第二〇話 昔話をしてもイイですか?

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第二〇話 昔話をしてもイイですか?

 南雲仙太郎は昔から創作活動が好きな少年だった。  創作活動といっても、高校生の頃だとそのレベルも知れていた。でも、好きだったから、マンガ、ゲーム、小説、作曲、手当たり次第に挑戦した。まわりに「へー、これ南雲くんが作ったんだ。凄いね。よく作るよね」などと言ってもらえたのは嬉しかった。  でも、正直なところ、子供のお遊びのレベルだということは自覚していたし、周囲からの評価も暗にそれを裏打ちしていた。  丁度、時代は角川スニーカー文庫から出た「ロードス島戦記」が一世を風靡し、富士見ファンタジア文庫から出た「スレイヤーズ」などがライトノベルの第一次のブームを形成していた頃だった。  南雲もまさにその時代の少年であり、このような時代の空気に大きく影響されて、ファンタジー小説を書くようになった。  受験勉強での休筆期間を挟むものの、大学生になっても、南雲はライトノベルのようなものの執筆を続け、何回か出版社の新人賞の公募にも挑戦した。しかし、いずれにおいても一次選考を通過することすら無かった。  作家になりたいという夢は心の奥に抱えながらも、南雲仙太郎はどこかでその夢を自然と諦めて、それとは少し違う道を選ぶことになっていく。それは社会システム研究者としての道だった。  理工系の学部に進学した南雲は、縁あって、そのまま大学院に進学することになる。理工系の大学院ではあったが、研究を進める中で、社会システムに関する議論から、学際的な研究領域に足を踏み入れることになり、あれよあれよと人文社会系の分野においても活躍するマルチな研究者になっていた。  出身大学で博士の学位を取得した後は、いくつかの研究員ポストを転々とした後に、上叡大学総合人間科学部講師に着任、そして三十五歳で准教授となった。  南雲仙太郎の研究者としてのキャリアは順風満帆といってよいものだった。  南雲自身も、自分自身が研究者として、色々と幸運に恵まれて生きてこれたことは認める。若くして准教授になり、他数名の先生との共著ではあるが、大学の講義でも用いているテキスト「社会システム概論」も上梓した。また、単著でも、新書で一般向けの解説書も書いた。  ある意味では、高校時代から夢見ていた出版という経験をすることは出来たのだ。当時、憧れていた小説家としてでは無いが。  立て続けに数冊の専門書、解説書を出版してしばらくの間は、南雲仙太郎も「出版する側の人間」になれたことにとても満足を感じていた。しかし、数年経って、南雲の心は再び揺れ動き始めたのだ。  ――これはやはり少年の時、憧れた創作活動とは、違うのではないだろうか?   研究の専門書や解説書は、事実に忠実に書かねばならない。そこにおいて過度な著者の想像力イマジネーションの挿入は忌避されるし、物語性は最小限に抑えられるべきであるとされる。また、いくら売れたとしても、アニメ化やドラマ化がなされることは無い。  ――やっぱり、自分自身が物語の創り手になりたい。  初心忘るべからずとでも言おうか。南雲仙太郎は自分自身の幼い頃からの夢に蓋をし続けることが出来なかったのだ。それが再び頭を擡げる。  この心境の変化には、実は、自分自身が大学教員の職についていることも少なからず影響を与えていた。大学教員は社会に出る寸前の学生を指導する立場にある。この指導には進路指導や就職相談がしばしば含まれる。それは図らずも、結局のところ「人生相談」に行き着くのだった。  大学生は必ずその学生生活の出口で、少なくとも一度は人生の岐路に立たされる。就職活動だ。そんなときの相談相手としての役割が大学教員に求められたりするのだ。    正直なことを言うと、南雲自身は大学教員が進路指導や就職相談に乗ることは微妙だと思っている。なんといっても、大学教員の多くは一般企業に就職したことがない。また、もちろん自分の人生以外歩んだことは無く、その人生は決して標準的でない。若者の人生の相談相手など、恐れ多い。  そういうものの、大学の中での進路指導の説明会を始めとして、大人の言葉を語る機会は仕事上否応なく降ってくる。その時に、どうしても、話すことになるのは  ――君の夢はなんですか?  ――人生でやり遂げたい事は何ですか?  などという歯の浮いたような台詞だった。  半ばお役目のように、そんな話をしていたが、ふと自分の半生を振り返った時に「自分自身はどうなんだろう?」と思った。  自分の高校生の時の、大学生の時の夢は何だっただろうか? そして、その夢に対して自分は本当に十分にチャレンジしたのだろうか?  今の仕事に不満があるわけではないし、社会システム研究は自分のライフワークだと認識している。そこに自分の独自性も創造性も十分にあると思っている。しかし、あれだけ好きだった創作活動をせずに、少年の時の夢を諦めてこのまま老いていった時に、後悔が無いかと言われると、それには首肯し難いものがあった。  ――やっぱり、創作に……、小説執筆にチャレンジしたい!  三十台後半になって、再びそう思い始めたのだった。  全ての作品は原稿用紙に書くのが当たり前だった高校時代から、世の中も随分と変わっており、パソコンを使って執筆するのが当たり前になっていた。また、出版社の新人賞に出したり、学校の部活の部誌に載せたりする以外は発表の方法も無かった当時とは異なり、インターネット上で作品を自由に公開し、読者を見つけることも出来るようになっていた。  高校時代の小説執筆仲間に教えてもらってインターネット上の小説投稿サイト「小説家になりたくてWEBうぇぶっ!」にペンネームで投稿を始めた。  略して「なりうぇぶ」と呼ばれるそのサイトは、いろんなアマチュア作家が自由に自らの小説をアップロードして、公開することが出来た。また、なりうぇぶは簡単なSNS機能も有しており、作家の間でコミュニケーションを取ることもできる。また、ランキング機能もあり、みんなに読まれる作品は上位に来るなど、作家のモチベーションを刺激するような仕掛けもあった。  そして、四十代も目前に迫った頃、約二十年振りに、南雲仙太郎は再び小説の執筆を開始した。  この時に使い出したペンネームが未恋川みれんがわ騎士ないとだったのである。
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