1.出逢い

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1.出逢い

 この世界はあおの力とあかの力で満ちている。 蒼の力――それは蒼魔力そうまりょくと呼ばれる、精霊の力。地、水、火、風の四大精霊の力。 紅の力――それは紅魔力こうまりょくと呼ばれる、この世界に住む人々の持つ力。蒼魔力を制し操る力。  かつて人々は皆、強い紅魔力を持ち、精霊と対話しその力を自在に操ることができたと伝えられる。だが今ではその力を操ることができるのはごく僅かな人々のみとなってしまった。自身の紅魔力を行使して蒼魔力を操ることのできる人々。精霊の力を物質化し、紅魔獣こうまじゅうと呼ばれる霊獣や紅魔武具こうまぶぐと呼ばれる武具を創造することができる人々である。  これに対し一般の人々は、吹き抜ける風の中に、燃えさかる炎の中に、精霊のささやきを感じる程度である。強い紅魔力を必要とする紅魔獣や紅魔武具の創造を行えるのは主に王族や貴族、祭司階級の人間たちだ。いや、逆だろう。こうした力を持つからこそ特権階級として君臨することができた、と言える。  そんな蒼と紅の力せめぎ合う世界の片隅で物語は幕を開ける――。  夏の終わりの蒸し暑い日だった。一人の男が帝都の下町を歩いている。暗く湿った路地裏だ。身綺麗な様子と優雅な身のこなしからしてこのあたりの住人ではなさそうだ。白い肌に碧色の瞳。白銀の髪を後ろで一つに束ね、丸腰で歩いている。時刻は深夜。武器も持たない上流階級の人間がうろつくには少々危険な時間帯といえよう。柄の悪い連中も多い区画である。だがよく見ると彼には連れがいるようだった。それは大きな犬……いや、狼であった。 「あぁ、そうそう、この店だ。懐かしいな。前に来たのはいつだっけ」  その男はつぶやくと店の扉を開けようとして手を止めた。 「いけない、いけない。お前をそのままの姿で連れていてはみんなが悲鳴を上げてしまう。おいで、ファング」  男は巨大な狼に声をかけ手を差し伸べた。すると狼はキラリと光を放ち小型のナイフへと姿を変え男の手に収まった。柄に狼の装飾がある銀製のナイフだ。男はナイフを懐にしまうと酒場の扉を勢いよく開けた。 「こんばんは!やぁ、みんな、お久しぶり!」  陽気に言いながら店に足を踏み入れる。酒場は大勢の人でごった返していた。ひっきりなしにエールが注がれ、人々の笑い声と陽気な歌声に満ちている。店に入ってきた青年の姿を見て、常連だと思われる親父がおぉ、と声を上げた。 「テオじゃないか!何か月ぶりだ?また帝都に羽を伸ばしにきたのか?」  親し気に笑いかけるとさっそくエールを勧めてくる。銀髪の若者はテオというらしかった。 「いやぁ、田舎は楽しみがなくていけないや。親父のおつかいついでにちょっとばかし帝都の“ご視察”さ」  片目をつぶって言うと親父どもは膝を叩いて、たいそうな“ご視察”もあったもんだ、と笑い転げた。そして我先にと彼に話かける。 「テオの兄ちゃんよ!この前聞いた南部の情報ではずいぶん儲けさせてもらったぜ。今日は俺の奢りだ!どんどん飲め!」  浅黒い肌の男が懐っこい笑顔を見せて言う。銀髪の若者はこの店のいい顔らしい。地方商家の若旦那、といったところであろうか。 「いえいえ、旅の途中で耳にはさんだだけですよ。何せ夜は虫の声しか聞こえないようなところに住んでるもんで、耳もよくなるってわけでね」  親父どもはガハハと笑うと金になりそうな情報を得ようと酒を勧める。若者は若者で帝都の情報を親父たちから引き出していた。人々は商売の話と街の噂話とで大いに盛り上がった。ひととおり親父たちの話を聞いた若者は頃合いを見計らってそっと店を出た。 「ちょっと飲みすぎたかな……」  若者は少々飲み過ぎた様子で若干フラフラとしながら路地裏を歩いた。時刻は既に深夜。いつの間にか雨が降ったらしい。路面が濡れて何やらぬるぬるとしている。雨上がりのムッとする空気の中、かすかにゴミ溜めの臭いが漂ってきた。すると狼の姿に戻った相棒が非難のまなざしをテオに向けた。 「テオ~、ここ臭いよ。早く帰ろうよぉ」  銀色に輝く体毛を持つ狼は鼻にシワを寄せ軽くうなり声をあげている。狼の口から人の言葉が出てくるのは奇妙な感じだ。もちろんただの狼ではない。彼は紅魔獣である。 「あぁ……ごめんよ、ファング。お前は鼻がいいもんな」 「まったくこれだから人間ってのはぁ」  紅魔獣である彼は普通の狼よりもさらに嗅覚が鋭い。この悪臭はかなりこたえるようだ。踵を返し戻ろうとしたその時、ファングがビクッとして歩を止めた。 「待って、テオ。何か……臭うよ」 「だからわかったってば。戻ろ、戻ろ」 「違うよ、これ、紅魔獣の臭い。しかもかなり強力」 「おいおい、こんなとこにか?まさかぁ」  自分も紅魔獣を連れて“こんなとこ”にいることをすっかり棚に上げている。そんなテオをよそにファングはそろそろと道を進んでいく。突如キキキッという声が響きテオはビクッとして歩を止めた。目の前を猫ほどの大きさもあるドブネズミが走っていく。 (びっくりした……)  更に汚い路地を進んでいくとファングが唸り声を上げて言った。 「この奥だよ。ちょっと見て来てよ」 「おいおい、ご主人さまに偵察に行けってのかよ。ここは紅魔獣の出番だろ」 「いやだよぉ。怖いヤツだったら困るもん」  立派な見かけの狼とは思えない気弱なセリフである。 「まったく、お前は見かけ倒しだなぁ。狼なんだからもっと威厳を持てよ」  するとファングはフフンと鼻を鳴らして反論した。 「紅魔獣は主人を映す鏡っていうからね。僕が意気地なしだとしたらそれはテオのせいだよ」 「何だよそんなセリフ聞いたことないぞ」  そんなやり取りをしていると路地の奥から何やら近づいてくる気配がした。薄汚れた路地裏。あたりにはゴミが散乱しどこからともなく魚の腐ったような臭いがする。遠くからは酔っ払いどもの調子外れな歌声が聞こえてくる。あたりは暗くほんの少し先も見通せない。そんな中、それは不意に現れた。暗闇の中にあやしく光る四つの目……!ファングが軽くうなり声をあげる。  と、その時……。 「はな……」  声がした。まだ幼さの残る少女の声だ。 「えっ……?」  驚いて見返すと、そこには少女が立っていた。暗くてよく見えないが、少し日に焼けた小麦色の肌……なのか汚れているのか。そして闇夜のような黒い瞳。黒髪をおかっぱにしている。 「花買って」  さらに目をこらして闇の中を見つめる。目の前に現れた少女は花束を数束かかえている。どうやらどこかで摘んできたらしい雑草のような花だ。お世辞にも部屋に飾ったり誰かにプレゼントしたりしようとは思えないような代物であった。 「花、買ってくれないの?」  少女は仏頂面で続ける。顔立ちは悪くないのだが、愛想というものを母親のお腹の中に置き忘れてきたらしい。眉間に軽くシワをよせ、睨み付けるようにして立っている。背丈からいって年の頃は七、八歳といったところか。 「ええと……」  声をかけようとしてふと少女の足下に目をやると、そこには二匹の猫がいた。一匹は漆黒の闇のような黒い毛皮をまとい、もう一匹は新雪のような純白の毛皮をまとっている。二匹は少女を護るかのように少女より少し前に出てちょこんと座っている。先ほど見えた四つの光はこの猫たちの目であった。 (……この猫たちだ。この猫たちは紅魔獣だ。でもこの女の子が猫たちを創造したというのか?二匹も?!)
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