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 それからの日々はまるでダイジェストでした。どうやって過ごしていたのか分かりませんが、気づけば二日が経っていて、警察の人が来て連れていかれました。アパートの下の階の人が通報したとのことでした。  色々な人が僕について、そして僕と咲田さんについて、たくさんのことを聞きました。僕は全ての質問に率直に答えました。なぜ彼を殺したのかと聞かれました。殺してなんかいませんと言いました。なぜ彼の胸を切り開いたのかと質問が変わりました。 「愛をこの目で見たかったのです」 と僕は言いました。ですが誰も納得はしてくれませんでした。  裁判では何もしゃべりませんでした。同じことを聞かれてばかりで、答えてもどうせ誰も納得をしてくれないことが分かっていたからです。  ただ、一度。咲田さんの部屋にあった遺留品を検証する裁判のときです。咲田さんの財布の中から出てきたケーキの予約票を見て、僕は泣きました。僕が彼の胸を切り開いた次の日は、クリスマスイブでした。咲田さんはお店で一番大きいクリスマスケーキを予約していました。彼は僕と過ごすクリスマスイブの準備をしてくれていたのです。なのに僕はそれを自分の手で駄目にしてしまった。  そのとき初めて、彼と一緒にご飯を食べることも、一緒に寝ることも、手をつないで出掛けることも、性交をすることも、言葉を交わすことも、もう何もかもできないのだということに気づいたのです。その事実に僕は泣きました。僕の人生を構成する最大のパーツを失ってしまったことに、遅ればせながら気づいたのです。僕は法廷で声を上げて泣きました。あんなに大きな声を出したのは物心ついてから初めてで、ひどく喉が痛かったです。それでも僕は大きな声で泣き続けました。裁判長だという人が僕の慟哭を遮るように「何か被害者に伝えたいことはありますか」と聞きました。咲田さんがおじいちゃんになったらこんな感じかな、と思うような、優しい話し方でした。 「ケーキを一緒に食べられなくてごめんなさい」  と僕は言いました。それが僕が一連の裁判で発した唯一の言葉でした。あれから一度も、僕は涙を流していません。  医療少年院を仮出所してから、僕と咲田さんについて報道された新聞や雑誌やニュースの録画を見ました。川野さんは見ないほうがいいと言いましたが、僕のしたことに対する客観的な視点がほしかったので見ました。  僕のしたことは少年N事件と呼ばれているようでした。「少年N(事件当時十四歳)」という表記を見て、面白いなと思いました。Nはアルファベットの十四番目です。咲田さんについても名前や職業などは伏せられ、東京都出身、千葉県在住の二十九歳、ということだけが書かれていました。そのとき僕は初めて咲田さんの年齢を知りました。もしも死んだのが反対に僕だった場合、僕たちの関係や、咲田さんの部屋から出てきた男児ポルノの数々についてなどが報じられたのでしょうか?  報道された内容のおおよそはつまらない内容でした。教育関係の偉い人が持論でしかない理屈をさも一片の瑕瑾もない真理であるかのように語っていたり、全然関係のない過去の事件の遺族だという人がなぜかインタビューに答えていたりしました。一番多い内容は僕の生い立ち、そして小学校や中学校での様子についての報道でした。母親の育児放棄、十分な教育が受けられず情緒が未発達。成程、外から見るとそういうことになるのかと思いました。見たことのある同級生がインタビューに答えている映像もありました。(顔は映っていませんでしたが、彼女は話すときに独特の手の動きをするのですぐに分かりました。おしゃべりな女子にありがちな動きです。)彼女はこう言っていました。 「本原くんはクラスでも誰とも話さないし、いつも本ばかり読んでいたのでどんな人か分かりません。ただ、キレるとヤバイという噂がありました」  どの報道にも、よくぞここまでと思うほど、僕についてや、僕の母親だという人(今どこでどうしているかは分かりません)について豊富な情報が載せられていました、僕の叔母だという人が新聞の取材に応じていて、それで初めて僕は親戚が同じ有真市内に住んでいたことを知りました。それらの記事の多くに「愛情不足」「愛に餓えた末の」などと書かれていて、はじめはひどく憤りました。僕は愛情不足などではありませんでした。咲田さんから惜しみない愛情をたっぷりと受けていました。しかし、彼の胸の中には「愛」は見つからなかった。では僕はやはり愛されていなかったのでしょうか。僕は愕然としました。咲田さんと過ごした数年は何だったのでしょう。僕のこの十九年は何だったのでしょう。  そして次に不安がやってきました。僕は果たして咲田さんを愛していたのか、という不安です。  間違いなく愛していたと思いました。ですが思っていただけです。証明はできません。この胸を切り開いて、確かに愛が存在していることを確かめたくなりました。  僕は自分で自分の体を解剖する術を必死に模索しました。ですがどんな方法をとってもそれを可能にする策が見つかりません。ならば誰かにやってもらうしかないのですが、僕が咲田さんにそうしたように、生きている体を解剖して死なせてしまった場合、罪に問われます。そうとあっては誰もやりたがらないでしょう。  そう考えると、僕は死ぬより他ないのです。僕の死後、誰かにこの胸を開いてもらい、「愛」が確かに存在しているということを確かめてもらわねばなりません。  誰か。どうか誰か。このノートを見た方、どうか僕が死んだら胸を切り開いてください。そしてその中から「愛」を取り出し、咲田さんのお墓に一緒に埋めてほしいのです。  そのためには僕の体はなるべく完全な状態で残しておく必要があります。飛び降りや水死、焼死などはもっての他です。最善なのはやはり首吊りでしょうか。とても苦しいと聞いていますが、仕方ありません。ではまず、丈夫な縄を用意しなくては。
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