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残虐性
とっても遅くなりましたが、前回は沢山のアドバイスやコメントを有難うございました。本当にうれしかったです。
ちょっと重い話で、申し訳ないです。
先日、通り魔事件のニュースがありましたが、あぁゆう人を傷つけたいという衝動はなぜ起きるんでしょうね?
誰しも多少の残虐性は持ち合わせていると思います。なんだかんだ言って、人の不幸は蜜の味、ちょっと残酷なシーンがあったり、殺人事件が起こるようなお話は、ついつい見ちゃったりしますし、人気があったります。
でも、だからと言って行動にまで移しちゃうのは、やっぱり話が違うかなって思う。想像の中だけ、お話の中で完結していればなんの問題もない。けれども、実際の行動に移す人たちは、決定的に想像力が欠如してるのかなって思う。
なんで、こんな重い話かって、それはモラハラの本を読んでいるためです。(単純ですまぬです💦)
本来、安心できる場所であるはずの家庭(親子や夫婦)、恋人間でのモラハラは傷として目に見えない上、する側も自覚があってもなくても巧妙な言い回しをしてくるんですよね。
恐ろしく常識論的なこと、やさしさの仮面をつけた言葉で攻撃します。一見すると正論であり、やさしい言葉に聞こえます。なのに、言われた方にはものすごい違和感が残るのです。それは正しい(ありがたい)けど……。本当に『けど』なんですよね。
言っている本人ができていないのに、常識論でまくし立てられる。前回とは正反対のことを言っているのに、言った本人の都合の良い正論だけを投げつける。「私のことは気にしないで、あなたは好きにして」といい人風に。『私のことは気にしないで』の裏側に隠れているのは『私のことを忘れたら許さない』であったりと。
ほんのちょっとしたことに、大げさな常識論で批判されます。これが続くと、だんだんとモラハラを受けている側は、感覚が麻痺してきてしまうんです。恋人や夫婦のような大人同士でも麻痺してしまうんですから、何も知らない子供なんて、あっという間に支配できますよね。生まれた時から、お父さんやお母さんが嫌いな子供なんて存在しないんですから。
だんだんと、支配がエスカレートしてくると、直接的な言葉での攻撃も加わります。それでも、相手が家族や恋人だと、ちゃんと話せばわかってくれるはずとか、私がいなくなったら本当に死んでしまうかもしれないと、なかなか離れられない場合もあります。
相手が死んでしまうかもしれないというのは、モラハラをする人は相手を思い通りに操るために、これ見よがしに刃物を持ち出してきて、自傷行為をしたり、これから死んでやると宣言してから、家を飛び出したりします。本気で死ぬわけがないとわかっていても、万が一があったらどうしようと、モラハラを受けている側は考えてしまうのです。
本気でもう死ぬしかないと考えて思いつめている人なら、邪魔されたくないんですから、宣言したり、わざわざ目の前で自傷行為をするはずはないんです。わかっていても放っておけない状況をつくり、相手にこんな追い詰めるからいけないんだと、罪悪感を植え付けるんです。
何度も繰り返し、繰り返し、お前が悪いと一般論や常識論でまくし立てるんです。こうゆうことをする人に、私は聞いたことがあります。
「なぜ、あんなことをするの?」
「ぐちゃぐちゃに傷つけてやりたかったから」
相手の気持ちも、今後の関係もこれっぽっちも想像していないんです。ただただ傷つけてやりたい。それだけしか考えられないそうです。
お話の中の登場人物としては、存在感があり面白いキャラクターですが、現実の世界では……。
モラハラは外から見えにくく、受けている当人も気付きにくいものです。痴話喧嘩と決定的に違うのは、モラハラをする側は一方的に力関係が強く、相手を支配している点です。相手の行動や金銭を制限し、人格を否定し、自分の描いたシナリオ通りに動くよう支配し、その通りにいかないと急に怒り出し、相手を否定し侮辱します。一方的に謝罪を要求し、罰と称してなんらかのペナルティーを科したりもします。
万が一、身近な方から相談を受けた場合、その人と相手の方の力関係を確認してみてください。対等ならば修復可能な痴話喧嘩です。でも、いつも力関係が偏っているようであれば、モラハラの可能性が高いです。相手側から常に否定され続けている人かもしれません。あなたまでその人を否定しないであげてください。
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