チーレムとか要らないんで、俺に執筆に集中させてくれください

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 空が――青い。  良い、天気だ。まるで、今日と言う俺の人生最良の日を祝福してくれているような、そんな。  ――ああ、だけど俺は、どうして今空なんかを見上げているのだろう。  指一本動かすことさえもできない、そんな状態で。  今日は、小説家になるという長年の俺の夢が叶い、俺の初めての本が本屋に並ぶ筈の日だった。  俺は自転車に乗って、鼻歌交じりで近所の本屋に向かっていたんだ。  赤信号を止まって待っていたら、後ろから誰かの悲鳴と大きなブレーキ音が聞こえてきて。  ……ああ、そうだ。俺は空を飛んだんだ。  突然突っ込んできたトラックに弾き飛ばされて、まるでサッカーのボールみたいに、ポーンと、さ。きっと綺麗な放物線を描いていたんだろうな。ははっ……想像したら、少し笑える。  ……おい、そこのお前ら。さっきから、なんて表情で俺のことを見てるんだよ。そんな、死体でも見ているかのような目すんなよ。俺は生きてるんだからさ。ただ、ちょっと自力で立ち上がれないだけで、お前らが手を貸してくれたら、立ち上がれる気がすんだよ。だから、な。お願いだから、手を貸してくれよ。  なんか口ぱくぱくさせてるみてぇだけど、なに言ってるか分からねぇよ。聞こえない。というか、さっきから音が何一つ、聞こえない。嫌になるくらい、うるさくないていた筈の蝉の声ですら。  ……ありえないよな。なぁ、だれか、ありえないって言ってくれよ。  俺が今、死にかけているだなんて、ありえないって、お願いだから、誰か言ってくれっ…!  夢が、叶うんだよ。ようやく、永年の夢が。今日この日の為にいろんなものを捨てて、必死で小説を書き続けてきたんだよ…っ! なのに、ようやくチャンスを掴んだこの日に。俺の小説家人生が始まったこの日に、事故に遭って死ぬとか、ふざけんなよ!  俺は、まだ、本屋に並んだ俺の本を見ていない。俺の本を読んだ人達の反応を見ていない。本の売り上げだって、分かっちゃいない。  全部全部、これから始まる筈だったのに……! (……違う……それだけじゃない)  出版された本のその後も気になる。見届けたかった。  だけど俺は、それ以上に。それ以上に、もっと。 (それ以上に、俺はもっと、小説を書きたかった)  もっともっと、物語を考えたかった。思いついたアイディアを、語彙をフル活用して、文字として綴りたかった。構成して、修正して、校正して。  俺じゃなければ作れない物語という世界を、もっともっと俺の手で産みだしたかった……!  頭の中で次から次へと溢れ出てとまらない言葉の数々を、もっともっと文字として書き綴り続けたかった……!  まだまだ書きたい物語の案だって、いくらでもあったのに! (いやだいやだいやだいやだいやだ死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない)  心から満足するまで、小説を書けていない、今の状況では、まだ!  いつか小説を書くことに飽きる日が来るまで、俺はまだ死にたくない、死にたくないんだ……!  俺は、生きたい。生きたくて仕方がない。  ――たとえ、その為に、なにを代償に捧げたとしても。 「ならば、わらわが主を生かしてやろうか?」  不意に何もなかった筈の頭上から、声が聞こえた。  動かせない視線の先で、銀色の髪をした10歳くらいの少女が、くすくすと笑っている。  なにも聞こえなかった筈の俺の世界に、その少女の声だけがいやに鮮明に響いた。 「わらわが望むものを主がくれるというなら、わらわが主の願いを叶えてやろう。飽いるまで小説を書き続けたいという、その願いを」 (代、償……) 「なぁに、大したものじゃない」  出せる筈がなかった俺の心の声を正確に聞き取ったかのように、少女はにんまりと口端を吊り上げた。 「主が望みを叶えた後の、主の魂じゃ」  それはまさに悪魔の誘惑だった。 (あんたは、悪魔か……)  無礼とも言える俺の心の呟きに、少女は喉を鳴らして笑った。 「そう呼ぶものも、おる。……だが、わらわは寧ろ、別の呼称の方こそ気に入っているので、そちらで呼んで貰いたいものじゃな」  そう言って少女は芝居がかった仕草で両手を広げた。血のように赤い少女の目が、妖しく光った。 「わらわは異界の女神、ルーフェリア。主の住む世界と、別の世界を創造し、統べるもの。そして、そうじゃの……こちらの世界の言葉で言うなら、別の世界で住まう魂の『これくたぁ』じゃ」 (コレクター……) 「わらわは、自分以外の神が作った魂にどうしようもなく、惹きつけられるのじゃ」  そう言ってルーフェリアは真っ直ぐに俺を見据えた。 「わらわは、知りたい。わらわ以外の神が作った魂を、わらわの世界に招いた時の世界の変容を。そしてその世界の変容が、わらわの作った魂たちに、そして招いた魂に、どのような変化をもたらせるのかが知りたいのじゃ。そして変化したその魂を、思う存分気がすむまで調べ尽くしたいと思っている」  そう言ってルーフェリアは恍惚とした表情で、頬を染めた。 「人間の魂というものは、実に面白い……いくら観察しても、研究しても、新たな発見が尽きることはない。それがわらわじゃない神が作ったものなら、猶更じゃ。これまで幾千もの魂を調べ続けてきたが、まだまだ飽きそうにない……もっともっと、知りたい。知り尽くしたいのじゃ」  その言葉を聞いた瞬間、俺は目の前の胡散臭い自称女神を信じることに決めた。  ルーフェリアが魂に対して抱いているその感情は、俺が小説に抱くそれに似ている。  一つの物に対する狂気じみた追及心と、執着。  きっとこいつは、自身の魂に対する要求が満たされる為ならば、何でもする。  俺の願いを叶えることなぞ、些細なことなのだろう。  無意味に与えられた、「善意」という名の施しなんかよりも、ずっと信用ができる。 (つまり俺は、ここで頷けば、あんたの世界へ行くことになるのか……) 「ご名答、じゃ。主が頷けば、わらわの作った魂に紛れさせて、主は記憶を持ったままわらわの世界で生まれ変わることになる。主はそこで、思う存分小説とやらを書き続ければいい。その際、わらわは主の望みが叶うように、全力でさぽぅとしてやるぞ。世界を創造した女神の加護じゃ……必ず最後には主を満足させてやると約束しよう」 (……もし断ってこのままここで死ねば、俺はどうなる?) 「知らぬ。わらわはわらわの世界のことしか知らぬ。ここの世界の神は鷹揚で、世界に生きるものに対して不干渉主義なようじゃ。わらわがかように好き勝手動いていても、文句一つ言って来ぬ。そんな神が、死んだ人間の魂をどうするかなんて、わらわでもわかる筈がなかろう」 (……つまり断った場合、また生まれ変われる保証は、どこにもないということか……)  ここで断れば、その後はどうなるか分からない。  ここで応じれば、次の生では100%小説を書き続けることができるが、その次の生に至ることができずに魂を、この自称女神に取られることになる。  ならば、答えは決まっている。 (女神ルーフェリア……お前の取引に、応じよう)  それで小説を書き続けることが、できるならば。  飽きるまで小説を書き続けさせてくれるなら、その後の魂なんてくれてやる。煮るなり焼くなり好きにするがいい。 「そうか。よう、言った」  ルーフェリアが、嗤う。悪魔のように、禍々しく、天使のように、美しく。 「すぐに返事を決めたご褒美じゃ。わらわの世界に転生するにあたって、予め三つの特典を与えてやろう」 (三つの特典?) 「この世界の定番物語に、あやかってやろうと思ってな。願い事は三つが相場なのじゃろう? 今風に言えばちぃと能力とでも言えば分かりやすいかの。主がわらわの世界で生きるのを、より快適にする願いを叶えてやる」  ルーフェリアが身を乗りだして、上から俺の顔を覗きこんだ。 「何でもいいぞ? 好きな願いを言ってみろ……そうじゃ、誰もを魅了する文筆の才能なんてどうじゃ? その能力があれば、主の書いた小説は、たちまちべすとせらぁじゃ」 (……そんな能力はいらない)  俺は俺の書いた小説を、自分の力で評価されたいのだ。与えられた魅了の力で評価されても嬉しくも何ともない。  小説を書くことは全部俺の力でやり遂げたい。だから、それに関しては余計な手出しをしないで欲しい。 (……そうだな。せっかく小説が書けても、また今みたいに事故かなんかで死んだら意味がないから、今度はちょっとやそっとじゃ死なない体が欲しい) 「ふむ。強靭な体、とな」 (あと生活の為に働き続ける必要があって、小説を書けなくなるのはごめんだ。小説を書いていても、問題がないくらい裕福な家庭に生まれたい) 「ふむ……小説を書く余裕があるくらい恵まれた家庭、と」 (あとは……何かあるか……そうだな。もし俺が小説家として成功した時、原稿を狙う賊なんかが現れたら厄介だな。万が一誰かに襲われても撃退できるくらいの力は欲しい) 「なるほど。どんな賊でも倒せるような力じゃな。……確かに承ったぞ」  ルーフェリアがにぃと口端を吊り上げなら、俺に向かって手を翳す。  ……その笑みに、一瞬嫌な予感を感じたが、それを口にする時間は無かった。  ルーフェリアの手から溢れ出した眩い光が一瞬にして俺を包み込む。 「さぁ、異世界の神が造った魂よ。わらわが造った世界の転生の輪の中へ来るがいい。わらわの世界で新しい生を持って生まれ変わるのじゃ!……次に目を醒ました時には、主はもう、わらわの世界の人間じゃ!」  そうして、俺は異世界で新たな生を得た。死後の魂と引き換えの契約で。  契約を結んだことに後悔はない。例えやり直すことができたとしても、また俺はルーフェリアと契約を結ぶ道を選ぶだろう。  だがしかし。与えられた三つの特典。あれだけは後悔をしている。どうとでも意味が取れるような曖昧な言い方をしてしまったことを。 「……おいっ、【不死身】! 聞いているのか!? 私は今、なんで騎士コースを選ばず、文官コースなんていう軟弱なコースを希望していると聞いているのだ! お前程の剣の腕の持ち主が騎士にならんでどうする! 何の為の鋼の体だ!」  ……特別な能力与え過ぎなんだよ! 畜生! 「……ディアナ。何度も言うが、俺は【不死身】ではなく、ライナスというちゃんとした名前が……」 「ああ、そうだな! ライナス・フェルディア! 高い魔力を誇る大貴族フェルディア家の三男に生まれた【不死身のライナス】! 歴戦の猛者が束になってかかっても、傷一つ負わせることが出来なかったお前が、文官コースを選ぶなんてふざけているにも程がある!」  俺は、胸倉を掴みかかって怒鳴るディアナに、げんなりとした。  現将軍の娘として生まれ、その卓越した武芸の腕から【戦乙女】と渾名されるこの女は、俺が学園に入学早々に開かれた武芸大会でうっかり勝ってしまってから、顔を合せる度にきゃんきゃんと突っ掛ってくる。文官コースに進めば、もう顔を合せないで済むとホッとしていたのに、どうもこの女にはそれが敵前逃亡のように映って気に食わないようだ。 「何度も言っているがディアナ……俺は騎士になる気はないし、そのことを両親からも許可を貰っている。……お前だって、嫌いな俺と顔を合せなくて済むんだ。素直にそのことを喜んだらどうだ?」 「……っ私は、私はお前のことを嫌ってなんかっ……」 「? そうなのか。誤解だったら、悪かったな。お前が俺を見る度に、いつも眉間に皺を寄せているものだから、嫌われているかと思っていた」  眉間に皺を寄せているというか、正確にはいつもきゃんきゃん煩く怒鳴っているんだけどな。  さすがに、それを口にしたら火に油を注ぐ結果になりそうだから、直接は言わないが。  俺は、なぜか傷ついたような表情を浮かべるディアナの眉間のあたりを、軽く指でついた。 「あんまり怒ってばかりいると、皺ができるぞ。……せっかく綺麗な顔しているんだから、勿体無い。もっと笑っていればいいのに」  その瞬間、ディアナの顔がカッと赤くなった。  ……どうやらマイルドに表現してもなお、火に油を注いでしまったらしい。  俺はディアナの怒りが再熱する前に、その場を退散することにした。 「……それじゃあ、話は終わりだ。またな、ディアナ」 「……ま、待て! 【不死身】!」  当然、待つわけがない。  足早にその場を後にする俺の背中に向かって、ディアナが吼える。 「諦めん……私は諦めんからな! 絶対に次の学園に上がるまでに、お前に騎士コースを選ばせてやるからな! 覚悟しておけ!」  ……本当に、面倒な能力をくれたもんだよ。ルーフェリアの奴。  俺が転生した世界は、剣と魔法のお約束なファンタジーの世界だった。  俺が生まれたフェルディア家は、魔力が高さ故に高い身分を得たような家柄で、それ故に俺は生まれながらに望んでいない高すぎる魔力を持って生まれてきた。  両親は穏やかで優しい人で、三男である俺が騎士ではなく小説家を目指しても反対一つしなかったが、大貴族だけあって敵が多すぎるのが問題だった。  十歳の頃、妹共々敵対貴族に誘拐されて、命に危機に晒された俺は……血筋ゆえに生まれながらに備わっていた高過ぎる魔法能力と、転生特典である剣の能力で、瞬く間に数十人はいた敵をボコボコにしてしまったのだった。オマケに体に突き立てられた剣も、向けられた魔法も、全部弾き返すという異能まで披露して。  事実を隠蔽しようにも、妹の声で我に返った時には既に遅し。いつの間にか駆け付けていた国の騎士達が、皆あんぐりとした表情で俺を見つめていた様子が、今でも忘れられない。  以来、ついた渾名が【不死身のライナス】  そんな噂を聞きつけて、俺に襲い掛かる腕自慢達を邪魔だと蹴散らしているうちに、不本意にも名が広まってしまった。  正直、挑戦者の対処で執筆時間が削られるから、本気でやめて欲しい。加減しようにも、与えられた能力が強すぎて、俺にはろくすっぽ調整ができないのだから。……というか、調整をする為に鍛錬する時間があるなら、小説書く。挑戦者蹴散らす方がよほど早いから、今はもう諦めている。 「……まぁ、しかし。実際の経験を経て戦闘描写は以前よりずっと上手くなっているから、悪い事ばかりでないな……色んな奴がやってくるから、キャラの参考にも出来るし」  ……そうだ、ディアナ。あいつ、次書く小説のキャラに出来るんじゃないか?ちょっと乱暴過ぎて正ヒロインポジションは無理そうだから、主人公に横恋慕する噛ませ犬系のキャラで。  俺に対する行動は、ツンデレに変換して、実は恋情の裏返しってことにすれば、そこそこ需要はある気がするぞ。陰では素直になれない自分自身に落ち込んでいる的な、女らしさを付け足せば。 「うん……悪くないな。ちょっとキャラを練ってみるか……ん?」 「――……えー、最近こんなのが、流行ってるの?」 「流行っているというか、一部の熱狂的なファンがいるみたいだよ」 「へー……」  廊下で雑談する、三人の少女が見ている物。  あれは……俺が昨年ペンネームで自費出版したSF小説!  ファンタジーの世界なら、逆にSF的な世界観が斬新でいいかと思って書いたあれを、まさか学園の誰かが持っているだなんて…!  か、感想はどうだったんだ…!?  俺は慌ててその場に身を隠して、少女たちの声に耳を澄ませた。  ネットもないこの世界で、小説に関する客観的な感想を聞ける機会はあまりない為、自然と胸が高鳴った。 「斬新な発想だとは思うけど……正直、よく分からないよね」 「カガク? 何それって、感じ。世界観が独特過ぎて、作者の中では自明のことかもしれないけど、読んでるこっちは置いてかれてるみたいな? 正直半分も読めなかったわ」  っく……酷評……!  確かに科学が自明になっている元の世界でも、作り込み過ぎて一般受けしないSF作品は存在した……。俺のは大分優しくしたつもりだったが、それでもやはりこの世界の人間にはついて行けなかったか……。 「……でも、私はすごく面白かったよ。作者の人のファンになっちゃった」  一人落ち込む俺の耳に、天使の声が飛び込んで来た。 「えぇ……セリエ、変わってるね」 「前からちょっとずれているって思ってたけど……」 「いや、そんなことないよぉ! そもそもこれ、私の本だし! 私の周りでは『何百年生きてきたけど、こんな発想はなかった……作者は天才だ』って、みんなすっごく褒めているんだから!」 「何百年って……さすがエルフ。流れる時間も、価値観も違うわ」  頬を膨らませて拗ねる、眼鏡のエルフの少女が、俺には輝いて見えた。  分かって、くれる人がいた。  俺の小説を評価してくれる人がいた…!  天にも舞い上がらんばかりの気持ちだった。 「もう。せっかくこの本の素晴らしさを分かってくれる人が増えれば、と思って貸したのに。……この学園に、この良さが分かってくれる人いないのかなぁ……」 「――俺が、いるぞ!」 「きゃっ」 「え……【不死身のライナス】様!?」  不本意な渾名が聞こえた気がしたが、気にしている余裕何ぞない。  なんせ、幼い頃から俺の物語を強請り続けた妹を除いては、俺が知る俺のファン一号だ!!是非ともお近づきになっておかねば……!  おれは唖然と目を見開くセリエと呼ばれた少女の手を取った。 「突然の無礼すまない…! 君が俺がか…俺が一番好きな小説を褒めていたから、ついつい声を掛けてしまったんだ…!」 「ひ、ひゃい!」 「ああ、名乗りもしていなかったな……すまない。初めての同志を見つけて興奮してしまったんだ……俺はライナス・フェルディア。この学園の一年だ」 「よ、よく存じあげております! というか、この学園で貴方様を知らない人なんていないと思われます!」 「悪評が立ってるからな……セリエ。君は俺を怖い人物だと誤解しているかもしれないが、それでも俺は君と仲良くなりたいんだ。その本の作者の作品について、一緒に語り合いたいと思ってるんだ?……嫌か?」 「いえ、喜んでぇ!」 「そうか! 良かった。感謝する!」  よっしゃあ、ファン一号との以後交流を持てる権利げっとぉおおお!!!  これで、別の作品についても感想が聞ける!  どれだけ俺の本を読んでるか分からないから、次会う時は蔵書をまとめて持ってこなければ!  そこで、俺はようやくセリエの手を握り締めっぱなしだったことを思い出した。  随分と顔も近づけていた為、傍から見たら口説いていたかのようだ。  慌てて俺は握っていた手を離した。 「す、すまない。セリエ……初対面で、随分距離が近かったな……」 「い、いえ、良いんです!……むしろ嬉しいといいますか……刺激が強すぎと言いますか……」  セリエの顔は羞恥で真っ赤になっていた。……友達二人が見ている前で、俺のファン一号に恥ずかしい思いをさせてしまった。……次はこんなことがないようにしなければ。 「……次は、二人きりで話さないと、な」 「……っ!!!!!!」 「それじゃあ、またな。セリエ」  俺はファンとの交流だできたことにすっかり満足して、鼻歌交じりにその場を去った。  次回の邂逅のセッティングに想いを馳せていた俺の耳には、後ろで交わされていた会話は入らなかった。 「セ、セリエしっかりして! いくら憧れのライナス様とお近づきになれたからって、こんな所で失神しちゃだめよ!」 「というか、私にもライナス様紹介して! てか、その本やっぱりもう一度貸してぇえええ!!!」  今日はなかなかいい日だな。ディアナに絡まれるというハプニングはあったが、新キャラのアイディアは生まれたし、俺の小説のファンの生の声を聞くこともできた。実に良い日だ。  ああ、とても家に帰るまでなんて我慢できない。どうせ帰ったら、可愛くもあり鬱陶しくもある妹が話しかけてきて、夕食後までは執筆時間とれないしな。いつもの場所で、取りあえずアイディアだけでも書きとめておくか。  そうして俺が向かうのは、第三図書室。マニアックな蔵書ばかり置いてあって、埃くさいそこは、滅多に人が寄りつかない穴場だ。小説の参考になる本もたくさん置いてあるから、俺のお気に入りの場所でもある。  だがしかし。本日は残念ながら、先客がいたようだ。 「やめ、やめるのにゃああ! ミーシャに触らにゃいでにゃ!」 「ミーシャちゃん脅えてるの? かわいいね。大丈夫、怖い事なんか何もしないから」 「そうそう……ちょっと、そのお耳と尻尾をモフモフさせてくれればいいんだ……ああ、脅えて倒れたその耳、たまんねぇな……」 「獣人の耳と尻尾は急所にゃにょにゃ! そうみだらに人に触らせるものじゃにゃいのにゃ!」 「あぁ……ナ行が言えないところも、本当可愛い……猫、本当最高」 「ほら、ミーシャちゃん……実は俺、こんなもんも持って来たんだ。一緒に遊ぼうぜ? な? な?」 「ああ、体が勝手に動くにゃ! 卑怯にゃ!」  ……何だこの、物騒なのか、平和なのか分からない会話は。  俺は、涙目で揺らされた猫じゃらしに飛びつく猫獣人少女と、にやにやと笑いながらその様を見守る不良(……なのか?)二人を前に、固まった。  ……というか、お前ら扉が開いて俺が入って来たことを気付けよ。どう反応すればいいか分からないだろうが。  このまま回れ右して返って良いだろうか、と悩む俺に聞き捨てならない声が飛び込んで来た。 「しかし、本当ここ、穴場だな」 「これから毎日ここで俺達と遊ぶか? ミーシャちゃん」 「い、いやにゃあ!」  ……毎日、だと?  学園において、俺の最高の執筆場所を、こんなわけがわからんじゃれ合いの為に奪われるだと。  ……許さん! 「……残念ながら、ここは俺の場所だ」 「ひぃっ! 【不死身のライナス】!」 「いつの間に、俺達の後ろに! け、気配なかったぞ!」  ……アホめ。俺の気配がないじゃなくて、お前らが鈍いんだ。  俺は二人の男の首を抱え込むようにして背後から腕を回しながら、脅すように軽く締め上げた。 「ぐぅえっ」 「分かったら早くここを出ていけ……二度とここに近づくな」 「わ、分かりました! ……分かりましたから腕を……腕を離してください!」  ……どうやらまた、力加減が出来ていなかったようだ。  俺が手を離すと、不良どもは咳き込みながら脱兎のごとく逃げて行った。  おいお前ら……遊んでいた猫も一緒に連れて行け。 「……あ、あにょ……」  ミーシャと呼ばれていた少女は戸惑ったように俺を見上げながらも、不良たちと違って逃げて行く気配はない。  ……一応被害者であるこいつを、追い出すのも心苦しいしな。仕方がない。今日はここを使うのを諦めるか。 「……大丈夫、だったか」 「……は、はいですにゃ! 助けてくれてありがとうにゃ!」  礼儀のように声を掛けてやると、ミーシャはぶんぶんと頭を振って頷いた。  これだけ元気があるなら、これ以上気を使ってやることもないだろ。……元々襲われていたというには、あまりに平和な光景だったしな。 「なら、良かった……」  俺はそれだけ言うと、さっさとその場を立ち去ることにした。  ……アイディアは、妹の話を流し聞きしながら、さっとまとめることにしよう。……拗ねたら面倒だが、夕飯の時にあいつが好きなおかずをやれば、すぐ機嫌が直るだろう。  扉を閉めて足早で家路に着いた俺は、知らなかった。 「……ミーシャにょ王子様、見つけたにゃ……」  とろんと目を甘く緩ませたミーシャがそんな言葉を呟いていたことを。 「……ただいま」 「お帰りなさい! お兄様。 待っていたわ!」 「おっと……」  帰宅するなり飛びついてくるのは、年子の妹ライラだ。もう15になるのに、いつまでも兄離れできない、甘えたで困る。  ライラはすんすんと鼻を鳴らして俺の胸に顔を埋めていたが、すぐに険しい表情で俺を見上げた。 「……他の女の臭いがするわ……」 「? そりゃ、学園は共学なのだから、多少匂いくらい移るだろう」 「違うわ! そんな距離感で移ったものじゃないわ! 絶対お兄様に接近した女がいた筈!」  接近……ディアナは確かにちょっと距離間が近かったし、セリエに至っては手まで握ったが……それくらいで匂いなんか移るか?  寧ろ背後から首を絞めた分、不良たちの方がよほど近かったと思うぞ。 「私のお兄様に近づくなんて……許さない許さない許さない許さない……。どこの雌豚よ……呪ってやる……」 「ライラ。呪いはやめてくれ。お前の呪いは本当に効くんだから」  見掛けもふわふわと愛くるしい可愛い妹だが、ブラコンが過ぎてヤンデレが入っているのが玉に傷だ。俺に近づく女全てを威嚇する為、中等部の頃は大変だった。ライラ曰く「お兄様は鈍すぎるのよ」とのことだったが、近づく女全てが俺に惚れているとかありえないだろう。  来年を考えると、今から頭が痛い。 「ほらほら、ライラ。……昨日出来上がったばかりの新作を、お前に真っ先に読ませてやるから、落ち着け? な?」 「うう……あと、ぎゅうしてほっぺにちゅうもしてくれないと嫌だわ……」 「仕方ないな……ほら」 「やったぁ! ふふふ……お兄様、大好き」  ……こうやってすぐ機嫌を直して笑うところは可愛いから、憎めないんだけどな。  俺の小説の一番の読者でもあるし、誤字や矛盾の訂正もしてくれるから、助かってもいる。 「小説を書くことが何より大切なお兄様に、女なんて必要ないわ。お兄様は一生結婚しなくていい。……一生独身で、この家で二人で仲良く暮らしましょう?」 「おい、ライラ。俺のことはまぁいいとして、お前はちゃんと嫁に行けよ。跡取り云々は兄上たちがいるからいいとしても、お前が結婚しなければ父上と母上が泣くぞ」 「お兄様以上の男性がいればね!……そんな人、絶対いないと思うけど」  その時、俺はまだ知らなかった。  二学年にあがった途端、ディアナが「今まで素直になれなかったけど、本当はずっとお前が好きだったんだ!」と別の意味でしつこく付き纏うようになることを。  セリエが「小説の話もいいですが……私はもっとライナス様のことが知りたいです」と迫ってくるようになることを。  ミーシャが「ミーシャの王子様ににゃってくださいにゃ!」と、俺を追い掛け回すようになることを。  それを脇で見ながら、「お兄様は誰にも渡さないんだから!」と騒ぐライラを宥めないといけないことを。  そんな俺達の様子を観察していたルーフェリアが「やっぱり主は面白うのう! 実に愉快にわらわの世界を掻き回してくれる! ああ、主の死後に魂を観察するのが今から楽しみじゃ」とほざきながら、腹を抱えて爆笑することを。  そして、その騒動のせいで、俺が小説を構想する時間も、執筆時間もガリガリと削られてしまうことを。 「チーレムとか本当要らないんで、俺に執筆に集中させてくれ……いや、させて下さい! お願いだから!」  俺が心から満足するまで小説を書くことは、果たして今世のうちにできるのだろうか……。  神ですら知らない未来に、俺は頭を抱えることになる。
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