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05. テーマ
ラルサを怒らせる覚悟があるなら、デタラメ書き作戦でも字を稼げる。
でも、赤い眼光を考えると、それは最後の手段にしとくべきだろう。
用意する原稿、つまりミューズにとっての食事を、ラルサは人間の食べ物にたとえて説明した。
他人の文章は模造品であり、ファミリーレストランなんかに飾っているサンプル食品と同じ。これはとてもじゃないけど、食べられない。
鮮度も大事で、何年も前のノートや宿題を出してきても、マズくて受け付けないと言う。
書いた原稿にこだわるのは、加工が大事だから。
人の心の働きが、言葉同士を紡ぎ、美味しく食べられる言霊に変化させる。
「生肉とか、食べたくないでしょ。焼いてくれないと」
「口で喋ってもダメなんだな。でもさ、野菜なら生でも食べられるじゃん?」
「またそんな。それが横着な発想って言うんだよ」
今夜は初回ということで、ラルサは細かい質問にも答えてくれた。
空白は文字数に入れない。改行ばっかりしても、総量は増えないってことだ。
漢字を平仮名にするのはオーケーらしい。ただ、やり過ぎると味が落ちるため、ほどほどにしろと釘を刺される。
先の六十四字の宣言は、こういったルールに適った部分を数えたものだった。
書き出しと、ラストの一文、それ以外はイミテーションだと全却下した結果だ。
教科書をコピーする際、仮に言葉遣いを変えたり、言い回しを別の表現に置き換えても、カウントは一緒らしい。
中身が同一なら、書き方が違っても盗作である――そう断言されては、納得するしかない。
「おかげで、お腹がペコペコだよ。他に何かないの?」
「あっ、カステラがあります。どうぞ」
「えー、まあいいけどさ」
皿に半分残ってあったカステラを、ふらつきながら床に置く。
ラルサはそれを二つのヒヅメでつかんで、器用に口へ持っていった。
やれパサパサだとか、飲み物はないのかなんて文句をつけつつも、ペロッと平らげてしまう。
「なんだ、普通の食べ物でもいいんじゃん」
「これはこれ、言霊は言霊。別腹なの!」
カステラで満足したのかどうなのか、今夜はこれで帰るとラルサは告げた。
明日こそちゃんとしてよと言う羊に、これじゃまた同じことの繰り返しになると追いすがる。
ルールは把握したけども、書き方は一向に分からない。どんな罰があろうが、百万字なんて絶対に無理だと懸命に訴えた。
鏡に片足を突っ込みながら、振り返ったラルサは、ビシッとオレの顔をヒヅメで指す。
「キミはね、カッコつけ過ぎなんだ。もっと思ったまんま書けばいいんだよ。テストじゃないんだから」
「その思ったまんまが難しいよ……」
「難しいことを考えるからでしょ。身近なこととか、好きなものとか。題材選びが大事」
それだけ話すと、黒い羊は鏡の中へ消え去った。
抽象的なアドバイスではある。それでも、やっと聞けたミューズらしい助言には違いない。
「テーマ……」
案外、羊に鍛えられれば、本当に国語が得意になるのだろうか。
百万字は拷問そのものでも、クリアすれば小説家になれると言うのなら、挑戦してみていい気がしてきた。
自分でも意外だけど。
“才能あふれる小学生、鮮烈なデビュー!”
いキャッチフレーズだ。
なんて言うんだっけ。文豪でいいのかな。
思いがけず招いた羊ではあっても、簡単に諦めるのは主義に反する。
どうせだったら、山田に国語で勝つくらいには、ラルサを有効利用したい。
でも百万字はなあ……。
一週間くらいで、許してもらえないかな。
あんまり先のことを心配しても仕方ないし、しばらくチャレンジして、事態がどう転ぶか様子を見ることに決めた。
赤い光にあてられたせいか、頭が軽くふらつく。
母さんがたまに言っている低血圧ってのが、多分こんな感じなんだと思う。
深呼吸して、部屋の揺れが止まるのを待ちながら、ゆっくりと床の原稿用紙へ視線を落とした。
なぜさっきは気づかなかったんだろう。
用紙を埋めていた自分の字が、綺麗さっぱり消えている。
紙を引き寄せ、下に重なった原稿も確かめると、どれも買ったばかりのように白紙だった。
あの羊は、こうやって言葉を食べるんだ。
不思議な現象に、ラルサが科学の通用しない世界から来ていると痛感する。
いや、そりゃ人語を解するミニ羊ってだけで、充分ファンタジーだとは思うけどさ。
現実世界にこうしてはっきり痕跡が残ると、また違った感想も持つってもんだ。
時刻は九時過ぎ、一時間ちょっと羊と喋っていたことになる。
昨夜は早く寝たので、まだ眠気からは遠い。
ゲームに熱中している時は、深夜零時以降まで起きているくらいだから。
拾った原稿用紙を机の上に戻し、ラルサの助言を思い返す。
テーマ、ねえ。
好きなものと言えば、サッカーかゲーム、もしくはサッカーゲーム。
サッカーをネタに書くのは、読書感想文よりは楽そうに思うものの、今ひとつイメージが湧かない。
小説や解説文とかは読んだ機会が無く、サッカーはテレビ中継や漫画で鑑賞するスポーツだ。
自分のプレイを題材にすると、さらにぐっと難易度が上がる。
ベッドの脇にある本棚に目を動かし、上から順に持っている本の背表紙を見ていく。
生まれてこの方、小説なんてほとんど読んでおらず、棚に並ぶのも漫画ばかりだ。
教科書に載っている話じゃ、レベルが高過ぎて参考にならないし、コミックを小説にするのも面倒そう。
大体、漫画のストーリーをそのまま書いて、ラルサは認めてくれるのか。
“自分の心が生んだものであること”
誰かの真似じゃなくて、自分のオリジナルを考えろってことだ。
そうは言っても、教科書も漫画も使えないとなると、他は辞書か図鑑くらいしか――。
本棚の最下段に目を留めたオレは、棚まで這い寄り、一冊の本に手を伸ばした。
これなら書けるかも。
取り出した本と原稿用紙を机の上に並べ、ハンドル式の鉛筆削りに次々とHBの鉛筆を突っ込んでいく。
手持ちの鉛筆をあらかた削り終えた時には、書き出しの構想が頭の中でまとまった。
書いた文字が食べられたおかげで、原稿用紙が再利用できるのはありがたい。
エコってやつだ。
でも、今から書くのは横書きの用紙の方が好ましかった。
たしか、数ページしか使っていないノートがあったはず。
引き出しをゴソゴソ漁って、罫線の無い白紙の計算用ノートを探した。
五年生の時にもらったものの、プリントの空いたスペースで計算するオレには不必要だったものだ。
青表紙のノートを見つけると、最初の三ページを破り取り、思いつくままに細かな文字を書き込み始めた。
途中、さっさと風呂に入れと母さんに呼ばれ、十五分で入浴を済ませる。
歯磨きで三分、トイレで二分。無駄を省いたスムーズな動きで、トータル二時間と少しを執筆に充てた。
結果、原稿用紙なんて目じゃないビッチリと字で埋まったページが、五ページも完成する。
このテーマなら、まだまだ書けるぞ。
続きは明日、今度こそ羊を感心させてやろう。
日付が変わって四十分くらい経った頃合いで中断し、鉛筆を置く。
右手小指の付け根辺りが、鉛筆の粉で真っ黒に汚れてしまい、指先にも痺れを感じる。
こんな量の字を一気に書いたのは、生まれて初めてかもしれない。
一階の洗面所へ降りるのも面倒だと、手はティッシュで適当に拭いて布団に入った。
疲れはしたものの、達成感が心地好い。
目を閉じて、寝息を立てるまでに、五分とかからなかった。
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