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10-10. 法皇の目的
息を吹き返したユウリを囲む王子たちの背中を見ながら、ラヴレの隣に法皇が立つ。
「これでようやく……終わりにできる」
「法皇様……」
ラヴレの困惑に揺れる瞳に、法皇は優しく微笑み返した。そして、ゆっくりとユウリたちの元に歩みを進める。
近づいてくる気配に、王子達が振り向き、彼らの周りにさっと緊迫した空気が流れた。
ヨルンは、ユウリを隠すように外套に包む。
「教会なんかに渡さない」
ヨルンの言葉を皮切りに、ユージン、リュカ、ロッシが臨戦態勢に入る。
四人の王子達に睨みつけられて、さらには後ろからも迫る殺気に、法皇は僅かに頰を緩めると、地面に膝をついた。
「ほ、法皇様!?」
ラヴレが驚いて、先程までの殺気を消して声を上げる。
法皇は、戸惑うユウリと王子達に、深々と頭を下げた。
「このようなことに巻き込んでしまって、本当にすまない」
「法皇様、一体……」
「お初にお目にかかりまする、《始まりの魔女》。記憶のない貴女には意味のないことかも知れぬが、我が祖先に代わって、数々の無礼をお詫び申し上げる」
ユウリは、あっと息を呑んだ。
顔を上げた法皇の瞳が、鈍い金色をしている。
「わしは、クタトリアスの血を遠く汲むもの。最後の皇帝の末弟にして、ラヴレの祖先イェルディスに全てを託して、尻尾を巻いて逃げた臆病者が祖先なのだ」
「法皇様、それは……!」
アルカディ=クタトリアスは、皇帝アトヴァルに『不死』の術を施したのち、帝国時代そうしていたように、怯え、隠れ、息を潜めて生き、ひっそりとその生涯を終えた。
臆病で、ビクビクと媚びへつらう弟を、アトヴァルは嘲りながら、『不死』の身体を手に入れれば不要とばかりに、ないものとして扱っていた。
そんな弟が、最後の抵抗として、手に入れた触媒を魔導具に昇華し後の世代に託したことを、彼は知らなかったのだ。
「アルカディは、終ぞ自身の手で皇帝を葬り去ることが出来なかったようだ。自分だけが可愛い腰抜けが、罪悪感に苛まれて残したものなど、誰が好き好んで受け継ぐものか。——そうして、その魔導具は眠ったまま、皇帝は時代を生き、《始まりの魔女》の生まれ変わりを突き止めてしまった」
機械時計の制御を外れたユウリの魔力を、アトヴァルは正確に捉え、襲撃する。
ただ、シーヴとグンナルが命を懸けた最期の魔法が思いの外強力で、ユウリをとり逃したことは誤算だった。
「……シーヴライトは、わしの教え子のひとりだった」
「え!?」
ラヴレが目を丸くする。
「夫とともに故郷に帰り、幸せにしておると聞いていたのに……次に届いた便りは、訃報であった」
法皇は調査を命じ、彼らの死の原因を知ることとなる。
——無視された神託
——《始まりの魔女》の復活
神託が無視されることなど、本来ならあってはならないのだ。
ましてや、この世界を平定した、魔法の根源、信仰の対象に関する神託だ。
そして、彼は夢うつつに聞いていた祖母の話を唐突に思い出していた。
「祖先の男が悪魔に命を与えてしまった、それを討つための武器は資質を持つものに託される——そんなお伽話が、わしの子供の頃のお気に入りでな」
法皇はその時何故か、その武器とやらが必要になったのだ、と確信していた。
家中を、親戚中をひっくり返すようにして探すも、何の手掛かりも見つけられない。
アルカディ直結の子孫は、いないに等しい。複雑に枝分かれして、特に継ぐようなものもなく、分散していって、クタトリアスと呼ばれる一族はもう存在しない。
それもひとえに、実兄の目を欺く彼の計画だったのだ。
アルカディは、アトヴァルがいずれイェルディスの目論見に気づくかもしれないと恐れていた。彼が一心不乱に一つの魔導具を完成させ、いくつもの手記を残していたことを知っていたからだ。
現に、ヴォローニ家には、常にアトヴァルの目があった。
ただ、アルカディには、『不死』の術まで完成させた魔法の知識と技術がある。
「皮肉なことに、過去を調べ尽くした知識と、一見すると教会への貢献ともとれる働きぶりが認められ、わしは法皇となった。——その夜、彼はわしを訪ねてきおった」
「え?」
アルカディが完成させた、もう一つの術。
彼は、意識体となって時代を流れていた。身体から、ある一定の意識だけを切り離す秘術。
時が満ちた時、実体化し、力を託すために。
アルカディは何百年もの間、死ぬことも生きることもできず、ただ、アトヴァルを止めるためだけに、意識だけで存在し続けていた。
それは、まるで時間の牢獄の中で自身を戒めていたようだった、と法皇は回想する。
「彼は、全てを語り終えた後、わしに魔導具を託し、『不死』の術を解除する呪文を授けて消えていったのだ」
アルカディによってもたらされた知識によって、法皇は、神託が無視された理由に気づいてしまった。
——教会は、すでに巣食われている
ならば、どうすればいいのか。
法皇の導き出した答えは、単純でいて、とてつもない困難を伴うものだった。
「全てを、公表しようと思ったのだ」
「それは……」
「ラヴレ。アルカディは、イェルディス様の思惑を的確に予想していた」
帝国の本当の姿。《始まりの魔女》の願い。教会の過ち。
全てを表沙汰にしてしまえば、人類の始祖として歴史に輝いた帝国の評価は地に落ちる。そうすれば、人類が犯した、《魔女》に対する教会の過ちも正すことができる。
しかし、この世のどこかに潜んでいる皇帝が、そんなことをみすみす許すとも思えなかった。
「しかし、そう簡単にはいかん。ラヴレが見つけた《始まりの魔女》は、自分が誰かも分からぬ娘。いたいけな少女を巻き込むことに、良心が痛んだ」
生きながらえた皇帝アトヴァルを炙り出すことも、この計画の要だった。
「法皇……」
ヨルンが、唸るように絞り出す。
「ユウリを餌に使ったのか」
「身も蓋もない言い方だが、そうであるな。あの卑怯者の血は、わしにも確実に流れておる」
自嘲気味に笑い、法皇は目を伏せる。
「そうこうするうちに、わしの目を欺き、動く連中に気付いた。《魔女》に害なすもの、それをラヴレが阻止し続けていたのは知っていた。わしが表立って動くには、少しばかり早いのだと沈黙を貫いた」
そう奔走する中、敵は常に裏をかき、闇に隠れ、遂にはユウリの封印にまで成功してしまう。
「こうなるまで皇帝を……アントンを炙り出すことができなかった、わしの落ち度だ。申し訳ない」
「そんな、私は……」
皺の刻まれた顔をさらにくしゃりと歪めた老人に、ユウリは首を振る。
アトヴァルの言う通りだ。
彼女は《始まりの魔女》ではあるが、過去に封印された《魔女》とは根本的に違う。
自分が傷つくことになっても、仲間を巻き込むことになっても、やはり人を攻撃して痛めつけるのに抵抗があった。
そこに付け込まれ、危うく命まで奪われそうになっても、今はあれ以上他人を手を掛けずに済んだことに安堵している。
——役立たず
《始まりの魔法》を持っていても、《始まりの魔女》であっても、ユウリはやっぱり自分をそう評価してしまう。
同時に、強くなりたいと願う。
ユウリの心がもっと強ければ、この老人もここまで傷つかずに済んだはずだ。王子達も、ラヴレも、自分自身すら、守りきれなかった。
シーヴとグンナルが願った生き方は出来ないかもしれないけれど、《始まりの魔女》として生まれた自分自身と向き合い、逃げずに、立ち向かわなければならないと決意したのだ。
心に決めたからには、ユウリは戦い続けなければならないのだと思う。
「何が、できますか」
「ユウリ、君は」
「私に、何が出来ますか」
背筋を伸ばして力強く問うユウリに、ヨルンは何も言えずに、ただその小さな身体をぎゅっと抱き締める。
法皇は頭を垂れたまま、ありがとうと小さく呟いた。
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