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第一章 恨みますよ、お嬢様
先ぶれもなく突然扉が開いて、一人の若い青年が入ってきた。
心臓が飛び出そうなほど驚いたことは微塵も感じさせない仕草で、ローズはソファから静かに立ち上がる。そして優雅に裾をさばくと、ドレスをゆったりと持ち上げてしなやかに淑女の礼を取った。
「お前がベアトリスか」
低い声で呼ばれて、ローズは緊張しながら、そんな風に呼ばれた時には本物のベアトリスならどうするだろうかと、瞬時に頭の中で考えた。
深く頭を下げた礼の姿勢で、気付かれないように息を吸う。
「初めてお目にかかります。ベアトリス・リンドグレーンです」
そして、ローズは顔を上げた。ローズが今まで見てきた、ベアトリスの凛とした雰囲気をその身に作って。
胸を張って、自分より背の高いその青年をみつめる。
扉の前に立ったままの青年は、ローズよりも頭二つ分近く背が高かった。ローズが初めて見たその顔は、少し驚いたような表情をしていた。
「確か二十歳と聞いているが……?」
「はい」
緊張しているのを悟られないように、ローズは言葉少なに答えた。
ローズの歳は十八歳で二十歳のベアトリスとそれほど変わらないが、素顔でいると歳より若く見られることが多い。ありていに言えば、童顔なのだ。だからローズは、ベアトリスのふりをするときはいつも大人びて見えるような化粧で誤魔化していた。
「お好みに合わなくて申し訳ありません」
言って、つん、と視線を外す。あまりまじまじと見られるのはまずい気がする。とてもまずい気がする。
これがこの男の婚約者という立場でなければ、扇で顔を隠しておくこともできるのだが。
「ずいぶんと気が強いのだな」
笑いもせずに言われた言葉に、ローズはぎくりとする。
あまり無愛想にしていてこの結婚が破棄されても困る。かと言って、今の自分と親しくなりすぎるのも考えものだ。そのさじ加減が難しい。
こつこつと足音を響かせながらローズに近寄ってきた男は、いきなりローズの顎に指をかけて自分の方を向かせた。笑みのないその顔は、威圧的で恐怖すら感じる。
ローズは驚いて声をあげそうになり、とっさに、ぎゅ、と唇をかみしめた。
「レオン・カーライルだ」
焦げ茶の髪と同じ濃い色の瞳が、興味深そうに見下ろしている。
「青い瞳は、悪くない」
「……おそれいります」
「そのように警戒されたのでは、こちらも気づまりだ。来週の式まで、気楽にするがいい」
そういうと、手をはずしてレオンは彼女に背を向けた。部屋を出て行くその背中が見えなくなってから、ようやくローズは詰めていた息を全部はいた。
(なんで私がこんな……恨みますよ、お嬢様―!)
ローズは、どこかの空の下にいるベアトリスに向かって心から叫んだ。
事の起こりは、一週間ほど前にさかのぼる。
☆
「あ! お嬢様!」
ローズは、こそこそと裏口から部屋へと向かっていた背中を見つけて、彼女を捕まえようと走り出す。せっかく見つけたのだ。ここで逃がしては大変だ。
声をかけられた女性は一瞬硬直した後、観念したのかその場で振り向いた。
「あら。何か用かしら、ローズ」
「用かしら、じゃありませんよ! また勝手に私の服を着て館を抜け出していましたね!」
「……ちょっとお茶をしてきただけよ」
息を切らして追いついたローズに、ベアトリスは涼しい顔で言った。
「お茶って……仮にもリンドグレーン伯爵令嬢ともあろうお方が、共の侍女もつけずにお一人で街歩きなど……危ないのでおやめくださいと何度も言っているでしょう。だいたい、今日の午後はハープのレッスンが入っておりましたよ?!」
「まあ、そうだったかしら」
とぼけた顔のベアトリスを、ローズはぎりぎりとにらみつける。
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