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嬉しくないはずだった一日の終わりに
「ねえ、健吾! 今度はこっちの店見てみようよ」
「ああ、分かった、分かった」
「もうノリ悪いなあ」
少し前を歩く志穂は軽やかな足取りで店に入っていく。それを見て、しぶしぶ後を追う。
休日の晴れた日に同級生のかわいい女子とお出かけ。そんな男子高校生なら一度は夢見るイベントを今現在、体験しているというのにどうして嬉しくないのだろうか?
それは大きく二つの理由があると思う。一つは相手が幼いころから勝手知ったる志穂だということ。腐れ縁な上、男友達のように接してきた遠慮もないにもない相手で、最近はスマホゲーにハマっていて、男子の輪の中で一喜一憂しているような女子だ。二つ目は場所だろう。若い女性向けのアパレルショップが両サイドに立ち並ぶ地下街の一角にかれこれ一時間近く荷物持ちとして付き合わされている。
男子は一概に女子の買い物に付き合わされるという行為が苦手だ。どれも大して変わらないように見える服を手に取って比べたり、買わずにあれこれ見て回るだけなのに、付いて回るだけでもこっちからすれば気苦労が多い。例えば、女性用下着の専門店の近くを横切るだけでもちょっと嫌な気がする。それだけじゃない。
「ねえ、健吾。このシャツなんだけど、この白と黄色っぽいこれどっちがいいと思う?」
「白の方かな」
「そう? でも、似たようなの持ってるのよね」
そう言い志穂は聞いてきたシャツを両方とも棚に戻す。こういうことが今日だけで何度あったことか。
「じゃあ、健吾。これとこれどっちがいいかな?」
今度は似たようなデザインの柄と色が微妙に違うシャツを手に取り、体の前で合わせるようにして聞いてくる。
「右のかな」
「ええ? 左の方がよくない? てか、適当に答えたでしょ?」
そう言いながらハンガーラックに商品を戻す。「じゃあ、聞くなよ」と心の中で文句を言う。まあ、適当なのは認めるけども。しかし、こういう意見を求めながら聞くだけで参考にすらしないその姿勢はどうなのだろうか。
「ちょっと、ちょっと健吾」
「なんだよ、志穂」
「いいから、ちょっとこっち付いてきて」
そう言われて黙って付いていくと、奥の試着室の前までやってくる。
「ちょっと試着するから、そこで待っててよ?」
「はいはい……って、おい!」
文句の一つでも言おうと思ったら、その前にカーテンが閉められる。カーテンを挟んで向こう側から聞こえる、衣擦れの音。思わず、カーテンの向こう側を想像したくなるもすぐに我に帰る。そこにいるのはそもそも志穂であって、特別な女子じゃない。
そして、ふと今の状況はまずくないかと思い当たる。女性用のアパレルショップ内の試着室前に佇む、若い男。これは通報されても言い訳しにくい。なので、近くのレジにいる店員に「俺は無実ですよね。無理やり付き添わされてるだけのかわいそうな男ですよね?」と無言のまま目で訴えかけ、それが通じたのか生暖かい苦笑いを返される。店内の他の女性客や店の前をただ歩く通行人さえ、全員がお前はそこで何をしていると非難の目を向けてきているように感じてしまう。まさに拷問だ。
もう早く解放されたい、早く帰りたいと肩を落とし、床のタイルのありそうでない法則性を探し始める。そんなときだった。志穂の入っている試着室のカーテンが開けられる。
「ねえ、健吾。どうかな?」
いつものようにとっさに言葉が出てこなかった。なんだろう、この目の前にいる見慣れた顔の腐れ縁のただの友達の女の子のはずなのに――服の印象がいつもと変わるとこうもかわいく――首を小さく振り、自分の早まりかけた思いをぐっと飲み込む。
「ねえ、黙ってるとかひどくない? そんなに似合ってないかな?」
志穂はジトっとした目でこっちを見つめてくる。
「に、似合ってるんじゃね? うん」
「なに、ちょっと照れてるのさ。ははーん。さては私に見とれたな? エッチぃ」
「ちょっ、ちげーよ」
「またまたー。着替えるからちょっと待ってて」
「ちょっと、志穂。お前な」
声をあげるも、志穂はカーテンの向こう。その向こう側から、「なんですかー?」なんて気の抜けた声が返ってくる。何でもないと答えるしかなく、またしても拷問の時間がやってくる。そして、着替え終わった志穂が試着室から出てきて、
「ちょっとこれ持ってて」
と、さっきまで試着していた服を手渡してくる。そして、中腰気味で靴を履き始める。その微妙に前かがみな姿勢はわざとやってるとしか思えず、とっさに志穂に背中を向ける。ふうと一息つくと、服に残る暖かさがいやに生々しく感じる。
「ありがと」
そう言って、持たされていた服をさっと手に取り、レジの店員に、
「すいませーん、これください」
と、楽しそうな声で渡す。後を追い隣で志穂の横顔に向けて、「それ買うのかよ」と単純に確認のために聞く。志穂はいやに機嫌のよさそうな顔をこちらに向ける。
「うん。だって、健吾が気に入ったみたいだしねえ」
「気に入ってねえよ」
「またまたー」
そんな言い合いをしていると、店員がくすくす笑いながら、
「お二人はカップルなんですか?」
なんてとんでもないことを聞いてくる。どこをどう見たらそう見えるんだと店員の目を疑いたくなる。
「そう、見えますか? だって、健吾?」
「だってもクソもねえよ。買ったんならさっさと帰ろうぜ」
そう言い、会計を済ませる志穂を置いて、先に店の前の通路まで出てくる。やっと解放されたと大きく息を吐く。そして、突然バンっと背中を叩かれる。
「置いてくことないじゃない」
志穂は文句ありげな顔をしているが、声はどこか楽しげだ。そして、何も言わずに手を出す。
「何の手?」
「めんどくせえな。荷物」
「やっぱり? ありがとう」
はいと渡される買った服が入っている袋を受け取る。そう、俺は今日は荷物持ちのために付き合わされているだけなのだ。
「てかさ、荷物以外になにがあんだよ?」
「ん? 例えばなに?」
「お前、わざとやってんだろ?」
「そうだけど?」
「お前なあ……」
「まあ、いいじゃん、いいじゃん。あっ、あそこで物産展ののぼりでてるよ。のぞいてみようよ」
そう言い、自然に腕を引っ張って、軽やかに歩き出す。なんだか今日はこいつの後ろ姿ばかり見ている気がする。
それからさらにみっちり一時間弱連れまわされる。さすがに疲れて、自動販売機のある一角にあるベンチに腰掛け、一休みさせてもらう。こんなに歩いたのに志穂はなんで元気なのだろうかと、自動販売機で飲み物を買っている後ろ姿をぼんやり眺める。黙って遠目に客観的に見れば志穂もそれなりにかわいい女子ではあると思う。今も俺の分の飲み物も買ってくれる気の利くやつでもある。
不意に思ってしまう。腐れ縁じゃなければ志穂のことをどう思うかと。
「なんで、お前友達なんだよ」
志穂にも誰にも聞こえないくらい小声でぼそりと溢す。スマホをポケットから取り出し、ゲームを起動させようかと悩むも、戻ってくる志穂の姿が見えたのでポケットにスマホを戻す。
「はい、健吾。てか、ゲームやんないの? どうせ家出る寸前までやってたんだろうし、スタミナも回復してるんじゃない?」
「別にそんな気分じゃないなって思っただけ」
「ふーん」
何か言いたげな志穂の視線を受け止めつつ、飲み物をお礼を言いながら受け取る。何も聞かずに買ってきたのに、俺の飲みたいものを選んでくるあたりは長年の付き合いの賜物かなと感じる。
「あっ、そうだ。今やってるイベントの期間限定のスーパーレア引いたんだー」
「はあ? まじで? ありえねえ。俺なんて何回も回してるのに出ないのに」
「ほら、私、運いいから」
にひひと笑う志穂に少しだけ恨めしい気持ちになる。
「ほんと志穂はゲーム好きよな?」
「そう? 実はそんなにゲーム好きじゃないよ」
「えっ?」
「そもそも、健吾がこのゲームおもしろいって勧めてきて、それまでもゲームの話ばかりしてたから、私もってやりだしただけだし」
「そうだっけ?」
「そうだよ。まあ、そういうことだから」
「何がだよ……」
志穂は視線を外し、自分の飲み物に口をつけ、それ以上は何も言わないと暗にアピールする。確かに、思い返せば志穂の言う経緯が正しい気がする。昔からゲームをやっている姿をあんまり見た記憶がない。
横目でちらりと志穂の様子を伺う。志穂は何も言わないが、志穂の目はちらちらとこっちの様子を伺ってくるのが見て取れる。何がしたいんだよとその意味の分からなさに頭を抱えたくなる。
飲み物をお互いに飲み終え、会話のない様子の探り合いに疲れ果てる。
「なあ、志穂。まだ回るとこあるのか?」
「えっと、うん。もうないかな」
「じゃあ、そろそろ帰るか」
「……うん、そうだね」
志穂の顔が一瞬曇ったように見えたが、そのあとわざとらしい大きなため息をつくので、俺が何かやらかしたのかと気になってくる。まあ、理由はなんとなくわかっている。
志穂の言う“そういうこと”が“どういうこと”なのか気付けない自分が悪いのだ。
買い物の荷物を持たされたまま地下街を歩き、地上に上がる出口を目指す。出口付近の階段周りに人だかりができていて、何事かと近づく。その理由はすぐにわかった。雨が降り出していたのだ。その雨から避難するために地下街に入ってきた人たちと急な雨で出れなくなった人たちだった。空を見上げたり、濡れた服や髪を気にしている人が目の前に多くいた。
「どうする?」
「どうするって言われても……」
志穂は辺りを見回し、近くのとある店で目を止める。
「ねえ、健吾。あれ」
言われてすぐに意図に気付く。そこにも人だかりができていて、理由は簡単だった。傘を売っている店だった。ビニール傘からしっかりした傘まで置いている。配置からして、急な雨が降ってきたときのために用意しているビニール傘の在庫を一気に持ってきた感がある。
「ビニ傘、二つでいいよな?」
「いや、それなら同じ値段で買えるこっちの少し大きめのやつ一つにしようよ」
「なんで一つ? 俺は濡れて帰れってか?」
「違うよっ、バカ!」
志穂が、つんと不機嫌そうな顔をする。大きい傘を一つにしようと言われたときに何がしたいかは理解していた。ただの照れ隠しのつもりだったのに、志穂には伝わらなかったようだ。
志穂の不機嫌オーラを無視し、志穂の指定した傘を手に会計を済ませる。それをすぐ隣で見ていた志穂はみるみる機嫌を直していく。本当にわかりやすいやつだ。
その傘と荷物を手に地下街の出口に向かう。傘を差し、志穂が入ってくるのを目で促す。志穂はぱあっと表情を明るくして同じ傘に入ってくる。
しばらく歩いてふと確認するかのように尋ねる。
「なあ、志穂。“こういうこと”でいいんだよな?」
「“そういうこと”でいいんだよ。で、健吾の言う“こういうこと”って、どういうの?」
思わず立ち止まる。志穂は急に止まれず、半歩だけ傘の外に出て急いで戻ってくる。そして、俺からの言葉を期待して見上げてくる。
「これからもお前の隣にいたいってことだよ」
出来る限り勇気を振り絞り、恥ずかしさを堪えながら、口にする。しかし、志穂には不満だったようだ。
「なんだよ?」
「ねえ、健吾。それだと、今までと変わらなくない」
そう言われればそうだ。今までも腐れ縁でずっと志穂は隣にいた。
傘に降る雨の音を聞きながら、逃げ場のない傘の下で明確な答えを求める志穂の視線と期待が痛い。しかし、明確な気持ちを口にするには上手い言葉が見当たらない。だから、
「わかったよ。だから、ほれ」
と、腕を組んで来いとばかりに腕を出す。それに対して、クエスチョンマークを浮かべる志穂にため息が出そうになる。
「くっつかないとお前が濡れるし、さっきみたいに傘から出たら困るだろ? それにそもそも貴重な休日を好きでもないやつの買い物に付き合うかよ」
「私のこと好きなの?」
「ああ、そうだよ」
「それは友達じゃなく、女の子として?」
「……ああ、そう言ってんだろ。ったく」
「……バカ」
「バカはないだろ?」
「じゃあ……好き」
そう言い、しおらしい態度で腕を回してくっついてくる。体温と腕に当たる柔らかい感触が体を強張らせる。しかし、考えていることは見透かされていたようで、
「健吾のバカ。エッチ」
「仕方ないだろ?」
と、ジトっとした視線で見上げる志穂と目が合う。そして、フッと自然に笑みが零れる。
「ねえ、健吾。ちょっと傘下げて、屈んで?」
「えっ? 急になんで?」
「いいから」
言われるがまま、傘を下げながら腰を屈める。すると、すっと志穂の顔が近づいて唇が触れ合う。
「ちょ、おまっ……」
「大丈夫よ。傘と雨が隠してくれたはずよ」
「いやいや、もっと雰囲気をだな」
「健吾、女々しい。ほら、行くよ」
そう言い、組んだままの腕を引っ張るかのように歩き出す。今日は本当に志穂の姿を後ろからよく眺める。これからもそれはきっと変わらないのかもしれない。
でも、嬉しくないはずだった休日の晴れた日に同級生のかわいい女子とお出かけというイベントは、突然の雨で傘の下で色づいて嬉しいものに変わっていた――。
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