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03. ミューズ
社会は自主学習ノートの提出があり、忘れた山田が説教されるのもいつもと同じ。
こう毎度だと、先生じゃなくても、わざとサボってるのかと疑いたくなる。
給食は六人ずつ机をくっつけ、グループで食べる決まりだ。
男子側が山田とオレとケン。女子側は波崎を挟んで、マルとカネが座る。
山丸利沙がマル、山兼有佐がカネ、二人の名前が似ているため、こんな呼び方が定着した。
オレも他人のことは言えないけども、とても盛り上がる組み合わせとは言えない。
マルとカネは特徴の薄い大人しい女の子、波崎はアレだし、ケンはもっとアレだ。
山田が一人でボケとツッコミをこなしてくれなければ、みんな黙々と食事をするところだった。
にぎやかしは山田、その相手はマルとカネに任せて、オレは波崎の様子を眺めつつ、パンをちぎって口に運ぶ。
事の発端は昨日、水曜日のこの給食時間だった。
例によって山田が漢字の小テストで満点だったことを自慢し、夏休みの宿題も自由作文を選ぶと宣言する。
嫌味ったらしく、「修一も作文にしろよ。楽チンじゃん」なんて言うものだから、食事の間は国語談義で珍しく盛り上がった。
人間は作文のために生きているのではない。
一字書く毎に、脳の計算細胞が一つ破壊される。
自由作文なんてしたら、山田みたいに身長が百五十センチで止まってしまうだろう。
ちゃんと牛乳飲め。
こんなオレの怒涛の反論に、波崎は無言で耳を傾けていた。
みんな食べ終わり、机を並べ直している時、彼女にぼそりと質問される。
「国語、苦手なの?」
「苦手っていうか、嫌いなんだよ。文を書いてるとイーッてなる」
「書けるようになる方法があるよ。知りたい?」
「えっ……ああ、うん」
「放課後、教えてあげる」
そして二人で残った昨日の放課後、“ミューズ”の話を聞かされた。
ミューズってのは、美術や音楽といった創作活動を司る神で、古代ギリシャの昔から伝わっている存在らしい。
日本ならいつくらいの話かって聞くと、縄文時代末期って教えられた。
ギリシャ神話に登場するミューズは、間違っても羊の姿なんてしていない。美しい女神だそうで、専門分野に合わせて何人もいると言う。
波崎は「何“人”じゃなくて、何“柱”よ」なんて訂正していたが、そんなことはどうでもいい。
ミューズは本当にいる、そう語り出した図書委員に、オレは最初絶句した。
だってそうだろう。夢の世界に生きるのは勝手にすればいいけど、健全な男子を巻き込まないで欲しい。
「呼び出す方法がある。ダメもとで試してみたら? 本当だったら儲けもんじゃない」
「そりゃそうだけどさ。お前は試したのか?」
「私はいいの、国語は得意だから。手島くんみたいに、作文が苦手な人こそ手伝ってもらうべき」
用意するのは鏡。
物語を書きたいと強く念じて、呪文を唱える。
“ラルラル タブラ パルサテスラ バルバル ラーサ メッテルニキ”
こんな話を聞いて帰ったその夜、結局オレは鏡を探して母さんの寝室に忍び込んだ。
とても六年生が信じていい内容じゃないし、呪文を唱える自分に悶え死にそうになる。
それでも、だ。
夏休みの宿題はともかく、秋には関真小恒例の、卒業文集制作がある。
先生と相談してテーマを決め、全員必須で書く文集は、なんと一人につき原稿用紙四十枚以上がノルマだった。
藁にもすがりたいっていうのは、まさにこういうこと。
万一、ミューズが助けてくれるなら、多少の恥ずかしさくらい我慢できるってもんよ。
何も起きなかったら、からかった波崎に仕返ししてやろうと考えつつ、オレは鏡に手を当てて呪文を口にした。
彼女に有効なイタズラを思いつくより早く、部屋がほんのりと暗くなり、鏡から黒い毛玉が現れる。
予想とは似ても似つかない姿形に、「キミはミューズなの?」って聞いたさ。
ひとしきりギュルギュルと笑われたあと、「そうだよ。信じなくてもいいけど、あとで酷いよ」って返された。
目からレーザーもどきを発射しながら。
心臓を射抜く赤い眼光――認めよう、あれは恐ろしい。
ミューズがどうとか言ってる場合じゃねえ。
息が止まるわ。
止まってしまうわ、キュウッ!
一通り回想にふけりながら、自分の食事を済ませたオレは、まだ口を動かしている波崎を観察する。
ハムスターを思わせる細かい噛み方で、彼女は白身魚のフライを食べ進んでいく。
誰とも目を合わせず、山田の冗談にも全く笑わない。
給食時間が終わっても、昨日のように声を掛けてくることはなく、話ができたのは当初の予定通り、放課後になってからだった。
国語に外国語、そして最後が帰りの会。
いい加減じれてきて、先生の昔話が始まった時は、もう同じ内容を二回も聞きましたって指摘しそうになった。
“六年生の夏休みには、みんなも何かに挑戦して欲しい。先生も、絵のコンテストに応募したんだ。そしたら入賞してな――”
それがきっかけで、勉強を頑張るようになり、教師の道を選んだんだとさ。
絵が褒められたら、どういう理屈で国語の先生を目指そうと思うのか、何度聞いても理解に苦しむ。
オチを知ってる話に、心の中で早送りボタンを押しまくった。
さよならの挨拶の後も、まだイライラが続く。
一緒に帰ろうという蓮の誘いを断り、なぜか帰ろうとしない山田を追い出して、人が減るのをジリジリ待った。
他人には聞かれたくないと、波崎が言うものだから、これも仕方ない。
マルとカネは、他の女子と一緒に、まだ教室の入り口付近でお喋り中だ。
オレたちには関心が無さそうだし、これくらいなら大丈夫だろう。
オレは波崎に向かって机に座り、今朝の報告を繰り返した。
「鏡から羊が出たんだ。アイツは何なんだ」
「それがミューズよ。言霊の神様」
「コトダマってなんだよ。神様にしては小さいし黒いぞ?」
大体、女神じゃねえのかよ。
杖を持って、ティアラだったかをかぶった美人が出て来るのを想像したのに。ほら、ゲームでよくいるヤツ。
ちょっと期待もしてた。
「どんな言葉にも霊的な力があるの、それが言霊。羊は言霊の力を授けてくれる、たぶん」
「とてもそんな口ぶりじゃなかったけどな。文を書いて食わせろって、約束させられた」
「羊に導いてもらえば、文章力がつくのよ……たぶん……」
こいつ、“たぶん”って二回も言いやがった。
何が出現するのか、どこまで知っていたのか。契約内容もわかってたのか。
矢継ぎ早に質問を繰り返したけども、波崎の返事は曖昧だ。
「あの、私も協力するからさ。頑張ってみようよ」
「百万字だぞ、書けるわけねえだろ!」
「百万……なんだ」
大きな声に反応して、マルが雑談をやめてこちらへ振り返る。
波崎からは背後になるため、彼女は気に留めずにそのまま話を続けた。
「羊は毎日来るって言ってた?」
「ああ、今夜も来るってさ。八時だったかな。ラルサの餌を用意しないと、どうなるんだ?」
「ラルサ?」
「羊の名前だよ。“ひどい”罰があるみたいだけど、何をされるんだ」
波崎の白目が、またもやむき出しになった。
口を開閉させる彼女からは、次の言葉が出て来ない。
よっぽどマズい質問だったのだろうか。
「怒らせたらダメ。なんだっていいから、餌は用意しないと」
「餌って、作文だろ。それが嫌でミューズを呼んだのに、本末転倒じゃん」
「いいから! 書かないと、ひどいから……たぶん」
「トリプルたぶんかよ。もうちょっと具体的に――おいっ、波崎!」
立ち上がった波崎は、ランドセルを背負うと教室の入り口へ駆け出す。
マルやカネを押し退けて、彼女はあっという間に去って行った。
蒸し暑い教室に取り残されたオレは、頭を抱えたくなる。結局、ロクな情報は教えてもらえなかった。
羊の世話をサボると、どうも本格的にヤバいって確認できたくらいだ。
とぼとぼと教室を出て帰ろうとするオレを、マルが呼び止めた。
「波崎さん、すごい顔だったよ。喧嘩したの?」
「してねえよ。イジメてもいない。オレがイジメられた気分だ」
「ならいい……のかな?」
「良くはないな」
波崎の家は、たしか関真ハイツだったか、その辺りだ。
オレの家とは方向が真逆で、この日はもう顔を合わす機会は無かった。
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