第一章 チェイサー

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02. 避雷針  上空から俯瞰すれば、博物館の四辺は正確に東西南北を向く。  正面玄関は真南に在り、電圧が高まる地点は、ピラミッドのほぼ頂点の位置を示していた。  内部へ入ったセイジは、がらんどうのギャラリースペースを抜け、何度か角を曲がって中央を目指す。  収容品の常設展示室には、もう額縁一つ(のこ)されていない。  彫刻や陶磁器、古い民具が飾られていた台座を横目にして進んだ先に、天井まで吹き抜けた空間が広がる。ソファーと鉢植えの残骸が転がる八角形のホール、中央サロンだ。  部屋の中央部分は一段高い平台になっており、羽根の生えた大きな女神像が今も立っていた。いかにもな存在感は、避雷針と認定したくもなる。  彼はコートのポケットに入れていた小型通信機を掴み、車に残ったミサキを呼び出した。 「散布装置(センサーキャスター)を内側へ向けて発射してくれ。確証が欲しい」 『了解。私も中央に向かった方がいい?』 「ああ……車が要るな」  通信を切って、白い彫像に近づいた彼は、ペタペタと触って様子を調べる。  これで分かれば苦労しないのだが、目や触感で避雷針を判別するのは難しい。ただ、経験から来る勘が、何か違和感を訴えてきた。  おそらく、この像はレプリカだ。そんな単なる現代産の彫刻が、電圧を歪ませる力を秘めるとは考えにくい。  (しばら)くして、ミサキがテラスで発動させた散布器から検知粉が漂ってきた。緑色に淡く光る粉は、力に反応して輝きを増す。  力の集中するところには、吹き溜まる性質も持つため、避雷針の判定にも有効である。  ――像じゃない?  緑粉は女神の羽根にも到達するものの、特に軌道を変えることもなく流れ行く。無風のサロン内で、ゆっくりと、一定方向に。  粉が集まろうとしているのは、女神像から少し離れた床だった。  検知粉に導かれ、彼は緑の光を帯び始めた床タイルへと歩み寄り、腰を屈めた。  長年に(わた)って降り積もった(ほこり)を手で払い、正方形に区切られた一メートル四方程度のタイルの表面に注目する。 「化石か……」  平滑なタイルには、大輪の花を思わせる模様がいくつも浮かんでいた。  ――只の化石じゃない、これは遺物(・・)だ。  彼の思考は、パネルや台座を弾き飛ばす騒音で中断させられる。ミサキが車を走らせ、強引に狭いギャラリーを通って突っ込んで来たのだった。  サロンに侵入したところで、彼女が勢いよくブレーキを踏むと、オフロード車は尻を滑らせて急停止した。 「ここに化石が埋まってる!」 「床に?」 「破砕薬を使おう」  車から掘削ドリルを取り出した二人は、ガリガリと振動と派手な音を立て、タイルの外周に穴を空けて行く。  十五分後には、四角形を描くミシン目のラインが出来上がった。  ミサキが薬剤ボックスを運んで来て蓋を開け、緩衝材の中から茶色い試験管に似たガラス瓶を二本抜き出す。  瓶に納められた灰色の粉を、これも二人掛かりでタイルに空けた穴へ降り注いだ。  穴の一つに導火線の先を挿し、巻きを解いて車の後ろまで伸ばす。大きな車体が、衝撃から身を守る障壁代わりだ。  着火用にセイジが握ったのは、小さな円筒形の遺物(・・)、単三電池だった。 「着火するぞ」 「どうぞ」  導火線の先端に電池を当て、彼がまとめて握り締めた瞬間、タイルに向けて電撃が走る。  小さな雷龍のような電気の塊が、タイルに仕込んだ破砕薬に触れると、連続する爆発が車をビリビリと揺らした。  砂埃が舞い、まだ轟音が耳に残る中、タイルに駆け寄ったセイジがドリルを片手に叫ぶ。 「成功だ、フックを!」  爆砕のショックで浮き上がり、僅かにズレ動いた石板へ、もう一度ドリルを当てる。化石のタイルは、拳より厚みが有り、手で持てる重量ではない。  掘削を何回も繰り返し、彼が穴を広げている間に、ミサキは車の後部から(かぎ)付きのワイヤーを引っ張って来た。 「穴を貫通させてる暇は無いな。これでやってみよう」 「どいて。ハンマーで打ち込む」  せめてもと、彼女がフックの先をガンガンと叩いて穴へ押し込むと、セイジたちは車へ戻り、避雷針の持ち出しに挑戦し始める。  慎重にワイヤーを巻き取り、ピンと張ったのを確認して、彼はアクセルを踏んだ。  進む車に引き摺られ、タイルが煩い衝突音を撒き散らして後を追う。  障害物に引っ掛からないように、後方を振り返るミサキが、左右へハンドルを切れと細かく指示を飛ばした。  とは言え、そう上手く調整できるものでもなく、跳ねた石板があちこちにぶつかって博物館の内部を痛めつける。 「化石が割れるわ!」 「フックが外れなきゃいい! 割れたらその時だ」  サロンに行く道すがら、ミサキが邪魔なパネルを撥ね飛ばしてくれていたので、ホールまでは無事に到着した。  そのまま玄関を通り、外の階段をゴンゴンと化石で叩き鳴らして道路へ出る。 「電圧線の様子は?」 「この車が中心よ。もっと南へ」  スピードを上げ、街路を走り出したセイジは、車載無線でニキシマを呼んだ。 「変位の中心は博物館の南だ。ショッピングモール辺りが怪しい」 『ズレてるのか? 別の避雷針があるんだな!』 「今、運搬中だ。新顔チームに注意しとけ」 『おう。後二十分くらいだ、無理すんなよ』  タブレットと後ろのタイルを交互に見比べていたミサキが、等圧線が円形に変化していくのを確かめて、最終目的地を予想する。 「次で右折して。中心は多分、ショッピングモールの中よ」 「オーケー!」  角を曲がると同時に、雷鳴が轟き、青い電気の鞭が路上に(いく)筋か立ち上った。  導雷(どうらい)、目で見える最初の兆候だ。  ビルの壁面を、錆びた街灯のポールを、小さな稲妻が這い回る。  ショッピングモールの正面へ着いたセイジは、ハンドルを思い切り回しつつブレーキを踏み付け、車をスピンさせて玄関にぶち当てた。  ガラス張りの正面ウインドウが砕け散り、ワイヤーで繋がったタイルは遠心力で内部へ突っ込む。  ここまでで亀裂が生じていた化石の石板は、空の商品棚に激突すると、遂に粉々に砕けた。  ワイヤーを巻き戻しながら、彼は解析地図の確認を求めて、ミサキへ向き直す。 「どうだ?」 「この辺りはピンが無いから、ちょっと不確かだけど……ほぼ真円になったわね」  では、パイルで車を留めよう、そうレバーに手を伸ばした時、ニキシマから通信が入った。 『新顔チームは六人、うち二人は回収したが、残りがいない』 「どこに行った?」 『モールの中を探検(・・)してるんだと』 「はあ?」  会話の最中にも、導雷は激しさを増し、空中にチラチラと青い光点が舞い始める。蛍火のような“形成光”、これが二つ目の可視兆候だ。 『形成光が出たから、セオリー通り俺たちは退避する』 「くそっ……そいつらの車は?」 『駐車場に停まってる。二人はうちの車で運ぶ』  ニキシマの声に混じって、仲間を助けて欲しいという若い女の声が小さく聞こえた。 「変位が起きても逃げない馬鹿なのか?」 『ド素人だよ。初めてのピクニックらしい』 「……見つけたら、すぐに退避させる」  準備を整えて挑む者でも、変位地点に留まるような無茶はしない。  一般に耐えられるのは、形成光の発生まで。それ以上、事態が進行すると、血を吐いて倒れるのが関の山だろう。  交信を聞いていたミサキが、うんざりした風で助手席のドアを開けた。 「急がないと、死んでしまうわ」 「素人にも程があるだろうに……」  二人は車を降りて、建物の中へと入って行く。  モールは博物館並みに広いが、平屋一階構造なのが救いだった。野菜や果実を売っていたのであろうマルシェ跡が最初に在り、その奥にショップが並ぶ三つの通路が続く。  問題児たちは、簡単に見つかった。  真ん中の通路の突き当たり近くで、四人ともが床に(うずくま)っている。彼らは逃げようとしないのではなく、動けないのだ。  ――これくらいの形成光でダウンするなんて、軟弱過ぎるだろ。  セイジが手前の男の襟首を掴み、頭を引き起こすと、何とか彼へ視線を向けようとする。だが眼鏡を掛けた若い男は、目の焦点も定められず、言葉は呻きにしか聞こえない。  隣の少女を調べていたミサキは、首に掛かった小さなペンダントを持ち上げて、セイジに見せた。 「形代(かたしろ)が小さい」  ペンダントトップは水色の不透明な石で、小指の先ほどもないサイズだ。よく見れば、青年も似た物を首から提げていた。 「断面が荒れてる。見ろ、これもそうだ。こいつら形代を割ったんだ」 「そりゃ、倒れもするわね」  変位の圧力から自らを守る形代、それを割って数を増やすのはいいが、そんなことをすれば力は当然落ちる。  彼らの浅慮を呪う言葉を吐きながら、セイジはズルズルと青年の身体を引き摺り始めた。  車まで運び、変位範囲から出すのが、唯一の回復方法である。しかし、四人というのが致命的で、時間の余裕は急速に失われようとしていた。  三つ目の兆候、白色化。  煉瓦風のフロアや壁が、脱色したように淡く見た目を変える。パステルトーンに染まった世界は、やがてモノクロにまで色を消すだろう。  鼻血を流し出した青年の容態が、タイムリミットを告げていた。  セイジが乱暴に手を放すと、(うな)る男の頭がゴンと床に叩き付けられる。 「クソがぁっ!」  形成光は蛍を思わせる無軌道な浮遊を止めて、何本ものラインに集まった。  空中を漂うミミズの群れ、そんな気味の悪い光る虫も、見る間に数匹ずつが合わさり、奇妙な形に固まって行く。  十七時四十三分。  巨大転移陣の出現が、ここに始まった。
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