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 勤務する百貨店のバックヤードで奈緒が傘の雫を払っていると、先輩の吉永が「おはよう」と声をかけてきた。 「おはようございます」 「あら、素敵な傘ね」 「あ、ありがとうございます!」 「でも…小澤の歳にしては、落ち着いたデザインね?」 ロッカーに歩きながら吉永が首をかしげる。 「え?じみ、ですか?」 「ううんそうじゃなくて!」 吉永があわてて両手を振る。 「もしかして、プレゼント?」 「いえ、母のなんです」 一瞬目を大きく開いた吉永は「小澤の趣味のよさはお母さんゆずりね」と、勝手に納得した顔でユニフォームに袖を通した。  白地に陽が透過したような淡い葉をあしらった長傘は、母の形見だ。  奈緒は子供のころ、雨ばかりの梅雨が嫌いだったが、雨でも楽しそうにしている母が不思議だった。 「お母さん、雨いやじゃないの?」 「雨のときにしかできないオシャレもあるでしょ?お母さん、この傘お気に入りなの」 少女のように微笑む母が、奈緒は大好きだった。  この日の雨は時間とともに激しさを増し、帰りの電車が二十分ほど遅れた影響で、車内は朝の満員電車以上に混雑していた。  九時前ごろ駅に着いた奈緒が駅前のコンビニに駆け込むと、レジ待ちの客が行列を作っている。 奈緒はドア付近の傘立てに傘を刺し、店の奥にある惣菜コーナーに足を向けた。  十分近く並んでようやく会計を終えた奈緒は、コンビニ袋を左手に持ち替え入口の傘立てに近寄ったとき「あれ?」とつぶやいた。 傘立てに何十本も刺さった中に、奈緒の傘がない。  ほとんどがビニール傘で、紳士用の黒っぽい傘も数本あるが、奈緒の傘は柄が木製で節がある。いつもすぐに目に入る。 傘立ての後ろに倒れているのではと探してみたが、横倒しになったビニール傘しかなかった。 「盗られた……」 入口で立ち尽くす奈緒を、店内から出て来る客が迷惑そうに避ける。舌打ちする客に「すみません……」と謝りながら、奈緒は泣きそうだった。 「お母さんの傘……」 心の中でつぶやくと、哀しみが込み上げてきた。  いつも節約している母がどうしても欲しくて、何日も悩んだすえに思い切って買った傘だった。  雨の日に、嬉しそうに傘をさして奈緒の手を引く無邪気な母が子供みたいに可愛かったことを思い出し、奈緒は涙をこらえた。  奈緒がビニール傘を買い家路につく途中、横を通り過ぎた車に泥水をかけられた。  帰宅した奈緒は泣きながら、溢れてくる涙をシャワーで流した。 この日は最悪の一日だった。
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