2 七月二十日

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07. 『ラストモンスターズ』 ◇◇◇ 『ラストモンスターズ』  著 手島修一  主人公は、大陸の端に位置する漁村に住む少年です。  ある夜、美しい女神が夢に現れ、魔王を倒してほしいと語りかけました。  まだ若く魔法もロクに使えない少年ですが、女神の願いを聞き、村を旅立つ決意をします。  主人公はあなた、さあ、未知なる冒険の旅へ! 1 装備を整えよう!  初期装備は木綿の上下に、父の形見の短剣(ダガー)しか持っていません。  これでは、村の外にいる魔物ウサギ(キラー・バニー)にも苦戦するでしょう。  まずは村の入り口周辺で、弱い敵を倒してお金を貯めましょう。  最初はアバレキノコや、ジャイアントアゲハが手頃な相手です。  ただし、たまに出現するポイズンモスには要注意!  アゲハとよく似た外見でも、こいつは毒攻撃を仕掛けてきます。  毒消しを購入するまでは、“逃げる”を選ぶのが賢明です。  村の中央には、精霊の井戸があります。  この井戸の水を飲むと、体力と魔力は最大値まで回復するため、序盤はフル活用しましょう。  三百ゴールドを貯め、革の鎧とショートソードを村の店で購入し、余ったお金で薬草を買い込みます。  村の人々は、周辺の情報や魔物の弱点について教えてくれるので、一通り話しかけるのが良いでしょう。  母からは地図が、幼なじみのヤマーダからはファイヤーの魔導書がもらえます。  準備ができれば、いざ次の町へ! ・このエリアで出現する敵  ジャイアントアゲハ   攻撃方法 : りんぷん   弱点 : 火属性   獲得アイテム : きれいなハネ  レッサーモグラ   攻撃方法 : どろかけ、ひっかき   弱点 : 水属性   獲得アイテム : どろだま  ダークタンポポ   攻撃方法―― ◇◇◇  誰が読んでも、これを小説とは言わないだろう。(まご)うことなく、ゲームの攻略本だ。  もちろん、『ラストモンスターズ』なんて名前のゲームは現実には無い。  勇者となって邪竜を討伐する大ヒットゲーム『ドラゴンソード』をベースにして、魔物を仲間として集めて戦う『コレクトモンスターズ』を混ぜてみた。  大陸の簡単な地図を描き、主人公が進むルートを決める。  (さび)れた村から古い森へ、小さな町を巡りつつ、やがて王国の首都へ。  道中には大量の魔物がうろつき、宝が眠る迷宮(ダンジョン)もある。  幼なじみのヤマーダは、途中で仲間になって一緒に旅をするものの、中盤で裏切って魔王側につく。  覚醒したヤツの正体は魔蛇(まへび)、手強い中ボスだ。  最後は北の果てまで行き、氷の山の頂上に建てられた魔王城で決戦となるが、まだそこまでは書いていない。  魔王サルラには、四天王と呼ばれる配下が存在し、彼らを先に討っていく。  この二日で、四天王の二人目パルラと対決するところまで書き進めた。  ノートの大半は、魔物のデータや武器と防具の解説が占める。  魔法の種類は八系統に分かれ、細かな段階を踏んで、徐々に主人公も強力なものが使える設定だ。  この説明にも、一ページを丸々費やした。  自分でも驚いたのだけど、オリジナルゲームの細部を書き連ねていくのは、結構楽しい。  ちょっと和風な妖怪系モンスターを登場させようとか、戦闘はカードバトル形式でも面白そうだとか。  アイデアがどんどん浮かび、書く内容には困らなかった。  羊に食べられてしまうと、この文字列も手品のように消えるのだろう。それを思うと少し悲しいくらいには、気合いの入った力作だ。  さすがに技の威力表や、魔法系統の樹形図まで凝る気にならず、フリーハンドで適当に線を引いて済ます。  モンスターはタイプ別に色分けしたかったけど、これも黒一色で我慢した。  これはという出来栄えに書けたら、コンビニまで走ってコピーした方がいいかもしれない。  いや、そこまでしなくても記録には残せるな。  一階に下りてリビングへ行くと、母さんはテレビでニュースを見ているところだった。 「カメラ、貸して欲しいんだけど。課題で使うんだ」 「いいわよ。どこにしまったかしら」  テレビを消し、パソコンのある書斎へ向かった母さんは、しばらくして小さなデジカメ(コンデジ)を持って帰ってくる。  本体と充電用のケーブルを受け取り、操作方法を教えてもらう。 「何枚くらい撮れるの?」 「メモリーは(から)だから、五百枚くらい。しかし、修一もしっかりしてきたわね。来年からは中学生だもんねえ」 「あー、うん……」  喜んでるようだから、下手に会話を続けて詮索(せんさく)されないうちに、二階へ駆け戻った。  時刻は七時半、写真を撮る時間は充分にある。  創作ノートを床に広げて、最初のページから順に撮影していった。シャッターボタンを押すだけだから簡単だ。  背面モニターで画像を確認し、小さな文字まで綺麗に写せたことに満足する。  七時四十五分。  手鏡を創作ノートの(かたわ)らに置く。  椅子に座ってラルサを待っている時、ふとノートと鏡をカメラのファインダー越しに眺めてみた。  あの黒い羊、写真に撮れるんだろうか。  出現のタイミングを激写してやろうと、デジカメを構えた姿勢で、シャッターチャンスに備えた。  ちょっと気が早すぎて、十分くらいは身じろぎもせず待つハメになる。  デジカメを支える左手が、そして、シャッターボタンに添えた右の人差し指がムズムズ痺れを訴え出した頃、ようやく鏡面に変化が表れた。  インクを一滴、鏡に落としたように、漆黒の小さなシミが浮かぶ。  波紋を描いて拡大した黒ジミから、ツヤのある突起が生えた。タケノコみたいなラルサのヒヅメ、その先端だ。  ヒヅメを鏡の縁に引っ掛かけたラルサは、勢いをつけて外へ飛び出す。  この瞬間を逃すまいと、ボタンを長押しして連写モードを発動させた。  カチャカチャと鳴り続くシャッター音に、ラルサは苛立った声を上げる。 「うるさい出迎えだね。デジカメでしょ、それ」 「ハイテク機器も知ってるんだ」 「馬鹿にしてるの? 知識が無かったら、言葉も味わえないよ。それより、なんで撮影したのよ」 「いや、記念に撮っとこうかなあって」 「好きにしたらいいけど、無駄だよ」 「ん?」  黒羊の写真を撮れば、誰かに助けを求められるかもと少し期待した。  そうじゃなくても貴重な魔物モドキの画像だ、テレビ局に買い取ってもらったり、ネットで人気を獲得したり、使い(みち)はいくらでも考えられる。  だけど、ラルサの落ち着き様を見て、嫌な予感が渦巻いた。  撮影済みの画像をモニターでチェックしてみると、案の定と言うか、どれも黒羊の姿が写っていない。  いくらか予想の上とは言え、多少気落ちして羊に直接尋ねた。 「ラルサは写真に撮れないの?」 「キミ以外には見えもしない。見えるようにもできるけどね。ボクは消えそこねて失敗するような間抜けじゃないから、諦めなよ」 「自分で消えたり現れたりできるんだ」  その後、つまらないことをするなと説教が続く。  人に話したところで誰も信じないし、そんな暇があるなら書け、と。 「人間は契約を軽んじ過ぎる」と言われ、これにはノートを指して反論した。 「今日はちゃんと書いた。それ、そのノート」 「へえ……どれどれ」  昨夜と同じく、ノートに(あご)を乗せたラルサは、ぶるぶる頭を震わせる。  歯ぎしりの響きも、また三十秒くらい続き、羊の裁定を息を()んで待ち構えた。  震動が止まっても、しばらくラルサは口を開かない。  感想が無いのに痺れを切らして、自分から自信のほどを話した。 「文字の数は十分だよね? こんな量が書けるとは思わなかったよ。自分の好きなことを書くって、大事なんだねえ」 「……六千二百、三十九字」 「すげえ! 六千! これってプロレベル?」 「ギュエェ……」 「ギュエ?」  ラルサは畳に向かって、何度もギュエギュエと咆哮(ほうこう)を繰り返す。  これは――えずいてる? 「あの、大丈夫?」 「ギュマズイッ! キミは、なんてものを、食べ、させるの!」 「ええーっ! マズいって、そんなあ……」  攻略本はよほどお気に召さなかったらしく、前脚を振り振り、こんな資料集を食わせるなとラルサがわめき立てた。  赤い眼がプレッシャーを放ちつつも、鈍く拡散した光は耐えられないほどじゃない。  どうも涙目で赤光がにじんで、威力が弱くなってるようだ。  これはチャンス、抗議するなら今だ。  オレの主張は三つ。  一つ目、攻略本も本屋で売ってるベストセラーであり、立派な本だ。  二つ目、これは完全にオリジナルで条件は守った。  最後に、母さんにしょっちゅう言われる小言を、そのまま羊に返す。  好き嫌いしないで食べろ。 「あのさあ、本ならなんでもいいわけないんだよ。それじゃ、辞書でも説明書でもオーケーになっちゃう」 「辞書や説明書はつまらない。攻略本はチョー面白い」 「キミにはね。友達に読ませてごらんよ、鼻で笑われるから」 「ぐっ……」 「言霊はね、詩や物語なんかに宿るんだ。単なる説明文じゃ、生野菜をかじってるのと同じ。キミもピーマンを生で食べたくないでしょ」 「ぐぐっ……。でも、こういうのじゃないと書けないんだよ。ダメージ計算式まで、バッチリ設定したのに」 「ギュハー」  ため息をついたラルサは、首を横に振りながら、すっくと立ち上がった。  書くなと言っても、どうせまた攻略本を書くんでしょ、そう問われたオレは、うなずくしかない。 「マズくても、六千字にカウントしてくれたじゃん」 「六千二百三十九字ね。残り、九十九万七千六十一字。食べた以上、数えはするよ」 「頼む、そんな文字数、攻略本じゃなきゃ書けないよ」  深紅の目からにじみが失せ、部屋がゆっくりと赤く染め上げられていく。 「マズい食事はゴメンだ。攻略本なんて、二度と書くな」 「なっ……!?」  いきなり口調の変わったラルサに驚き、二の句が継げない。  荒俣彦々は、黒い羊をミューズと呼んだ。  それを読んだ波崎も羊のことを創作の神、少なくともその使いだと考えている。  しかし、ずっとあとで知ったことだけど、ラルサには別の呼び方があった。  言霊の邪羊(じゃよう)、本物のモンスターがギュルギュルと声を上げる。  何がおかしいのか、ラルサは笑い始めていた。
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