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10-6. 皇帝アトヴァル
ユウリは、ゆっくりと目を開いて、眼前の光景に絶望した。
ヨルンに助けを求めた途端、捻り潰されるように強い力が加わって、意識が飛んだ。
次にクリスタル越しに見えたのは、必死の形相で駆け寄る恋人でも、仲間でもなかった。
半分朽ちた遺跡は、よく歴史書に載っている神殿の挿絵に似ている。
《最果ての地》の地にあるとされるその神殿の瓦礫と大きな柱に囲まれた広間のような空間で、フードの男たちが、ユウリを封じ込めたクリスタルを中心に、大小の魔法陣をいくつも描いていた。地面に突き立てられている小さな金属は、魔導具だろうか。
クリスタルごと連れ去られたことがわかって、ユウリは目の前が真っ暗になる。
(なんとか……なんとかしなくちゃ)
頭の中で何度も呟くが、身体中ががたがたと震えて、力が出ない。
——《始まりの魔法》を試す?
——けれど、この術の戻りが、もし
折り重なった術者たちを思い出し、ゾッとする。自分の中の力が、間接的にしろ、人の命を奪った。
ユウリの瞳から、ボロボロと涙が溢れる。
どうすればよかったのだろう。
拘束されたまま、反魔法を受け止めて、黙って封印されれば、あの人たちは死なずに済んだのだろうか。
自分が《始まりの魔女》として生まれてこなければ、こんな辛い思いをせずに済んだのだろうか。
そのまま、現状を打破する気力すら手放そうとしたユウリの思考に、いつかのヨルンの声が蘇る。
『全部背負いこむ必要なんて、ないんだよ』
優しく、包み込んで呟かれた言葉。
彼は、だから、頼っても、甘えてもいいんだと教えてくれた。
どんなに一人で踠いていても、頼れる仲間がいるという、その事実だけで無限の勇気が出た。
——もう一度、会いたい
光を失おうとしていたユウリの瞳に、力が宿る。
あの人の側に、仲間の側に戻るために、また一人で闘わなくてはならない。
あの頃と違って、ユウリははっきりと、闘って手に入れたいものがある。
(壊れろ……!)
グラグラと不安定な魔力を精一杯ぶつけると、クリスタルは甲高い金属音を響かせた。
「ひっ……」「は、早く準備を進めろ!」
ユウリに近い位置にいた男たちが慌てたような声を上げて、バタバタと走り回っている。
「何をしている」
回廊の奥から、低く、よく通る声がする。
外套をはためかせて進み出てくる男が、顔をあげ、フードの下に見える知った顔にユウリが明るい声を上げた。
「アントンさん!」
ラヴレの同期の男。
彼女のことも、ラヴレの使命も、熟知している人物の登場に、ユウリはホッと胸をなでおろした。
しかし、彼は、ユウリには目もくれず、足元に跪く男と二、三言葉を交わして、満足そうに頷いている。
(き、気づいていないのかな……?)
ユウリは、もう一度クリスタルの内側に魔力をぶつける。
響いた金属音に、小さな悲鳴がそこかしこで上がった。
封じられたクリスタルの中では、いつもの何倍も集中を要する。はあはあと荒くなった息を整えて、ユウリは顔を上げた。
(え……)
フードをとったアントンは、彼女を真っ直ぐと見据えていた。
さっと吹き抜けた風に揺れる彼の髪は……眩いばかりの金色をしている。す、と細められた双眸は、クリスタルから溢れるユウリの魔力の光を反射して、黄金の輝きを放っていた。
「アトヴァル様……!」「アトヴァル皇帝陛下」
一歩ずつゆっくりとした足取りで近づいてくるアントンの足元に、男達が次々と跪く。
彼らがアントンに向ける呼び名に、ユウリの顔色が蒼を通り越して、紙のように白くなっていった。
アトヴァルとは、クタトリア帝国最後の皇帝の名前ではなかったか。その石櫃は、教会の地下奥深くに安置されているという。
四大王国の王たちに敗れ、死んだはずの皇帝が、何故、アントンの顔をしてユウリの前に立っているのだ。
「やはりお前は、最初の《始まりの魔女》とは違うようだな」
恐怖に見開かれたユウリの瞳を、その蛇のような目でじっくりと見つめながら、アントン——皇帝アトヴァルが愉快そうに笑う。
「あの女なら、死に物狂いでそこから出て、俺を殺そうとしたはずだ」
「何を……なんで……生きて……」
「お前が、『魔法』とやらを授けるのがもう少し遅ければ、私は事切れていただろうな」
ユウリが息を呑む。
重傷を負った皇帝は、皮肉にも、クタトリア崩壊後、《始まりの魔女》が誰しもに平等に分け与えた『魔法』の知識を持ってして生き永らえていた。己の目的の為に、祖国の仇を討つ為に、長い時を待つ時間。
それを手に入れるために、自身の時を止める禁術を施した。
復讐の炎を心の底にぐつぐつと滾らせて、鮮やかに映える祖国の色を隠し、時代毎に溶け込みながら、ずっとその機会を伺っていたのだ。
「《契約の地図》を出せ、《魔女》。お前が協力するというのなら、命だけは助けてやってもいい」
《始まりの魔女》が、平定後様々な取り決めや協定を記したという不思議な地図。
そこに記された約束事を絶対とするその地図は、《魔女》が消滅した後も変わらず強制力を持って、世界の秩序を守っていた。
誰にも、法皇にすら、それが何処に存在し、どのようにして力を発揮するのかわからない。
《始まりの魔女》ただ一人だけが扱える、だからこそ、彼女を神のように崇め奉る根拠となった。
その地図を持ってして、クタトリア帝国の皇帝に協力するというのは——。
『平和と平等の四大王国政権を覆し、クタトリア帝国を復活させるには、それを扱える《魔女》の力がいる』
アントンが、ユウリを守ろうとする全員の前で何気なく放った言葉は、まさに、彼自身の策略だったのだ。
全身の血が逆流するような感覚の中、あの時握っていたヨルンの大きな手を思い出して、辛うじて正気を保つ。ユウリは、かつて味方だと錯覚させられていた男に鋭い視線を向けた。
「……面白いな」
「なんですって!?」
「その生意気に力強い視線は変わっていないようだが……お前の心は、あの女の足元にも及ばん」
ユウリはムキになって、何度も何度も魔力を打ち付けた。しかし、耳障りな金属音が響くだけで、クリスタルには傷ひとつつかない。
「無駄な抵抗を……この封印魔法の絶対的な力を、お前は知っているはずだぞ」
「く……っ」
「それは、協力しない、という意思表示か」
「誰が、あんたなんかに……!」
協力するつもりはない、と怒りの炎を滾らせる瞳を物ともせず、アトヴァルは肩を竦めてみせた。
「仕方ない。当初の予定通り、私が《魔女》の力を貰い受けよう」
「え……?」
「私が《魔女》の力を得、《契約の地図》を書き換えるのだ」
始めから、あの消滅の儀式の時に邪魔さえ入らなければ、当の昔に成就していたはずであるアトヴァルの企みに、ユウリは愕然とする。
ラヴレが語った歴史の中で、《始まりの魔女》が、ただの人間になれなかった理由。
蓄積された大地の魔素から生まれ出た彼女が、魔力を全て明け渡してしまったら。
どくどくと早くなる鼓動に、つ、と冷たい汗がユウリの背を流れる。
「始めようか」
アトヴァルの声を合図に、男たちが一斉に複雑な詠唱を開始する。あれ程びくりともしなかったクリスタルの上部が、綻ぶようにして開いていくと同時に、ユウリはまた、鉛を幾重にもつけられたかのように身体の自由が利かなくなった。
涙を流しながら睨みつける瞳が、徐々に光を失い、その身体がぐしゃりとその場に崩れ落ちる。
それに比例するように流れ込んでくる魔力に、アトヴァルは永らく待ち侘びた力の高揚感を噛み締めていた。
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