第三話 学生バレしちゃってイイですか?
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第三話 学生バレしちゃってイイですか?

 下吹越エリカは一息叫び終えると、我に返った。  なんとも、はしたない声をあげてしまった。  きっと、廊下のみならず、建物の外にも響いてしまったに違いない。  ああ、恥ずかしい。  しかし、致し方ないのではないだろうか。下吹越エリカはそう正当化を試みる。  下吹越エリカが読んでしまったその文章は、先ほどの雄叫びに十分値するほど衝撃的だったのだ。  下吹越エリカは、日頃小説を読まないわけではない。友人や先輩の勧めで、最近では村上春樹や辻村深月など何冊かの小説を読んだ。太宰治や島崎藤村などといった古典というものはさほど読まないが、それでも、全く読まないというわけではない。  しかし、さっき目にしたような文章を目にしたことは、正直なところ無かった。 (なに? 今の? 官能小説? エロ文芸? ……いや、文芸と言うにはあまりに文章が稚拙だったような……)  それよりも問題は、どうしてこんな卑猥で低俗な文章が南雲先生の教授室に置かれているのかということだ。誰が置いたのだろう? 何のために置いたのだろう?  あらためて机の上を見ると、先ほど気付いた封筒と、編集者からのものらしい書面が、やはりそこにあった。その封筒はやはり南雲仙太郎先生宛になっている。そして、その編集者は、明確に受取人を「著者」として、著者校正依頼を行っているのだ。 (ということは……。まさか本当に、南雲先生が、この卑猥な本の著者の未恋川みれんがわ騎士ないと……ということなの?)  それは下吹越エリカには到底考えられないことだった。  南雲仙太郎教授といえば、総合人間科学部の中でもも、最もイケメンで通る気鋭の若手教授である。女子学生の憧れの的なのである。その教授の本性が、こんな、卑猥なエロ小説を書く著者だなんて。そんなことは信じられないし、あってはならない。  しかも、ペンネームが「未恋川みれんがわ騎士ないと」なんて、絶望的にセンスがない。 (そんな……、そんなはずが……)  下吹越エリカは頭を抱えて、椅子の背もたれに沈み込んだ。 「う、うーん……」  南雲仙太郎はソファの上で寝返りをうち、眠たそうに左腕で目を擦った。  どうやら、目を覚ましたようだ。とはいえ、まだ、寝ぼけている。  下吹越エリカは状況を明らかにするために、意を決して鎌をかけることにした。 「未恋川みれんがわ騎士ないと先生~。原稿受け取りにきましたぁ~」  下吹越エリカは、口許に右手の平を添えながら、寝ぼけたままの南雲仙太郎に声をかけた。 「ふぁああ〜い。ごめんなさい! もうちょっと待ってください~。著者校、あと一日あれば上がるんでぇ~」  と、答えると、南雲仙太郎は、ソファの上で慌ただしそうに起き上がると「うーん」っと伸びをした。  大変残念ながら、ビンゴである。  確定である。  審判は下った。  エリカの中の南雲仙太郎は天に召された。   「あー……」  あまりのショックに下吹越エリカは、改めて天井を見上げるしかなかった。茫然自失ぼうぜんじしつという言葉はこういうときのためにあるのだと、下吹越エリカは確信した。  ソファの上に起き上がった南雲仙太郎は、目を擦りながら、パチパチと瞬きをして、左右の様子を見た後に、顔を突き出して下吹越エリカの方を見る。 「ん? ……あれ? 編集さんじゃ……ない? ……誰、君?」  南雲仙太郎は目を細めた。南雲仙太郎は講義の時もいつも黒縁のメガネをかけている。黒縁メガネは少し南雲教授のトレードマーク化してきているきらいがあるものの、近眼の南雲仙太郎にとっては単純に必需品だった。  南雲仙太郎は「メガネ、メガネ」とソファの上、テーブルの上をまさぐると、自分の黒縁メガネを探り当てて、メガネをかけた。ようやく視界が安定したのか、南雲の視線はゆっくり動き、下吹越エリカをメガネ越しに捉えた。  それでも、まだ寝ぼけているのだろうか、南雲仙太郎は「だれだっけ?」とでも言うような表情で、下吹越エリカの方を見ている。  下吹越エリカは一つため息を吐くと。 「先生のゼミの四年生の、下吹越エリカです」  と、諦め顔で、自分の名前を改めて紹介した。 「……あぁ~」  南雲教授はソファの上で、ポンっと手を打った。  四月にゼミ配属が行われてから、かれこれ半年である。  いくら寝ぼけているとはいえ、南雲ゼミの数少ないメンバーなのだから、せめて顔と名前は覚えておいて欲しい。 「あれ? で、編集さんは……?」 「居ませんよ」 「え? ……でも、さっき呼ばれたような……?」 「あ、あれ、私です。ちょっと真似してみました」  含みのある和やかな笑顔を浮かべながら、下吹越エリカは自分自身を指さした。 「え?」  南雲教授は、未だに、状況をつかめないようで、小首を傾げている。 「だから、南雲先生が、本当に、未恋川みれんがわ騎士ないと先生なのか、鎌をかけさせていただきました」  そう言って下吹越エリカは、手元の原稿の束、「聖☆妹伝説セイント・シスター・レジェンド アポカリプス」第三巻の著者校正原稿を南雲仙太郎に掲げて見せたのだった。  今度は南雲仙太郎の目が点になる番である。 「え?」 「はい」 「え?」  上叡大学・総合人間科学部教授、南雲仙太郎(二児の父)は状況をようやく飲み込むと、雛鳥のような視線で下吹越エリカの顔を真っ直ぐ見つめた。そして、そんな南雲の視線を下吹越エリカは、貼り付けたような満面の笑みで、受け止めたのだった。 「えぇぇええええぇぇーーーーーーっ!?」  いい年をしたオッサンの叫び声が、上叡大学・東山キャンパスに響き渡った。
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