はじめてのクリスマス(朔耶視点)(1)

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はじめてのクリスマス(朔耶視点)(1)

 新堂朔耶はとても困っていた。  どうしよう。  その焦りに似た困惑は、日に日に強くなる。    来週末にやってくる十二月二十五日。  誠心医科大学病院の医師、和泉暁と番になって初めてのクリスマスなのだ。  朔耶はそのプレゼントを決めかねていた。    今年の春に出逢い、札幌で予想外の発情期に見舞われ、助けられるように和泉と身体を繋げ、心を通わせ番になった。彼は、項の咬み跡を朔耶に与えてくれ、そして今、左薬指に光る指輪も。彼は当初指輪を嵌めることに躊躇っていた朔耶に対して、彼はペナルティと言ったが、もちろん嬉しくないはずなどない。  そんな彼に、今年最後になにを贈ればよいのか。  なにを贈れば、喜んでくれるのか。朔耶は途方に暮れていた。 「あ、新堂君。丁度良かった」  そう誠心医科大学病院内で呼び止められたのは薬剤部の前。馴染みの女性薬剤師である川越菜摘が朔耶に手招きしていた。彼女はもともと朔耶と仲が良かった大学時代の同級生で、気が合えば話も合うベータの女性だった。 「お、川越先生」  朔耶がそう茶化すと、菜摘が可愛らしく反応する。 「やだ、それやめて」 「一応、僕は出入り業者だし」 「わたし先生とか呼ばれる身分じゃないもの。新堂君の方が優秀なんだから、勘弁してよ」 「じゃあ、菜摘ちゃんも新堂君はやめてよ」  そう言われて、ふたりで笑い合う。院内で遭遇したときに他に誰も居ないとこのような砕けた口調になる。 「さっき、新薬採用会議が終わってね。メルトさんのヒート抑制剤の新薬と緊急抑制剤の新剤型、来期からの採用が決まったよ」  その菜摘の言葉に朔耶は安堵して一礼した。 「本当? ありがとう」  年の瀬も迫るこの時期に、誠心医科大学病院の来期の採用薬剤を決める新薬採用会議が開催される。ここを通らない限り、この病院で自社製剤を使ってもらえる手立てはないため、メーカー各社はこの日を緊張して迎えていた。  メルト製薬の東京中央営業所も、誠心医科大学病院の新薬採用については並々ならない熱意を持って臨んでいて、薬剤のメリットデメリットを医師や薬剤師に熱心に情報提供して回っていた。  今回の会議には、秋に新たに上市したアルファのヒート抑制薬と、オメガの突発的な発情期を抑制する緊急抑制剤の新剤型の採用が議題に掛けられていた。 「今、薬剤部長が長田所長に連絡を入れていると思うわ。正直薬価は高いと思うけど、ドクターの要望が大きいのよね。朔耶くんたちが、ちゃんと細かく情報提供をしてくれるから、安心して使えるみたい」  第三者の菜摘からそう評価されると、自分の仕事が認められたようで嬉しい。 「これからもよろしくね。なにより先生方が頼りにされているから」  どこか含みのある言い方に、朔耶は少し焦った。自分と和泉が番ったという話を菜摘が知っているのかは話したことがないから分からない。それでも、少し恥ずかしいので話題を変えようと、辺りを見回す。 「あれ、ここにもクリスマスツリーがあるんだ」  朔耶が見かけたのは、薬剤部の受付の前。小さなクリスマスツリーが飾られている。もちろん、衛生的な観点から、おもちゃのやつではあるが、小さな飾りがたくさん付けられて、きらきらと輝いている。 「そうなの。かわいいでしょ。病院ってやっぱり少し殺風景になるから。患者さんが少しでも気晴らしになれば、置いておく価値もあるわよね」  ここの薬剤部も他院と同様で女性の割合が高い。そのような気遣いをしているのだろうと思う。 「ロビーにも大きなツリーもあるし、院内がクリスマスめいてて、華やかだよね」 「今年は朔耶くんもツリーを自宅に飾ったんでしょ?」 「え?」  突如自分の話になって、朔耶は思わず問い返す。菜摘は首を傾げた。 「あれ、ごめん。なんかこの間、和泉先生がツリーを買ったって聞いたから」  たしかに和泉の自宅にはクリスマスツリーがある。でも、今自宅と言ったよね? と困惑する。 「和泉先生の自宅と僕の自宅は……違うよ?」  困惑して思わずそのように呟くと、菜摘は慌てたように聞いてくる。 「あれ、和泉先生と一緒に住んでいるんじゃないの?」    やっぱり菜摘も承知しているのだと朔耶は悟る。 「いや……」 「あ……ごめんね。もうわたしてっきり」 「あの、だってさ。一営業担当者が、いくら番とはいっても、先生と一緒に住むのは」 「どうして?」 「どうしてって」 「だって、番なんでしょう。一緒に住まない方が不自然だよ。やだ、朔耶くん、そんなことを気にしてるの?」 「え……」 「もしかして、和泉先生は患者さんだけでなく、ナースや薬剤師からも人気だから遠慮していたとか?」  あまりに鋭い指摘すぎて、朔耶はなにも言えなくなる。当時は熟慮を重ねて導いた結論だったが、そんないとも簡単に気付かれてしまうものなのか。  肯定も否定もしない朔耶に、菜摘は勝手に肯定と受け取った様子だ。両手を腰に当てて、ため息を吐く。 「もう。みんな朔耶くんには感謝してるんだよ」  それは意外な言葉だった。 「感謝?」 「そう。和泉先生は本当に腕が良くて、患者さんからも信頼される、いいドクターだけど、他人にも厳しいところがあるから。いや、本当はご自分に一番厳しい人なんだけどさ。でも、そんな人が、新堂君と会って変わったもの」  それは朔耶のなかでは意外なひと言だった。 「和泉先生は変わった……?」 「うん、丸くなったっていえば語弊はあるけど、以前より柔らかくなった。それこそツリーの話みたいな雑談もできるくらいにね」  前は仕事以外の話なんて、怖くてできなかったよ、と菜摘は言い放つ。なるほど、それはなんとなく想像がつくと朔耶も思った。 「和泉先生は? なんて仰ってるの? 一緒に住むことについて」  菜摘はこの話題から離れるつもりはないらしい。 「いや……、何度か言われたけど、僕の踏ん切りがつかなくて……」  すると菜摘がばんばんと肩を叩いた。 「じゃあ、待ってくださってるのかもね。朔耶くんが言ってくれるのを」  やだ、ちょっときゅんきゅんするわ、と拳を握る菜摘のテンションが上がった。  出し抜けに、スーツの内ポケットに入れていたスマホが鳴る。雑談だったし、と菜摘に断って電話に出る。営業所からだった。 「はい新堂です」 「おい、お前今どこにいる?」  挨拶もなしに突如そう聞いてきたのは、上司の長田だった。 「え、誠心医科大学病院ですが」 「これから時間があるか?」 「はい」 「それじゃあ、ちょっと待ってろ。俺がいく」  よく事情が飲み込めない。 「……は? どういう?」 「新薬採用のお礼だよ。薬剤部長と和泉先生にアポ取ったから、お前を連れてくのは必須だろ」 「はあ」  そう言って病院前で待ち合わせることにした。  仕事といえど、上司の同行といえど、和泉に会えるのは嬉しいのだ。  今年は週末に祝日が被り、振替休日でクリスマスイブが休みにあたる。  クリスマス当日は平日で、互いに仕事がある。朔耶に至っては営業の宿命だ。他院の薬剤部の忘年会という名の接待が待っている。    三連休をもぎ取ったという和泉と落ち合ったのは、金曜日の夜。そのまま彼の車でみなとみらいまでやってきた。  近くで開催されているクリスマスマーケットに行ってみないかと誘われたのだ。  和泉がクリスマスマーケットとは珍しいと、朔耶は最初は思ったが、おそらく違う。前に、ふたりでテレビを観ていたときに、ドイツの田舎町のクリスマスマーケットが紹介されていたことがあったのだ。  それがあまりに幻想的で美しく、刹那的で、子供の頃にクリスマスの雰囲気を感じたようなわくわく感を見つけてしまい、食い入るように見入ってしまったのだ。  和泉には、そんなに気になるなら、休みが取れたらドイツに旅行に行こうと誘われた。互いに長期の休みは取りにくいので朔耶は曖昧に笑ったが、そんなやりとりを和泉もしっかり覚えていたのだろう。  車を駐車場に入れて、その暖かな夢のような場所に足を踏み入れる。人出は多いが、もともと広いスペースなので、さほど気にならない。ヨーロッパの雑貨やホットワイン、お菓子や軽食が連なるお店に立ち寄ってみる。 「これまでこういうのは興味がなかったが……。朔耶は好きか?」  店頭に並んでいる、スノードームを覗き込みながら和泉が聞く。 「僕もあまり興味がなかったけど……。暁さんと見るとなんか世界が違って見えて、とても楽しい」  そうか、と和泉は穏やかな表情で朔耶を見た。  楽しくふたりで店を回り、横浜の街並みを模したスノードームとシュトーレンを購入した。ただ、やはり海沿いで少し風が冷たい。朔耶が両手を擦り合わせて暖を取っていると、和泉が素早く朔耶の左手を取り、そのまま自分のコートのポケットにつっこんだ。 「あ、暁さん!」  朔耶が驚くと、和泉は悪戯心が見える目を浮かべ、小さく笑う。 「手が冷たい」  ポケットの中では和泉の右手が朔耶の手を摩っている。恥ずかしくなって、和泉を見ていられなくなった。しかし、和泉の方は、そんな朔耶を満足そうに眺める。  そして、イベント会場の一番奥にある、見上げるほどに大きな、きらきらと輝く屋外ツリーに目をやった。 「一年前は、こんな暖かい気分でクリスマスツリーを眺めているなんて思わなかった。オレの前に現れてくれた朔耶に感謝だ」  それを言うなら自分だって、と朔耶は思う。一年前のクリスマスは会社で残業をしていた。こんなふうに幸せな気分の自分がいるなんて思ってもみなかったのだから。 「僕もです……」  クリスマスマーケットを抜け、ゆったり歩いていると観覧車が目につく。クリスマスツリーのように華やかにライトアップされている。おそらくそこから見る、この港湾の夜景は絶景だろう。  昔は観覧車なんて乗っても退屈なだけだったのに、少し惹かれる。ただ、十五分も和泉と密室で二人きりなんて、少し緊張する。 「乗ってみるか?」  朔耶の心を見透かしたように、和泉が指し示したのは観覧車。朔耶は大きく頷いた。  チケットを購入し、定員四人のゴンドラに乗り込む。スケルトンのゴンドラもありますよ、と勧められたが、さすがに辞退した。外からであまり動いているようには見えない観覧車だが、乗り込むとぐんぐんと上昇していく。それまで見上げていた夜景が、目線と同じになり、さらに見下ろすように変わっていく。  あれ。  少しの違和感を見つけたのは、ゴンドラに乗ってさほど経たない頃だった。和泉は朔耶の向かいのベンチに座り、脚を組んで、興味深げに外を眺めている。朔耶もそれを見ていたが、脚がすくんでいることに気がついたのだ。  もしかして、僕……怖い? 「綺麗だな」  和泉が呟く。朔耶もそれに即頷く。強がった。自分から乗りたいといったのに、怖いとかないだろうと思う。 「綺麗だね」 「ほら、さっき通ってきたクリスマスマーケットだ」  和泉が指す先を、視線が辿る。ひときわ明るい一帯に、大きなクリスマスツリーが見えた。 「本当だ、綺麗……」  少し心拍数が上がってきた気がする。  緊張しているのかもしれない。だってこのゴンドラがてっぺんで止まってしまったら? 僕たちはどうやって降りればいいのだろう。  外は風がびゅんびゅん吹いている。こんななか取り残されたら……と思うと、もはや不安を通り越して恐怖しかない。なんでそんなことを考えてしまうのか自分でも分からない。  昔は、観覧車に乗ってこんな恐怖を感じたことなかったのに。  朔耶は膝の上で手のひらをギュッと握る。  それを和泉がじっと見ていた。 「朔耶」   そう呼びかけると、和泉は朔耶の隣に移ってきた。 「ん?」  和泉の言葉に集中できない自分がいる。朔耶は少し動揺していた。  和泉が朔耶の手に、自分の手を重ねる。 「もしかして、怖い?」  和泉から言い出してくれたことで、朔耶は少し安堵した。 「……うん」 「高い所が駄目だったとか?」 「そんなことなくて……。なんか上がってくうちに、あれって」  つたない説明だが、和泉は、そうか、と頷いて朔耶の肩を抱いた。 「無理するな。怖かったら、外見なくても良いんだぞ」  そう言って抱き込んでくれる。温かい和泉の体温が伝わってくる。そして、鼻孔をくすぐる和泉の匂い。深呼吸を複数回すると、ここがゴンドラの中とは思えなくなって、安心した。    すると和泉はそのまま朔耶の手を意味深げに触ってくる。指を絡めて、そこから手のひらを親指が滑り、また、指を絡ませて、その指の股を部分をつねったり、さすったり。  その和泉の指の動きに朔耶は夢中になった。 「…ん…」  手軽すぎるだろうと自分でも思うのだが、こればかりは仕方が無い。朔耶は和泉に寄りかかった。 「朔耶が可愛い……」  そう言って和泉は満足そうに朔耶の額にキスを落とす。そんなものではもう足りない。朔耶は顔を上げて、和泉にキスをせがむ。すると和泉も待ち構えていたように、唇を朔耶のその場所に重ねてきた。  もうどこでもいい。ここがゴンドラのなかで、いまその動きが止まったとしても、ここに和泉がいるから怖くはない。和泉の腕のなかで、全てを委ねて、彼に愛してもらえるならば。  和泉は、朔耶の口腔内に舌を滑り込ませ、そのまま愛撫する。ゴンドラに吹き付ける風が音を立てるが、それさえも気にならないくらい、内部には濃厚な水音が立つ。くちゅ……と和泉と朔耶の接触部分が音を立てる。  朔耶は和泉のコートを握り込み。彼から受ける感覚すべてを受け入れていた。どうしよう、全身で感じてしまっている。  もう今すぐ、抱かれたい……。  すると、和泉が唇をようやく離して呟いた。 「ヤバい……。今すぐ朔耶を抱きたい」  まさに同じことを考えていて、朔耶は嬉しくなった。
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