【1】翼

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「むぅ」  俺が「島」に来てから一週間が過ぎた。うだるような暑さは次第に収まり、風が心地よい季節に変わってきた。 「どうした? 食べないのか? 」  港から東に向かって道なりに、分かれ道を右に、砂浜が見えたら坂を登って、その上にある大きなシュロの木の横。  赤い屋根、白い壁、茶色の扉。それが父さんの診療所。そして今は、俺たちの家。 「ん〜……」 「折角イワクラさんがくれたんだ。食ってみろって。美味いぞ」  俺の前に座る少女はノア。元はハンドウイルカ。この「島」の光を浴びて、ヒトの姿を得た。銀色の髪に白いシャツ、灰色のベストと黒いズボン。首から下げたボトルメールは、ノアの宝物だ。  そんな彼女は朝食の真っ最中。今日のメニューは種パンのベジタブルサンド。  診療所の脇に生えている種パンと、近所のイワクラさんが分けてくれた夏野菜で俺が作った。  水気たっぷりのトマトやキュウリ、レタスを挟んだだけの、シンプルなメニュー。そのまま齧っても溶けるように甘い野菜が、ふかふかの生地と混ざりあり、なんとも言えない味を生み出す。  ……はずなのだが。 「この草、食べなきゃだめ? 」  草じゃない。野菜。 「野菜も食べなきゃ、栄養取れないぞ」 「でも苦いじゃん」  あぁそうか。イワクラさんが野菜をくれた後、俺が真っ先に作ったのがピーマンサラダだった。ノアはいつものように「なにこれ! 」と言い、一皿丸ごとがっついた。  そしてあまりの苦さに悶絶し、診療所中を転げ回った。それがトラウマになったのか、野菜に対して異様なほど警戒するようになったのだ。 「これは苦くない。むしろ甘いぞ」 「苦いものは毒だって、母さん言ってたよ」  そりゃ自然界じゃな。そもそも苦味という感覚は、毒物を避ける為の生き物の知恵らしい。 「大丈夫だって。俺が食っても平気なんだから」 「苦手なものは苦手なんだもん」  そう言われると言い返せない。俺も肉が苦手だから。 「イルカは魚だけでいいかもしれねぇけど、ヒトはそうはいかないんだ。まぁ食ってみろって」  でも今は、自分のことは置いておこう。これはノアのためだ。 「やだ」 「食べろ」 「やだ」 「病気になるぞ」 「毒を食べるよりいいもん」 「大丈夫だって! 」 「むぅ」  そのむぅを言った瞬間、ノアは勢いよく横に跳んだ。開けておいた窓からテラスに出て、そのまま走り去る。逃走だ。 「おいこら、待て! 」  好き嫌いで鬼ごっこが始まるとは。なんだか馬鹿馬鹿しいが、ほっとくわけにもいかない。追いかけるか。
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