楽園は果てなき

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「ただいま」  家へ帰ってきた。道中は頭の中がごちゃごちゃとして、どこを通ってきたのかなんて憶えていなかった。 「おかえりなさい。今日も暑かったでしょ。早くシャワーを浴びてらっしゃい」  いつものようにお姉ちゃんが迎えてくれた。いつもと同じ笑顔。今はそれを見ると、胸にチクリと痛みが疾る。 「どうしたの? 何かあった?」  何も答えない僕に対して、お姉ちゃんは首をかしげる。  全部、お姉ちゃんに話してしまおうか。このまま引っ込めてしまうよりもずっと楽になるだろう。でも、それはいけないことなんだということも分かっていた。打ち明けてしまえばきっとこれまでの生活が壊れてしまうだろうから。それはできればしたくない。だってお姉ちゃんとの毎日は、僕の中で大事なものだから。でも。 「お姉ちゃん……」  お姉ちゃんの顔をまっすぐに見る。お姉ちゃんは「うん」と答える。そして決心する。 「僕の家族って、お姉ちゃん以外にはいないの?」  頭の中で引っかかっていたことを口に出した。すると、たちまちお姉ちゃんの顔がこわばっていく。 「お祭りに行く夢を見たんだ。僕の他に、男の人と女の人も一緒で。三人で手をつないで屋台を歩き回って。女の人がわたあめを買ってくれたんだ。とても美味しかった。それから、同い年ぐらいの男の子たちと花火をしてた。いろんな花火を眺めて、すごくキレイだなって思った。どれもこれも、大事な思い出だったんだ。 「でも、この町には誰もいない。ここにいるのは僕とお姉ちゃんだけだ。今思えばずっとそうだった。僕が憶えてる限りじゃ、他の人に出会ったことは一度もない。これっておかしいよね。 「ねぇ、お姉ちゃん。お父さんやお母さんはどこにいるの? 友達はどこ?」  どうして今まで忘れていたんだろう。僕にとって、とても、とっても大事な人たち。それこそお姉ちゃんと同じぐらいに。そのことを思い出して、少しだけ、痛かったのが無くなっていた。  お姉ちゃんは僕の頭から手を離す。お姉ちゃんの表情は暗かった。いつも笑顔だったお姉ちゃんが初めて見せる顔だ。やがて口元が動く。 「そっか。思い出しちゃったんだね。大丈夫だと思ってたんだけど、お姉ちゃんの詰めが甘かったんだろうな」  お姉ちゃんはわらう。それは弱々しく、今にも崩れそうな表情だった。  それからお姉ちゃんは、僕の知りたかったこと、本当のことを教えてくれた。  実はこの世界は、本物の世界じゃないの。体感じゃ分からないかもしれないけど、ここはVR、バーチャルリアリティという科学技術によって造られた虚構の世界なの。あなたのためだけに用意された偽りの箱庭。  あなたのお父さんやお母さんは現実の世界で今もお元気でいらっしゃるわ。もちろん、お友達もそっちにいる。ただ、そこでのあなたは……。現実のあなたはベッドの上で寝たきりの状態よ。交通事故による下半身不随でまともに歩けない体になっているの。  事故に遭ってからのあなたはまるで抜け殻のようだったと聞いているわ。自分の足で歩くことのできない日々に苦痛を覚えるばかりで、常に生気のない瞳をしていたとも。不条理な不幸によって、あなたの希望も幸せも無残に壊されてしまった。  そんなあなたを見かねたご両親が下した決断は、あなたをこのVRの世界へ転送することだったの。  この仮想空間でなら、現実の肉体がどのような状態であろうと自由に動き回ることができる。外を走り回ることも、川で遊ぶことも、縁側でスイカを食べることも。なんだってすることができるの。いつか医療の技術が発展して、あなたの足が治るようになるまで、この世界に住んでもらう。それで少しでもあなたに人並みの幸せを感じてもらうことができるのなら、と医療機関がご両親に勧めたの。ご両親はそれに賛成した。そして、あなた自身も。  ここへ来る際に、それまでの記憶は封印させてもらったの。現実の不幸を背負ったままでは、この仮想空間での幸福を一心に受け入れることなんてできないだろうから。ご両親やお友達がここにいないのもそれが理由。  そして。私もまたこの仮想空間の一部。いわゆるAIという存在なの。私はあなたのお姉ちゃんじゃなくて、お姉ちゃんのフリをしてた偽物なの。騙すようなことをして、本当にごめんなさい。  お姉ちゃん、僕がお姉ちゃんと呼んでいたヒトは、深く頭を下げる。  今まで僕が暮らしていたのは偽物で、夢の中で見た記憶が本物。お姉ちゃんの説明を信じるならば、そういった結論に至る。聞いた話はあまりにも現実味がないし、それに信じたくないものだった。  ──横断歩道を渡る僕。そこへ突然駆け込む自動車。ドン、という重い衝撃。薄れる意識──。 「奏多!」  お姉ちゃんが近づいて僕の背中をさすってくれているのを感じた。  どうやら今の記憶は、交通事故に遭う瞬間の光景だったようだ。息は絶え絶えに、心臓は破裂しそうなほどうごめいていた。そっか。この前感じたのは、意識を失う直前の記憶だったんだ。この世界と同じように、まぶしいほど日光が当たる、夏の日のこと。 「お姉、ちゃん」  精いっぱいの声を振り絞って、お姉ちゃんを見上げる。濡れた瞳がうるうると揺れ動く。 「大、丈夫。少し気分が、悪くなった、だけ、だから」 「でも……! 今の奏多、とてもしんどそうだよ! 私が余計なことを話しちゃったから!」  お姉ちゃんは悪くない。そう言ってあげたいのだけど、口は思うように動いてくれない。  だってお姉ちゃんがついた嘘は僕を想ってくれたからこそついたものなんだ。お姉ちゃんを責めるつもりなんて全くない。お姉ちゃんはやっぱり、綺麗で優しくて一緒にいると温かくなる、僕のお姉ちゃんなんだ。
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