第二二話 夕食はホテルのレストランでイイですか?

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第二二話 夕食はホテルのレストランでイイですか?

 店内は仕事終わりの社会人や学生、それに混じって少しの家族連れの喧噪で満たされていた。上叡大学東山キャンパスの正門から坂を下りた先に、その店はある。  大通り沿いの中華料理店で、下吹越エリカと南雲仙太郎は小さなテーブルを挟んでいた。 「遠慮せず、好きなものを頼んだらいいぞ」  南雲教授はメニューを広げて、下吹越エリカに差し出した。 「……はい」  エリカはメニューの上に首を伸ばして、こってりとした料理の写真の並びを覗き込んだ。  その中華料理店の名前は「餃子の大将軍」という。  この地域では低価格で量が多いことで有名な学生やファミリー御用達のお店だ。八百円もあればお腹一杯になれる。下吹越エリカも一年生や二年生の時にはサークルの男友達と一緒に来たこともあるが、床が脂ぎっていて、オシャレとはほど遠い雰囲気に、多くの女子学生からは敬遠されている。学部のサークル活動から離れ、女子学生同士でご飯に行くことが増えたここ一年はすっかり足が遠のいていた。  オシャレさの視点から、どんな店かと言えば、初めてのデートで男性が女子学生を「餃子の大将軍」に連れてきたら、その時点でアウトな店だ。そういう風に言われる。  下吹越エリカはそこまで男性と行くお店のオシャレさにはこだわらないが、(ひいらぎ)ケイコならばきっと「完全にアウト! 餃子の大将軍に連れていくなんて、ありえない!」などと言うだろう。  先生の言っていた「別に上等な場所に行く訳じゃないから~」という言葉には、見事なほどに、謙遜も、誇張も無く、的を射た表現だったわけだ。まさに、真実そのもの。ここは上等なお店ではない。  エリカも薄々感じてはいたが、教授は、日頃の発言に関しては本当に裏表の無い性格のようだ。  しかし、そもそものところ、教授に裏と表の顔が有るから、本日のような状況になっている訳であり。  果たして、教授は裏表が有る人間なのか、裏表が無い人間なのか? 本当に紛らわしい話である。 「あ、今日はこっちから誘ったから、奢るよ。気にせず、好きな物を注文してくれたらいいよ」  南雲教授はメニューから顔をあげて、さらりと言う。 「えっ? 本当ですかっ?」 「ははは、安いからね~。僕の財布への打撃も少ないし」  屈託の無い笑顔で、南雲教授は「ホントに遠慮いらないから」と右手の平を左右に振った。  先生に奢ってもらうのも申し訳ないかな、と一瞬思ったが、家計的には助かる。エリカは急に肩の荷が下りて、食欲が沸いてきた気がした。タダ飯より旨いものはないのであり、据え膳食わぬは女の恥なのである。 「しかし、先生と来る店が、『餃子の大将軍』だとは思っていませんでした」  オーダーを済ませた下吹越エリカはメニューをテーブル脇のメニュースタンドに立てかける。南雲仙太郎は水の入ったグラスを傾け、一口水を飲む。グラスの中の氷がカタリと音を立てた。 「ん? もっと違う店を想像したってこと?」 「あ……はい。先生って学生の間じゃ、オシャレな先生ってことで通っているし、私たちよりずっと大人だし、なんだかもっと違う感じのレストランとかに行くのかなって、勝手に……」  下吹越エリカは出来るだけ失礼な発言にならないように言葉を選んだ。別に「餃子の大将軍」に連れてこられたことに不満があるわけではない。もし、柊ケイコなら、後々まで「連れて行かれたの、餃子の大将軍ダヨ-! 信じられない~」などと言いそうだが、エリカはむしろ、肩肘はらず、緊張せずに、気楽に食べて話せる気がして、むしろ上等でオシャレなお店より良かったかもしれないと思う。 「あー、それは幻想だなぁ。僕はそんなにオシャレな人間じゃないし、日頃のご飯なんてこんなモンだよ。もしかして、ホテルのビュッフェとかフレンチレストランに連れて行かれるかも、とか思った?」  図星を突かれて下吹越エリカは視線を泳がせた。「そんなはずないじゃ無いですか~」とも否定できない。その様子を汲み取ってとか、南雲仙太郎はフォローするように続けた。 「まぁ、もちろん女性を口説く時とかなら、そういう奮発もするけどね。それこそ、指導学生とホテルのレストランで食事なんてしてるところを目撃されたら、変な噂を立てられたりするかもしれないし。そういうの困るでしょ?」  確かにその通りだ。  柊ケイコなんかが、エリカと南雲教授がホテルのレストランでご飯を一緒しているシーンを目撃したものならば、後で小一時間追求されるだけでは済まないだろう。自分も、きっと、柊ケイコと南雲教授がホテルのレストランで二人で食事をしているシーンを目撃したら、あらぬ想像をしてしまうに違いない。  教授の立場からしても、そのような噂が立つことは、いろいろと面倒事に繋がるに違いない。下吹越エリカは内心、自らの不明を恥じた。それと同時にに、南雲教授が「教え子の女性とホテルのレストランに二人きりで入ったりしない」といった大人の配慮をきちんと持ち合わせていたことに少し安心した。  餃子の大将軍に女子学生を連れ込んで来た先生のことをデリカシーの無い男のように、一瞬考えてしまった自分を浅はかだったなぁと反省すると共に、アラフォー男性の紳士的一面をエリカは不意に見い出すのだった。 「その点、餃子の大将軍なら安全安全。誰も、デートだとか、そういう詮索はしないって」  南雲仙太郎は卓上のカトラリーケースに入った割り箸とお手ふきを「はい」と下吹越エリカの手許に置いた。「あ、すみません」と下吹越エリカはお礼を言う。 「先生って変なところは紳士なんですよね。……エロラノベ作家なのに」  下吹越エリカはお手ふきの個包装のビニール袋を開けながら、なんだか悔しくて口を尖らせた。  氷の浮かんだ水の入ったグラスを手にした南雲教授は「ん?」と詰まったあとに、水を飲み込み、グラスを口許から外すと 「……『エロラノベ作家なのに』っていうのは、心外だなぁ~」  と苦笑いを浮かべた。   「もう、さすがに先生が私たちの感覚からすればエロラノベ作家だってことは認めてくださいね」  下吹越エリカがコットン製のお手ふきで両手を拭きながら言うと、南雲仙太郎は 「仕方ないなぁ。分かったよ」  と観念した。  ある意味でこの議論に打ち勝ったことに、下吹越エリカはそれなりの優越感のような気分に満たされたりもした。 「僕が『エロラノベ作家』だっていうことでいいよ、とりあえず」  そして、南雲仙太郎はグラスをテーブルにコトリと置くと、さも面白いことを言うように続けた。 「――お前がそう思うんならそうなんだろう。()()()()ではな」  南雲仙太郎の表情が、この上ないドヤ顔に変わった。下吹越エリカの表情の上には秋雨が降った。  アラフォーと言えどもさすがはラノベ作家。定番のテンプレ表現にもお詳しくいらっしゃる。  下吹越エリカは頭痛を抑えるように人差し指と中指を額に当てる。 「先生って、本当に、中二(ちゅうに)ですよね……」  エリカは抑えられず溜息を漏らした。 「まぁ、実際には四十二(よん・ぢゅうに)なんだけどね」 「先生……、全然上手くないです」 「デスヨネー」  南雲仙太郎はおどけながら視線を逸らすのだった。  横顔は店の外を眺めている。外はもう暗いが、窓の向こう、餃子の大将軍の裏側には少し大きな川が流れている。それが薄らと見えた。藤代川という名前のその川の河原は学生達のデートスポットとしても、地域の人々の憩いの場としても親しまれている。  そうこうしている内に二人のお皿が運ばれてきた。エリカは皿うどんで、南雲は回鍋肉セットだ。ただでさえ、脂分と炭水化物の多い料理の多い「餃子の大将軍」なので、せめて乗っている野菜の多い皿うどんをエリカは注文していた。折角なので注文した餃子も、後からやってくる。  ちょっと、カロリーオーバーかも知れないが、こんな日は仕方ない。  二〇歳離れた男と女のディナータイムだ。
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