「想い」のち「狂気」

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「想い」のち「狂気」

 レインは不思議な黒猫だった––––。 まるで言葉を完全に理解しているかのように思え、時折本当に人と接している様な錯覚さえ起こしてしまう程に賢く、晴々とした青空をそのまま閉じ込めた様な空色の瞳は心を釘付けにして離さない。美しく品があり艶がかった漆黒の毛並。 「レイン、今日も留守番頼んだよ?」 「ミャーォ」 すっかりレインの物となってしまった黒い外套の上で包まっていたレインはあくびをして声をかけると同時に自然と足元にすり寄ってくる。 「ミャ~」 「お、寂しいのか?大丈夫、夜には帰ってくるよ」 優しくレインを抱き上げると頰をチロチロと舐めて鼻をそっと擦り付け、まるで「いってらっしゃい」と軽くキスをする様な仕草をして床に飛び降りると、チェストに置いてあった革の財布を口に咥えて戻ってくる。 「ぁあっまた忘れるところだった!危ない、危ない、いつもありがとなレイン」 「ミャ~ォ」 「どういたしまして~」と言わんばかりの返事を返し足元にすり寄ってきたので優しく頭から首筋を撫でると気持ち良さそうに目を閉じてゴロゴロと喉を鳴らす。 「俺の家族はお前だけだよ、レイン」 「ミャウ」 優しくその頭を撫で付け、美しい空色の瞳を覗き込む。 両親を早くに亡くし、幼少期から祖母の家で育った俺は身近に家族と呼べる存在がいない。 祖母の家も遠く…実際場所の記憶は曖昧、ただ祖母も既に他界しており実際俺は一人だ。 だから、唯一家族と呼べるレインが今は愛おしくて仕方ない。 ただ––––。 トイレの後始末を自力でやろうとしたり、実際自力でやっていたが…本来苦手なはずの風呂に飛び込んできたり……猫らしからぬ行動をするレインに愛情を感じつつ困惑するときも… 飼い主とペットという関係では言い表せない『特別』な感情をレインに抱いていた俺はレインと離れる未来など想像もしていなかった。 しかしそれは直ぐに訪れる事となる…最も残酷な形で––––。 日が沈み、薄っすらと雲の合間からオレンジ色の夕日が帰路につく人々を紅く染めている。 思いの他仕事が早く終わり、俺はレインの大好きな肉を買って自宅へとその足を急がせていた。 レインは市販のキャットフードをあまり好まず、殆ど食べてくれないので基本俺の手料理。 これも楽しみの一つだったりするのだが、今頃お腹を空かせて不機嫌になっている頃だろう。 「早く帰んないと、レインが不機嫌になると怖いんだょなぁ~」 猫の尻に完全に敷かれている俺って……そんな自己嫌悪に陥りながらも自宅の前までたどり着いた時……ふと、違和感を覚えた。 俺の部屋はアパートの2階、家の前には駐車場がありそこから部屋の窓が見えるのだがいつもはこの時間その窓から俺の帰りを待ちわびたレインが窓を眺めている。 今日はいない–––– それに窓が開きカーテンが風に揺れていて、とてつもない焦燥感に襲われた俺は急いで自分の部屋へと向かっていく。途中視界の端に映る駐車場の白線部分に手の平程の血だまりが見えた… 俺は息を呑み、込み上げてくる不安を必死に抑えながら慌てて階段を登り部屋の扉に手をかけいつも通り出迎えてくれる愛しい黒猫の姿を思い浮かべ––––––。 「開いている……なんで…」 家を出るときに確実に鍵は閉めた。恐怖が押し寄せ冷や汗が背中をつたう、嫌な感覚が全身を支配する。身体を硬直させる怖気を首を振って払い、思い切り扉を開け放ち自宅に駆け込んだ。 そして俺は飛び込んで来た異様な光景––––––。 「お帰りなさい、あなた……」 「だ、誰だ?……あんた、何で人の部屋に勝手に……」 そこには見知らぬ女が立っていた。 不気味な笑みを浮かべながらのっぺりと顔に張り付いたロングヘアーは気味が悪く、その眼はドロリと濁って不気味な……まさに狂気に満ちた眼。 白いフリルのついたワンピースには所々血飛沫が飛び散り、その手にはいつも使い慣れた包丁が握られていた…… 頭が、脳が、心が、現実を拒絶する、到底許容できない光景に思考は完全に考える事を放棄。 一縷いちるの望みを込めて、最愛の家族を…この状況に答えを与えてくれる相手を探す。 「レイン?レインはどこだ?!」 「ひどいじゃない、私よりあんな薄汚い雌猫の心配するなんて‥‥ひどいのよ?あの薄汚い猫、いきなり私に飛びかかって引っ掻いたのよ?だから……オシオキっしてあげたの…うふふふふ」 「何を、何を言っているんだ?レインに何をした?!お前は誰なんだよ!どうしてここにいるんだ!」 「私たちの愛の巣にあんな薄汚いゴミを置いておくのが悪いのよ?ゴミのくせに往生際が悪くて大変だったんだから…もう動けないくせにあなたの服を必死に咥えて離さないからそれごと捨てちゃった…ゴミは捨てないとね?窓から放り投げたら着地もできずに無様にピクピクしてたわよ?アハッアハハハハ!」 女は不快な笑い声を上げる、しかしその目は全く笑っていない。 「もうあなたと私を邪魔するゴミはいない、あなたの笑顔をあんな薄汚いゴミに向けなくて済む、あなたは私だけの物あなたの笑顔は……ワタシノモノ」 ––––––何を言っているんだ?こいつは誰なんだ?一体何が? 常軌を逸した光景に頭が追いつかない、意味がわからない、目の前の女が誰で何を言っているのかまるで理解できない……したくない… 「レイン……レインは」 「いい加減にして、あんなゴミの名前をあなたの口から出さないで!!」 女はその狂気に歪んだ顔を更に歪ませ手に持った血の滴る包丁を振り翳し迫ってきた。 「アナタはワタシノモノなのっ!!」 俺はその手を受け止め思い切り突き飛ばす、女は後ろに倒れ込んだがそんな女の事など気にせずに俺は外に飛び出し階段を降りていった。血だまりはおそらくレインの物だろう、引きずった様な跡がある。 「まだ、まだ遠くへはいってないはずだ…」 レインはまだきっと生きてる、命からがら逃げ出しながらもこんな時まで『あの外套』を咥えて……きっと助けを待ってる……俺を待ってる。 脳裏に浮かぶあらゆる最悪な光景を追い払い、とにかく走った。所々に引きずった血の跡を見つめ唇を噛み締めながら、一心不乱に走った。 車の行き交う交差点の歩道の端にその姿はあった。ボロボロになり至る所から血を流したその姿からは起きた出来事の壮絶さが見て取れる。 通報を受けたであろう業者が手慣れた様子でその亡骸を片付けている最中–––– 「触るな、俺の……俺のレインに触るなぁ!」 息絶えた後も血がにじむほどに噛み締められた外套が口元に咥えられていて職員が引っ張るが離せずにそのまま処理されている。 「やめろ…その手を離せ、レイン…今行くからな…レイン…おい!行くな!!待て!レイン…」 作業を終えた車は無情にも走り去っていく、バックミラー越しに叫びなが追いかけてく青年の姿を遠巻きに見ながら何事かと振り向くも気にせずに作業車は走り去った。 行き交う人々が様々な視線を向けては逸らし立ち竦む俺を通りすぎていく…… 「あぁ…あぁぁ……あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ––––––」 声にならない声が喉を裂き悲鳴にも似た叫びをあげる。身に起きた理不尽に抗うすべも無く意味もわからず、突然この世界は俺から大切な物を最悪な形でかすめ取っていった。 嗚咽を漏らしながら泣き叫びその理不尽に対する怒りをあの狂気に満ちた女へと向け来た道を戻る。 今はそれしか、この傷を…喪失感を…抉られた心を癒してくれるモノは無い…… 「殺してやる……」 しかし家に戻った時もう既にその姿は無かった……部屋は閑散としていて僅かな風と雨の音だけが聞こえる。 クローゼットの扉には何かがぶつかった窪みがあり引きずる様に血の跡がベットリと……壁や床には何度も刺したような跡が無数にありこの場所で起きた凄惨な出来事を鮮明に物語っている。 「何で……何でこんな」 次の瞬間、俺は背中に電流を流された様な衝撃を感じ意識が遠のいていく……なにか熱い物を背中に押し当てられている様な違和感があった。 それからの事はあまり覚えていない……耳元でずっと誰かが囁いていたような、そして深い闇に落ちていく感覚。 俺は目を覚まし、勢いよく飛び起きた––––。 全身から大量の汗を吹き出し、額から垂れた汗が鼻筋を通り滴り落ちる。 「夢…っつ……頭が痛い––––レイン」 頭の中を掻き回されたような、違和感と痛み。 「そうだ……忘れてたまるか……レインは俺にとって大切な存在、あの時夢に見るまで忘れてたなんて……俺は……バカか」 今俺は理不尽に大切な『存在』を奪った世界とは違うセカイにいる。このセカイが俺から大切な物を奪わないと決まった訳ではないが、少なくとも俺は今理不尽に対抗出来るだけの『力』がある。世界の常識など遥かに超えた超常の力が今俺の手にはあるのだ……俺はこのセカイに来た時心に誓った。理不尽を叩き潰す力を手にいれる、俺は世界にとって理不尽な存在になる……奥底からこみ上げる『力』への実感に身を震わせた…… 『エリヤよ随分とうなされていたな』 「あぁ、とてつもなく、嫌な夢だった……本当、俺の頭はどうなってんだ。これも夢じゃないよな?」 『案ずるな、このセカイは現実だ』 ギデオンがその重々しい口調で当然の様に語りかけてくる。ギデオンは俺の刀……元い、俺の聖霊器だ。聖霊器は所持者の望んだ力の結晶であり器?らしい、そして何故か自我を持ち『汝は…』とか言うキャラなのに結構話しかけて来る。 そして微妙に指摘が細かい……接しづらい感じの刀だ。 ただいきなり異世界に来て路頭に迷わずに済んでいるのもこいつのおかげだな。 そう言う意味ではかなりギデオンには助けられている。 『ふむ殊勝な心がけだな、しかし我は接しやすいと思うが?』 「俺の心を勝手に読むなよ、どの口がほざいてんだ…口ないか…」 『前にも言ったが我とエリヤは聖霊の力によって結びついておるのだ、つまりは一心同体『心を読む』では無く『自然と分かる』のだから仕様があるまい』 プライバシーも何もあったもんじゃない、うかうかムフフな妄想もできないのだ。 『別に我はかまわ––––』 「あぁ~わかった、わかった大丈夫!大丈夫だから!……夢の中までわかったりするのか?」 『ふむ、夢は映像としては見れぬ、我が分かるのはその時の汝の感情や考えなどだ』 「夢までもか…」 俺は深いため息を吐き、半ば諦めつつ相棒たる刀に目をやった。 「まぁ、これくらいは仕方ないか…俺の力な訳だし、ある意味自分自身みたいな物…だよな、気にしたら負けだ」 自分に言い聞かせながら、固い地面で寝たせいでバキバキになった身体を伸ばし、テントから顔を覗かせ周囲を確認する。まだ朝靄がかかり日の出とともに照らされる広大な大地が美しく輝き、まるで絵画の様に美しい景色を目の当たりにし改めてそのセカイに心奪われそうになる。 遠くの空には見たこともない大きな鳥?の様な龍にも見える『何か』が空高く飛翔した。 「ドラゴン?まぁいてもおかしくないのか!ドラゴン少女との出会いとか考えずにはいられないよな~」 ドラゴンの咆哮の如く盛大に俺の腹が鳴った。 「流石に腹が減ったな、今まで緊張や考える事が多すぎて忘れてたが」 ここにきて地味な問題を思い出した、ここは山の頂上で大自然真っ只中。 店もなければ人もいない唯一見える町は遥か下の方にあり普通に足で下れば3~4日かかりそうに思えた『神速カムイ』を使用すれば早いだろうがマナ〈魔力〉が持たずに途中でぶっ倒れる可能性がある。 転送系の魔法を創造する事も出来るが、自分がどこに居て行く先もわからないのに使用できるとは思えない。 そして俺はサバイバルの経験など皆無だ、元々インドアだしなぜ好き好んで過酷な環境に身を投じるのか理解に苦しむ。それがこんな所で仇になるとは、しかし現代社会にサバイバル知識の豊富な奴など早々居ないはず!とは思うが言っていても仕方がない。 重要なのは何を食べるか、もう空腹も限界にきている緊張が解けて空腹を感じだしてから一気に飢餓感が襲ってきた。 しかし、生きた動物を殺して捌くなど到底出来そうにない、料理は1人暮らしが長かった事もあり出来る方だと思うが。 ただそれは整えられた環境であったからこそ出来た事なのだ……肉は捌かれてパックに詰めてあるものが肉であり生きている動物を肉だと感じたことは無い。 魚にしても同様で、釣りなど子供の頃に流行ったバス釣りしか経験がない「フィッッシュ!」と叫びたいがためにやっていた様なものだ。 釣った魚を食べた事などないし精々鮮魚店で購入したアジを三枚におろした事がある程度…… そもそも現代社会に生きていれば当たり前だが、平和ボケした世界で動物など殺した経験などあるはずがない。それを生業とでもしてない限り現在の環境で食べるために殺すと言う食物連鎖では当たり前の行為が整った環境ゆえに身近ではないのだ。 「動物を殺すか、うわぁ…出来るだろうか」 『先ほどは魔獣を仕留めたではないか?』 「あれは、岩だったし血とかも出なかったしなぁ…何より考える暇が無かった」 『しかし魔獣は大半が動物の様であり隻眼の巨像の様な魔獣は稀であるぞ?』 「そうだよな、やらなきゃ死ぬんだよな……ここでは、殺さないと…殺される」 俺は改めて自分が今来てしまったセカイの現実を痛感させられている。このセカイでは恐らく自分の住んでいた世界よりは確実に死が間近にあるのだろう、様々な力を行使出来るセカイでその力を持ってしまった事に対する責任は必ずこの身に降りかかるのだ。 しかし同時に内側でジワジワと広がる心地よさを感じる、長年溜め込んできた欲求が今か今かと期待する様に…… まぁ難しい事よりも今は目の前の食糧問題が最優先だな、今俺に足りない物それは知識…この過酷な環境で腹を満たすために必要な知識だ。 「ギデオンは知らないのか?サバイバル術的な、肉の捌き方とか」 『我はこのセカイに関する成り立ちと力の行使や魔法に関しては分かるのだがその手の記憶はない、我の自我はまだ生まれたばかりなのだ』 「その、古の賢者みたいな喋り方で生まれたばかりとか言われてもな…」 『それこそ知恵の魔法を創造してはどうだ』 「あぁ!なるほど!」 ギデオンの一言で割とあっさり問題は解決。 オタク知識から知恵を与える魔法をイメージして『アストラルアビリティ』『万象創造クリエイト』を行使し魔法を創造した。 『賢人の知恵ウィズダム』光属性 頭の中に直接欲しい知識が流れ込んでくる。その知識量は千差万別で不確定な内容でなければ大抵のことは分かる。例えばこの世の終わりは?とか俺の人生は間違っているか?とかそう言う知識は無理だ。 『五属性の加護フィフスエレメント』 火・水・風・樹・土の五代属性魔法が中級程度までなら全て使える。 中級魔法は人間族の一般的な騎士レベルで使える魔法だが、通常一種類の資質を訓練してやっと使える様になる魔法を闇・光・無属性以外の全てが同時に詠唱なしで使えるのだ、チート以外何者でもない。 ちなみにこの魔法を創造したのは、サバイバルに火や水は欠かせないのでただその為に創造した。 俺は新たに創造した魔法を理解すると早速行動を開始する。 まずは腹を満たしてこのセカイの事を更に知るため頂上から見えた街を目指してみようと思う、獣人族……実に楽しみだ「フフフ」。 露骨に怪しい笑みを浮かべながらパッと見ヤバイ事考えている顔を隠す事なく山の湧き水の流れを辿った。 この流れを下れば必ず川に出るそこには魚がいるだろうと考えたのだ。いきなり普通の動物はやはり抵抗があったので魚から挑戦する事にした。 しばらく水の流れを辿っていくと、徐々に流れは広くなり少し開けた所に出ると小さな泉になっていた。 透き通った泉は水面に光を反射して輝いている。 「綺麗だな……」 俺は手の平で水を掬いゆっくりと口に含む。 「美味い」 乾いた喉を潤し全身に水々しさが人がっていく‥身体の底から満たされる様な気がした。 『この山はマナが良く満ちているからな泉の水は失ったマナを多少は回復するであろうよ』 「なるほど、だからこれ程美味く感じるのか。正直こんなに美味い水は元の世界で口にした事がない」 『このセカイはマナ〈魔力〉が最大の資源でありそれは自然に溢れている、戦闘だけでなく生活に必要なエネルギーも全てこのマナで補っているからな不必要に自然を害する事がない、故に空気も水も澄んでいる』 「そうか、それよりもういい加減空腹で限界だ。魚もいるみたいだしサクッとメシにしよう」 俺はおもむろに水面へ手をかざし『五属性の加護フィフスエレメント』により発動させた風属性の初級魔法である『雷撃サンダーショット』を水中に流し込む、するとショックで気絶した魚が大量に水面に浮かんで来たのだが……その光景に思わず顔を引きつらせた。大小無数の魚が水面にビッシリと浮かんでいる映像は中々にグロい…しかも一匹一匹がデカイ。 ニジマスの様な魚で『賢人の知恵ウィズダム』で鑑定した結果によれば食用でも流通している魚だったが本来のニジマスに比べ2倍の大きさはある、正直一匹で良かったかな…と言うやり過ぎてしまった感は否めないがそれは置いておこう。 「ウッ…なんか気持ち悪い」 先程までの輝く綺麗な泉のお目陰をまるで無くし大量の魚が浮いている不気味な泉と化してしまった…… 「きっとまだ死んでないから大丈夫だよね、すぐ戻る、戻るさ」 気を取り直し、その辺にあった木屑を集めて初級魔法『炎撃フレイムショット』を発動し火を起こし……斬れ味抜群のギデオンにて捌いた巨大ニジマスを串状に削った木に刺し炙り焼きで美味しく頂いた。 「うっまぁ~生き返る、このセカイに来て最初のメシが川魚なのはちょっと残念だがこれはこれで、モゴモゴ、有りだな」 『エリヤよ二度と我で魚を捌くな……』 「あれっ怒っちゃった?まぁまぁ他になかったし、今回は大目に見てくれ」 ギデオンを怒らせてしまった……いざ戦う時に力を発揮出来ないとかなりと困るので気をつけようと心に誓う。 「さて、腹も満たされたし町に向かうぞ~」 『確かこの山を下ってすぐの所に『ハラン』と言う宿場町があったはずだ、そんなに大きくはないが『バベル』に向かうなら経由していくと良いだろう』 「おぉ!早速獣人と会えるのか~楽しみだなぁ」 とりあえず俺は当面の目標として、このセカイを回る旅をしようと決めている。 せっかくの異世界だから冒険したいし『セカイを回る旅』と言うものに少なからず憧れを抱いていた。 下山を始めて1時間ほどか現在は山の中腹辺りまで下ったところで身体の変化に感動を覚えていたりする。以前に比べて『この身体』は疲れを殆ど感じない。身体機能も大幅に上がっているせいか走りながら移動しているにも関わらず息切れも全くない。 以前の身体だと200メートル程度の全力疾走でぶっ倒れてしまうところだ。それはそれで、どれだけ体力ないんだよって感じだが…きっと何年も積み重ねた運動不足とインドアな生活が原因だ…多少はしょうがないはず…そんな怠惰な日々ともおさらばした訳で、新しい人生幕開けに過去は記憶から消すことにしよう。 ここギルボア山は所々に岩肌が出ており斜面が多い、道という道は無くあまり人の手が加えられてない。 狩りを行った様な痕跡(弓の残骸や折れた槍?…明らかに人間の…盾)があるのでこの辺りを狩場にしている種族がいるのだろう、ただあまり足場が良くないので普通の人間が下山するのは簡単ではない、身体を大幅に強化されているエリヤだからこそ斜面をかけながら岩から岩を飛び移り短時間で中腹まで下って来れたのだ。 「ちょっと休憩するかな~ちょうど半分くらい降りたか?」 ふと立ち止まった場所で突き刺さる様な視線を感じる、辺りは木々に囲まれ無数に突き出した岩肌が姿を隠すに丁度いい死角を生み出していた。その岩陰から無数の殺気がエリヤを獲物と定めその眼光を向けている。 『エリヤよ囲まれておる様だ』 「ああ、わかってる」 今まで『殺気』という物をここまで濃密に感じた事などなかったのだが、今この瞬間は敏感に感じていた。恐らく殺気を隠す必要などない……ただ蹂躙する対象であり『獲物』という認識しか持たれていないのだろう。 「はっ…上等だよ、やってやろうじゃねーか!」 俺は刀の柄に手を添え『神速カムイ』『鬼神剛招オーガストレングス』を同時に行使する。岩陰から一斉に影が俺目掛けて飛びかかると同時に、その場を跳びのき高く跳躍した。眼下には4匹の狼の様な魔獣がこちらに鋭い視線を向けていきり勃っている。 狼といってもその体長は2メートル程あり白銀の毛並みが光沢を放ち、牙はサーベルタイガーの様に下顎まで鋭く伸びている。 狼型の魔獣〈シルバーウルフ〉は本来温厚で気高く、無闇に人を襲ったりなどしない。自然の秩序を重んじる『シルバーウルフ』達はむしろ縄張りにいる弱い魔獣達を理不尽な敵から守っていたりする。 『シルバーウルフ』は山の主が消えた事に激しく動揺し激昂していた。保ってきたパワーバランスが崩れ生態系が乱れる事を彼等は良しとしない、その原因たる異端な存在を消し去るべく彼等はその牙をエリヤに向けた。一匹の力は山の主に及ばないもののスピードを生かした連携と相手を翻弄する巧みな動きは山の主を凌ぐ。 エリヤが着地する瞬間を狙い四方に散開した『シルバーウルフ』の一匹がその凶悪な牙を足元からエリヤの首筋に向け迫ると同時に背中両腕を食いちぎらんと、その牙がエリヤに迫る。刹那、先陣を切った『シルバーウルフ』の顎から胴体までが風を裂く音とともに二つに別れた。胴体が縦に裂けた仲間を見て何が起きたかわからず驚愕に目を見開く残りの3匹であったが直ぐに意識を戻し背中から首と両側から腕に向けて襲いかかる。 エリヤは斜め下から首筋めがけて襲い来る狼型の魔獣に居合いの一閃を放ちその胴体を切り裂いた。 今彼の目には周りの景色が止まっている程ゆっくりに見えていた『転瞬思考シンク』で思考を引き延ばし『神速カムイ』によって得た超絶的な速度は襲い来る狼型の魔獣の速度を軽く凌駕し、迫り来る敵を切り裂く。自分の顔に飛び散る血しぶき‥‥始めて感じる肉を切り裂く感触にゾクっと全身に電気を流された様な感覚が走ると同時に目の前で殺した魔獣が崩れゆく瞬間エリヤはとてつもない快感に襲われた。 不意に蘇る『あの女』の記憶……殺意という狂気がエリヤの心を搔きむしり引き裂く。 頭に浮かぶ忌まわしい女の顔を嬲り、引き裂き…斬り刻み…頭の中で何度も『あの女』を打ちのめし、切り裂き、殺害を繰り返した。 ドロドロとした思考のなかで何度も何度も…… 『殺せ…辱め…痛ァぶりィ…壊せ、壊せ、壊せ…』 …初めて浴びた血飛沫…初めて殺した…俺が殺ろした…… エリヤの奥深くに沈んでいた深い闇が溢れ出す……ブレーキをかけ続けていた『リミッター』は外れ、彼は……堕ちた。 エリヤの目は狂気に満ち、手に持つ聖霊器はその感情に呼応するかの様に脈打った。宿る自我『ギデオン』を塗りつぶし刀身を漆黒に染める。 狂気に歪んだ口元が恍惚に笑い鋭利な瞳が獲物を捕らえた、あと数センチのところにまで迫った魔獣達をエリヤはその場で回転し力のまま薙ぎ払う、同時に3匹の首が飛びゴロっと地面に転がった。 突き出した岩肌の上から一瞬で息絶える同胞達の末路を驚愕の表情でジッと見つめていた群れのリーダーは覚悟を決める。前足に力を入れ跳躍の構えを取り目の前の脅威に向かう、その瞳に諦めの色は微塵もない。こちらに気づいていない‥今ならば刺し違えてでも一矢報いる! 「おせ~よ、犬」 気づけば血しぶきを上げる胴体とその背後に悠々と刀を振り払う、口元に笑みを浮かべた男を見つめながら転がり落ちる首、その思いは男にかすり傷一つつける事なく永久の闇に溶けていった。 「ふふっははははははははははははははははは」 「ザコが粋がるからだよ!!奇襲かけてやられるとか、ざまぁ!ギデオン!見たか?俺強くねぇ~か?最高の気分だ」 『––––––』 「おい!返事しろよ、シカトかい!」 『––––––』 「よく見たら刀の色変わってんな、まぁこっちの方がカッコイイからイイか」 エリヤは黒く塗り潰された刀を手に、不敵な笑みを浮かべ歩き出す。 ギルボア山の麓近く少し開けた場所に小さな村があった、200人程の小さな集落。 そこに住むのはグリーンの肌に尖った耳歯はギザギザだが限りなく人型に近く言葉を喋る魔獣『ゴブリン』の村。 彼等は特に悪事を働くでもなく、山の恵みの恩恵と僅かに『狩り』をして平和に暮らしていた。 ゴブリンの中には『狩り』専門の屈強な戦士もいるが本質は穏やかで必要以上に『狩る』こともない。 子供達は元気に遊び微笑ましくその姿を眺める大人達。その姿は人間族や他の種族となんら変わりは無い、自然と共にあり平和に生きるそんな彼等の自由を人生を誰かに奪う権利はあるだろうか、否、客観的に見れば…誰も…しかしそんな平和が狂人によって崩れ去ろうとしていた…… 「あれは、誰だ?」 「人間族?!」 「こんな所になぜ?」 突然村の前に現れた男は黒い刀身の刀を肩に担ぎ村のゴブリン達を鋭い目つきで睥睨し、不敵な笑みを口元に浮かべている。 「武器…報復か…子供達を家の中へ!長老を呼べ!」 辺りが緊張感に包まれ男を警戒する様に視線が注がれる中、集まるゴブリン達の間をかき分けて、年老いているがそれなりに威厳を感じるたたずまいのゴブリンが歩み寄ってきた。 「お若い方、道にでも迷いなされたか?我らは争いは好まん種族でな、子供達も怖がっているので、その物騒な物をしまっ––––」 全てを言い終える前に長老らしきゴブリンの首が宙を巻い鈍い音を立てて地面に落ちた。 「こいつら、ゴブリンか?ゴブリンってのはザコだが大抵集団で面倒なんだよな」 平然とゴブリンの首をはねたエリヤはダルそうにたたずんでいる。 場を一瞬の静寂が包み、他のゴブリン達も一瞬何が起こったのか自体が飲み込めずにいた次の瞬間。  「長老!!」 「貴様!」 「武器をとれ!長老のかたきを––––」 武器を構えたゴブリンの肩から斜めに切り込みが入りズルっと嫌な音を立てて崩れ落ちる。 「誰か!?女子供を逃せ!!」 「た、助け––––」 叫び声と悲鳴がこだまする中、何が起きているのか理解する間も無く次々に蹂躙されていくゴブリン達。 無差別に確実にその命を摘み取られて行く…… 「ははははは!ザコザコザコザコ!ザコばっかじゃん!」 ゴブリン達の間を縫う様に漆黒の影が移動する度、ある者は首が飛び、ある者は胴体を切断され、ある者は身体を縦に切り裂かれ絶命してゆく。 『凄惨』それ以上に言い表しようのない光景が静かな山の麓に広がっている。村中のゴブリン達が絶命するまでに5分もかからなかった。 家の中にとっさの判断で隠された子供達はただならぬ事態に恐怖と絶望で震えていた、気が付けば辺りは静寂に満ちている、物音一つしない…… 子供達は意を決して外に飛び出した––––。 無造作に散らばる死体の数々、辺りは夥しい量の血液が緑の草原を赤く染めていた。 両親だったと思われる胴体にすり寄って嗚咽を漏らしながら泣く子供、状況を理解できずただブツブツと何かを呟きながら壊れる事で心を守ろうとする子供、号泣しのたうち回る子供。 彼等が不意に意識を向けたそこに『ソレ』はいた…黒い刀身の刀を肩に担ぎ恍惚の笑みを浮かべた男。 子供達の視線に気づきそれらを一瞥すると、踵を返し軽い足取りでその場を去って行く。エリヤが子供に反応しなかったのは彼の中にまだ僅かにでも人としての心が残っていたからか定かでは無いが、ただ子供達にとってこの地獄の様な状況で生かされる事が果たして『僥倖』と言えるだろうか…… 「討伐完了~また強くなったかな~」 『––––––』 彼の目は狂気と混沌に染まっていく、本人の自覚がないままに…しかしその狂気は必ず我が身を喰らい始める……ゆっくりと確実に。
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