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 風見宗吉は庇の下に潜り込むと、傘を下ろしてさっと閉じた。すると、生地にはりついていた水滴が一つ残らず地面に落ちた。 「相変わらず凄いですね、その傘」 伸太郎は感心して言った。 「超はっ水性の生地、君も欲しいかい?」 「もし貰えるなら、レインコートにしますよ」 「はっはっは、まだまだ傘の良さを分かっとらんな」  宗吉は愉快に笑うと、勝手に店内に入っていった。伸太郎も続いて中に入る。扉を閉めると雨の音が遮断され、店内がやけに静かに感じられた。 「いやあ、なかなか顔を見せられずに申し訳ないね」  宗吉はそう言いながらからコートを脱いで、真ん中のカウンター席に座る。そして自分と隣の席との間に傘を立てると、柄の部分から四方向に金属の棒が現れた。棒は直角に折れ曲がり地面に向かって垂直に下りると、そのままぴたりと地面に張り付き、小さな傘立てのようになった。 「いえいえ、来てくださるだけで有り難い限りで」 伸太郎は棚からコーヒー豆を取り出しながら言う。 「それにしても、新しいとこは綺麗だね。前のボロカウンターとは大違いだ」  宗吉がそう言ったとき、例の寡黙な老人の口角が上がったのが見えた。宗吉もそれを見逃さなかったらしく、にやりと笑って老人に話しかけた。 「おっ、じいさん、やっぱりあんたもそう思うだろう」 「…じいさんはお前もだろう」  老人が静かに言った。目は本に釘付けになったままだが。 「名前だけでも教えてくれりゃ、じいさんなんて言わないよ」  宗吉は依然としてにやにやしながら言う。老人がついに何も喋らなくなったとき、伸太郎はふいに視界の隅で、店の前に居る誰かを捉えた。窓ガラスの向こうにいたのは、薄い橙色の傘をさした女性だった。彼女は傘立てに傘を立てると、中の様子をうかがうようにして扉を開けた。 「失礼します、今日もやってますよね?」
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