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日本橋の小舟町・芳町・小網町あたり。この一帯を「照降町」と呼ぶ。雨具関係の店が軒を連ねていた。その隅に遠慮がちに照衛門の店がある。
元々『古傘買い』をしていた彼の名は『照七』という。破れたり骨が折れたりした傘を買い取って、傘張り屋たちに売っていた。
改名は縹之介が勧めたからだ。傘張りは浪人や下級武士の仕事なので、生粋の町人である照七が名前負けしないようにと気遣ってのことだった。
「照の傘はきれえだし、軽いし丈夫だって評判だぜ。雨が降ると、おめえの傘持ってるやつだけ、花びらの下にいるみてえだ」
饅頭を頬張って誇らしげな縹之介に、照衛門は茶も出してやる。
「下事とまくわり(傘の骨組みと調整)やってくれる出浦さんのお陰だよ」
「あ、あの陰気な人か。今日はいねえのか」
半分残った饅頭を食べようとした縹之介の口が指を噛む。そこに残っていたはずのものは、いつのまにか隣にいた出浦の口に入っていた。
「うおおお!? びっくりさせんじゃねえ!」
仰け反る縹之介と動じない出浦。彼からは気配を感じない。
ある雨の日、怪我をしてうずくまっていた彼に照衛門が傘を差し掛けてあげてから、いつも彼にくっついている。
「雨、降ってきたなぁ」
照衛門が窓を開けて、湿っとした空気を吸い込んだ。
「去年近くにできた榛原っていう和紙屋が、模様の綺麗な紙も売り始めてさ。あんな傘だったら、雨の日も楽しくなるなぁって、思った訳だよ」
通りを歩く女が差しているのは、自分の傘。照衛門は嬉しそうに笑った。
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