03. 追及

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03. 追及

 汗と砂を落とすと、先ほどまでの疲労が和らいだ気がした。気温は高くも低くもなく実に快適で、洗ったばかりの肌にそよ風が心地よく感じられた。先ほどエルから渡された着替えに袖を通す。肌触りはサラリとしている。たっぷりとした作りで着心地の良いものだったが、男の身体にはやや小さく、手首と足首が露わになり少々不格好に見えた。  泉のある広場に戻ると人が集まっていた。陽が暮れるまではまだ間がありそうだが、食事の支度をしているところを見るとそろそろ夕食時なのだろう。夜が来れば真っ暗になる。活動は明るいうちに全て終えるのが、こういったところの習わしだ。  男と少女が戻ってきたことに気付いたラウードが近づいてきた。  「良いところに戻られました。じき夕食となります。このオアシスには60人ほどいますが、朝と晩の食事は皆で揃ってここでとっています。」 そう言ってしばらく男を見ながら首をひねった。  「私の服をお貸ししましょう。後ほど部屋にお持ちします。」  やはりここの美的感覚でもこの丈の短さはみっともないのだろう。しかし男はラウードとの体格差を考えると今度は丈が長くて動きづらいのではないかと考え、丁寧に断った。するとラウードは「それでは、ほかの者の合いそうなものをご用意しましょう。」と言い、歩いていった。  広場を見渡すと皆こちらを見ている。そして、特に女たちは男に対して強い関心を示しているようだった。到着直後にもいくつかの控えめな視線はあった。その時は砂まみれの長い前髪が顔を隠すようでよくわからなかったが、砂を落とし、濡れた前髪をかき上げるようにしてた今の男の姿に誰もが釘付けにされている。肌の色は褐色でこの地の者に近い。額から鼻筋にかけて滑らかに伸びるラインはバランスがよく、その顔立ちは端正で品が感じられ、何よりその目は人目を引く特徴を備えていた。色は明るい青で、やや緑を感じさせる鮮やかな光を放っていた。ここにいる誰もがこのような色を目にしたことはなかった。それは、空の青でもなく、木々の緑でもなく、鮮やかさを誇る鳥の羽にもない色だった。男もこういった反応は理解していた。どこにいても同じ理由で人目を引く。慣れてはいたが、それでも人々の視線からこの色を隠すように目を伏せた。  「お好きなところにどうぞ。ここでは皆思い思いの場所で食事をします。決まった作法は特にありません。」  エルが近づいてそう言った。そして、男と少女がその場で腰を下ろすと、エルも一緒にそこに座った。食事はまとめていくつかの大きな鍋に入れられ、皆そこから自由に欲しい分だけ取っていた。その光景は男にとって大きな衝撃であり、強く関心を引かれるものだった。 ――まさに楽園だな。60人もいて、どうやってこんな生活を実現できるんだ?  自然に恵まれているのは分かる。そうはいってもこのオアシスで生産できる食料だけで毎日これだけの人数の胃袋を満たせるものだろうか。そんなことを考えている間も、人が入れ代わり立ち代わり男と少女の元を訪れ、挨拶してはすぐにその場を離れた。一人一人の表情も観察してみる。いずれも強い興味を持っていることは感じられるが、到着間もない二人の疲れをおもんばかってか長居はせず、自重しているように感じられる。 ――精神的にも安定しているようだ。  この地上にこんなところが本当にあるのだろうか。あるいは目の前に広がっている光景は、全て幻なのではないかと思った。今まで旅をする中で、人の善意に触れることはあったが悪意にさらされることのほうが多かった。風に乗って移動する旅の者など往々にしてそんな扱いではあるが、男の場合は特殊な事情を抱えており、それゆえ苦労や制約も多かった。  「お二人の分を持ってきました。お口に合えば良いですが。足りないようでしたら、また持ってきますので言ってくださいね。」  先ほどから次々と人が訪れるため、腰を上げることができずにる男と少女の様子を見て、エルが気を利かせて二人のために食事を運んできてくれた。見ると野菜と豆が主で、肉類は全く入っていないようだ。普段肉を好んで口にしているため男は少しがっかりしたが、人々を見ればこれで健康を維持するに十分なのだろう、味も少し薄く感じるが、空腹を耐えなくてよい分文句もなかった。  食事が終わった頃、ラウードが男と少女に飲み物を持ってきた。男は少女に口をつけるのを待つよう言って、まず自ら一口含んだ。酒かと思ったが、口にするとそれはほんのりと甘みのある、のどの通りの良い水だった。そして、途中、男は眉をひそめたが、それをラウードには気づかれないように飲み干した。二人が飲み切ったことを見届けるようにしてから、ラウードが口を開いた。  「食事がすんだら部屋でくつろいでいただいて結構です。ただ、お疲れのところ申し訳ないが、旅人殿とお話したいことがあるので、後ほど伺ってもよろしいですか?」  男は無言のまま首を縦に振り、すぐに立ち上がった。それを見てエルが男と少女を部屋に案内した。部屋には特に家具などはなく、ただ敷物だけが敷かれており、直にその上で寝るようだった。砂の多いところは床が砂だらけになるので低いところで寝ることはないのだが、よく考えると岩の割れ目からこちら、泉のあるあたりからは不思議と砂っぽさがないことに気付いた。 ――何から何まで不思議なところだ。別世界にでも迷い込んだのではないか。 先ほどからあれこれ考えはするが、これという答えを見つけらない。ついにはそんな風に思った。  少女は到着した時から興奮続きだったためか、部屋に入って床でゴロゴロするうちに、ぱたりと寝入ってしまった。スースーと気持ちのよさそうな寝息に男はほっとし、その寝顔を見て微笑んだ。暫くすると先ほどの言葉の通りラウードがやってきた。そして、外に出るよう言った。男も少女を起こさないように静かに部屋を出て、言われるがまま後をついていった。 暫く歩き続けた。距離的にはさほどではないのだろうが、慣れない場所ですでに陽の沈んだ暗がりの中を歩くと長く感じた。そして、どんどん人の気配から離れていくことに不安を覚えた。  「おい。いつまで歩くんだ。急ぎでないなら明日にしてくれ。」  男がそう言うと、ラウードが振り返り近づいてきた。そして男の着ている服の胸元を握り、顔を近づけて低い声で言った。  「答えろ。お前は何を隠している?」  その様子は先ほどまでの長たる泰然としたものから一変し、目には強い光があった。  「何の話だ?さっきあいつのことは言ったはずだ。それ以上にお前たちに迷惑をかけるようなことは何もない。」 男も射るような目で見返した。しかしラウードは服をつかんだ手の力を緩めず、男の目を睨み据えた。  「そんなはずはない。魔物がこの地に入り込むことなど決してできない。それはあの娘に害意があるかどうかなんて関係ない。存在そのものが害であるなら、絶対に入れるはずがないんだ。」  そして、より低い声で言った。  「入ってこられた理由は、お前のほうにあるんじゃないのか。そうだろう?」  そして再び「答えろ!」と迫った。男の目が揺れた。ラウードの立場からしてみれば当然の心配であるし、この様な行動にでられても非難はできないのだが、この男にこそ絶対に言うことはできないと思った。 ――こいつ、勘がいい。  得体の知れない恐ろしさを感じた。ラウードは暫く答えを待つ構えだったが、ため息をついて手を緩めた。  「分かった。これ以上は聞かない。だが、お前が原因で何か問題が起こるようなら、すぐに追い出すから覚悟しておけ。」  『お前が原因で』と限定したことに男はびくっとした。本来この地に入ることを許されないはずの少女ではなく、男だけを脅威と捉えている。それが何かはわかっていないはずなのに、その何かを確信していることに底の知れない不気味さを感じた。  ラウードは元来た道を戻り始めた。そして、人の気配を感じられる辺りまでくると振り返り、元の柔らかな物腰で言った。  「それでは旅人殿、ゆっくり旅の疲れをお取りください。明日、よろしければこのあたりを案内しましょう。」 ラウードの背を見送りながら、男はほうっと息をついた。二面性のある人物は初めてじゃない。それでも最初の印象とあまりにも大きく異なる様子に驚きを隠せなかった。 ――この平和な風景も表向きのもので、裏には何かあるのかもしれないな。  そんなことを思った。  部屋に戻ると少女が目を覚ました。  「あれ?どこか行ってたの?ズルい。あたしも行きたかった!」  「ちょっとそこまでだ。明日、色々と案内してもらえるらしい。」  男はそう言いながらどうにか避けられないだろうかと考えていた。人目がなくなったらまた何を言われるかと思い、気が重かった。できるだけこの人の多い中心部から離れたくないと思った。しかし、少女はその言葉を聞いてとび跳ねるように喜んだ。  「ほんと?楽しみだね!」  その様子を見て「しまった」と思ったが、言ってしまった以上諦めるしかないと思った。  魔女は人の心を惑わし、その負の感情を増幅させる。魔女の呪いをかけられている男からはその妖しげな力が少しずつ漏れ出し、周囲の人間がそれにさらされ続けると、その人の持つ不安や恐れなど心の内にある悪意が渦を巻くように増幅し表出してくる。男の旅には目的があり、移動を繰り返すのは当然のことなのだが、いずれにしても一か所に留まることはできない。初めのころは3日以内に移動していた。それを超えると、人の悪意による何かしらのトラブルに巻き込まれてしまう。それらは人それぞれに異なるため予測もできず、宿を得ることができないのは良いとしても、密告により無実の罪を着せられたり、身に覚えのない言いがかりで切りつけられることもあった。  しかし、少女と一緒にいると、完全にではないがその妖しげな力が漏れ出すのを抑えられるようだった。いまだにその理由ははっきりしないが、少女の血筋に関係があるのではないかと考えている。竜といえば魔物でも別格の強い力を有する。何らかの形で作用し、魔女の力をけん制してくれているのではないか。どこまで行っても推測の域を出ないのだが、出会った前と後での違いは歴然で、少女と一緒にいることが何らかの影響を与えていることは疑いの余地がなく、おかげでいく先々でトラブルに見舞われることもほとんどなくなっていた。一か所での滞在も7日まで延ばせるようになった。その代わり、いつでも少女と離れることはなかった。男には自分から漏れ出し人々に作用するその力を自ら感じとることができなかった。少女とどれくらいの距離や時間離れていると変化が表れるのかもわからなかった。かといってそれを確かめてみようと思ったことはなかった。少女がいつも傍にいればいい、男にとってそれが唯一にして十分な答えだった。そのため、はたから見れば男の後を少女が付いているように見えるのだが、その実、男が少女の傍を離れることができないのだった。  少女は案内してもらえるならどこへでも喜んで行くだろう。男は大きくため息をついた。離れることができない以上、一緒に行動するしかない。正直、少女を懐柔されるのが男にとって一番厄介な問題だった。  男はごろりと横になり、目を閉じた。この目の色、光。これも魔女の力によるものだった。その目の妖しさは人を惑わす入り口としてよい働きをした。誰もが男の目の美しさに囚われ、漏れ出す力を無抵抗に取り込んでいく。今は誰かと目を合わせることにそれほど神経を使わなくなったが、少女に会うまでは人の目を見るのが恐ろしく、いつも伏目がちに過ごしていた。前髪を長くし、目が合えば視線をそらしてしまうのはその頃からの癖だった。少女にとって男はかけがえのない存在だが、男にとってもまた少女のいない生活など考えられないほど不可欠な存在だった。  「寝るの?じゃあ、おやすみの歌、うたってあげるね。」  少女がそういって男の手を握った。それに男は「ん。」とだけ答えた。すると少女はゆっくりとささやくように優しく、伸びのある心地の良い声で歌った。暫くすると男はまるで小さな子供がするように小さく背を丸め、安らかに寝息を立てた。
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