百枚目

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百枚目

豪勢な雷鳴と供に、いきなりのにわか雨、長屋の下水口をバチバチと弾く小気味良い音が、招かねざる客を呼ぶ? 「ひいぃぃっ、くわばらくわばらーっ!」 勢いよく戸が開いたと思ったら、ずぶ濡れの男が飛び込んで来た。 「いったい?誰だい?」 どうも雷が苦手らしい男は、雷鳴が遠ざかるまでの間、雨宿りをさせて欲しいと懇願する。 「何でこの家に呼ばれなすった?ここの長屋の方では…無いようですね?」 呼ばれなすった?住人だと思った相手が変な話をする。雷鳴が一息つくとどうも妙な違和感?土間の前で水滴を滴ながら薄暗い部屋の中を眺める。不規則な稲光が、不似合いに色鮮やかな日傘…ばらまかれた妖怪の浮世絵と同じに、異様な部屋を時折照す 「いえね、本当はあっしはこの長屋の住人に借金をしてましてね…。今日は返しに来たんですが、何故か血相を変えて出て行かれましてね…戻って来るのを待っている所何です。」 住人だと思った相手が先客で、どしゃ降りだって言うのに、住人の男が何を慌てて居たのか?転がるように家を出たなんて話をするものだから、雨はおとなしくなったのに、一種異様な部屋のなかに良くない好奇心が頭をもたげる。生乾きの絵が残っている所を見ると…この部屋の住人は絵師か? 「何で、血相を変えて飛び出したりしたんですかね?」 酷絵と呼ばれる、惨殺や晒し首の絵が絵師の主な収入だと男は言った…部屋の中には、描いたばかりの生乾きの絵が…待てよ?どしゃ降りで、飛び出したなら鉢合わせしてくれても良いではないか?雷鳴さえ遠ざかるなら、これはやっぱり面白い話が聞けそうだぞ!と勝手に長居を決め込んだ。戻らないなら戻らないでなかなか面白い展開にはなりそうだ。 「手前はその…講談なんぞやってましてね…色々話を集めているんですが…どうも今一つでしてね。辻占い師に見てもらったら、この辺りの長屋を探せば、話は見つかるとうろちょろしていただけなんです。」 にわか雨は止んだが、せっかく占いにへそくりをはたいた女房殿の角が怖くて、絵師の異常な様子を聞くことにする。案の定自分の勘の通り、先に居た男は、瓦版売りだと名乗った。それも黄色絵の異常な出来事専門だと言うではないか。 「挿し絵を何枚か、書いてもらって居たのですが…あまりにも偶然が重なって、疑いがかかりましてね。何せ絵に迫力がありましたから…同じ絵師を繰り返し頼んでしまいました。競争の激しい世界ですので…借金してわざと捕まえて居たんです。」 何故か薄暗い部屋の男の顔は見えない、ただ人を哀れむような感じがする。にわか雨が止んで…乾いた一枚の絵に釘付けとなった。暫く無言で講談を生業とする男は…その絵を眺めていた。絵師だって黄色絵の挿し絵書きより上を目指したい…鮮やかな色彩を見ればそんな魂胆はとうに透けて見える。 「俺が代わりにこの絵を売ってあんたらの供養賃とすればいいのかい?それとも…あんた地獄で金を返すかい?百物語は、途中で止めておくのが流儀ってもんだ…てね…?」 夕刻、追魔が時あたり…先客の瓦版売りは、言われている意味がわかっているのか?ニヤッと嗤ったと思うと…… 逆立ちのまま押入れから天井へと…ずりずり飲み込まれて行った…講談を生業とする男は、ため息と供にその場で放心している男の同業者に、おおよそのネタを提供した。絵師はさっさと仏門を叩き地獄の生業を鮮やかに描いているという。怖くなって占い師に先に相談していたなんてオチは、まあ良いとして、黄色絵の百枚目の挿し絵に自分が成るなんて情けないよな…。それは絵師の絵ほど高値にならなかった。 「いやいや申し訳ない…。絵師が恐ろしくて自宅に帰れ無いなんて話すから、貴方に絵を取りに行ってもらったのさ…。面白い知り合いが出来たでしょ?あの絵をそのまま供養されても亡者にただ焼きもちを妬かれるだけだし……どうしたものかと思案していたのさ。」 あんたの講談の種には、なるだろう?そう笑われて返す言葉がなかった。人口過密の江戸では、亡者も人恋しいのだろう。継ぎ足しの様にささっと絵をつけて貰うと二度と出て来る事はなかった。雨上がり、大家を訪ねて、ただ同然で知り合いを入れてもらったのは言うまでもない。辻占いは引っ越し先を探していた。当たり過ぎる辻占いもあまり宜しく無いようで、次々と死人を引き当てたので、験を担ぐ為あの長屋を借りたんだそうだ。大家が居なくなったら、長屋は取り壊されて新しく建て替えするという話だった。見えないならどういう事もないと、知り合いは言うが…まあよしとしよう。これ以上は知った事ではない。
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