1 七月十九日

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03. ミューズ  社会は自主学習ノートの提出があり、忘れた山田が説教されるのもいつもと同じ。  こう毎度だと、先生じゃなくても、わざとサボってるのかと疑いたくなる。  給食は六人ずつ机をくっつけ、グループで食べる決まりだ。  男子側が山田とオレとケン。女子側は波崎を挟んで、マルとカネが座る。  山丸(やままる)利沙(りさ)がマル、山兼(やまかね)有佐(ありさ)がカネ、二人の名前が似ているため、こんな呼び方が定着した。  オレも他人のことは言えないけども、とても盛り上がる組み合わせとは言えない。  マルとカネは特徴の薄い大人しい女の子、波崎はアレだし、ケンはもっとアレだ。  山田が一人でボケとツッコミをこなしてくれなければ、みんな黙々と食事をするところだった。  にぎやかしは山田、その相手はマルとカネに任せて、オレは波崎の様子を眺めつつ、パンをちぎって口に運ぶ。  事の発端は昨日、水曜日のこの給食時間だった。  例によって山田が漢字の小テストで満点だったことを自慢し、夏休みの宿題も自由作文を選ぶと宣言する。  嫌味ったらしく、「修一も作文にしろよ。楽チンじゃん」なんて言うものだから、食事の間は国語談義で珍しく盛り上がった。  人間は作文のために生きているのではない。  一字書く(ごと)に、脳の計算細胞が一つ破壊される。  自由作文なんてしたら、山田みたいに身長が百五十センチで止まってしまうだろう。  ちゃんと牛乳飲め。  こんなオレの怒涛(どとう)の反論に、波崎は無言で耳を傾けていた。  みんな食べ終わり、机を並べ直している時、彼女にぼそりと質問される。 「国語、苦手なの?」 「苦手っていうか、嫌いなんだよ。文を書いてるとイーッてなる」 「書けるようになる方法があるよ。知りたい?」 「えっ……ああ、うん」 「放課後、教えてあげる」  そして二人で残った昨日の放課後、“ミューズ”の話を聞かされた。  ミューズってのは、美術や音楽といった創作活動を(つかさど)る神で、古代ギリシャの昔から伝わっている存在らしい。  日本ならいつくらいの話かって聞くと、縄文時代末期って教えられた。  ギリシャ神話に登場するミューズは、間違っても羊の姿なんてしていない。美しい女神だそうで、専門分野に合わせて何人もいると言う。  波崎は「何“人”じゃなくて、何“柱”よ」なんて訂正していたが、そんなことはどうでもいい。  ミューズは本当にいる、そう語り出した図書委員に、オレは最初絶句した。  だってそうだろう。夢の世界に生きるのは勝手にすればいいけど、健全な男子を巻き込まないで欲しい。 「呼び出す方法がある。ダメもとで試してみたら? 本当だったら(もう)けもんじゃない」 「そりゃそうだけどさ。お前は試したのか?」 「私はいいの、国語は得意だから。手島くんみたいに、作文が苦手な人こそ手伝ってもらうべき」  用意するのは鏡。  物語を書きたいと強く念じて、呪文を唱える。  “ラルラル タブラ パルサテスラ バルバル ラーサ メッテルニキ”  こんな話を聞いて帰ったその夜、結局オレは鏡を探して母さんの寝室に忍び込んだ。  とても六年生が信じていい内容じゃないし、呪文を唱える自分に(もだ)え死にそうになる。  それでも、だ。  夏休みの宿題はともかく、秋には関真小恒例の、卒業文集制作がある。  先生と相談してテーマを決め、全員必須で書く文集は、なんと一人につき原稿用紙四十枚以上がノルマだった。  (わら)にもすがりたいっていうのは、まさにこういうこと。  万一、ミューズが助けてくれるなら、多少の恥ずかしさくらい我慢できるってもんよ。  何も起きなかったら、からかった波崎に仕返ししてやろうと考えつつ、オレは鏡に手を当てて呪文を口にした。  彼女に有効なイタズラを思いつくより早く、部屋がほんのりと暗くなり、鏡から黒い毛玉が現れる。  予想とは似ても似つかない姿形に、「キミはミューズなの?」って聞いたさ。  ひとしきりギュルギュルと笑われたあと、「そうだよ。信じなくてもいいけど、あとで酷い(・・)よ」って返された。  目からレーザーもどきを発射しながら。  心臓を射抜く赤い眼光――認めよう、あれは恐ろしい。  ミューズがどうとか言ってる場合じゃねえ。  息が止まるわ。  止まってしまうわ、キュウッ!  一通り回想にふけりながら、自分の食事を済ませたオレは、まだ口を動かしている波崎を観察する。  ハムスターを思わせる細かい()み方で、彼女は白身魚のフライを食べ進んでいく。  誰とも目を合わせず、山田の冗談にも全く笑わない。  給食時間が終わっても、昨日のように声を掛けてくることはなく、話ができたのは当初の予定通り、放課後になってからだった。  国語に外国語、そして最後が帰りの会。  いい加減じれてきて、先生の昔話が始まった時は、もう同じ内容を二回も聞きましたって指摘しそうになった。  “六年生の夏休みには、みんなも何かに挑戦して欲しい。先生も、絵のコンテストに応募したんだ。そしたら入賞してな――”  それがきっかけで、勉強を頑張るようになり、教師の道を選んだんだとさ。  絵が()められたら、どういう理屈で国語の先生を目指そうと思うのか、何度聞いても理解に苦しむ。  オチを知ってる話に、心の中で早送りボタンを押しまくった。  さよならの挨拶の後も、まだイライラが続く。  一緒に帰ろうという蓮の誘いを断り、なぜか帰ろうとしない山田を追い出して、人が減るのをジリジリ待った。  他人には聞かれたくないと、波崎が言うものだから、これも仕方ない。  マルとカネは、他の女子と一緒に、まだ教室の入り口付近でお喋り中だ。  オレたちには関心が無さそうだし、これくらいなら大丈夫だろう。  オレは波崎に向かって机に座り、今朝の報告を繰り返した。 「鏡から羊が出たんだ。アイツは何なんだ」 「それがミューズよ。言霊(ことだま)の神様」 「コトダマってなんだよ。神様にしては小さいし黒いぞ?」  大体、女神じゃねえのかよ。  杖を持って、ティアラだったかをかぶった美人が出て来るのを想像したのに。ほら、ゲームでよくいるヤツ。  ちょっと期待もしてた。 「どんな言葉にも霊的な力があるの、それが言霊。羊は言霊の力を授けてくれる、たぶん」 「とてもそんな口ぶりじゃなかったけどな。文を書いて食わせろって、約束させられた」 「羊に導いてもらえば、文章力がつくのよ……たぶん……」  こいつ、“たぶん”って二回も言いやがった。  何が出現するのか、どこまで知っていたのか。契約内容もわかってたのか。  矢継ぎ早に質問を繰り返したけども、波崎の返事は曖昧(あいまい)だ。 「あの、私も協力するからさ。頑張ってみようよ」 「百万字だぞ、書けるわけねえだろ!」 「百万……なんだ」  大きな声に反応して、マルが雑談をやめてこちらへ振り返る。  波崎からは背後になるため、彼女は気に留めずにそのまま話を続けた。 「羊は毎日来るって言ってた?」 「ああ、今夜も来るってさ。八時だったかな。ラルサの(えさ)を用意しないと、どうなるんだ?」 「ラルサ?」 「羊の名前だよ。“ひどい”罰があるみたいだけど、何をされるんだ」  波崎の白目が、またもやむき出しになった。  口を開閉させる彼女からは、次の言葉が出て来ない。  よっぽどマズい質問だったのだろうか。 「怒らせたらダメ。なんだっていいから、餌は用意しないと」 「餌って、作文だろ。それが嫌でミューズを呼んだのに、本末転倒じゃん」 「いいから! 書かないと、ひどいから……たぶん」 「トリプルたぶんかよ。もうちょっと具体的に――おいっ、波崎!」  立ち上がった波崎は、ランドセルを背負うと教室の入り口へ駆け出す。  マルやカネを押し退けて、彼女はあっという間に去って行った。  蒸し暑い教室に取り残されたオレは、頭を抱えたくなる。結局、ロクな情報は教えてもらえなかった。  羊の世話をサボると、どうも本格的にヤバいって確認できたくらいだ。  とぼとぼと教室を出て帰ろうとするオレを、マルが呼び止めた。 「波崎さん、すごい顔だったよ。喧嘩(けんか)したの?」 「してねえよ。イジメてもいない。オレがイジメられた気分だ」 「ならいい……のかな?」 「良くはないな」  波崎の家は、たしか関真ハイツだったか、その辺りだ。  オレの家とは方向が真逆で、この日はもう顔を合わす機会は無かった。
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