04. 遺跡

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04. 遺跡

 男は眠っている間うなされることが多い。その夢はいつも同じで、赤く光る大きな眼をした黒い影が上から覆いかぶさってくるのだ。まだ幼い男は恐ろしくてたまらず、小さな体をさらに小さくして逃れようとするのだが、最後には決まってその黒い影に飲み込まれてしまう。  外から人の行き交う音や声が耳に届いた。男は体をゆったりと伸ばした姿勢で目を覚まし、しばらくそのまま天井を見ていた。いつもと違う視線だった。そのことに心ならず少しばかりの驚きを覚えた。  「気持ち良さそうに寝てたよ。」  少女は少し早く起きていたらしい。外が気になって仕方ない様子だが、男が起きるまで待っていたのだ。  「俺は、うなされなかったのか?」  男は少女のほうを見て言った。少女は嬉しそうにうなずいた。男は体をを起こししばらくぼうっとしていたが、ふと少女の関心に気が付き「外に行っていいぞ。」といった。すると少女はたっと外に飛び出していった。ほどなく外から明るい声が沸き起こり、少女のはしゃぐ様子が手に取るように分かった。男はその声を聴くと口元を緩めた。寝起きにこれほど明るい気持ちになったことはない気がする。昨日は色々あったが疲れも残っていない。それも、うなされることも無く、心地よい睡眠が得られたからだろう。上体を軽く逸らして大きく息を吸い込んだ。新鮮な空気が胸の奥深くまで届き、頭をスッキリとさせる。とてもさわやかな気分だった。  朝の食事をしているとラウードが近づいてきて、食後すぐに案内したいと言った。男は平静を装ってはいたが心中穏やかではなかった。どうにか理由をつけて逃れられないかと考えていたが、到着間もない今、思いつく用事もない。その上、少女があまりにもはしゃぐので、やはり行かざるを得なかった。 食事が済むと、男と少女は促されるままラウードの後についていった。昨日男たちが入ってきた岩の割れ目を右手に見るようにして、その左手にある緩やかに上へと伸びる道を進む。長く続く坂道を上りながら、ラウードは二人に簡単な説明をした。  ここはオアシスといっても、泉の周りに人間が集まってできたようなものではない。昨日見た城壁のような岩に周囲をぐるりと囲まれていて、一部東側に割れ目がある。男たちが砂に流されてきたのがその位置だ。そして北側には特に大きな岩山があり、今上っている坂はその岩山に通じているとのことだった。ラウードの話によると、岩の外側は断崖絶壁で何ものも近づけることのない険しさのため、外部からの侵略者に対する警戒は全く必要がないとのことだった。東側に関しても、むやみに近づけば砂に飲み込まれてしまい、男たちのように砂に流されてくる『選ばれた者』しか入れないため、こちらも通常は警戒の必要はないらしい。  鉄壁の防御がなされているこの空間は60人が住むには決して広くはない。それでも、わずかな土地を耕作し、塩は山から採取し、泉は大小いくつかあって用途によって使い分けもされているなど、最低限でも健康を保つことのできる環境が整っている。資源はどうしても不足がちだが、みんなで大切に扱い、困ることがないくらいの生活はできるようだった。  坂を上っていった先に少し開けた空間があった。内側を向けばオアシスを見渡せ、外側を見れば砂の世界を見ることができる。とは言っても、目の前には昨日と同様に砂塵が壁のように、移動することも無く一枚の板のようにあり、視界はそこで遮られ、その先の風景を臨むことは一切できなかった。下を覗き込めば、昨日砂に流されてきたときの広場になっている。それにしても、何度見てもこの砂塵には圧倒される。  「これは自然現象ではないよな。いったいどういう仕組みなんだ?」  男がつぶやくように言うと、ラウードがさらりと言った。  「さあ。我々も詳しいことは。生まれる前からこうなので、誰も気にもしませんが、やはり外の人は驚かれますね。まあ目隠しにはちょうど良いでしょう。」  解らないということは自分たちで作ったものではないということか。呪いがあるくらいだから、魔法があってもおかしくはない。これはそういった類のものか。目にするものすべてが今までの経験による理解では追い付かない。もう、考えること自体が馬鹿馬鹿しく思えてくる。  男があらためてその光景に圧倒されていると、ラウードは待つことなくさっさと先に行ってしまった。いつもは男のそばを離れない少女も、ラウードにくっついて歩いていく。見るものすべてが珍しく、楽しくて仕方ないのだ。男があわてて後を追うと今度はどこまでも続くかと思うほどの長い下り坂となっていた。天井はないが、岩を切り開いた通路のように両側に壁が続き、ひとしきり下ったその先に横穴が大きく口を開けていた。すると、ラウードは振り向き、含みのある笑み見せた。  「ここがこのオアシスの秘密です。さあどうぞ。」  いかにも怪しい。どうぞと言われて入るほど軽率ではない。男はあごを上げ、言った。  「秘密をよそ者に見せていいのか?そんなに俺たちのことを信用しているわけではないだろう?外に漏れては困るから秘密というんじゃないか。」  それに対し、ラウードはニヤリと笑って見せた。  「お前らがそれを覚えていられたらな。」  それで男はピンときた。昨日のあの水。口に含んだ時、何か混ざっていることに気付いていた。  「昨日の食事の時に渡した水だろう。だが残念だな。俺には毒も薬も効かない。何を盛ったか知らないが、こいつにだって効くのかはわからないぞ。毒性のあるものを口にしても、腹を壊すのがせいぜいで、大体ピンピンしてるからな。」  そう言うとラウードの顔色が変わった。図星だ。もし知らん顔で秘密とやらを見て、あとで毒が効いていないことがわかればこちらの身が危険だ。先ほどの口ぶりから、記憶を消すような類のものか。そうしてまで守ろうとする秘密なら、はじめから知らないほうがいい。 ―――ここから戻った者がわずかな記憶しか持たないのも、最初の食事でその毒を盛られてそれ以降のことを忘れてしまうからか。どうりで半日程度の情報しかないわけだ。  それにしても、目の前にいる男の真意がわからなかった。記憶を消す一方で、自らその秘密を暴露する。得意げな様子からすると自慢をしたいのかとも思ったが、それにしては手の混んだことをする。昨晩のこともあり、この得体のしれない相手に対する警戒心はより強くなっていった。  「毒も薬も効かないとはどういうことだ。お前も魔物なのか?」  ラウードは険しい顔をした。しかし、彼自身その可能性を打ち消している。そもそもここに魔物が入ることはない。しかも二人もそろって。背に毒を持つ少女が人間でないことは明らかだ。彼らの言う通り魔物の血を受け継いでいるとして、男にはその少女の持つ危険性をコントロールできる特別な何かがあると踏んでいる。少女の毒を打ち消す薬のような役割か、そんなイメージだったが、昨晩は念のために脅しをかけて様子をみた。男のほうに危険があるとは考えていなかったが、今の言葉を聞いて動揺を隠せなかった。毒も薬も効かない人間なんているのだろうか。聞いたことがない。それでは一体何だというのか。ここを守る責任を担っているラウードの心配は、男たちが感じる不安とは比べものにならないはずだった。  沈黙が続く。何も答えようとしない男の様子に痺れを切らしたラウードは口を開いた。  「ああ、もうどちらでもいい。お前らが知りたくないというならこのまま帰れ。でも少しでも興味があるなら見せてやる。どうせお前らが外の世界に戻ってここで見たことを言って回ったところで、誰も信じやしないさ。」  そう言うとラウードはさっさと穴の中に入ってしまった。男は入ることを躊躇したが、少女は相変わらずラウードの後にぴたりとついていく。目をきらきらさせて、もう好奇心しかない。選択肢などはじめから用意されていない。ため息ひとつついて、男も中に入っていった。  穴の中はところどころ上部が崩落し、陽の光が入るため目が慣れれば十分に明るかった。しかし深部に進むにつれ徐々に狭くなり、光も入らなくなっていった。そして、しばらく歩くと急に明るい空間に出た。決して強い光ではなかったが、思わず手で目を覆った。そしてゆっくり光に慣らすように目を開き、あたりを見渡した。全体的に埃がかぶっており、植物が好き放題に根を張る無造作な有様だが、それとは対照的に見たことも無い直線的なものが規則的に並んでいる。見上げると上部は天井で塞がれており、そこに貼り付いている光るものがこの空間を明るくしていた。 ―――光る植物があると聞いたことはある。しかし、空間全体を照らすほどの明るさを得られるものだろうか。  男は考えた。今まで色々なものを見てきたが、ここにあるものはそれらのいずれとも異質なものであるように感じた。男と少女、二人の様子を見続けていたラウードが口を開いた。  「お前たちにはこれが何かわかるか?」  今までのように警戒した様子はなく、むしろ意見を求めているような口調だった。  「いいや。こんなものは見たことがない。何というか・・・今まで見たどんなものとも違って見える。」 男はそう答えた。するとラウードは大きくため息をついた。「お前たちもか。」その横顔には落胆の色がありありと浮かんでいた。  ラウードに限らずこの地の人々にとって、それは謎そのものだった。そして長い間ここで暮らす中で、この謎がオアシスの豊かさと深く関係していることをおぼろげながら知っていった。そのためそれが何なのかを知りたいと思うが、自分たちの力だけでは解明できず、迷い込んだ旅人から答えを得ようとしていたのだった。まず旅人に毒を盛り、それ以降に見聞きしたことをオアシスから出たら忘れるように記憶をコントロールしてから、彼らをこの場に招き入れ情報を引き出そうとした。しかし、いずれの旅人も一様にこのようなものを見たことがないと言い、そのたびにラウードは肩を落としていたのだった。  ここに来るものの多くは砂漠を渡る商人のため、その知識は限られていた。しかし、まれに遠方へ向かう旅一座や見聞を広めるため各地を訪れる学識のある者などが迷い込む。そのような者たちは様々な経験を持ち、幅の広い知識を有していた。今回も商人ではなく各地を旅してきた者だと聞いたので、ラウードとしてはかなり高い期待値をもってここに連れてきていた。そのため、先ほど表で揉めたときも、この二人なら謎の解明に役立つ何かを知っているかもしれないと考え、記憶のコントロールができていないというリスクより、情報を得られる可能性を優先させて連れてきたのだった。  男はあちこちを見て回り、それらに触れてもみた。丸いものや四角いものが飾られており、いずれも驚くほど均一の形状をしているのだが、職人が丹精込めて作ったと想像するにはいずれも彩りがなく地味なものだった。大抵目を見張るような造形は、心に訴えかけてくるような美しさを備えているものだが、これらは目を楽しませるためにその精緻さを極めたものとは思えなかった。また、中に変わった感触のものもあり、丸く半透明で弾力のあるものなどは、それが一体何でできているのか見当もつかなかった。 ―――以前、半透明なキノコを見たことがあるが、それとは感触が全然違う。こちらはもっとしっかりしていて、腐ったりすることもなさそうだ。  男はラウードのほうを見て、その言葉を待った。ラウードはうなだれてその場に腰を下ろしていたが、男の様子を見てその言いたいことを理解した。そして、いかにも嫌々といった風に口を開いた。  「これはこのオアシスの元々の支配民族の遺産だ。我々は彼らを先民族と呼んでいる。そして我々の祖先は、その先民族に支配されていた奴隷なんだ。」  そういって気持ちを切り替えるように大きく息を吸い、続けた。  「我々の祖先は奴隷だが、中には学識のある者がいたらしい。そういった者はいわゆる奴隷としてではなく、先民族のこの遺産の管理を一部任されたようだ。この空間はまさにその祖先たちが管理していたところなんだと思う。先民族は我々とは異なる言語を使っていたのだが、ここには先民族の言葉によるものと、それに対応した我々の言葉による資料がいくつもあるんだ。おそらくここを管理するために必要な知識を先民族から与えられ、それを自分たちの言語に置き換えたんだろう。」  そして頭を抱えながら言った。  「それがある時期に先民族が次々と同じ病で死んでいった。我々の祖先は耐性があったため生き残ったが、この遺産のことは何もわからないままここで暮らすことになった。外部から来た者は一定の条件を満たせは再び外に出ることができるが、ここで生まれた者は外に出ようとすると砂にのまれ、死体になって砂から吐き出される。そのため外に逃げることもできず、代々ここで暮らすしかなかったんだ。」  そして自嘲気味に吐き捨てるように言った。  「ここが楽園?とんでもない。丸ごと閉じ込められた砂の檻さ。」  男は黙ってラウードの話を聞いていた。  「その資料を見せてもらえないか?お前たちのと先民族のものと、対になっているものを見たい。」  ラウードはそれらの資料を良く読み込んでいるらしく、二つを並べて対になっている箇所を示した。彼はほかにもよく目を通しているようで、翻訳されていない先民族の資料も少しなら読めるとのことだった。男は訳の対応している箇所を見比べてみた。何となくの思い付きで眺めてみたので内容は当然わからないのだが、何か特徴を読み取れないだろうかと思っていた。比べてみると言語体系が大きく異なるような印象を受ける。支配層と奴隷層が意思疎通できないことは珍しくもないが、それにしても根本的にそういう次元の話ではないように感じた。  「お前はこれが読めるのか?」  あまりに熱心な様子を見て、ラウードが期待の目を向けた。  「いや、読んでいるんじゃない。その先民族とやらがどういう民族か、何かわからないかと・・・規則性や特徴になるものを見たいんだ。お前たちの言語は俺の国の言語に似ている。こちらの、その先民族の言語は全くその成り立ちが違っているように見える・・・シンプルなのに、複雑?こんな言語は見たことがないぞ。」  そして、先民族の資料に指をあてながら確認するように言った。  「同じ言葉が何度も使われているな。お前たちの言葉に対応させると一つの言葉で色々な意味を持っているように見えるが、ただ、その割には一文が長い。お前たちの文章と同じ意味でも長さが何倍もになっている。一つの言葉で色々な表現ができるなら、もっと一文が短くて済みそうなものだが。」  そう言うと、ラウードはやや興奮した様子を見せた。  「文字の種類はそれほど多くはない。そして言葉の塊もその数はある程度決まっている。それと、一つの言葉にいくつもの意味があるんじゃない。一つの言葉には一つの意味しかなくて、その組み合わせ方で指し示すものを変えているんだ。二つ、三つ、四つと次々につなげていくことで表すものの種類を増やしている。実は先民族の言葉一つ一つの意味は全てわかっている。だからいくつ言葉が連なっても分かりそうなものだが、実際解読できるのは三つのつながりくらいが限度で、それ以上になると何を表しているのかわからなくなってくる。それに物を指す言葉ではなく、何か別のもの、おそらく形のない観念的なものなどになるともうお手上げだ。」  男はラウードの言葉に耳を傾けていたが、ここまでくると面食らった様子で言った。  「すまない、お前の言っていることが良く理解できないんだ。もっとわかりやすく教えてくれないか。」  するとラウードははっとした表情を見せた。  「一方的な話し方をしてしまった。すまない。先民族の言葉自体はすべて把握している。ただ、言葉の数が少ない分、組み合わせで表現の数を増やしている。それが厄介なんだ。」  そういうと、男の横に回り込み肩を並べ、先民族の資料を指し示した。  「例えばここ。『半分』と『上』と『青』この3つを組み合わせると『昼間』を意味する。こんな感じで、我々なら一つで済む言葉を、いくつもの言葉の組み合わせで表しているから、同じことを書いた一文でも長さが違うんだ。ちなみに、『半分』と『下』と『黒』の組み合わせで『夜』だ。まあ、何となくさっきのと対になっている感じでわかり易いかな、この言葉は。我々の祖先はここでの何かの作業を預けられていたようで、動作の伴う表現が多いから読み易いが、訳されていない先民族の資料はほとんどと読み解くことができない。」  これを聞いていた男は驚いた顔でラウードを見て「お前は・・・」と言ったが、言葉が途切れた。そして改めて口を開いた。  「それはお前の祖先から引き継がれた話なのか?それともお前が一人で考えたのか?」  ラウードは特に気にかける様子もなく答えた。  「ああ、あ――いや、兄さんと一緒にあれこれ調べて考えながら解ったことだ。兄さんはとても賢い人で、私たちは毎日のようにここに来ては探検し、いろいろと調べて回った。はじめはただの遊び場だったが、そのうちに兄さんはこれらのものから学ぼうとするようになったんだ。結局何も掴むことはできなかったがな。」  そして少し声を落として言った。  「兄さんは事故で死んでしまったんだ。あの人がいれば、ひょっとしたら今頃は何か解っていたかもしれないとも思うんだが、考えても仕方がない。兄さんがいなくなってから私一人でやってはいるんだが、私の頭じゃ何も見つけることなんてできそうもない。」  悔しさをにじませるラウードを労う様に男は言った。  「そんなことはない。お兄さんだけではなく、お前も頭がいいと思う。一人でこれを・・・俺だったらとっくに諦めているだろう。辛抱強さも大したものだと思う。」  そして改めて資料に目を落とした。確かに先ほどのラウードの言っていることを念頭に置くとその理解は的確であるように感じる。しかし、こんな仕組みの言語は見たことがない。実際にこんなに面倒な言語を使えるのだろうか。そんな風に考えた。  また、同時にラウードについても考えた。こんな閉鎖的な環境にあって、受けられる教育も限界があるだろう。兄が優れた頭脳の持ち主だったとはいえ、ラウード自身もかなりなものだと思った。少なくとも、このオアシスでは異質といえるだろう。  男は立ち上がってもう一度あたりを見渡して言った。  「お前はこれをどう思ってるんだ?」  そして、ラウードのほうを振り返って続けた。  「これは、本当に人の手によるものだと思うか?」  その言葉に、ラウードは目を見開き絶句した。
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