第一章 伏川町

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039. 絶体絶命  火炎弾は社務所に直撃し、先程まで自分達がいた境内に火の手が上がる。近代建築であるマンションなどと違い、火の回りが早い。  この季節、空気の乾燥しがちなアレグザにおいて、木造建築や枯れ葉は、火炎の術式の効果を助長させた。 「火炎弾が狙ってるのは、まだジンジャだけだわ!」  レーンの言う通り、他に炎は見えない。高所を焼き、低地で追い立てるつもりだろう。 「やることは変わらない。予定通り、南東へ行きましょう」  彼女は先頭を切って、石段を駆け降りて行く。  脚を(いたわ)らないレーンにハラハラしながら、涼一たちもその背を追いかけた。  参詣道の入り口には槍兵が二人やって来ており、涼一たちとほぼ同時にお互いを発見する。  人数からして警戒任務と思われる二人は、仲間の死体を見つけた上に運悪く涼一たちと鉢合わせしてしまい、驚いた表情を隠せていない。  彼らが何か行動を起こす前に、ヒューの投擲矢が一閃し、奥の兵の喉を潰す。  涼一の動きも素早く、手前の兵に向けてボタン電池を投げつけたものの、こちらは身を屈めて避けられた。  その兵の顎を、一瞬で間合いを詰めたレーンがナイフで叩き上げる。“骨砕き”の衝撃は後頭部に抜け、血飛沫と一緒に軽兜が飛んだ。  レーンとヒューは、戦闘後も足を止めることなく走って行く。帝国兵の槍を拾った涼一は、妹たちと一緒にその背を追った。  接近戦に自信がなく、包丁すら使うのをためらった涼一だったが、背に腹は変えられない。この苦境、武器が電池だけでは厳しい。  彼は遅れ気味のアカリの気にしながら、周囲にも注意を払う。  神社から街の境界線は近い。何分と経たずに、切断された民家が現れ、そしてその奥にはアレグザの平原が見えた。  境界線の手前で、レーンが急停止する。  彼女の顔が歪む。怪我の痛みのためではない。  街のすぐ外に立ち並ぶ障壁部隊の兵たちが、脱出者を拒絶していたからだ。 「ヒュー、あれに穴を開けて!」 「無茶言うな、あの数を相手にはできん」  袋の口が、閉じられてしまった。  レーンは前方を睨みつけ、兵を噛み砕かんとばかりに歯を食いしばる。  涼一が後退を促すため、彼女の肘を掴んだとき、火炎の魔石が彼らの背後へ投げ込まれた。  今来た道を遮るように、炎の壁が立ち上がる。 「後ろからだと!」  ヒューは魔石の投擲元を見極めつつ、戦輪を構えた。  彼の武器が緑光を帯びたその刹那、青い矢が戦輪を弾き落とす。 「ぐっ!」  既視感を覚えるこの光景は、レーンの受けた攻撃と同じだ。  追魔の弓、術式を狙い撃つ矢。  障壁部隊中、最も面倒な敵が、彼らの退路に立ち塞がったのだった。 「俺たちを外に押し出す気だ!」  後方からは火と矢、外には隊列を組んだ障壁部隊が待ち受ける。  涼一に叫ばれずとも、レーンとヒューも敵の意図を察した。攻撃が手緩いのは、殺さず捕獲するつもりなのであろう。 「家に隠れて!」  レーンの指示通り、涼一たちは手近な遮蔽物へ身を隠す。  涼一とヒューは道の南側、玄関の潰れた半壊家屋へ。  レーン、若葉、アカリの三人は、道を挟んで向かい側の家へ向かった。彼女たちは、庭のレンガ塀の裏に回り込む。 「ヒュー、炎を抜けてきた敵の対処を頼む」  涼一はリュックからトイランドのビニール袋を取り出すと、外へ飛び出そうとした。  無謀な突撃を、ヒューが驚いて止めようとする。 「特攻するつもりか? 矢の的になるぞ」 「死にやしないさ」  敵が捕獲に(こだわ)り、致命傷を避けようとするならチャンスはある。左手にビニール袋を、右手に槍を持って彼は炎の壁へ向かった。 「リョウイチ!」  レーンが彼の行動に即座に反応し、援護のために自分も壁裏から出る。  燃え上がる炎まで、涼一から民家三軒分。  猛然とダッシュする涼一の前に、黒いローブに身を包んだ兵が現れた。障壁部隊、突撃兵――炎を物ともしない二人の兵は、火壁をくぐり抜けて彼へ迫る。  レーンのような隠密効果はないが、突撃兵のローブには各種耐性が仕込まれていた。涼一たちには障害となる炎へも、彼らは耐火性能を活かして突っ込んでくる。  先の二人の後ろには、さらに二人の突撃兵が続く。  真正面の一人が、涼一の鼻先まで一瞬にして詰め寄った。その手には短剣が握られる。  湾曲した刃が、ギラリと炎を反射させた。 「くらえ!」  涼一が渾身の力で突き出した槍は、兵にスルリとかわされる。  敵兵の狙いは、涼一たちの無力化だ。姿勢を低く、槍の死角に潜り込んだ兵は、そのまま走り抜けざまに彼の左足首の腱を斬り掛かった。  涼一の足を、ヒューの投擲矢が守る。リザルド族の人間離れした力を載せた一撃が、兵の額のど真ん中に命中した。  頭蓋骨を貫通した矢は、脳で止まり、突撃兵はその場に崩れ落ちる。  倒れた敵を右によけ、さらに前へと進む涼一を、やはり短剣を持った二人目の兵が待ち受けていた。 「させないっ!」  涼一に向けられた短剣を、今度はレーンの骨砕きが叩き落とす。  兵はすかさず爆炎の魔石を転がして後ろに跳ね下がり、彼女から距離を取った。小規模な爆発が、涼一たちの動きを止める。  突撃兵たちに、相手を休ませるつもりは無い。  後列にいた二人の兵が、涼一を左右から挟撃しようと動いた。彼らに対応して、ヒューが涼一の左に、レーンは右に進み出る。  キンッと鼓膜を震わせる硬い衝突音が二つ、涼一の間近で重なって発生した。兵の短剣は骨砕きと戦輪で弾かれ、またもや涼一は仲間に救われる。  レーンたちが斬り結ぶ間に、魔石で後退していた兵が涼一へと再び接近した。その両手にあるのは二本の小型ナイフだ。ナイフの刃渡りは、短剣よりもずっと短い。  横薙ぎに払った涼一の槍は、その軌道の上を越すジャンプで避けられてしまう。  涼一の目の前に着地した突撃兵は、今度こそ誰にも邪魔されずに彼の身体へ刃を突き立てた。 「ぐあっ!」  片方のナイフは彼の左腿へ、もう一方が右の肩の付け根に刺し込まれる。  その衝撃で槍も袋も地面に落とし、涼一は膝から崩れそうになった。反撃もままならず、彼は次撃を放とうとナイフを引く兵へ抱きつく。 「お兄ちゃんっ!」  いつの間にか、若葉が我慢できずに飛び出し、兄の後ろに駆け寄っていた。  突撃兵ごと倒れ込み、敵を抑え込もうとする涼一だったが、ナイフは場所を変え、今度は両脇腹に刃が沈む。 「武器をくれ、若葉!」  腹を刺されても力を緩めない彼に、突撃兵の動きがわずかに鈍った。  涼一の刺された箇所は緑光を発し、一瞬で傷が塞がっていく。 「なぜ――」  ――動けるのか、そう兵は問いたいのだろう。  捕縛するなら、致命傷を与えるわけには行かず、さらなる攻撃を加えるべきかナイフが宙で静止した。  そのほんの瞬時の隙が、涼一の反撃のチャンスだ。彼は妹が転がして来た遺物をつかむ。 「くらえっ!」  発炎筒で突撃兵の鳩尾(みぞおち)を突き、涼一は魔素を流し込んだ。  煙が、火が、兵を中から(いぶ)す映像を思い描いて、目の前の光景にダブらせる。 「ぐっ、があぁ……!」  発炎の術式が発動すると、兵は全身の毛穴から煙を噴き出し、ダラリと力を失った。  涼一の脇腹は血に塗れたものの、痛みは無い。またフィルムを逆回しするように傷は閉じ、服の切れ目と血痕だけを残して消えた。  致命傷でさえなければ、外傷は彼を殺し得ない。それに気づいていた涼一は、慣れない接近戦闘に身を投じたのだった。  遺物から得た力は各器官に組み込まれ、体内魔素を燃料にして今も発動し続けているらしい。  回復の術式のせいだけとも思えない力だが、圧倒的な治癒力なのは確かだ。  自身の回復能力に確信を得た涼一は、レーンと戦闘を続けている突撃兵に飛び掛かる。  素人のタックルなら、熟練兵が避けるのも容易だ。涼一を横に受け流し、突撃兵はついでのように彼の手首と足首を斬りつけた。  しかし、涼一はその斬られた右手で、敵のローブを捉らえる。  兵の流れるような体捌きは、涼一の強引な戦法で崩された。その隙を、レーンの骨砕きが捉える。 「はぁっ!」  足を払われ、横転した兵はアスファルトに叩きつけられた。その喉に、彼女は刃を突き刺す。  レーンは死体となった兵の腰からナイフを奪い、ヒューに対峙する相手へ投げ付ける。  ナイフは黒いローブに刺さり、これもまた敵の隙を生んだ。  突撃兵が気を取られた瞬間、ヒューはその背中に回り込み、うなじに刺した投擲矢で息の根を止める。  第一陣の突撃兵が全滅したことは、後方に控えた狙撃班が確認していた。間髪置かず、彼らは殲滅用の火矢を撃ち込んでくる。  火炎弾ほどの威力はなくても、ヒューを後ろに吹き飛ばすほどの爆炎が、涼一たちの前に発生する。  若葉に助けられ、体を起こしたヒューが叫んだ。 「リョウイチ、何をする気かしらんが急げ!」  アカリはレーンの方に駆け寄り、化粧水を用意する。 「涼一さん、火を消します!」 「いや、消すな!」  アカリを制止した涼一は、火炎を見据えながら、ビニール袋を拾い上げた。  ――火で発動する遺物を、まとめて放り込んでやる。  トイランドのトレードマーク、人形を抱えた象の描かれた袋。その中には、持ち運びやすい小型の家庭用花火が詰め込まれている  ネズミ花火――跳ね回って敵兵を撹乱するのを、彼は期待した。  ロケット花火――小さなミサイルにならないか。  小型打ち上げ花火――照明弾に使えそうだ。  線香花火――効果は小さそうだが、荷物にはならないだろう。  蛇花火――コールタールピットの玩具花火。地味だが、モコモコと伸びる不思議なこの玩具を、幼い涼一は大好きだった。  トイランドのオリジナル花火セット――各種手持ち花火が、たっぷり詰め合わされている。  どれも詳しい効果なんて分からない。花火といえば火と光と煙、これだけ量があれば、きっと何かが起きる。  火勢の増した目の前の炎に、涼一は袋ごと花火を放り込んだ。  敵に向かって飛ぶロケットを、空に溢れる火花を、勢いよく増える黒い蛇花火を、彼はそこに()ようとする。  先に在るのは目的。自分達を守る火花の雨、術式はその目的を形にした。  不粋な炎の障壁の中から、大量の火の粉が湧き出てくる。  七色の光の噴水が、最初は小さく、すぐに家屋の屋根に降り懸かるくらいに大きくなった。  それと同時に、球状の極彩色の花が、ポンポンと道を埋めるように発生する。  魔素が散りばめられた、光の花。  花は涼一たちの近くから奥へと、球を重ねながら数を増やして行く。  アルミ片を大量に散布したように、キラキラと瞬くまばゆい輝きが、通りに満ち(あふ)れた。 「綺麗……」  アカリがつぶやくのも無理はない。大金をかけて街を飾る電飾も()くやという光景に、レーンですら言葉を失う。  彼らがいる場所は、昼と変わらない明るさで照らされた。  ヒューンッ!  ロケット花火特有の飛翔音が、街の西へ、南へと飛んで行く。  彗星のように光る尻尾を伸ばし、その落ちる先は伏川町全域に及んだ。  この場違いなお祭り騒ぎの雰囲気を一変させたのは、蛇花火が発動させた効果だった。  光と火花の洪水の最中(さなか)、いきなり黒々とした塊が地に膨らむ。  急成長する植物を思わせる黒塊は、巨木の幹と化し、その幹がいくつも絡みあって、さらに巨大な身体を作る。  一晩で天に届いた豆の木の話を想起させるが、この黒樹の伸びるスピードはもっと速い。  その成長方向も天空へではなく、涼一たちから西方向、水平に伸びて行く。 「げえぇ」  おどろおどろしい玩具花火の術式が、爛々とした光の花たちを塗り潰して行くと、アカリがゲンナリと(うめ)いた。  その落胆には若葉も同意する。 「気持ち悪い……」  俺は好きなんだけど、そういや若葉は嫌がったな――涼一は無理やり妹を付き合わせた、蛇花火で遊ぶ幼い日の一コマを思い出していた。  地肌を波打たたせる黒い蛇は、今や道を埋め尽くす高さ数メートルの壁である。微妙な光沢もあり、先の花火に照らされて不気味さが増している。  爬虫類の腹の内を思わせる禍々しいトンネルが、彼らの前に出来上がった。  あまりの事に状況を把握しかねていたレーンが、我に返って涼一の方へ詰め寄る。 「最高だわ、“獄蛇の術式”! これを外の部隊へ使って!」 「すまない、全部使ったんだ……」 「くっ……! う……」  涼一を責める訳にもいかない、だが悔しさは隠せない。そんな理不尽な葛藤が、彼女の手を震わせた。  ゾーン外の兵は依然包囲するだけで、街に入る気は無さそうだ。 「……敵を撒くチャンスには違いない。北上しましょう!」  彼女は東への突破を諦め、新たな脱出ポイントの発見に期待する。その考えを、ヒューが否定した。 「向かうのは、ジンジャだ」  明らかに敵がいる方向へ進むという提案に、皆が一斉に彼の顔を見返した。 「正確には、ジンジャへの登り口。そこにあった遺物を、リョウイチが発動させる」 「遺物だって?」  そんな物は無かった。  カーブミラー、標識、自販機――涼一は必死に思い返してみるが、心当たりがない。 「これを発動させたお前なら、できるはず」  自信たっぷりに語るヒューに、レーンもその案を呑んだ。 「分かった。信用していいのよね、ヒュー」  レーンが蛇花火のトンネルへ目を遣る。蛇花火は道路を西に蛇行しながら伸びており、格好の目隠しになっていた。  中に入って行くには、敵が作った火の壁が未だ残っており邪魔だ。 「アカリ、化粧水で道を作って」 「はいっ、行きます!」  アカリが路傍に小瓶を投げると、水流が一時、火勢を弱める。 「すぐに火が巻き返す。さっさと通り抜けるわよ!」  五人は急いで、火に空いた入り口を(くぐ)る。  花火から生まれた光が空気中に漂い、暗い蛇花火の道はボンヤリと明るかった。 「若葉、アカリ、これを持っててくれ」  ラスト二つの火炎の魔石を、涼一は二人に渡す。 「護身用だ。絶対死ぬなよ」 「うん」 「はい、涼一さん」  ここから状況が打開できるのか。ヒューの言葉に、涼一も期待を賭けるしかない。  彼らは全速力で、来た道を戻り始めた。
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