第一部 西の果ての村レヴァロン

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第一部 西の果ての村レヴァロン

 僕は切り株に腰掛けて、八頭ほどのロバたちが遠くで遊んでいるのをぼんやりと眺めていた。  フローレンス王国の西端に位置する僕らの村、レヴァロンはもうすぐ収穫の季節を迎える。  夏が終わり、村外れの丘には、本格的な秋が到来していた。丘の下から草むらの中を吹き上げる風に僕は目を細める。  僕はパタリと膝の上の本を閉じた。  『いにしえの物語』——勇者が現れて、危機に陥った世界を救う昔話だ。  もう何度も何度も読んでいる、昔から大好きな物語。  向こう側の草むらではロバたちが駆け回ったり、じゃれ合ったり、方々へと歩いたりしている。収穫の秋に向けての準備体操だ。  こうやってぼんやりロバ達を眺めているのも嫌いじゃない。一生こんな感じで暮らして行けたら幸せかもしれないなって思ったりもする。  平和な日々は愛すべき時間。  でも、それが行き止まりの世界なのだと気付くと、胸はつかえる。  この村を抜け出して、『古の物語』の勇者のように遠くへと旅立てたら、僕の世界は変わるのだろうか。  僕の想いにはずっと行き場が無いのだ。  丘の下から男女二人組——幼馴染のレオンとエリシア姉さんが二頭のロバに跨がって近付いてくる。  親友のレオンがロバの上でお馴染みの笑顔を浮かべている。自信に満ちた魅力的な笑顔。  その隣のエリシア姉さんがロバの上から手を振ってきた。一つ年上の少女は、褐色の長い髪を風になびかせて、魅惑的な切れ長の瞳を細める。僕は切り株の上で小さく手を振って、近付いてくる二人に応じた。  レオンとエリシア姉さんは、村の大人たちも公認の、美男と美女の恋人同士だ。 「悪いな、カイト。何だか一人でロバたちの見張りをしてもらっちゃって」  レオンは僕のそばまで近づくと、「よっ」とロバから飛び降りる。エリシア姉さんも続いて僕の直ぐ側に止めたロバから降りてくる。 「別に良いよ。僕も、こうやって、ロバたちを眺めているのは嫌いじゃないし」  僕が視線を動かした先で、エリシア姉さんはその切れ長の目を柔らかく緩ませながらレオンの横顔を眺めていた。  「レオンは悪い男よね。仕事を全部、私の可愛い弟に押し付けて、私のことをさらって行くんだから」  そして、「ねぇ」と、エリシア姉さんは僕に同意を求めてくる。 「おいおい、そっちが誘って来たんだろう? この辺りまで出てくるのは珍しいから、ロバに乗って一回りしたいってさ」  肩をすくめるレオン。 「そうだっけ?」 「そうだよ」  そう言って、二人は冗談っぽく笑った。戯れ合う二人の姿を見続けると、太陽のような二人の明るさに照らされて、僕の心の中には影が生まれる。  僕は形ばかりの笑い声を二人の楽しげな笑い声に同調させた。  エリシア・フェレンド。僕——カイト・フェレンドの一つだけ年上の血の繋がらない姉だ。村一番美しい少女と評判のエリシア姉さんは、僕の親友、レオンの恋人でもある。  僕は妹のセーラと三人でよく一緒に遊んだ幼馴染のことを昔から「エリシア姉さん」って呼んでいた。女性にしては少し背が高めで、どこか立ち居振る舞いも優雅な彼女。その美しさや気品なら王都の貴族令嬢なんかにも負けないんじゃないかと思ったりもしている。  五年前に両親が突然再婚して、そんな彼女が僕の姉になった。急に一つ屋根の下で暮らしだした血の繋がらない憧れの幼馴染。親しさを表す意味で使っていた『姉さん』という言葉は、両親の再婚で、一夜にして本当の姉を表す記号に変わった。  戯れ合い続ける二人から、僕は目を逸らした。そして、遠く東の空に目を遣る。  村の遥か向こう側の東の地平線。遠くには白い一本の垂線が天空に向かって伸びているのが見える。  ——神の塔ソラリス  それは王都ラクシュタインに立つ塔。  神話の時代から存在するといわれる無限の高さを持つ塔だ。  神の塔ソラリスこそが、この国の中心であり、豊かさの象徴である。魔法に必要な魔力マナのほとんどはあの神の塔ソラリスを通って天上からやってくるのだ。  天に突き刺さるその一直線は、フローレンス王国のどんな地方からでも見ることが出来ると言う。  西の果ての村レヴァロンからでさえも見えているのだから、きっと本当の話なのだろう。 「何見てるんだ? カイト?」 「神の塔ソラリスだよ」  人差し指をすっと伸ばし、遥か彼方の垂直線を指差す。その神の世界へと続く白い一本線を青空の上でなぞるように、僕は指先をゆっくりと上へと動かした。 「カイトは昔から神の塔ソラリスが好きよね。特別な思い入れでもあるのかしら」  エリシア姉さんが世話のかかる弟を見るような目で微笑みを浮かべる。切り株の上から、その顔を見上げて、僕は首を傾げた。 「そうかな? 僕ってそんなに神の塔ソラリスのことを見ているかな?」 「えぇ。少なくとも、私はそう思うけど? 学校の授業時間中も、よく窓から眺めていたし」  そうだろうか? 僕は神の塔ソラリスの事が好きなのだろうか。確かに、時々、遠く東の縦一直線に目を奪われることはある。  でも、それはきっと好きだからではない。  ——何故、神様は僕を普通の男の子にしてくれなかったのだろうか?  ——何故、神様は僕に黒魔法ではなくて、白魔法を授けたのだろうか?  ——何故、妹はこの村を出ていかないといけなかったのだろうか?  そんなことをついつい考えてしまうのだ。 「カイトはいつか天上まで飛んで行きたいんじゃないの? 神の塔ソラリスに沿ってさ。なんてったって、カイトは特別な男の子なんだから」 「もう、レオン。意地悪なこと言わないの!」  レオンが冗談めかして言う言葉を受けて、エリシア姉さんが眉をひそめた。そして、「ごめんね」と何故か姉が僕に謝る。僕は「全然、気にしてないよ」とぎこちない表情を作った。  レオンは悪戯いたずらっぽく肩を窄める。  僕は黒魔法が使えない。まだ、学校に通っていた頃、僕に発現したのは白魔法だった。  僕らに魔法の力が発現するのは、十歳から十二歳の頃。普通の男の子ならば、大人になる成長過程において魔法の力が発現して、何らかの黒魔法が使えるようになる。  男に発現する魔法は黒魔法で、女に発現する魔法は白魔法。黒魔法は攻撃や破壊といった種類の魔法で、白魔法は回復や補助といった種類の魔法。  一人に発現する魔法は一種類だから、その発現した魔法がその人物の将来の職業や社会での役割に大きな影響を与えることになる。  黒魔法と白魔法の発現による性差は、戦争になると男たちが戦いに出て、女はそれを後ろで支えるという性の役割分担を生んできた。戦うことが男らしさで、支えることが女らしさだという認識は、神話の時代から続く、このフローレンス王国の常識なのだ。  だから、魔法の力の発現は性の目覚めとほとんど同じ意味を持つ。  ——カイトは特別な男の子なんだからさ。  レオンがさっき言っていたのはそういう意味だ。  白魔法を使う僕は、ずっと奇異の目で見られてきたし、肩身も狭かった。男女おとこおんなだなんて言われて、からかわれもした。  「どうして神様は僕に普通の男の子のような黒魔法を与えずに、白魔法を与えたのだろうか?」いつもそう思っては、僕は神の塔ソラリスを眺めていたのだ。だから、きっと、僕は神の塔ソラリスのことを好きなんかじゃない。  僕が神の塔ソラリスを好きそうだなんていうのはきっとエリシア姉さんの勘違いなのだ。  レオンを見上げると、親友は二人が座れる場所を探すようにキョロキョロと周囲を見回していた。僕の横には背の高い草が生えていて座れる場所がない。別の場所に二人で座るのかな? と思っていると、やおら、レオンが右手をかざした。 「——神よ存在を断ち切る一陣の風を与え給え……『風刃ウィンドカッター』」  ——ザザザザッ! ザザザザッ!  風刃ウィンドカッター。レオンが操る黒魔法だ。突然、僕の横の空間に強い風が吹き荒れて、切り株の横に茂っていた背の高い草が切り刻まれていく。僕は思わず体をのけぞらせた。突然巻き起こった風が止んだ時には、僕の隣からは背の高い草は消え、切り刻まれた葉や枝が散らばり、程良ほどよい草の絨毯が生まれていた。   「レオン! ちょっと、なんで急に魔法使ってるのよ? カイトに当たったら危ないじゃない」 「大丈夫だよ、ちゃんと効果範囲は制御できてるしさ。俺を誰だと思っているんだよ?」 「……もぅ。それに、草木を切るのにいきなり魔法を使うなんて、魔力マナの無駄遣いよ。魔力マナの恵みは大切にしなきゃ」  エリシア姉さんのお小言をレオンは「ハイハイ」と受け流す。エリシア姉さんは口を尖らせて、眉を寄せた表情を作る。  僕はその二人の掛け合いを眺めながら一つ溜息をついた。  レオン・アッシュガルドは僕の親友だ。剣術においても魔術においても、学問においてさえも優れていて、「レヴァロンの神童」とまで呼ばれている。大人たちの覚えも目出度めでたい優等生。学校ではいつも女生徒たちの憧れの的だった。僕が彼より優れている点なんて何一つ無い。  レオンがもし王都ラクシュタインや港湾都市ブーレン、城塞都市エルドラといった大都市に生まれていれば、きっと平民の地位を抜け出す稀な出世を果たすことだってあり得たんじゃないかって皆が言っている。  でも、この村に居る限りは、僕らに出世の機会なんて有りはしない。  レオンが「お姫様こちらへ」と、うやうやしくお辞儀をして、切り刻まれて程良い柔らかさになった草の絨毯へと恋人をエスコートする。  エリシア姉さんは「そんな草の上に座ったらスカートにいろいろ付いちゃうじゃない」などと不満を言いながらも、満更でもなさそうにレオンの手を取った。そして、レオンに手を引かれて腰を下ろす。  結局のところ、僕はきっと、三人で居る日常に何処か満足してしまっているのだと思う。きっと、これからも僕はこの平穏の中で変わらず暮らしていくのだろう。フローレンス王国の行き止まり、西の果ての村、レヴァロンで。  その時、また、一陣の秋風が吹いた。  僕はふと顔を上げる。その風が運んでいるのは、いつもの秋の匂いではなくて、少しばかりの違和感だった。砂の匂い、鉄の匂い、……そして、魔力マナの匂い。 「おい……カイト。何だ……あれ?」  やおら、レオンが唸るように声を上げる。  その左手人差し指は、西の方向、背の高い山々が連なるナジェール山脈の山頂を指差していた。  そこには見慣れない小さな宮殿のような建物が見えた。  ——それが全ての災厄の始まりだった。
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