第一章 伏川町

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第一章 伏川町

1. 出会い 001. 発端  朝見涼一(あさみりょういち)伏川(ふしかわ)町に来たのは、同窓会のためだ。  大学生となって一年が経ち、二年目のゴールデンウイークを迎えていた頃だった。  彼の生い立ちは、お世辞にも幸せなものではない。  中学生の時に父親は愛人と蒸発し、以降、行方は不明。彼と二つ下の妹、朝見若葉(わかば)を育てるため、母はずいぶん無理をしてしまう。  結局、その過労が祟り、涼一が高校に進学すると同時に、母は自動車事故で亡くなった。  残された彼と妹は、母方の叔父に引き取られる。  涼一は叔父の仕事を手伝いつつ、バイトも限界まで入れ、進学用の資金を確保した。  高校卒業後の就職を希望した彼に対し、叔父夫婦は遠方の大学への進学を勧めた。優秀な成績を修めているのに、勿体無いと考えてだろう。  進学しても、バイトに明け暮れるのは相変わらずだ。若葉は今も叔父の家にいるが、いずれ二人で暮らそうと考えており、その資金はいくらでも欲しい。  黒髪を肩まで伸ばしている妹は、兄の贔屓目を除けても、モテるタイプだと思われた。  友人の多い妹と孤独を好む兄――対人関係では差があるが、根本的な性格は似ており、兄妹の仲は良い。  涼一に友人が少なかったのは、孤独癖が原因とばかりは言えない。高校時代は仕事に追われ、腫れ物に触るようなクラスの雰囲気もあり、自然と彼は一人で過ごした。  友人づきあいとは縁遠そうな彼を同窓会へ誘ったのは、同じ大学に進学した葛西美月(かさいみつき)である。最初は断っていたが、彼女からしつこく説得され、根負けした形だ。  葛西も同窓会というタイプではなかったのに、なぜそこまで熱心なのか不思議に思う。彼女もまた、クラスでは一人でいることが多かった。  物静かな本好きで、多少言動が個性的な、不思議ちゃんっていうやつだろうか。親近感でも感じたのか、涼一には妙に懐いていた。  彼の数少ない高校時代からの話し相手ではあり、プレゼントを貰ったりもしたが、付き合ったりはしていない。  葛西とは、伏川駅前で待ち合わせた。同窓会は高校の体育館で、ごく真面目に行われる。  生徒は未成年なのだから飲酒は無く、顔合わせと堅いスピーチがあるくらいだ。仲の良い連中は、その後二次会にでも繰り出すだろう。  会場まで、駅からバスで十五分。会の開始が昼の二時、待ち合わせ時間が一時半だから、一時に着いたのは少し早過ぎた。  伏川町は中堅地方都市の中心地にあるが、人口は少ない。古い歴史はあっても観光地と言うわけでなく、住宅地がほとんどだ。  東部にある伏川駅から駅前大通りが西に伸び、繁華街を形成している。涼一の通っていた高校も、この道沿いにあった。  近隣には大都市があり、地下鉄も新幹線も通っていたが、伏川町に駅はここだけである。休日の人出は全て大都市が吸い込んでいるため、駅も混雑していない。  伏川駅の改札を出た彼は、駅前の広場を見回した。  制服を着た痩せた男が、チラシを配り終わって、ブラブラと帰って行く。少し西にある、家電量販店ギガカメラの店員だろう。 「何にも無い街だな……」  歩けば、ファーストフードや喫茶店もあるものの、駅前はパチンコと消費者金融の看板ばかり。  地方の街はどこも似たり寄ったりで、それ以上求めるのは期待し過ぎだろう。それなりの賑わいに、店や公園まであるのだから充分だ。  だが、退屈な街に愛着を感じたことは無く、久方ぶりの伏川町に感慨は湧かなかった。暇潰しにも困ると独り愚痴りつつ、彼はこれからの行動を思案する。  ラフな綿パンに、白シャツとグレーのジャケット。荷物は無く、彼は手ぶらでここに来ていた。持ち物と言えば、あまり使わないスマホくらいか。  スマホを(いじく)るくらいなら、散歩でもした方が健康的だ。  北には市立図書館もあったが、駅からだと少し遠い。駅を出て左、コンビニの隣に小さな本屋があったはず。  彼は駅周辺地図を眺めているサラリーマンを横目に見つつ、のんびりと本屋に向けて歩き出した。  一面の青。  足を踏み出したその瞬間、涼一の視界が青で塗り潰される。  駅の壁が、前を行くOLの背中が、自分の手すらも青色LEDと化したように寒々しく光っていた。  ――なんだこれは!?  原因など分からないまま、全てが強烈に輝き始める。人や建物の輪郭がぼやけ、周りが青白く塗り潰されると、次は異様な震動が彼を襲った。 「地震!」  それにしては、何もかもがおかしい。  重力を捻じ曲げる、船酔いに似た揺れは、今まで経験した地震の振動とは程遠い。頭を掻き乱され、平衡感覚を失うと、涼一は思わず膝をついた。  激しい衝撃にも関わらず、音だけは何かに吸い込まれたような静寂が彼の周りを覆う。  腰の横辺りが熱い。そこから発せられる熱が、全身に行き渡っていった。  膝立ちすらも保てず、彼は崩れ伏せる。  無音の白い世界では、五感はどれも怪しくなり、自分が目を開けているのかも分からなくなってしまう。  涼一が完全に意識を無くすまでに、大した時間はかからなかった。 ◇  とある初春の夕刻、茫洋(ぼうよう)としたアレグザ平原に、巨大な魔法陣が出現する。  野生生物だけが跋扈するこの地に、最初は雷鳴が轟いた。  稲妻が、フラッシュライトの如く荒れ地を瞬かせる。  次が青い光の粉。  大量の蛍火のような光は、やがてそれぞれが結びつき、有意な濃淡を生む。遥か上空から見下ろせば、無数の不可解な文様が地に満ちていく様子が観察できただろう。  締めくくりが光の円。  東を起点にして、何筋もの光が時計回りに円弧を描き、内と外とを区分けた。  同心円と文様で飾られたこの内側が魔法陣――地球の単位なら直径三キロメートルを超える大きさだ。  重力が乱れ、電撃が走るこの魔法陣内に立ち入るのは、よほどの命知らずに違いない。  大魔法陣を最初に見つけたのは、近隣の街道を行く交易商人であった。  アレグザは商業都市ザクサの南東に位置しており、近年、ベルギア帝国領に編入された新参の土地だ。  元の所有者であるフィドローン王国の国境に接し、王国の特産物をザクサに運ぶ商人が、この平原経由の行路をよく利用していた。危険な生き物が多く、渇き痩せた土地であるため、商人以外の住人の姿は見られない。  発見した商人は、すぐにザクサの帝国常駐軍に一報を入れた。巨大魔法陣の出現は、帝都に早馬で伝えられる。  魔法陣発生時の対応は、帝国の内規で細かく定められている。規定に従い、帝都の返答を待たずして、その日の内にザクサから部隊が出発した。  アレグザへ訪れた第一陣は、この地方対策部隊である。魔法陣を取り囲む包囲陣地を作るのが、彼らの役割だ。  簡易な兵の詰め所を建て、木杭や柵を並べ、昼夜を問わない警戒網を敷く。  次いで主要都市から、専門の大部隊がやってくる。  今回は大規模な魔法陣ということもあって、ザクサより更に北の軍事都市ハータムから、六千人に及ぼうかという編成の軍が派遣された。  この対策本隊は、帝国でも有数の能力を誇る特別部隊である。土木の術式を使用できる専門の術者を多数擁するのに加え、純粋な戦闘力も高い。  指揮系統は一般の帝国軍から独立しており、軍から選抜された将軍の下で強い権限を発揮する。  本隊が到着すれば、その能力を以て巨大な土壁が、ぐるりと短時間で魔法陣を囲む。  壁が無事建設できれば、一段落がつく。後から駐屯兵が別途に派遣され、本隊はまた待機都市へと帰って行く。  仕事を受け継いだ駐屯兵が壁をさらに補強し、防御兵器も配備して、最終的に城塞都市のような威容が出現する手筈だった。  魔法陣は、出現してから通常二日くらいで発動する。大きなものなら十日ほど。  陣が引き起こすのは、その物々しさに恥じない大規模な転移現象だ。  転移で何が現れるのか、予想できる者など誰もいない。既に存在する転移地点の内実すら、一般市民には秘匿されている。  有史以来、大魔法陣は四十二回出現したとされ、その内十一地点は現在も帝国の厳重な管理下にある。  最高機密であるこの転移地は、ワイバーンの飛び交う魔窟だとも、人知の外にある宝物庫だとも噂が飛び交う。  転移地から持ち出された物は、石ころ一つで城が買える代物だとも。  人々は、帝国各地に出現する転移地を、畏怖を込めてこう呼んだ。  禁忌の地、ゾーンと。
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