ)ちしている。 「もー出てくぜ」  ソルは少女の横を通り過ぎようとした。  少女が勢いよく両腕を広げ、ゆっくりと曲がり角の奥を指す。  見れば、5、6人の住民が路地にひしめくようにしてソルたちをうかがっている。  見覚えのあるスリ騒動の女ーーーー少女の母親がきまり悪そうに手招きをした。 「手狭(てぜま)ですまないね」 「とんでもない! お心遣(こころづか)い感謝します」  イストが水の入ったボウルに指先を浸け、安堵の息を吐く。   この街に住んで長いという住民の家である。申告(しんこく)通り広くはないワンルームだが、どうにか十人近くが詰めて座るほどのスペースはある。  住民の一人がカーテンの外をのぞいてため息をついた。 「しばらく落ち着きそうにないな」 「早いところこの街を出たほうがいいだろう。……戦士さん、これを」  三人分の旅装(りょそう)マントが差し出された。  頭から腰までを覆うつくりになっており、首の部分は深めのフードになっている。 「この街の者ならみんな持ってる日除(ひよ)けだ。フードを被れば一目では顔が見えづらいだろう」 「どーも」  ソルはマントを受け取り、ひとまず横へ置いた。熱波の中で動き回った体はまだ熱を持っている。  ウィザもよほど堪えたのか、横になったまま、息止め競争のように洗面器に頭を()けていた。 「(ま、実際やばかったな)」  ソルは手桶を受け取り、自分のタオルを浸して頬に当てた。  (ねっ)した卵が固まるように、人の体を作るたんぱく質もまた、熱によって凝固(ぎょうこ)する。真っ先にダメージを受けるのは細い血管や神経の集中する脳だ。  そのため脳は異常な暑さを感知すると『体を動かすな』という指令を出し、運動による体温の上昇を抑えようとする。  だが、目の前に敵がいる状況では足かせ以外の何物でもない。  そして安静にしたとしても、体温を安全な(あたい)まで下げられなければ、先にあるのは死だ。  イストが冷えた手で額を押さえる。 「とんでもない魔物だったね……羽ばたくだけであんな熱風が起こるなら、雨雲なんて簡単に吹き散らされるよ」 「ああ、半年降ってねーんだっけ」 「では、ここ最近の異常は全てあの魔物のせいだったと……?」  住民たちが顔を見合わせる。 「……あたしは初めて見たわよ」 「おう、半年前に見かけてればすぐに退治を依頼してたさ。街の金が尽きる前ならなあ……!」 「かなり広い範囲を飛び回ってるのかな。以前に壊された貯水湖はどのあたりですか?」  イストがペンを片手に自分の地図に印を付ける。  ソルはそれを眺めつつ、タオルの冷たさに意識をやった。  疲労のせいだろう、耳の奥で空耳が蘇る。 ーーーー『なんのこったぇ?』 「あのぅ……」 「ん?」  住民の一人がおずおずとソルの隣を指差した。全員がそちらを見る。  ウィザが数分前と変わらない姿勢のまま、水の入った洗面器に突っ伏し続けている。 「ちょっ、ウィザ!?」  イストがウィザの襟首(えりくび)を掴み、勢いよく顔を上げさせた。  前髪から水を滴らせ、ウィザが面食らった顔で瞬きする。 「なんだよ」 「ううん………………立派な肺活量(はいかつりょう)だね」  イストがウィザの顔にタオルを押し付けた。 ■□■□  さて、場所は少々移動する。  ソルたちが体力を回復している頃、『青年』もまた自身の巣に戻っていた。  先ほどの町から山をいくつか越えた先ーーーー本来は氷として(たくわえ)えられるはずの雪解(ゆきど)け水が完全に溶け出し、巨大な空洞だけが残った洞窟。  そういった場所の一つである。  短い翼で着地した『青年』に数名の魔物が駆け寄った。   簡素な鎧をつけたデーモンやインプなど、いずれも下等の魔物である。 「お帰りなさいませ、フェルニクス様!」 「ナニサ、構いなさんな。てめえの大将でもねぇ相手に丁重(ていちょう)なこった」 「そのようなことは……!」 「おや、またその可愛らしい姿ですか、フェルニクス」 『青年』は(けん)のある顔で洞窟の奥を見た。  何十本もの帯状(おびじょう)の光が天井近くに集まり、巨大な(うず)を作っている。  その真下でひどく猫背の人影が立ち上がった。  細身の体を包み込むような銀髪は床まで伸びてなお余る。血管が透けるほど白い肌に対し、目元のくまは描きつけたように濃い。 「だから言ったでしょう。気まぐれに表を出歩くなんて時間と魔力の浪費(ろうひ)だと。脳無しのスライムでさえ二度やれば覚えますよ?」 「はぁン?」  ひっ、と周囲の魔物がざわついた。  しかし銀髪は怯まない。いずこからか漂ってきた光の帯を細い指で巻きとり、頭上の帯の塊に放る。 「今朝伝えましたよね。『同胞(どうほう)たちが東を攻めるから、煙の上がったときに合流を』と。あなたのために火を起こしてあげたのにどこをほっつき歩いて」 「大概(てぇげぇ)にしねェな、日陰育(ひかげそだ)ちのメドローム」 『青年』ーーフェルニクスが歯を見せた。 「魔王様は『この地を落とせ』と命じられただけで、お前ぃと組めたぁ一言も言ってねえ。(あご)で使われる覚えぁねえぜ」 「はっきり言って目障(めざわ)りなんですよ。次からはあなたを数には入れませんから、せめて不確定要素を加えないでもらえますか」  メドロームの頭上の光の帯が大きく軋んだ。フェルニクスが威嚇するように両の羽根を広げる。  たまらず何体かの魔物が割って入った。 「おやめください、メドローム様!」 「フェルニクス様も……! どうか、ここは我々にお慈悲を!」 「フン! 仲裁(ちゅうさい)まで部下頼みかえ」 「なんですって!?」 「メドローム様! なにとぞ……!」  ーーーーごぅっ!  一陣(いちじん)の熱風を残し、フェルニクスが洞窟の外へ飛び去る。  メドロームがきつく眉を寄せて息を吐いた。  壁際に控えていた小隊(しょうたい)が姿勢を正す。 「……失礼。報告中でしたね」 「はっ! ご命令通り、北の山道一帯を荒らして参りました! ……しかし、本当に村には手を出さなくてよろしいのですか?」  メドロームが愉悦(ゆえつ)を滲ませて微笑む。 「ええ。それで良いのですよ」 ■□■□ 「ーーーーで、その物資(ぶっし)用トンネル? を使や隣村(となりむら)に着くんだな?」 「多分な。北に向かう街道は山崩れで封鎖してるから、急ぐならこっちがいいだろうってさ」 「確かにこの辺りで野宿は落ち着かないよね……っと」  横倒しに倒れた枯れ木を越え、イストがふうと息をつく。  砂漠地帯を抜け、山沿いの街道に入ってそろそろ1時間といったところか。  ソルは先ほどの町で描いてもらった地図を眺めた。  季節によってはハイキングを楽しめるほど歩きやすい山らしいが、あたりには無数の落石(らくせき)や木の根が転がっている。 「そうだ、まだお礼を言ってなかったよね。財布を取り返してくれてありがとう」 「ん」 「……ふん」  ウィザが目元に垂れてきたフードを直した。  布一枚とはいえ、突き刺すような日射しはかなり楽になる。 「(もーワンサイズ小さけりゃ文句ねえんだけど)」   ソルは肩を震わせてだぶつきを調整した。 「あ」  と、落石で斜めになった立て札が目に入る。 「『この先物資トンネル、至ル北西ピオーニ村』……これだな」  携帯用のランプを灯し、一列になってトンネルへ入る。  (いわ)く、街道が整備されるより昔に、行商人の行き来のために掘られたものらしい。最低限の手入れはされているようだが、人通りのない通路特有の湿っぽさがある。 「狭ぇな……この幅じゃすれ違うのもやっとじゃねえか」  ウィザがクモの巣を払って呻く。 「狭いところ苦手かい?」 「……まあな」 「大聖堂(だいせいどう)も裏は狭くてさ。小さい頃はよく妹とかくれんぼしたよ」 「へえ」  ソルは背後の会話を聞きながら長剣に触れた。どう抜こうとしても壁に(ひじ)がぶつかる。  幸いにもそう長い通路ではないらしく、前方には丸い光が見えた。おそらくあと数メートルで外だろう。  と、目の前の光がふ、と陰る。  ――――ふわわわわわんっ!!  鼓膜(こまく)がかゆくなるような羽音の群れが正面からソルたちにぶつかった。 「なんだなんだなんだぁぁぁっ!?」  イストの悲鳴が反響し、跳ねたランプの灯りに(きり)のような影が映し出される。  ばちばちばちっ、と、無数の何かがフード越しに体にぶつかる。 「ッ、この……!!」 「え」  背後で呪文の気配が膨れ上がる。  ソルは即座に地面を蹴り、羽音の群れを突っ切ってトンネルの外へ飛び出した。  そのすぐあとを追うようにウィザの呪文が炸裂(さくれつ)する! 「火炎よ!!」 「ぎゃぁぁああ!」  通路の中から炎が吹き出し、イストが悲鳴と共に転がり出た。  それでもとっさに結界呪文を唱えていたらしい。どさ、と尻もちをついた瞬間、イストの体を包んでいた障壁が消える。 「あっつつ……! 今の、なんだい!?」 「ウワサの毒バチみてーだな」  ソルは足元に散らばる死骸(しがい)の群れを見た。  一体の大きさは1センチ半ほどか。小指の爪程の針を持つ魔物が2、30匹、黒焦げになって息絶えている。1匹や2匹ならともかく、手間取(てまど)れば確実に刺されていただろう。  その見本のように、数歩先で大柄(おおがら)な男が気絶している。  ソルは今飛び出したトンネルを振り返った。  出口すぐの天井付近に、スイカほどのハチの巣がぶら下がっている。もしこちら側から来ていれば入る前にきびすを返しただろう。  今の炎が当たったのか、燃えたまま巣に戻った毒バチがいたのか、巣はパチパチと音を立てて火だるまになっている。  遅れてトンネルから出ようとしたウィザの前に、自重を支えきれなくなったそれが落下した。 「うおっ!?」  ウィザが数歩後ろへ飛び退いた。  十数匹のハチが巣から飛び出し、空中で真っ二つになって落ちる。  ソルは長剣を鞘へ戻した。 「うぇぇ……こんなもん放っておくなよ」 「マジで最低の手入れだな」 「こっちも気にかけてよ!」  イストが倒れている男を抱き起こした。  丸太ほどある二の腕の脈を計り、苦心の末、あお向けにひっくり返す。 「祝福を」  かざした手のひらから柔らかな光が広がり、男の顔色に少し血の気が戻った。 「毒は消したけど刺されてる箇所が多いね。よいっ……しょ」  イストが男の肩を(かつ)ぎ、ふらつきながら立ち上がる。  ソルは下草の()い茂る山道に足を向けた。見た目は獣道(けものみち)だが、目をこらすと人が作った道の跡がある。 「……ちょ、ちょっと待ってソル、置いてかないで……」 「ん?」 「…………手を貸してほしいな」  ソルは道を戻り、イストの逆側に回って男の背を掴んだ。  幸い目指す村は遠くない。  それでも気絶した人間を抱えての移動はゆっくりとしたものになり、村に着いた時には日が沈みかけていた。  畑沿いに家が並んでいるが、明かりのついている家はその半分ほどだ。観光地とは程遠い農村である。  と、農具を担いだ中年の男がソルたちに駆け寄ってきた。 「グレッグ!? グレッグじゃないのか!!」 「わわっ」  担いだ男の腕を掴まれ、イストがバランスを崩しかける。 「たまに来る行商人(ぎょうしょうにん)だよ。魔物にやられたのかい!?」 「……おそらくは」   男が両手で頭を抱える。 「ああ……! なんてこった、神父さまに続いてこの人まで……!」 「落ち着け、まだ死んでねえよ」  ウィザがため息をついた。 「毒は治療しました。どこか休めるところはありませんか?」 「ううん……!? 参ったな、この村に宿はないし……俺のベッドじゃこの人には小さすぎる……」 「あそこは?」  ソルは村のすみに見える教会を指した。  男がもごもごと口ごもる。 「あそこは……その、ダメってことはないが、しばらく前に神父さまが亡くなって、みんな気味悪がっちまって……」 「つまり無人なんだな?」 「すみません、一晩お借りします」  ソルたちは足早に教会に向かった。  町の食堂より少し大きいか、という程度の礼拝堂(れいはいどう)である。  入口の扉は押すだけであっさりと開いた。 「不用心だな」 「そういう慣例(かんれい)だからね」  イストが苦笑する。  中はいわゆる『教会』のレイアウトに漏れず、正面に祭壇(さいだん)、十数個の長椅子が二列に並んでいる。  「くそ、こっちは施錠してるか」  ウィザが奥へ続くドアをひねって苦い顔をした。 「イスト、とりあえず下ろせ。いい加減もたねえだろ」 「そうだね。ソル、机の裏を見てみて」 「裏?」  ソルは祭壇の前にある机をのぞきこんだ。内側に打たれた(くぎ)にカギが引っかけてある。 「おおっ」 「そういう慣例だからねえ」  イストが遠い目で聖印を切った。  ドアを開けた左手には物置ほどの小部屋があった。家具はテーブルと椅子のみで、壁の一面がカーテンで仕切られている。恐らく懺悔室(ざんげしつ)の神父(がわ)だろう。  廊下を挟んで右側に家具一式の揃った部屋がある。どうやらここが神父用の私室らしい。  一つしかないベッドに大柄な男を寝かせ、イストが深く息を吐いた。 「んじゃ、寝る支度(したく)しようぜ」 「えっ?」  ソルとウィザは礼拝堂へ戻り、長椅子(ながいす)を端に寄せた。  そう時間はかからず、三人が足を伸ばして座れる程度のスペースができる。 「全部どけるか?」 「扉側の列は壁代わりでいいんじゃねえ?」  イストが感嘆(かんたん)と脱力の混じったため息をついた。 「あとで戻すんだよ」 「わかってるわかってる」  手の届く位置に荷物を置き、簡単な夕食を済ませる。  野宿というわけではないが、一人は起きていた方がいたほうがいいだろう。  くじ引きで見張りの順番を決めて数時間、あるいは数十分が経ったころ。 「ーーーー……」  ソルは何かが動く気配を感じて片目を開けた。  携帯ランプの淡い灯りが目に(まぶ)しい。  はす向かいに座るイストが床に落ちた便(びん)せんに手を伸ばしたところだった。 「ごめん、起こしたかい?」 「……や」  ソルは長剣を掴んだ指を緩めた。  イストが苦笑する。 「そんな格好で眠れる?」 「外ならこんなもんだよ」  ソルは椅子の足にもたれたまま肩をすくめた。あぐらに近い姿勢で片膝を立て、長剣を抱えるように肩に立て掛ける。  時刻は日付の変わる少し前といったところか。  傍らではウィザがショールを目元までかけて横になっている。  揺れる灯りが三人を照らし、壁にいびつな影を映していた。 「……彼、起きてこないね」 「基本朝まで寝てるからな」 「行商人の彼だよ」  イストが苦笑した。 「できるだけの手当てはしたから、早めにお医者にかかれればいいんだけと」  イストが手元の便せんを折り畳んだ。1通は教会の紋章(もんしょう)つきの封筒に、もう1通は淡い花柄の封筒に入れて封をする。  膝の上に残った便せんには奇妙な計算式が描かれていた。 「何語だ……?」 「……ああ、術式を組み直してたんだ。結界呪文の強度は落とせないから、範囲を変えて長持ちさせようと思って」  イストが手元の紙をソルに向けた。  数式に似た計算式に、現代語ではない文字が代入されている。 「悪り、全然わかんねー」  イストがペンの尻で式をなぞる。 「結界呪文はね、強度(きょうど)と範囲次第で必要な魔力の量が変わるんだ。カバーする面積を小さくすれば、強度を変えずに長い時間維持していられるようになる」 「どれくらい?」 「削った面積の展開にかかる時間と同じくらいかな」 「ふー……んぇ?」 「術者のコンディションにもよるけどね。展開中に消費される魔力を節約すれば維持時間は増える。ただ、途中で衝撃を受けると構成(こうせい)が切れるデメリットが」 「ちょ、悪り、マジでわかんねー」  と、扉をノックする音がした。 「誰だろう?」 「見てくる」  ソルは立ち上がった。  他にも家はあるはずだが、窓の外は(すみ)を塗りつけたように暗い。  片手で長剣を握り、細く扉を開ける。 「よかった、無事だね」  夕方、村に入ってすぐ話した男が立っていた。もう農具は持っていない代わりに、タオルにくるんだポットを抱えている。 「うちのかみさんからだよ」 「どーも」 「ソル? 誰だった?」  ソルは半歩体を引いた。男がイストを見て会釈(えしゃく)する。 「さっきは慌てちまって悪かったね」 「いいけど。フツー代わりの神父が来るもんじゃねえ?」  室内の灯りが揺れて男の胴を照らした。イストがランプを持ち上げたのだろう。 「いや……その」 「?」 「実は、前の神父さまは魔物に殺されちまって……だからかな、聖都からも連絡が来ないんだ」 「そー言やふもとでそんな話聞いたな」  聖都に連絡がつかないのは別の理由だろうが、ここで説明しても長くなるだろう。  男が妙に熱をこめて頷く。 「あんたらには見慣れた事件かもしれないが、どうにも気味が悪くてなぁ……! だってよ、教会って言や神様のお膝元(ひざもと)だろ?」  ――――ぬらりっ、と。  男の背後で巨大なものが光った。  見上げたソルの視線を誘導するように、長身の影が片手に握ったものを振り上げる。 「なのに神父さまが襲われたのは、この教会の中なんだよ」  振り下ろされた刃が男の背を裂いた。  引き潰されたような悲鳴が洩れ、血しぶきが床に飛ぶ。 「ソル!?」 「来るな!」  ソルは長剣をかち上げ、影に鋼鉄(こうてつ)の鞘先を叩き込んだ。  深く考えているヒマはなかった。退がれば踏み込むスキを与える。  影が僅かに後ろへよろめいた刹那、ソルの背後で二人分の声が重なる! 「はじけろ!」 「英知(えいち)を!」  爆発が正面玄関ごと影を飲み込み、イストの手のひらに光の球が生まれる。  天井付近に飛び上がった光球(こうきゅう)は輝きを増し、昼間のように辺りを照らした。  土煙の向こうで人型の魔物が起き上がる。  身長はソルの2倍はあるだろうか。紫色の体躯(たいく)は全体的にひょろ長く、ところどころにこぶのような筋肉がついている。  顔の位置には刃物で線を引いたようないびつな目鼻がついており、(たま)の足りない数珠(じゅず)か、ひどく雑に作られた人形のようだった。 「ぅ……」  ソルはか細い呻き声を聞いてそちらを見た。  背中を斬られた男が這いずるように教会の奥へ逃げ込もうとしている。 「(生きてる?)」 「ーーーーソル、よそ見してんな!」  ウィザの一喝(いっかつ)が響いた。  怒号(どごう)のような雄叫(おたけび)びを上げて、魔物が再び突進してくる。  ソルは突き込まれた剣先を絡め取るように逸らし、相手の刃を受け流すように長剣の鞘を払った。  しかし、魔物もそれを予想していたのか、下半身のバネを使って刃を(ひるが)す。  ―――――ぎっ! ぎぃん! ぎぎぎぎっ!!  刃物同士がぶつかる耳障りな音が響く。  よく見れば魔物の持っている武器はひどいものだった。柄の形から辛うじて剣だとは分かるものの、刀身は色がわからないほど()びており、とどめに中央から折れている。  まともに食らえば骨の数本は折れるかもしれないが、切れ味は無いに等しいだろう。  交差した刃を押し付けるように、魔物が一気に間合いを詰める。  ソルはあえてその勢いに逆らわず、床を蹴って後方へと跳んだ。  再び床をとらえた、はずのかかとが何かにつまづく。 「っ!?」  うずくまる男の背に足を取られ、ソルの体がのけ反るように傾く。床から両足が離れた状態では、しのぐにも斬りつけるにも踏み込みが効かない。  そのスキを見過ごすわけもなく、魔物が剣を振り下ろす! 「加護を!」  空中に現れた障壁が上段からの一撃を受け止めた。  床に背を打ったソルが跳ね起きるよりも早く、魔物が鋭くイストを睨む。 「貫け!」  圧縮した衝撃波が魔物のすねを打ち抜いた。  魔物が大きく前方へつんのめり、地響きを立てて片膝をつく。  ――――っるぐぉおおおおおお!!  空気を震わせるような咆哮を上げ、魔物が体ごと両腕を振り回した。  とっさに構えた長剣の表面を削り取るように剣が行き過ぎ、這いつくばる男のすぐ上を空振りしてイストへ向かう。  しかし、明らかに目測(もくそく)を誤ったそれは、イストが身をかわしたこともあり、上着の肩口を少し掠めて長椅子を叩き割った。 「――――っ、かはッ!?」  直後、イストの胴体に袈裟がけの傷が走り、噴き出した鮮血(せんけつ)が床を染める。 「な!?」  ウィザが横合いからイストの襟を掴み、引き倒すようにかっさらった。返す刃がローブを掠めるが、血が吹き出すようなことはない。  ウィザが床のショールを掴んで傷を押さえる。 「イスト! おい、イスト!!」  返事はない。辛うじて意識はあるようだが、上向いた喉からはか(ぼそ)い呼吸が洩れるだけだ。  床を踏み鳴らして距離を詰める魔物に、ウィザが舌打ちとともに手のひらをかざす。 「吹き飛べ!」   魔物が両腕を交差させて衝撃波をこらえる。  ソルは砕けた長椅子を踏み台に魔物の背に跳び、無防備な肩口(かたぐち)に長剣を突き立てた。  ――――しゅぽっ、と、スポンジでも切ったような手応えを残し、魔物の腕があっさりと胴から離れる。 「あ……!?」  切り離された腕は煙のように消え、握っていた剣だけが空中に残る。  それを逆の腕で掴み取り、魔物が振り向きざまに背後を一閃する! 「――――っ!」  腕を(しび)れさせるような衝撃が長剣を通り抜けた。  受け止めるには威力が強すぎる。しかしヘタに刃を交えれば、折れるのはこちらの武器だろう。 「え……!?」  ソルは魔物の手元を見てぎょっとした。  折れた刀身の輪郭を縁取(ふちど)るように、一回り大きな光の刃が伸びている。  飛びのいたソルの鼻先を剣が行き過ぎるが、光の刃は前髪どころか、砂ぼこりを揺らすこともない。 「(生き物……? や、魔力を斬る剣か?)」  錆びた切っ先が数秒の差で目の前に迫る。  ソルは思考を中断してさらに後方へ跳んだ。抜き身の長剣を鞘に納め、着地と同時に抜き打ちを放てるように構える。  しかし魔物はソルに背を向け、再びウィザの方へ走った。 「しまっ……!」  慌てて放った一閃は僅かに届かない。  止血に気を取られているウィザをめがけ、魔物が剣を振りかぶる。 「………ち、びきを…!」  ――――こうっ!  立ち上った光の柱が魔物を飲み込んだ。  自らの魔力全てを使ってアンデッドやゾンビを土に(かえ)す、神官の切り札・浄化(じょうか)呪文である。  イストが何度か咳き込み、薄い胸を上下させた。 「イスト!」 「ッのバカ、回復呪文が先だろうが!」 「……はは…。怒鳴ら、ないでよ……怖いなぁ…」  ソルはイストとウィザに駆け寄った。  その背後で光の柱が()(ぷた)つに割れる。 「は……?」  ――――ッるぐォおおおおおお!!  ソルとウィザは左右に飛び退()いた。  その中央を割るように、折れた刀身が床にめり込む。  と同時に、ウィザが抱えているイストの腕に、切っ先で引っ掻いたような裂傷(れっしょう)が走った。 「あ……っ!」  うずくまったイストの手から教典が滑り落ちる。  おそらくは反射的にだろう、手を伸ばしかけたイストを、ウィザが悪態と共に引き戻した。  空振りした光の刃が教典を裂く。  ソルは目をみはった。  厚紙で幾重(いくえ)にも補強された表紙が破け、何枚かのページが外れて床を滑る。 「ウィザ。イスト連れて外出てろ」 「あ゛ぁ?」  ソルは二人を背に長剣を構えた。 「わかんねーけどヤバいんだよ」  祝福(しゅくふく)を受けた水は魔物よけの効果を持ち、聖職者は日々の修行によって(しゅ)の加護を得る。  だが 『聖なるもの』が魔物に力を発揮するように、『聖なるものを斬る何か』がこの光の刃だとすれば、イストにとっては最悪の相手である。  ソルは細く息を吐いた。  浄化呪文に飲み込まれたにもかかわらず、魔物に消耗した様子はない。  それどころか斬り落としたはずの腕で剣を構え、まっすぐにソルへと突進してくる! 「(もしこいつがイストを叩くつもりなら――――)」  ソルは靴底を床につけたまま、すり足のように体重を移動させた。 「(途中で軌道をずらして、邪魔なヤツは体当たりで弾く!)」  その思考を読んだかのように、光の刃がソルの横を行き過ぎた。  と同時にソルは同じ方向へ跳び、魔物の親指を斬り飛ばした。  無論これが痛手(いたで)になるかは分からない。だが確実に武器を持てなくすることはできる。  勢いよく振った剣が魔物の手からすっぽ抜け、天井に突き刺さる。 「火炎よ!」  カウンターの形で放たれた火柱が魔物の体を呑み込んだ。  ウィザが息をつく。 「あとは医者だな。交代で担ぎゃ下山できるか?」 「………………。無理はしないでね……」 「どういう意味だてめえ!」  ふつっ…………と、蜃気楼(しんきろう)のように魔物の体が消えた。  ぎし。  ぎし。  ぎし。  と、(かす)かな音が続く。  ソルとウィザは音の方向を見上げた。  虚空に現れた手が剣の柄を掴み、前後に揺らしながら天井から引き抜く。  ソルはウィザを突き飛ばして飛び退いた。   落下の勢いが乗った一撃が床を抉る。 「ーーーーっく!」  三度(みたび)現れた魔物は先程と同じく、傷一つない姿をしている。  対して、イストの出血は未だにショールを染めており、素人目(しろうとめ)にもこれ以上動かすのは危険だ。  突き込まれた切っ先をかわし、次ぐ横薙ぎを長椅子を盾にしのぐ。  破片と粉塵(ふんじん)が視界に立ち込めた。  死角から振り上げられた一撃に、一瞬、ソルの判断が遅れる。 「火炎よ!!」  火柱がソルの頭ごしに魔物の腕を飲み込んだ。  おそらくは先程のソルと同じく、剣を握る手を攻撃して時間を稼ぐつもりだったのだろう。  ――――ゥ……ォォオ……!  魔物の顔が苦悶(くもん)に歪み、目に見えて動きが鈍くなる。 「!」  ソルは床を蹴り、魔物の手首を横薙ぎに斬り飛ばした。  体から離れた手は例のごとくかき消え、赤く焼けた剣が落下する。  ソルはすぐさま鋼鉄の鞘へ持ちかえ、錆びた刀身を打ちすえた! 「ウィザ!」 「吹き飛べ!」  もともと折れていた刀身が鞘の一撃でく字型に曲がり、衝撃波によって柄からねじ切れる。  ピントがぼやけるように魔物の姿が薄れーーーーそれきり、ソルたちの前に現れることはなかった。 ■□■□ 「……北の山の同胞が倒されたようです」  細い光の帯が宙を漂う。  メドロームがそれを捕まえ、指で絡めるように巻き取った。 「……聖職者殺しの妖刀(ようとう)も、本体を知られれば脆いものですね」 「では、すぐに北に向かい、目ぼしい者を血祭りに……!」 「待ちなさい」  メドロームは手元に目を凝らした。  目が痛くなるほど細かい光の文字が絡み合い、ひとかたまりとなって帯の形を作っている。 「最後の一撃は剣での殴打(おうだ)……直前に呪文の炎にも焼かれたようです。戦士、あるいは剣士と魔導師のいる群れでしょう」 「あ、あの……失礼ながら、なぜそんなことが?」 「私には読めるのですよ。我が同胞たちの死の間際の記録が。そこから推測すれば、各地での出来事など手に取るようにわかります」  メドロームが両手を広げた。 「毒バチたちの最期は、結界に(はば)まれた直後の火炎呪文。距離と時間からして同じ相手でしょう。女の力であの剣を折るのは不可能ですから、剣士、または戦士は男のはずです」 「おお……!」 「ちィと()けてくれ」  小柄な影が魔物たちの腰辺りをかき分ける。  メドロームはそちらを見て鼻にしわを寄せた。が、何もなかったように別方向を見る。 「あの妖刀と出会った以上、しばらく聖職者は使い物にならないでしょう。欠けた戦力で山を降りようとする人間は、決まって一番近いロッジを目的地にする」 「そのボロ小屋なら燃したぜ」 「ッなんですって!?」  魔物たちがどよめきながら左右に分かれた。  空いた通路の真ん中でフェルニクスが肩をすくめる。子供の姿ではないが、青年と呼ぶべき姿でもない。  和毛(にこげ)の残る翼と二本の尾羽(おばね)が鮮やかなオレンジに燃えている。  外見年齢は12.、3才といったところか。 「たき木にゃシケてたが、ひよこ羽根じゃ見栄えが悪ぃんでの」 「どこまで勝手をすれば! あのロッジは、死に(ぞこ)ないを始末するための布石(ふせき)なんですよ!」 「ハ! あんな()()てに誰が寄り付くかい」 「……ッ……!」  メドロームがぶるぶると肩を震わせた。手元の光が針のような直線に形を変える。 「こォのッ!!」 「おっと」 「ギャア!」  投げつけた光線がフェルニクスの翼を掠め、その後ろにいた魔物の眉間(みけん)を貫いた。  フェルニクスが勢いよく翼を開き、打ち出された火の玉の群れがメドロームの髪を数束(すうたば)焼き切る。 「ぐわぁっ!」 「ひいい!!」  巻き添えを食らった魔物が悲鳴を残して灰と化した。  だが両名は互いから目を離さない。 「燃やす相手ぁたんといるぜ。(ひと)部隊全滅が望みかえ?」 「お好きに。命を落とした魔物の数だけ、私の武器が増えることもご存じですよね?」  頭上の渦からいくつもの光の帯が降り、メドロームの腕に巻き付く。フェルニクスが口の両端を吊り上げて構えをとる。 「お、お二人とも落ち着いて……!」 「もうよせ、巻き込まれるぞ!」  光線と炎が交差し、決して狭くはない洞窟の壁に穴を開ける。  飛び散る火の粉がフェルニクスの顔にかかり、三十路を過ぎつつあった顔立ちを僅かに若返らせる。  流れ弾を食らって倒れた魔物の体から光の帯が現れ、メドロームの手元に吸い寄せられていく。 「あと何発打てるんです? 同胞たちを焼き尽くしたところで、その頃にはあなたも老いぼれでしょう!」 「くかか、そンときゃあ生まれ直すだけよ! お前ぃこそわしを仕留(しと)める策があンのかえ?」 「うるッさいですよ!!」  一際(ひときわ)勢いの乗った光線の束が天井を撃ち抜いた。  ばらばらと土ぼこりと砂が落ちる。 「っと………」  フェルニクスが猛禽の指をかざしたまま眉間を寄せる。関節には深いしわが浮き出し始めていた。 「はぁ、はあっ……!」  メドロームが片膝をついて息を乱す。  数体の魔物がその背にすがった。 「メドロームさま! これ以上の損害は作戦に響きます!」 「いいえ、今日こそは許しませんよフェルニクスゥ……! 来なさい、その手羽(てば)を裂いて天井から吊ってやります!」 「ほ、達者(たっしゃ)に動く舌だの。火種が手に入りゃ、余分(よぶん)の体は()してやッからそう思いねェ!」 「負け惜しみを!」  メドロームが手に残った光線を投げつける。  それをかわし、フェルニクスが壁の穴から飛び去った。  半分ほどに減った帯の群れがぼんやりと洞窟内を照らす。 「………火種……ですって……?」   メドロームが荒い息のまま呟く。  ややあって、こわばった口元が三日月型に釣り上がった。 ■□■□ 「なんだコレ」  ソルは半眼(はんがん)で呻いた。  地図上ではロッジが建っているはずだが、目の前にあるのは炭と化した残骸だけだ。 「派手に燃えてる割に火が広がってねえ。ただのボヤじゃねえな」  ウィザが焼け跡を睨んだ。  付近の木々はほとんどが立ち枯れており、マッチからでも大規模な山火事に発展するだろう。  しかし、魔力による炎は火力こそすさまじいが、数分と保たずに消えるという特徴がある。 「離れた方がよさそーだな」  ソルは後方を振り返った。  山道に戻る少し手前で、イストが枯れ木に背中を預けている。 「もーちょい休むか」 「……ん、大丈夫だよ。キミが心配してくれるなんて雨でも降りそうだ」 「茶化(ちゃか)してんじゃねえよ」  ウィザが目つきをきつくした。 「あの商人が血止めの薬を持ってなきゃ、最悪失血死(しっけつし)もあったんだぞ」  胴を(なな)めに横切った斬り傷は、きわどいところで大きな血管を外れていた。  現在はその傷も回復呪文で処置してあるが、流れ出た血液までは補充できない。 「ふもとまで下りりゃでかい休憩所があるみてーだけど」 「地図貸せ」 「ん」  ソルは歩きながら物入れを開いた。  昨日の村もまた、日照りによる悪循環(あくじゅんかん)渦中(かちゅう)にあった。医学や回復呪文の心得があるものはおらず、備蓄(びちく)してある食べ物は村人の分で精一杯だという。  せめてもの心付けに、と渡された麦パンをかじり、無言のまま袋に戻す。 「いっそさっさと野宿しねえか? 下山には回り道になるが、こう……」  ウィザが地図をなぞった。  現在地から西に逸れた場所に小高い丘がある。  例によって砂山になっているだろうが、山の中で夜を迎えるよりも安全なのは明らかだ。  誰の目にも、明らかだ。  ソルは地図をたたんだ。 「ふもとまで突っ切るぞ」 「あ゛ぁ? 正気か?」 「正直(まい)ってるけど、」  ソルは額を拭った。日差しをしのぐためとはいえ、体全体を包む布はなかなかに蒸す。  視界を遮る片手の陰で何かが跳ねた。 「ッ!?」  ソルは長剣に手をかけた。  ウィザが弾かれたように同じ方向を見る。  比較的見通しのいい山道である。もとは川沿いの林道だったのか、枯れ木と流砂(りゅうさ)がどことなく景色の面影を残している。 「……気のせいか?」 「いや、何かいるぜ」  ウィザが油断なく視線を配る。  イストが細く息を吐いて教典を開いた。  肌がひりつくような気配が徐々に濃くなり、突き刺すような殺気に変わる。 「――――下だ!」  飛び退いた三人の影を掠め、二十あまりの魚の群れが飛び上がった。  一匹のサイズは大人の足程度か。鋭利な歯をがちがちと鳴らし、空振(からぶ)りを食らった魚たちが地面に消える。 「地中魚(ちちゅうぎょ)か……!」  土の中を自在に泳ぎ回る魔物の一種で、群れで狩りをする習性がある。  石畳(いしだたみ)や板の上に避難するのがよいとされているが、あたりは一面の荒れ地だ。  ソルは小脇から飛び込んできた一匹を叩き斬った。 「はじけろ!」  爆発が地面を(えぐ)って土の中の群れを吹き飛ばした。  その土煙を裂き、新たな地中魚たちがウィザを狙って飛び出す。 「加護を!」  半円状の障壁が広がり、弾丸のように突っ込んできた四、五匹を弾き返した。  と同時に、障壁が空気に溶けるように消滅する。 「イスト、無理すんな!」  イストが血の気の薄い顔で片手を上げた。その肩をかつぎ、ウィザがソルを見る。  ソルは付近を見渡した。  左には元来た道、右には西の丘へ伸びる細道が伸びている。そして振り返れば、ふもとへ続く下り坂が続いていた。  地中魚の群れを撒くのは少々手間だが、『最善の手を選ぶなら』ウィザの考えに乗るのが妥当だ。  ケガ人を抱えての下山はこちらまで体力を消耗する。さらに安易(あんい)で確実な解決法は、『ここでイストを放り出して地中魚を引き離す』だろう。 「(つっても一応、色々借りがあるしな)」  すでに癒えた腹の傷がうずいた。ような気がした。 「急ぐぜ」 「あ゛ぁ!? だからどういう、」 「あとで話す」  ウィザが(きょ)を突かれたような顔をした。  ソルはむずがゆい感覚をこらえてその顔を見つめ返した。 「あとで全部言うから。下まで走ってくれ」 「いいよ」  返事をしたのはイストだった。ウィザとソルの顔をそれぞれに見て、とりなすように笑う。 「オレは大丈夫だよ、ウィザ。ソルも考えがあって言ってるんだろう?」  ソルは言葉を選びかねてウィザを見た。  ウィザが短く息を吐く。 「……わぁったよ」 「サンキュ」  交差した視線がどちらからともなく逸れた。  険悪と呼ぶような空気ではないが、何事もなかったかのように仕切り直すには座りが悪い。  そのズレを嗅ぎ付けたように、再び地中魚の群れが地面から飛び出した。 「火炎よ!」  火柱が魚群(ぎょぐん)の渦を撃ち抜き、翻った長剣がこぼれた地中魚たちを不揃(ふぞろ)いに一閃する。 「イスト、先に行け。しんがりは無理があんだろ」  ウィザが波打つ地面を油断なく睨む。イストが頷き、危うい足取りで(くだ)り坂に足を向けた。 「あと何回いける?」 「結界なら二、三回かな。……ごめん、強度は期待しないで」 「りょーかい」  ソルはイストを追い抜いて先頭を走った。  今のイストに全力疾走は無理だろう。が、ある妄想じみた予感が足を急がせる。  追ってくる地中魚の群れを何度も焼き払い、時に斬り飛ばし、山道を下る。  その背中を焚きつけるように、ソルたちに熱風が吹き付けた。 「よう火種ぇ。厄介(やっけ)ぇモンに追われてンな」 「っ、てめえ!」  ウィザが警戒をあらわにして身構える。  昨日の『青年』――フェルニクスが行く手を塞ぐように地面に降り立った。  あの子供の姿からなにがあったのか、今の見た目は初老に差し掛かる手前といったところだ。  フェルニクスが景色を透かすように地中魚の群れを見る。  遠目になる程度引き離しているとは言え、立ち止まっていては数秒のうちに追いつかれる。 「奴らぁしつこいぜ。狩ると決めたが最後、千でも万でも集まりやがる」 「とぼけやがって……! てめえがけしかけたんじゃねえのか」 「庭の池だぜ? 呼びもしねェのに沸くボウフラどもよ」  ばざっ! と、フェルニクスが翼を広げた。毛羽だった羽根にぽつぽつと炎が灯り、かげろうのような揺らめきを生む。 「ちィと腹に()えかねる野郎がいての。わしと来るなら、あのボウフラどもは焼き殺してやろうサ」 「……二度目だぜ」 「三度は言わねェ」  フェルニクスの笑みが尖った気配をはらむ。  ウィザが油断なくその瞳を睨み返す。  イストが肘でソルの腕をつついた。  後ろからは次の魚群が迫っており、このままいけばはさみうちになるだろう。  ソルは長剣に手をかけてウィザの横へ踏み出した。 「ウィザ、一応聞くけど行く気は」 「ねェよ」 「だってさ」 「……通訳ァ要らねえぜ」  羽根のひとつひとつに灯る炎が翼全体に広がり、大きな炎となって燃え上がった。  と同時に、死角にいたイストが呪文の詠唱を終える! 「英知を!」  イストの投げつけた光球が強烈な閃光を放ち、あたりを白く塗りつぶす。    瞬間、ソルはウィザの目を覆って横の斜面へ飛び込んでいた。 「うおおおお!?」  目を押さえたフェルニクスに、同じく目標を見失った地中魚の群れが突っ込んだ。  昨夜使った照明の呪文だが、呪文の内容を書き換えれば、維持時間と引き換えに光量を増やすこともできる。  最大光量を直視すれば、しばらくは目が利かないだろう。  ソルは数メートルの坂道を滑り降りてウィザを降ろした。少し遅れて、イストも二人のあとに追いつく。 「お前つくづくあーゆーのにモテんな」 「代わってやろうか?」 「考えとく」  ソルは下りの方向に顔を向けた。  ばぢぃ、と耳がかゆくなるような音がして、あたりが赤い光に照らされる。 「えっ?」  一陣の閃光が数歩横の木を貫いていた。  乾燥した木肌(きはだ)は一瞬で黒く変色し、帯電するように火花を散らす。  ソルとウィザはぎょっとして呪文の出どころを振り仰いだ。  デーモン、あるいはインプだろうか、簡素な鎧をつけた魔物の群れが頭上を固めている。 「…………誰?」 「見つけたぞ!」  思わず洩れた声をかき消し、大量の攻撃呪文が上から降り注ぐ。 「ンだよ次から次へと!」  ウィザが舌打ちとともに吐き捨てる。 「はじけろ!」  沸き起こった爆発が隊列をまとめて吹き飛ばした。  辛うじてかわしたうちの一体が、ウィザ目がけて手持ちの槍を振りかぶる。  しかし、横から飛び込んできた火の玉がその魔物を飲み込んだ。 「っぐぁぁぁあ!」 「わしの火種をかっさらおうたぁ、どういう了見(りょうけん)だぇ?」  くらんだままの片目を押さえ、フェルニクスが殺気をむき出しに下草を踏み分ける。燃え盛るほどの勢いはないが、足元の草は見る見るうちに炭の色に変わっていく。  あれほどいた地中魚たちの姿がない。代わりに、黒ずんだ灰が鮮やかな衣服の裾にまとわりついていた。  魔物の群れが怯えたように顔を見合わせた。 「ーーーー吹き飛べ!!」  扇状の衝撃波がその一帯を薙ぎ払った。  不意をつかれたフェルニクスが数歩よろめき、魔物たちは宙でぶつかりあって地面に転がる。 「さっすが」 「任せろ」 「逃げるよ!」  ソルはウィザとイストを先に行かせてしんがりについた。  戦士や格闘家は前に出るのがセオリーだが、後ろから敵が迫ってくるなら配置は逆だ。 「向こうだ、追え!」 「ッ火種ぇ!!」  ソルは頭上から突き込まれた穂先を打ち払った。  フォークのような()(また)の槍を構え、二体の魔物が交差するように急降下する。 「火炎よ!」  斜めに伸びた火柱が二体をまとめて飲み込んだ。 「しめた!」  フェルニクスが歓声を上げて火柱に飛び込んだ。炎をくぐり抜けた羽が鮮やかに色を取り戻し、しおれていた尾羽が枝葉の伸びるように膨らむ。 「くかかっ!」  勢いの乗った羽ばたきが魔物を四、五体まとめて消し飛ばした。  フェルニクスがソルの上を越え、ウィザへ手を伸ばす。  ソルは鉄製の鞘を腰から引き抜き、フェルニクスの顎を垂直に突き上げた。 「ご…………っ!!」  のけぞるように空中へ逃れ、フェルニクスが顎を押さえる。 「こッ……のォ……!」 「吹き飛べ!」  直線状に絞った衝撃波がフェルニクスの胴にめり込んだ。軌道上の枯れ木に縫い付けられるように吹き飛び、一抱え程の(みき)が音をたててへし折れる。 「直撃してようやくかよ……!」  ウィザが息を切らして呻いた。  残り僅かな魔物の群れが上空へ距離を取り、口々に呪文の詠唱を始める。  最初の攻撃呪文と同じものだとしても、人数分の威力と範囲はそれなりのものになる。  ソルは周りの斜面に目を凝らした。  数メートル先の枯れ木の根元に不自然な空洞がある。 「ウィザ!」  ソルが指差した先へ、ウィザが面食(めんく)らいつつも狙いをつける。  と同時に、頭上から大量の攻撃呪文が降り注ぐ! 「貫け!」  圧縮した衝撃波が木の根元を撃ち抜いた。這ってぎりぎり入れる程度だった空洞が広がり、支えを失った枯れ木が傾く。  ソルたちはそこへ飛び込んだ。  直後に枯れ木が倒れ、ほかの木々と折り重なるようにようにして入り口を塞ぐ。 「っ、と」  ソルは二メートルほど落下して腐葉土(ふようど)の上に着地した。  ほどなくしてウィザとイストも転がり込んでくる。  予想通り穴の持ち主の姿はない。  穴全体の三分の二ほどが地面の下にあり、三人が膝を折って潜めるほどの空間が広がっている。 「これ、なんだい?」 「(クマ)の巣」 「くっ……!?」  イストが青い顔で左右を見回した。 「見つけても近づくなって言われてたけど、冬眠の時期じゃねーから」 「誰に言われた?」 「……今する話じゃねーよ」  ソルは耳を澄ませた。  土の向こうで響いていた地響きが収まり、不鮮明(ふせんめい)な話し声が聞こえてくる。  攻撃呪文であらかたの枯れ木を吹き飛ばし、死体がないことに気づいたか。 「―――――! ……、……!!」  けたたましい怒号から察するに、フェルニクスが追い付いてきたらしい。言い争うような声と悲鳴、武器のぶつかる音が混じりあう。 「((つぶ)し合いが終わるまで待つ……にしても、あの鳥はヨユーで残るだろうな)」  元より熊の巣に籠城(ろうじょう)できるほどの強度はない。  ソルは日除けマントの襟元を緩めた。 「ウィザ、さっきの話だけど」 「あ゙ぁ?」 「てめえらよくも()らねえ手出しを!」  吠えると同時に放たれた火の玉が数体の魔物を灰にした。  フェルニクスがフゥフゥと息を切らす。 「どういうつもりか知らねえが、ここはわしに譲って(けぇ)ンな」 「それは……できません」 「はァン?」  魔物の群れが槍を構える。 「何をおいてもフェルニクスさまの『火種』を持ち帰れ、と、メドロームさまから仰せつかっています」 「あンの野郎……! てめえらも大した忠義モンだの」  フェルニクスがひきつった頬を吊り上げた。艶の()せかけた翼が振り絞るような火勢(かせい)を上げる。  魔物の群れがじりじりと間合いを詰める。  ひた、と、フェルニクスが一歩を踏み出す。  ーーーーよりも早く。 「はじけろ!」  土中からの爆発が魔物の群れを残らず飲み込んだ。大量に吹き上がった土煙(つちけむり)がフェルニクスにかかり、炎の勢いを削ぐ。  ソルたちは熊の巣穴から飛び出し、再び下山ルートに向かって走り抜けた。 「っは、ははッ! 火種ぇ!!」  土煙を羽ばたきでいなし、フェルニクスがそのあとを追う。 「あれ! 橋じゃないかい!?」 「急ぐぜ!」  本来は豊かな谷川だったのだろう、切り立った崖の間に細い吊り橋がかかっていた。大人が二人乗れば踏み抜けそうな足場の板に、砂嵐に擦れてすり減ったロープが嫌なきしみ方をしている。  幸い下は砂の海だが、落ちれば骨の数本はどうにかなるだろう。 「逃がすかぇ!」  炎を纏った大量の羽根が橋に吹き付ける。 「はじけろ!」  沸き起こった爆風が羽根の群れを押し返した。  その余波に耐えられなかったのか、あるはそもそもガタがきていたのか。  吊り橋を支える縄が音もなく切れ、斜めになった足場が空中でばらばらになる。 「な!?」 「加護を!」  水平に広がった障壁がイストを受け止めた。  しかし、万全(ばんぜん)でない状態で発動した結界は、術者一人分の体重でも大きくたわむ。  イストが奥歯を噛んで振り仰いだ。  逆光の中で鉄製の鞘が反射し、ローブがはためく。  二人が結界に着地するよりも早く、眼下の砂の海から巨大な地中魚が跳ね上がった。 「しまっ……!」  空中では身を翻す場所もない。  戸板ほどあるあぎとを目一杯開き、地中魚が人一人を丸のみにする。  閉じた牙の隙間からローブの裾がのぞいた。 「てめェ!」   伸びてきた火柱をかわし、地中魚が砂の中へ姿を消す。  フェルニクスが文字通り飛んでくる頃には、地中魚は完全に土の下へと逃れていた。 「これもあの野郎の()(がね)かぇ……! ――――っ、ぐぅっ!?」  振り抜かれた鉄の鞘がフェルニクスのこめかみを掠めた。  宙に張られた結界を足場に、次の一撃が振り下ろされる。 「ッ、このっ!」  フェルニクスが反射的に腕を振り上げた。  瞬間、イストが結界を解除する。   障壁の上にいた全員が短い距離を落下し、フェルニクスの手が空を掻いた。  その間にも、イストが次の呪文の詠唱を終える。 「戒めよ!」  放射状の稲妻(いなづま)が宙を走った。  大きく羽ばたいてそれをかわし、フェルニクスが滑空とともにイストを蹴り飛ばす。 「うぁっ!」  フェルニクスが回し蹴りのように体を返した。二股に分かれた猛禽の足先でマントの裾を巻き込み、続けざまに二人目を崖に叩きつける。 「ぐっ……!」  鉄の鞘先が砂に擦れた。 「身内を追うよりわしを狙うかえ。(はら)が決まって……と、ほだされる腑抜(ふぬ)けじゃねえぜ」 「…………ッ!」  フェルニクスはフードの襟首を掴み上げた。 「コレ幸いと目の前から消えてりゃ()ましてやったもんを。庭の羽虫を気に留めねえとは言ったが、たかりゃ潰しもするんだぜ?」 「ッ!」  鞘を握っていないほうの手がフェルニクスの腕を掴む。  フェルニクスはその指先に目を留めた。  「……うん? お前ぃは……」 ■□■□ 「ああ、下手に動かないほうがいいですよ」  メドロームは満足げな笑みを浮かべた。  無人となった鍾乳洞(しょうにゅうどう)の中で、巨大な地中魚が主と向き合っている。  地中魚が細く口を開けると、ありふれた日除けマントの裾と魔導師の象徴であるローブがのぞいた。 「あの馬鹿の火種になるならどれほどの大魔導師かと思えば、……ふふ、まだ子どもじゃありませんか」  ぽたり、と、地中魚の口の中から滴った血が小さな血だまりを作る。  辺りに他の魔物の姿はない。がらんどうとなった鍾乳洞の天井で、いくつもの光の帯が渦を巻いている。 「これはね。この地で果てた同胞たちの記録……みたいなものですよ」  メドロームが片手をかざした。漂ってきた光の帯を指先で巻き取り、頭上の渦へと放りやる。 「我々魔物が命を終えると。その体と魔力は砂になって散る。でも限りなく細分化(さいぶんか)されただけで、情報は『ある』んです」 『ギゴルルゥ……』 「……っふふ、あなたには難しいですか」  メドロームが地中魚を振り返り、恍惚(こうこつ)の眼差しで頭上を示す。 「見えないほど細かくなった『その魔物』の一部……私はそれを自分の魔力と融合させ、形作れるんです。情報を読み解く頭脳と手駒(てごま)があれば、最低限の労力で目的へ至れる。……だというのに、それを乱す馬鹿がいましてねぇ」  メドロームが表情を歪めた。 「エネルギーに限りがあるなら節制(せっせい)すればいい。私の指示通り働けば、若さを保つ程度の炎は得られる。なのにあいつは気ままで無駄ばかりで、己の道楽しか考えちゃいない…………ッ!」  ぎりぎりと歯を鳴らしかけて、思い直したように口を閉じる。 「いいですか。奴に炎を与えていいのは、私が許した時だけです。あなたを捕らえたのは私ーーーー火種の持ち主は私! この盤面(ばんめん)()し手は私だと、あの極楽鳥(ごくらくちょう)に理解させるのです!」  メドロームは振り向いた。  そして固まった。  捕えたはずの魔導師の姿がない。ただ、顎を裂かれた地中魚が息絶えている。  ――――裂かれた? 「やっぱり居たのな、指し手サン」  翻った刃が(にぶ)く光った。 ■□■□ 「吹き飛べ!!」  (ほとばし)った衝撃波がフェルニクスの羽根を散らした。掴まれたままの日よけマントがちぎれ、フードが地面に落ちる。 「ぐ……っ、くっ、くかかかかかかかっ!! これぁ! まぁ! ()ぇした変装だのぉ!」  フェルニクスがふらつきながら腹をかかえて笑った。  耐刃ジャケットに接近戦向きのボトム――ソルの服を着たウィザが血の混じった唾を吐き捨てる。 「ああ、あの理屈屋(りくつや)のマヌケ面が目に浮かぶわ! くかっ、くかかかか!!」 ■□■□ 「ぐぅッ……!」  刃に引っかかって裂ける上衣(うわぎ)がノイズじみた音を立てる。  メドロームは転がるように切っ先の間合(まあ)いから逃れた。 「なぜ戦士がここにっ……いえ、人間ごときが私の存在に勘づいたとでも!?」 「ご丁寧に回復役から潰してくれたおかげでな」  ソルはボトムに絡まるローブの裾をさばき、長剣を向け直した。  何事にもセオリーはある。  敵の群れに回復役がいるなら、まずそこから潰す。辿り着いた街に休める場所がないなら、できる限り早いルートで次の集落へ向かう。  それらは戦術の基礎であり、常識であり、正確な判断を(くだ)すための土台となるものだ。  だが『セオリー通りの妥当な判断』は、時として選択肢を(せば)め、先の行動を予測されやすくなる。  そして共通のセオリーを知る者は、なかば直感的に、そこからにじみ出る指し手の意図を()ぎ取る。 「どーせ西の丘も砂場なんだろ。『見通しのきく場所で休もうとしたら、360°からあの魚に襲われる』とか?」 「ぐっ……!」  メドロームが奥歯を食いしばった。 「つっても、こんな苦し紛れが効くと思わなかったぜ」  ソルは片手で日除けマントをはぎ取って落とした。  変装とも呼べないような服の交換である。フードとマントで多少のごまかしが効くとはいえ、喋ればすぐにばれる。 「一度でも自分の目で見てれば間違わなかったかもな」 「~~~~ッ黙りなさい!!」  頭上の光の群れが甲高い音を立てて軋んだ。四、五本の光の帯が群れから離れ、宙を泳ぐようにソルに向かう。  ソルは後方へ跳んだ。  床を打った光の帯は音もなくかき消え、(おの)を打ち込んだような傷跡だけが残る。 「逃がしません!」  メドロームが人差し指で虚空を一巻きした。地中魚の死体から短い光の帯が浮き上がり、細い指に()ままれた瞬間、鋭く尖る。 「ーーッ!」  飛針(ひしん)のような一撃がソルの頬を裂いた。  とっさに閉じた片目側に死角が生まれ、そこを狙って次の光が迫ってくる。  ソルはやむなく開けている目の方へ体を翻した。行く手を横切るように飛んできた一本をよけ、前方へ転がった背中を別の一本が掠める。  風にさらされた頬の傷がびりびりと疼いた。数ミリずれれば耳が落ちていただろう。それほどの切れ味にもかかわらず、出血は驚くほど少ない。  ソルはあたりに散らばる落石の陰へ回り込んだ。  魔物同士の小競り合いでもあったのか、人の二三人は軽く押し潰せそうな岩の塊がいくつも転がっている。  光の帯は落石に触れ、なんの抵抗もなくすり抜けた。  ーーーーと、錯覚しそうな切れ味で、落石を(なめ)らかに両断した。  横へ転がったソルの肩先数センチを光の帯が行き過ぎる。 「隠れても無駄です!」  メドロームが哄笑を上げる。  ソルは舌打ちとともに岩陰を飛び出した。鞘はウィザに預けている。抜き身の長剣一振りでは、間合いを詰めなければ反撃のしようがない。 「っ!」  一歩踏み込もうとした地面に、牽制の短い光が刺さった。速度が削がれた数秒を狙い、四方から長い光の帯が突っ込んでくる。  ソルは前転するように斜めへ飛び、重なった光の隙間へと転がり込んだ。  その逃げ場が、おそらく意図的(いとてき)に作られたことは承知の上で。 「ーーーー馬鹿め! 食らいなさい!」  光の帯が雨のようにソルへと降り注いだ。  片腕で顔をかばい、一手(いって)前に光の帯があった方向へ地面を蹴る。  足や腕への直撃を避けてなお、焼けた鉄であちこちを刺されるような痛みが走る。  それらを意識の外に追いやり、ソルは着地した片足を軸に、メドロームを斬り上げた。 「このっ……!」  手を伸ばせば指先が掠めるほどの距離である。ダガーのような短い光で間合いを()われれば、避けることは難しかっただろう。  だがメドロームの指が手繰(たぐ)ったのは、宙を泳いでソルに向かう、長い光だった。  当然それが届くよりも早く、下から振り抜いた一撃がメドロームの胴を薙ぐ! 「ぐぁぁぁあっ!!」  メドロームが傷を押さえて後ずさる。  ソルは長剣を引き戻して床を蹴った。  魔力で形作られてこそいるもの、光の帯の性質は飛び道具に近い。  ならば知るべきは、『残り何発、何を撃てるか』だ。  隠し玉を仕込める矢や銃弾と違い、残りの光の帯は天井近くで煌々(こうこう)と輝いている。  ソルは踏み込みの勢いを乗せ、真横に構えた切っ先を突き込もうとした。  メドロームが足をもつれさせて尻もちをついた。  ――――ッズズズズ……!!  鈍い地鳴りが洞窟全体を揺らす。  かつてフェルニクスが出ていった天井の穴を砕き、二人の間に巨大な光の帯が割り込んできた。 ■□■□ 「吹き飛べ!」  何度目かの衝撃波が空を裂いた。  それを苦もなくかわし、フェルニクスが口の端を吊り上げる。 「お前ぃの十八番(おはこ)はそれじゃアねえだろう? いいかげん見飽きたぜ」 「はじけろ!」  爆風の余波が数本の枯れ木を薙ぎ倒した。しかしフェルニクスは僅かに後退しただけで、ダメージを受けた様子はない。 「加護を!」 「んっ!?」  空中を後退したフェルニクスの背に、結界の障壁がぶつかった。  ほんの数瞬、不意の障害物にフェルニクスの動きが止まる。 「貫け!」  ハンマーでガラスを砕くような音がした。  しかし、その場にフェルニクスの姿はなく、穴の開いた障壁だけが音もなく消える。 「大ぇ概にしねぇな。わしァ命を寄越(よこ)せと言ってンじゃねえ、火種代わりに横に()れと言ってるだけサ」  上へと逃れたフェルニクスが山向こうの景色を指す。 「駄賃(だちん)にゃ悪くねぇ眺めだぜ。次はあの辺りを焼き払や、いっそう見通しがよくなるか」 「あの辺りって……昨日の村じゃないか!」 「お前ぃにゃ聞いてねえよ」  フェルニクスが睥睨(へいげい)するように地上を見下ろした。 「うつつのモノはいずれ朽ちる。人の住み()なんざ数百年と持たんぜ。どの道最後が()山水(さんすい)なら、今わしの庭にすンのが上等ッてモンさぁ」 「ーーーーッ、てめえ!!」  ウィザが見開いた目を釣り上げた。  燃え立つような眼差しがフェルニクスを射抜き、術者の周囲に漂う魔力が膨れ上がる。 「はじけろ!!」 「ウィザ、いけない!」  イストの制止は爆発音にかき消された。  高温の爆風が先ほどの枯れ木を焦がし、舞い散る火の粉がフェルニクスを若返らせる。 「くかかっ! 癇癪(かんしゃく)起こすたぁ子供のやるこったぜ!」 「言ってんじゃねえよ若造りが!」  双方から放たれた炎と暴風が中央でぶつかり、火の粉と砂塵を巻き上げる。 「ウィザ! 忘れたのかい、炎は……!」 「吹き飛べ!」  扇状の衝撃波がフェルニクスの炎を散らした。その余波がイストを後方へと突き飛ばし、砂に尻もにをつかせる。 「っ、うわっ!」  イストは熱風から顔をかばって目を凝らした。  砂塵の向こうでウィザの口が動いた。  ように見えた。 「火球(かきゅう)よ!!」  数十の火の玉が空中に生まれ、一斉にフェルニクスに降り注ぐ。  誘爆(ゆうばく)しあうするように激しく燃え上がった炎に呑まれ、フェルニクスの姿が見えなくなる。 「っ……」  ウィザが浅く息を吐き、(あご)に伝った汗を拭う。 「くっかかかか……今のがお前ぃのとっておきかえ?」  声ははるか上空から聞こえた。  フェルニクスが両の翼を羽ばたかせ、悠然とウィザたちを見下ろしている。  乱れなく生え揃った羽根は金色の輝きを放ち、(ころも)の裾から伸びた十数本の尾羽(おばね)が長い曲線を描いていた。  それら全ての先に炎が灯り、かげろうを上げながら揺れている。 「分からねえ野郎だの。火球だろうが火柱だろうが、わしの尾羽一本燃やせやしねえのさ。こゥまで足し火してくれりゃあ――――当分は()()に困らねぇだろうさァ!!」  フェルニクスの纏う炎が数倍に膨れ上った。翼が大きく空を打ち、脱皮のように押し出された炎が地面を走る。  焦げた枯れ木を一瞬にして黒く散らせ、熱した砂の色を変え――――ウィザの前髪を僅かに炙って、炎の波は音もなくかき消えた。 「な……ッ!?」  ぼしゅっ、と音がして、フェルニクスの翼から中途(ちゅうと)から燃え尽きた。  ガス漏れのような音を伴い、黒ずんだ羽毛が宙に散っていく。  傾いたフェルニクスの背に薄い感触が当たった。 「こりゃあ……っ、結界……!?」  フェルニクスは砂ぼこりを透かした。  ごく薄い障壁がコップを伏せたような形をとり、ウィザとフェルニクスを閉じ込めている。 「いつの間にっ……! さっきの火球の勢いに紛れたのかえ!」 「そう」  イストが教典を片手に立ち上がった。 「結界呪文は意外と自由でね。結界自体を限界まで薄くすれば、維持時間と範囲をある程度伸ばせるんだ。密閉(みっぺい)された中で炎を打ち合えば、燃焼(ねんしょう)に必要な酸素は薄くなる」  と、肩をすくめる。 「問題はそれまでウィザの息がもつか、ってことだけど……オレも、少しは旅仲間のことを知ってるんだよ」 「………………ッ!!」  フェルニクスが視線を戻すより早く、ウィザがその胴に狙いを定める! 「貫け!!」  圧縮した衝撃波がフェルニクスの胸を撃ち抜いた。  背中の羽根がぼろぼろと燃え尽き、炭くずのようになって四方(しほう)へと散っていく。  不死鳥、火の鳥、鳳凰(ほうおう)――――名前の違いこそあるが『死してなお火の中から蘇る鳥』の伝説は多くの土地で語られている。  彼らは死の間際に自らを燃やし、炎の中で体を再構成する。イモムシがサナギの中で自分の体を溶かし、(ちょう)の体を作り直すように。  故に、彼らは限りなく不死に近い。  自らを蘇生(そせい)する炎ーーーーそれを燃やすための、酸素さえ十分にあれば。 「尾羽一本燃やせねえ、だったか?」  ウィザの声に答えることなく、フェルニクスの体は砂となって消えた。 ーーーーそして、一陣の風が吹きだまる熱を何処かへ押しやる。 「びっくりしたよ。キミがすごく怒ったのはわかったけど、怒りに任せて意味のない攻撃を続けるタイプじゃないから」 「…………」  ローブの裾を撫でようとして、テクニカルボトムであることに気づいたらしい。ウィザが手の甲でススを払う。 「俺の故郷は」 「うん」 「……まあ、どこを見ても草原しかねえ田舎、なんだが」 「うん」  ウィザが砂煙の向こうを透かすように眺めた。 「お前が生まれる前から草原はあった。お前が去ったあとも草原は()り続ける。ーーーーだから火の始末は念入りにやるんだ、ってガキの頃散々聞かされてな」 「……そっか」  ウィザは苦笑いとともに肩をすくめた。 ■□■□  地響きを伴い、巨大な光の帯が洞窟に流れ込んでくる。 「ふ……ふふ、あははは……! なんてザマでしょう…!」 「は?」  ソルは眉根を寄せた。  メドロームが喜悦の表情で顔を上げた。 「あなたのお友達がたった今、フェルニクスを始末してくれましたよ。死してようやく私に従うなんて、本当に馬鹿な道楽者(どうらくもの)ですねえ」  す、と細い指がソルを指す。  とぐろを巻いた光の先端がぴくりと跳ね、指と同じ方向を向いた。 「さあ――――これで終わりです!」  叩きつけるような一撃が床を打った。  放電のような余波が周囲に走り、かわしたにもかかわらず皮膚がちりつく。  先程までの光の比ではない。直径だけでも人間一人は軽く飲み込むだろう。 「くっ!」  跳ねあがった光がソルを追ってジグザグの軌道を描いた。そのまま数度空振りしても、なお消えることなくあとを追ってくる。 「(いや)」  ソルは目を凝らした。ろうそくの芯が燃え尽きるように、光の帯の先端は少しずつ消滅しつつある。 「(長い分、燃え尽きるまで時間がかかるだけか?)」  ソルは地中魚から立ち上った光を思い出した。あちらが針程度だったのに対し、こちらはちょっとした屋敷を一巻きできそうな長さがある。  ソルは舌打ちとともにその場を飛びのいた。一瞬前にいた場所を光の帯が砕き、左右の壁に跳ね返ってひびを走らせる。 「ッ……!」  ソルのこめかみをぬるい汗が伝った。先ほどめった刺しにされたあちこちが嫌な軋み方をしている。もって五分、いや数分走れればいい方だろう。 「ふふふ……息が上がっていますね」  メドロームが指をうごめかせる。 「逃げ回っても良いんですよ? 運が良ければ、片足くらいは残るでしょうから!」  電磁波(でんじは)のような重いノイズが響いた。  メドロームの姿を隠すように一巻し、光の帯が再びソルへ向かう。  不器用な子供が引いたようながたついた軌道を描きながらも、帯の中心はソルを真芯(ましん)に捉えていた。  ざり、と、かすかな音を立てて長剣の切っ先が地面に触れる。  ソルは長剣を支えに体の軸を起こした。は、と、息を整え、迫りくる光を迎えに行くようにそちらへ駆け出す。 「馬鹿め、やけを起こしましたか!」  ノイズにメドロームの声が混ざる。光に視界が覆い尽くされる。  瞬間、ソルは光の真下へとスライディングした。  頭の上数センチを掠めて光の帯が行き過ぎ、ローブをちりつかせて通りすぎる。明滅(めいめつ)する視界の中で、メドロームの驚愕(きょうがく)の顔がくっきりと見えた。  ソルは片足でブレーキをかけつつ、背中を斜めにして肩を浮かせた。  足を起点に振られる勢いに逆らわず、跳ね起きざまに長剣を一閃する! 「しまっ…………!」 ーーーーどんっ、という衝撃がソルの背を殴り付けた。  行き過ぎたはずの光の尾が大きく曲がり、ソルの背に横薙ぎにめり込む。 「は……! はは、ざまあみなさ」  メドロームの哄笑はそこで途切れた。  狂喜(きょうき)の表情に縦線が入り、中央から左右へ分かれる。  傷口からは一滴の血も落ちることなく、砂山が崩れるように体ごと消滅していく。  さらに遅れて光の帯が空気に溶け消え――――あとはただ、静寂だけが残った。 「あ゙ぁ――――――――!?」  ロッジの一角で悲鳴が上がった。  砂の山を下りきって少し先、山道と街道の交差するあたりに建てられた休憩所の一つである。  景色には少しずつ緑の木々が混じり始め、ささやかな別荘ほどの建物の中には食堂と道具屋、出張の武器屋や防具屋が店を構えている。  そんな中で上がった悲鳴は、客と商人たち両方の注目を集めた。 「ッそ、ソ、ソルてめえ、どうすりゃこんな事に……!!」  ウィザが震える手でローブを掴み上げた。  耐火性(たいかせい)では鎧に(まさ)るヤクーのローブーーーーその背中部分が削り取られたように焼け焦げ、ほぼ完全に炭化(たんか)している。  ソルは(つと)めてウィザの顔を見た。  四方から押し込められるような心地がするのは、食堂の隅の席だから、ではないだろう。 「マジでごめん」 「軽いよ!?」  叫んだのはイストだ。  ウィザは内臓を削られたような顔色で、まだローブを見ている。  その視線がはっとソルに向いた。 「ソ、」 「ソル。キミ、ケガは?」 「一応、軽いヤケドだって」  ソルは肩をすくめた。  シャツに擦れた背中が僅かにひりつく。 「ヤクーのローブをこんなに焦がすなんて……一つ間違えれば腕が焼け落ちてただろうね」  イストが顎に手を当てた。  おそらく、メドロームの光の帯は熱線(ねっせん)ーーーーレーザーに近い性質を持っていたのだろう。深手の割りに出血が少ないのも傷口を焼かれたからだ。  使い手がこと切れるのがあと少し遅ければ、ぞっとしない結果になっただろう。  ウィザが咳払いをして口を開く。 「ま」 「まあ、そこに出張の防具屋もあるし、綺麗に直ると思うよ。みんな無事で良かった」  爆発がロッジの屋根を吹き飛ばした。 「ウィザぁぁ!! 周りの人がびっくりするだろ!」 「うるっせえ!! イストてめえ黙ってられねえのか!!」 「フォローしなきゃこうなると思ったんだよ!」 「火に油なんだよ」  ソルは半眼で呻いた。  そう言えば、どこかの大陸には最大級の謝罪を表すジェスチャーがあるらしい。もっともソルは詳しいやり方までは知らなかったし、知っていたところでウィザとイストに通じるとも思えなかったが。  ソルは粉塵の中でテーブルを眺めた。ウィザに預けていた長剣の鞘は、これといった歪みもなくテーブルに乗っている。  ウィザがひょいとそれを取り上げる。 「修繕費(しゅうぜんひ)はてめえが払えよ」 「晩メシ三日分もつけるよ」  ウィザが鞘を差し出した。  ソルは両手でそれを受け取った。 end.
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