第一四話 キーワードだけでもイイですか?

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第一四話 キーワードだけでもイイですか?

 下吹越エリカの脳裏をぎったのは、南雲仙太郎教授の「社会システム概論」の授業風景のイメージだった。 「私が、先生のゼミへの配属を希望したのは、やっぱり……、先生の授業が面白かったからです。……何か、ああいう話ができたらなって思いました」 「授業って……『社会システム概論』? 二年生後期でやってるやつ?」  南雲は大学でいくつかの授業を担当している。なので、その内の一つであることを確認する。 「はい。そうです。『社会システム概論』です! ……あれ、ホントに面白かったです」 「え……、あ、ありがとう」  真摯な瞳で褒め称える下吹越エリカに対して、南雲教授は照れくさそうに頭を押さえた。  南雲教授の「社会システム概論」は二年生の後期に開講される講義科目だった。特に、みんなが登録しないといけない必修科目ではないのだが、二年生後期はどの学生もまだ卒業に必要な単位を取らないといけない状況にあり、登録できるものは全部登録しようという傾向がある。そのせいもあってか、授業登録者は多かった。  一学年あたり四百名程度の学生が在籍する総合人間科学部にあって、三百名程度の学生が南雲教授の「社会システム概論」を受講していた。  とはいっても、南雲教授のその授業は、単位を取るのが簡単という訳ではなかった。レポートと期末テストの二段構えで、実際に結構な数の学生が、レポートとテストで十分な点数を取れないままに、単位を失っていた。それでも人気があるのは、やはり、イケメン教授こと南雲仙太郎教授の個人的人気によるところも大きいと思われる。  エリカにとっても、正直言ってその講義は面白かった。下吹越エリカはいつも、前から五列目くらいに座って講義を聴いていた。三百人が入る大教室の、前から五列目といえば、かなり前の方だ。  南雲教授の話す「社会システム」の話は多岐に渡った。会社の組織の話や、世の中の人々のつながりの話。また、国家や地域、家族といった社会の階層性の話。文化と文化を象徴し媒介する記号の話などである。  社会システム論は人と人が動き合う中で、無意識的に、自然と生まれてくるものや、私たち人間が知らぬ間に支配されている行動の法則を語る学問だ。もちろん、会社組織や政治制度のような明示的に、意識的に作られたシステムも扱う。  それゆえに、それまで無意識に感じていたことや、そうは思っていなかったけど実際にはそうであるところの世界の現実が、「社会システム」の講義の中で急に立ち現れ、意識化されることがしばしばあった。そういう発見が、下吹越エリカを興奮させたし、そんな興奮をさも当然のように、皆の精神世界へと運ぶ若手教授、南雲仙太郎のことが、下吹越エリカにはとても格好良く見えた。 「じゃあ、その中で、特に印象に残ったようなキーワードとかある?」  照れた表情から、再び真面目な仕事モードに南雲仙太郎の表情が移る。研究の話となると、南雲のギアチェンジは俊敏だ。少しばかりの思案の後に、下吹越エリカは南雲教授の目をちゃんと見据えて、口を開いた。 「スモールワールド……? あと、あの、……オークション理論の話も面白かったです」  ちょっと、バラバラかな、とは思いつつも、講義中に聞いて、エリカ自身が純粋に面白いなと心の中に引っかかっていたキーワードを口にしてみた。 「おー。複雑ネットワークにメカニズムデザインか~。いいねぇ。下吹越さん、思っていた以上にゴリッとくるねぇ」  南雲教授は、下吹越エリカの返事に、ご満悦そうに頷く。  「ゴリッとくる」の意味は全く分からなかったが、何かのメッセージは南雲教授に届いたのだろう。エリカはちょっとだけホッとする。南雲仙太郎は下吹越エリカの発言を受けて、右手親指を顎に当てながら「なるほど、なるほど」と、何かを考えだしていた。  スモールワールドとは社会心理学者のスタンレー・ミルグラムが1967年に検証した人間関係のネットワークの持つ性質に関する仮説だ。あらゆる人は限られた交友関係しか持たないが、それぞれの人々の人間関係から出来上がるコミュニティは、コミュニティ同士が緩やかに繋っており、知り合いを芋蔓式に辿っていけば、世界中の誰にでも、意外と早く到達出来るという話しである。ミルグラムの検証はアメリカで成されたが、ランダムに選ばれた二人の間には大体六人の人が入れば繋がるのだということが実験的に示された。  これは自然に成長し、広がっていく人間関係のネットワークが、スケールフリー性という性質を持つためだと、現在では考えられている。そしてこのような人間関係を初めとした社会(や他の領域)における様々なネットワークの性質を調べるのがネットワーク科学という学問だ。  ちなみに、ミルグラムが研究した20世紀では人の人間関係のデータを研究のために取得する方法は大変限られていた。しかし、2010年代の現在では、ソーシャルネットワークが普及して、ツイッターのフォロー、フォロワー関係や、フェイスブックのフレンドリストなどといった形であれば、「だれとだれが繋がっているか?」はデータとして比較的容易に取得できるし、それなりに頑張れば、誰と誰が何人のユーザを介して繋がっているか? などについても調べることができる。  スモールワールドの話を始めて聞いた時は「なるほど」と思ったし、下吹越エリカにとってもSNS上での人のネットワークの話は身近な話であり、興味をそそられた。 「あ、あと、先生のおっしゃっていた街づくりや会社の変革のための組織におけるコミュニケーション場のデザイン……の話なんかも面白かったです!」  南雲教授に「いいねぇ」と言ってもらったことに気を良くして、下吹越エリカはもう一つ気になっていたトピックを追加した。 「わぁわぁわぁわぁっ! 下吹越さんちょっと待って、三つ目、それは、ちょっとトゥーマッチだからっ!」  南雲教授は両手の平を振って、急に下吹越エリカを静止した。  「トゥーマッチ」とは多分、英語での「too much(多すぎる)」のことだろう。 「あ……、そうなんですか?」 「あ、うん。いや、初めにくれたスモールワールドと、オークションの話で、ちょっと研究テーマどんなのがあるかなぁ? って考え始めていたところだったから。ちょっと三つ目が飛び込んでくると、考えがまとまらなくなるっていうか」 「へ-。そうなんですか」  顎に手を当てて天井を見ながら考える南雲仙太郎を、下吹越エリカは不思議そうな目で眺めた。  やっぱり、南雲仙太郎が何を考えているのか、下吹越エリカにはさっぱり分からない。
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