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一路平安ー4
「そちは……」
「お主、死相が出ておるぞ。一体どうした?」
だが文句を言おうとした男は銀月に指を突きつけられて押し黙る。そうよと声を顰めて銀月が目を閉じて首を横に振った。
「し、死相?」
恐る恐る声に出した男に銀月は重々しく頷く。
「おまえ、この頃良く眠れないのではないか?」
ええっとまさしくその通りだとがくがくと男は頷く。それを見ながら銀月は尚もぐいぐいと指を近づけた。そして視線はなぜか男の肩の辺りにある。
「女を見ても勃たない、そうだろ? そして意味も無く手足が痺れる……」
「あります、あります。そ、それは一体何の因果で? というか、わたしの肩に何かあるんですか?」
やっぱりのうと肩の件はまるで無視して、難しい顔を見せる銀月に男はもう泣きそうな顔で縋っているが、要は男の体型から起因するものばかりじゃないかとロンシンは呆れる。
寝たのに寝て無いと思うのは、きっと喉の肉に圧迫されて気道が塞ぎ窒息するせいで熟睡できてないのであり、太り過ぎからくる性機能障害で勃たないのだ。そして痺れるのはきっと飲水という病なのではないか。
つまり、これは占いですらない。だが、最初に死相なんてことを言われたために男は自分の頭で考えることを止め、もう銀月の言うなりになってしまっている。
「おまえの近しいもので誰か最近死んだものがいるはずだ」
断定するように告げられた言葉に男の目がうろうろと泳ぐ。
「いや、別に……」
否定しようとした男の胸倉を銀月が背伸びをするように掴みあげた。その子どもが大人に突っかかっていくような妙な体勢に男は「ひええっ」と悲鳴を上げた。
「よく考えてみろっ」
「そ、そういえば」
難題をふっかけられてやっと解けたみたいに明らかにほっとした表情の男が早口で告げる。
「わたしの妹の旦那の父親が去年……」
「ほらみてみろ」
よくやったなと言いたげに銀月は手を離すと男に笑いかける。もう血筋でも無い人間で、おまけに自分の親くらいの年寄りが死んだこと――それさえ男の中では因縁のせいになっていた。
「お願いです。この悪しき因縁の根を断ってもらえないだろうか」
拝むように手を合わされる。もう占いでもなく、ただの拝みやになってしまっているが、銀月は跪く男の肩をぽんぽんと安心させるように叩いた。
「心配するな。何とかしてやる。前金で金貨五十枚じゃ」
「……は?」
「首尾よくいったら後金で五十」
いきなり始まった商談に男はきょとんとしていたが、次第に男は顔色を取り戻した。馴染みのある行為にほっとしたのかもしれない。
「五、五十とはいささか……」
さすがに商人というべきか。さっきまで泣きべそをかいていた男と同一人物だとは見えない変わり身の早さに銀月は舌を打つ。
「バカもんが。こんなことを値切るとろくな死に方はせんぞ」
銀月がぺちと男の額を打った。値段交渉に我を忘れていた男は「死」という言葉に自分の立場を思い出したのか、慌てて「申し訳ありません」と頭を下げてくる。ここまでのやり取りの中で占いの勉強になることなど何も無かった。自分は一体何の修行をするべきなのかとロンシンは思う。だが、とりあえず金儲けの算段は整ったようだ。
金貨を受け取るとロンシンが差し出した袋に銀月はさっさと入れて、男を見上げた。
「金を貰ったからにはしっかり働くことにするわい。で、おまえどこに隠しておる?」
その質問に男は黙り、ロンシンも頭を捻ることになった。何を聞いているのかが分らない。
落ちた沈黙の居心地の悪さに男がじりじりと足を動かした。しきりに汗を拭くのを見るともしかして何か思い当たるものがあるのかもしれないとロンシンは思う。
「ええと何を言えばいいのか……」
「死にたいんじゃな。そうか、じゃあわしにはもう用はないな」
銀月はあっさりと見切りをつけたように淡々と言って部屋を出ようとした。しかしそれを男の手が捕える。
「申し訳ありません。言います、言いますから」
「ちぇっ、手を離せ汗でべたべたじゃぞ。早く言わんかいっ。どうせ地下にあるのだろ」
どうして分ったのかと男は驚愕の面持ちで銀月を見ている。
銀月といえば男の手を振りほどくと自分の服でごしごしと拭いていた。それで綺麗になったのかどうかはロンシンには判別はできない。銀月の服だって相当に汚いのだ。
臭気はずっと地下から匂っている。まったくもって占いなどではない。しかし、その匂いを感じるのは銀月とロンシンの二人だけらしく、いよいよ銀月の力は本物に見えていることだろう。
「案内しろ」
銀月の言葉に男は大人しく先導する。地下につづく階段は幅も狭く石を組んでいるがそのどこからか水が滲んでいるようにじめじめと湿った空気が淀んで溜まっていた。
薄暗い底に降り切るとそこから奥に細長い廊下が続く。ますます腐ったような水の匂いが鼻についてロンシンは吐きそうになりながら二人の後を追った。
「生き物を飼っているんですよ。掘り出し物と言われましてね。我々好事家同士でどれだけ変わった動物を飼うのかを競っておりまして……」
何か悪いことにでも手を染めていると思っているのか、やたらと男は饒舌だった。一体なんだと思った先に大きな檻が見え、中にいるものを目にしてロンシンは暫し言葉を無くして立ち止った。
「師匠、これ……」
「檮杌じゃ。なんとこんな大物を捕まえておるとはの。まだほんの子供じゃが……怪我を負っているらしい」
銀月はそう言って四肢を投げ出して起きない生きものの近くにしゃがみ込んだ。虎の体に人の顔。それは四凶と言われるほどの魔物だった。
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