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⑥
「ふぅ……」
コンビニを出て家とは真逆の方向に少し歩くと、小さな公園がある。
古びた滑り台とジャングルジムだけがあるその場所で、幼い頃まだ活発だったあさひとよく遊んだ。あさひに限らず、あの頃はここに来れば誰かしら遊び相手がいたのに、今は子供はおろか猫一匹さえいない。
がらんとした薄暗い公園に置かれた汚いベンチに腰掛けて、買ったばかりの肉まんにかぶりついた。
「うまくやってんのかなぁ」
ガチガチに固まって向かい合っていた2人を思い出す。
どっちもこの世の終わりみたいな顔で私を見てきたのが面白かった。
“両片想い”という言葉があることを知ったのは最近だ。
あの2人は保育園の頃から両片想い。
お互いにスペックを上げすぎて、こんがらがってしまった。
きっと今日も、特別な進展はないだろう。
そう思うから2人きりにしてあげたのだ。
もふもふした肉まんの皮がうまく飲み込めなかったので、一緒に買ったコーヒー牛乳の力を借りて流し込む。
ふわりと甘く口に広がる余韻を味わいながら、彼らの恋心の歴史を思い返す。
あの2人が両想いだということに気付いたのは、小学2年生の頃。
当時は、どうか2人が気付きませんようにと願っていた。
3人で過ごす時間は、私の宝物だったから。
あさひは気付いていないが、私の今の父はもう5人目だ。
ちなみに小学生の頃は3人目だった。
籍さえきちんと入れているのかどうかもわからない、定期的に入れ替わる正体不明の父親たち。
父親が変わるたびに、身に纏う雰囲気を変える母親が好きではなかった。
そんな中、あの2人との時間だけが揺るぎなく偽りのないものだったのだ。
その大切な時間を壊したくない一心で、2人を取り持たなかった。
どちらかというとむしろ、邪魔していたと思う。
そんな心の狭い私を変えてくれたのは、恋人の存在だ。
前からずっとずっと憧れていた人だった。
思い切って告白して、条件付きではあったものの受け入れてもらえた時には、天にも昇るほど嬉しくてしばらく浮かれていたっけ。
彼から提示された交際の条件は、高校を卒業するまでは適度な電話と月1回の日中デートだけで我慢するということ。
「高校を卒業してもまだ僕を好きなままだったら、その時は改めて恋人になろう」と、ずいぶん年上の彼は言った。
不満がないわけじゃないけれど、社会的に見ても大人と中学生の恋愛がまずいのは理解できたし、仕方がないと納得している。
彼は本当にできた人だ。
昔より今の方がずっと好き。
本物の恋人になるまで、残り2年弱。
彼がいてくれるから、私は2人の恋を今度こそ心から応援できる。
もう絶対に、邪魔なんてしない。
と思っていたところで、タイミングよくスマホが震えた。
「もしもし?」
『やあ。恋のキューピッドは順調かい?』
彼の声音を聞くと、心が落ち着く。
まるで精神安定剤だ。
「今は、荒療治中」
『荒療治?』
「私の部屋に、2人きり」
『おやおや』
「大丈夫。私の部屋でへんなことにはならないよ」
『そこまで心配はしていないけど……』
「今ね、ちょうど、ユウキ君のこと考えてたんだ」
『それは光栄だなぁ』
彼が小さく笑う声が、電話越しに聞こえてくる。
その声が身体にするすると溶け込んで、細胞全部が嬉しい嬉しいと叫んでいる。早く会いたい。手を繋ぎたい。
「声が聞けて嬉しいな」
『いつでも電話くれればいいのに』
「お仕事のタイミングとかあるじゃん」
『京香の電話はいつだって最優先だよ』
あぁ、嬉しい。
こういう何気ないひと言を絶妙のタイミングでくれるこの人を、私は本当にほんとうに大好きなんだ。
『部屋にはそろそろ戻るのかな?』
「うん、そうだね。2人きりにしたところでうまく進展しないだろうし」
『そうか。2人によろしくな』
「よろしくって? 伝えるの?」
『心の中で伝えてくれ』
「ふふっ。はぁい。……お仕事がんばってね」
『京香も、キューピッドがんばれ』
「うん、ありがと」
彼と喋ると、甘えん坊の私が顔を出す。
彼以外の前では、こんな風に無防備な声は出せない。
母親にも、正体不明の父親たちにも、聞かせたことはない。
通話の切れたスマホを見つめる。
彼は超能力者かもしれない。
欲しいタイミングで欲しい言葉をちゃんとくれる。
冷めた肉まんとぬるくなったコーヒー牛乳を一気に身体に流し込む。
「よし、キューピッドがんばるぞ」
夜空を見上げてそう声に出すと、答えるように蛙が鳴いた。
ケロケロ。
1匹の声をきっかけに、いくつかの声が聞こえ始める。
応援団員を得た私は、本当に応援団長になったような誇らしい気分に包まれた。
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