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*
ある程度の覚悟はしていたはずだったのに、その言葉は、思った以上の衝撃となって胸に届いた。
それから彼が口にした病名は、案外耳馴染みのあるものだった。
ただ、よく聞きはするけれど、具体的にどういう病気なのかは分からない。病なんて、いざ自分がかかってみないと、そんなものなのかもしれない。
皆、しょせん他人のことになど、さほど興味がないのだ。己に影響を及ぼさない部分については、なおさら。
いつもの悪い癖だ。いけないと思いつつも、あまねはどこか冷めた思考のまま、丈の声に耳を傾ける。
「うち、六年前に、両親と姉が亡くなってるんだよね」
しかし、次のその一言で、ぼんやりとしていた頭が一気に覚醒した。
「えっ……?」
あまりにあっさりした口調のせいもあってか、面食らってしまう。
思いもよらぬ展開に、背筋が冷えるような心地がした。
「その日、六つ上の姉――毬がセンター試験だったんだけどさ。時期が時期だから、雪の影響で周辺の交通機関がほとんどストップしちゃったわけ。よくある話でしょ?」
ことさらに明るい声色が、かえって切なさを助長させる。
「父さんと母さんで送っていって……道も視界も悪かったのかな。スリップしてきた車と衝突して、三人ともそのまま」
「じゃあ、今は……」
思わず口を挟むと、丈は「安心して」とでもいうように弱々しく微笑んだ。
「毬姉の上に、短大卒業して自動車整備士やってる兄がいるんだ」
お兄さんは亡くなったお姉さん――毬の四つ上、末っ子の丈とは十も離れているという。
「事故云々があったときにはもうじいちゃんばあちゃんたちは他界してたし、親戚も頼れそうになかったから、兄貴が借りてたマンションにふたりで住んでる。ボロだけど」
まれに見る歳の差兄弟だが、そのほうが何かと安心できるかもしれない。
丈は家庭事情を話し終えた後「そういうことだから」と気持ちを切り替えるように言った。
「俺、死ぬの怖くないんだ」
その言葉からは、見栄も虚勢もまったく感じられず、また心がさざめく。吹っ切れたような態度に、畏怖にも似た、不気味さすら覚えた。
「だって向こうには、じいちゃんにばあちゃん、父さんに母さん、毬姉もいる。あっ、それに、だいずも」
「だいず?」
訊き返すと、彼は昔を懐かしむようにふっと目を細める。
「俺がちいさいときにいた柴犬。結婚したばっかりの頃、不妊に悩んでた両親が、子供代わりに飼ったんだって。そのあとすぐに兄貴ができたらしいんだけど。十七歳まで生きてさ、大往生だったんだ。かわいかったなぁ……」
具合が悪いはずなのに、家族のことを話す彼の姿は、憎らしいほど生き生きして見えた。
――でも、丈がいなくなったら、お兄さんは?
そう尋ねようかと思ったけれど、なんだか野暮だし、訊くまでもなく返答が想像できてしまって、やめた。
*
話が一区切りすると、なんだかとたんに恥ずかしくなった。
しまった。つい熱くなってしまった。喋りすぎたか?
気まずく思いながら、ちらりとあまねの顔色をうかがえば、当の彼女は、困ったような、少し切なげにも見える表情をしていた。
どう捉えるべきか測りかねて、丈も曖昧に微笑む。そのとき、まだ肝心な一言を言っていなかったことに気づいた。
「その……ごめんね。嘘ついて、騙してて」
歯切れ悪く謝ると、彼女は静かに首を横に振る。
「いいよ、ちゃんと話してくれたんだし。――騙してたのは、私も一緒だから」
「どういうこと……?」
怪訝に思って尋ねると、
「これ」
あまねはそう言って、右手に握ったままのアルミ箔を丁寧に広げ始めた。
程なくしてその全貌が姿を現し……絶句した。
アルミ箔に並んだ、透明の凸。たしかにそれらしい形状だが、錠剤を包装するにしては明らかに大きいのだ。それに、妙に丸くて平たい。
「薬の包装シートなんて、そうそう簡単に手に入るわけないじゃない。見たところ、ずいぶんと厳重に管理してるみたいだし?」
あまねは、いたずらが成功した子供のようにくすくすと笑う。
訊くと、昼休みにたむろしていた女子グループが落としたタブレット菓子の空だという。言われてみればそんな商品、あった気がする。
以前から丈の言動を怪しんでいた彼女は、真実を聞き出すタイミングを、虎視眈々とうかがっていたらしい。そして今日、かすかな動揺を見逃さず、詰め寄った。
なんでも、丈が教室を出てからずっと、タブレット菓子の包装をポケットに忍ばせて、後をつけていたんだとか。
要するに、はめられたわけだ。偽の小道具まで使って、徹底的に逃げ道を絶たれた。
「はは……」
予想以上の周到さに、乾いた笑いが漏れる。
そうでもしないと吐かなかっただろうと、自分でも思うけれど。
「なんだよもう~」
これでも細心の注意を払っていたつもりだったのに、まったく彼女にはかなわない。
「ごめんって。でもこれでお互いさま」
「謝罪に誠意が感じられないんですけどぉ」
むくれて言うと、彼女はまたくすっと笑った。
なんだかほっとするのと同時に、忘れかけていた疲労と倦怠感が、心と体に戻ってくる。
そんな状況を察したのか、彼女がいたわるように切り出した。
「とりあえず今日は帰りなよ。熱もあるんでしょ?」
「でも、兄貴に迎えに来てもらわないといけないし、できれば午後からの授業にも出たいんだよね」
芳しくないとはいえ、たまにめまいと頭痛がする程度で、吐き気もない。今までの経験上、頑張れば乗りきれる。安易に早退を繰り返せば、いつ勘繰られることか。最終手段はもっと慎重に使うべきだ。
「やめときなって。私と喋ってたせいでろくに休めてないんだし、さっきみたいにふらっふらで教室なんか戻っても、余計に疑われるだけだよ」
「けど……」
食い下がると、あまねは辟易したようにため息をつき、立ち上がった。
「――部活、入ってる?」
「え? 入ってない……けど」
突然の質問に、彼女の背中をぽかんと見つめる。
「バス通?」
「う、うん。降りてからちょっと歩くけど」
しどろもどろになりながら、降りるバス停を伝えると、彼女は「一緒じゃん」と呟いた。
そこで、はっとした。
これって、もしかして――
「しょーがないなぁ。罪滅ぼしってわけじゃないけど、家まで送ってってあげる。降りるところ同じってことは、そう遠くないだろうし」
声を上げる間もなく、
「ただしっ!」
あまねは素早く振り返り、ピッと人差し指を立てた。
「学校終わるまでは、ちゃんと保健室で寝てること。いい? 何か怪しまれたら、私が適当にあしらっておくから」
「は……い……」
有無を言わせぬ雰囲気に気圧され、ひとまず返事をすると、満足そうにうなずいた彼女。
それから、何かを思い出したように保健室を見渡して、言った。
「体のこと、先生たちは?」
「あぁ……うーんとね、校長と教頭、今ちょうどいないけど、養護教諭も知ってる。あと、担任には二年になったときに伝えた。ほら、以降はクラス替えないから」
「そう……」
あまねはどこか安心した様子でこぼすと、再び背を向け、
「絶対、おとなしくしてなさいよ」
しつこく釘を刺してくる。
「はいはい。もう分かったってば。早くしないと休み時間終わっちゃうよ? まだお昼食べてないんじゃない?」
投げやりに返すと「あ、そういえば」と思い出したように言って、やっと歩き始めた。
ドアが閉められ、足音が聞こえなくなる。
数秒待ってから――丈は一度大きく息をついて、掛布団を頭までかぶった。
「なにこの展開……」
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