第九話 不倫を考えてイイですか?

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第九話 不倫を考えてイイですか?

 柊ケイコはあっけらかんとした顔で「うん、南雲先生のこと本気で狙っちゃおうかな~って、思っていた時期あるよ~」とにこやかに笑った。  これには下吹越エリカも目を点にせざるを得ない。 「いつ頃の話?」 「いつ頃って……? うーん、別に、いつ頃ってわけじゃないけど、『社会システム概論』の講義受けてた時くらいからかな~」  ざっと二年前か。 「まぁ、別に今でも、機会があれば『有効』って感じだけど」  と、ケイコは添える。 (『有効』……とはっ!?)  下吹越エリカはクラッときた。  常々、柊ケイコは肉食系だと思っていたが、そこまで歯牙にかける用意があるとは想定外だ。柊ケイコの姓は、まさに落ち着きのある植物の名前なのに、ケイコ本人は全くそんな植物性はなく、俊敏な女豹のような動物である。 「で……でも、南雲先生、奥さんも居られるし、お子さんも居られるよ?」 「んー。まぁ、私はゼンゼン大丈夫(ダイジョーブ)だよ! 教授夫人とか良いじゃん?」  そう言うと柊ケイコはマグカップ片手にニカッと笑った。 (だ……大丈夫(ダイジョーブ)じゃないっっっっ!) 「ふ……不倫じゃん! ぜんっぜん、大丈夫じゃないでしょ-っ!」  思わず、大きな声をあげてしまった。 「わっ、エリカ、声が大きいっ、大きいって!」 「……あ、ゴメン」  周囲をそろりと見回すと、隣のテーブルの男性と、ちょっと離れたテーブルのお婆ちゃんと目が合った。「す、すみません」と頭をペコリと下げる。改めて声を潜める。今度はヒソヒソ声で再開した。 「……さすがに、不倫は駄目でしょ~?」 「えー、そっかなー? 愛があれば関係なくない?」 「でも、……お子さんや、奥さんに悪いし……」 「んー。……まぁ、悪いっちゃわるいし、私が逆の立場だったら、『何その女子大生の雌ネコはっ!』ってなっちゃうけどねー」  といって、柊ケイコはケラケラと可笑しそうに笑った。  ちょっと正直なところ、エリカのセンスでは、今の会話のどの辺りが面白いのか掴みかねる。 「まー、私は、ゼミも違うし、もう、卒業まで南雲教授(センセー)とは接点無いと思うけどね~」  柊ケイコはつまらなそうに、スプーンでマグカップの中の紅茶をかき混ぜた。 「でも、私、むしろ、エリカが南雲先生のこと狙ってるんだと思ってたよー」 「ブッ! ブホッッッ!」  吹いた。  あっけらかんとした口調で言う柊ケイコの一言に、下吹越エリカは、口にしたアイスコーヒーを今度は完全に吹き出してしまった。品位ある女子大学生として、あり得ない失態である。 「わっ、ちょっと、エリカっ!」 「わー、ゴメンゴメンゴメンっ!」  エリカは机の上のナプキンとお手ふきで、机の上に飛び散った黒いアイスコーヒーの水滴を急いで拭き取った。不幸中の幸いなことに、飛び散った水滴は、柊ケイコの服や鞄にまでは掛かっていなかったようだ。  エリカが申し訳なさそうに謝ると、「まぁ、いいけど」と、ケイコは自分もナプキンを手に取り、机を綺麗に拭くのを手伝った。 「私もゴメンね。……なんか、エリカがそこまで、オーバーリアクションするって思ってなくて。……まさか、……本当は図星とか?」  心配そうに、そして、悪戯っぽく、ケイコはエリカの表情を覗き込んだ。 「違う、違う、違う、違う、ちがうぅぅぅーーー!!!」  思わず、エリカは両手をブンブンと振って否定する。 (その真逆っ! そんなことを考えるだけで、虫酸が走るのっ!)  なんてったって、相手は自分の書く主人公に、人間のみならず、獣人や妖精のオッパイを合法的に揉ませくるような男なのである。多分、その表現を原稿の上に書き留めるなかで、頭の中では同じような妄想を当然のように展開させて「いっひっひ、いっひっひ」と楽しんでいたに違いない。  ド変態のキモオタである。 「え~。あやしぃなぁ~」  なおも食い下がるケイコに対して「違う違う! 絶対に違うからっ!」っと両手を振って全面否定をエリカは続ける。  もう、本当にやめて欲しい。あり得ないから。 「まっ、今日は、そう言うことにしておいてあげよう。でも、進展があったら教えなさいよね」 「……全然、信じてないじゃん~。進展なんてあり得ないって~」 「そう言わずにぃ~。私も、進展があったら教えて、ア・ゲ・ルっから~」  ケイコはそう言うと、人差し指を口の前に立てて、秘密ね、というようなジェスチャーをとって見せた。本当に肉食系女子である。 「でも、ケイコって彼氏いたよね? 夏休み前には少なくとも。えっと、確か、社会人の……」 「あー、うん。居たね。別れちゃった」  事も無げに答えるケイコ。エリカは「あー」と、苦笑いするしかなかった。何だか、このあたりはまるで住む世界が違う。  エリカが覚えている範囲では、夏休み前に会った時には、ケイコは就職活動中に知り合った社会人男性と付き合っていた。就職活動中に知り合った企業側の男性と、どうやったら、そんなに早くお付き合いに発展させることが出来るのか、エリカにはサッパリわからない。この辺りがケイコである。  男性を引き寄せるフェロモンというか、その気にさせるムードというか、そういうものが柊ケイコにはある。女性同士で話す時には、こうやって開けっぴろげで、しっかり者の雰囲気が目立つが、男性と話す時になると、とたんに「危なっかしさ」や「守ってあげたさ」や「母性」、そして「家庭的な雰囲気」が立ち現れるのだ。そういうケイコのギャップに男達はコロッと行くようだが、実際のところ男性側から見えるそれらのケイコの一面には何一つ真実はない。結局のところで、開けっぴろげで、しっかり者、そして、時々、人の都合を考えずに突っ走るワガママさこそが、ケイコの本性である。  多くの「君を守ってあげたいんだ! 何でもしてあげたいんだ!」と健気にケイコに貢献しようとする男達が、実際のところケイコにしてあげられるお仕事はほとんど無い。最悪の場合、「え、そうなの?」と、それを額面通り受け取ったケイコに、財布の紐をこじ開けられてしまうのがオチだ。結果として、三ヶ月くらいで男性側が「こんなはずじゃなかった」と泣いて逃げ出す。  本当に肉食系である。 「またぁ? 早いなー。今度はなんで別れたの?」  エリカはあきれ顔で、ケイコに尋ねた。 「それそれー。聞いてよ、エリカ~。あいつったらさー。私のこと騙してたのよーっ!」 「……騙してたって?」  柊ケイコの穏やかじゃない物言いに、下吹越エリカはアイスコーヒーの入ったグラスをテーブルに置いた。グラスの中では氷が解けて、氷がカランと音を鳴らして崩れた。
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