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「悪いのは貴女一人よ。当たり前でしょ?夫は可愛い女の子は好きだけど、だからって押しの強いタイプじゃない。恋愛だって本当に奥手で、プロポーズさえ結局私からしたくらいなんだから。そんな人が、不倫なんてする度胸があるわけないじゃないの。どっかの尻軽女に、色気で押し切られれもしない限りはね」
「そ、そんな。私はそんなつもりじゃ……」
「そんなつもりじゃないなら、何で自分の家にしれっと呼んでるの?あの人の加齢臭が消えるほどつっよい香水振り撒いてくれちゃって。私が見てるのだって本当は気づいてたんでしょ?私にわざと気づかせようとしたんでしょ?楽しかった?奥手なおじさんをベッドの中でその気にさせてリードしていくのは」
「ち、違います!私、そんなつもりないです、本当です!」
彼女は悲鳴に近い声を上げる。しかし、私の心に響くことなどない。
そもそも彼女の家は、同じ町内にある。私が良くいくスーパーのすぐ近くのマンションだ。私がよく通る道であることは、同じスーパーを使って一緒に買い物をしたこともある彼女なら知っていたことだろう。本当にバレたくないなんて思っていたのなら、自宅に不倫相手を連れ込むのがどれほど危険なことかわからないはずがない。もう少し遠いホテルに行った方が、遥かに安全であったのは間違いないというのに。
そして、あの日。酔っ払った様子の夫をマンションに連れ込もうと彼女が画策した、あの日。買い物袋を抱えて呆然と佇む私の方を、確かに彼女は振り返ったのである。見間違いであるはずがない。夫はともかく、彼女の方は絶対に気づいていた。そんなつもりがないなんて、一体どのクチで言えたものある。
そして夫は、彼女の使うどぎつい臭いの香水をぷんぷんさせて、朝方に帰宅したのだ。もし気まずいことなど何もないのなら、夜のうちに私に連絡を入れてくれれば何も問題はなかったはずである。そうしなかったのは。すべてが、彼女の望んだ通りであったからに他ならない。
「安月給の割に、随分いいアクセサリーやらバッグやら増えちゃって。全部夫の貢物なんでしょ?いいご身分よね」
私の言葉に、彼女ははっと顔を上げて――ぽろぽろと涙を零した。
まるで、“どうしてそんなことを言うんですか、友達だと思っていたのに”とでも言いたげな顔である。そんなに私を悪者にしたいのだろうか。先に友情を裏切ったのは、一体誰だと思っているのか。
「私が言いたいことはひとつよ。二度と、あの人を誘惑するのはやめて頂戴。できれば会社もやめて。貴女と夫が顔を毎日顔を合わせるところを想像するだけで不快だわ」
「そ、そんな……!」
「何?私そんなおかしなこと言ってる?あんたも何十年も大事にしてきた夫に不倫された妻の気持ちってやつ、きちんと想像できたならそんな図々しい事は言えなくなる筈よ!私とあの人の時間に、横から出てきた若い女が割って入られて奪っていこうとしてる、それがどれほど憎らしくて悲しいことか、あんた本当にわかってるわけ!?」
叫び始めれば止まらなかった。このマンションの壁はそう厚くない。怒鳴れば他の部屋の住人に聞こえてしまうかもしれない。分かっていたが、一度口にしてしまえば感情はどんどん後から後から溢れ出てくるのだ。
自分だって、といつも思うから尚更である。
自分だってもっと、夫を満たしてあげたい。夫の満足するような美しくて若い女であったならと、一体何度そう思ったことだろう。
でも、残念ながら自分はもうすぐ五十になろうとしている。もうまともにベッドで、夫の気持ちに応えてあげることさえ難しい。男なら若くてグラマラスな女の方がいいのは当然だ。どうしてそれが、自分ではないのだろうか。
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