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第一章
その日はまだ夕方にしてはとても明るく、秋と称するにはまだまだ暑い9月の終わり。
時刻は16時30分。部活や委員会など生徒の活動が終わった、本格的放課後だった。
「あ、あれ…?」
「どうかしました?」
センもまた、来るべき繁忙期、文化祭に向けて行われる委員会会議を終えて、安齋を寮まで送ってから家路につく。いつもの放課後を迎えようとしていたが…。
「ない…ない…あれ?え?」
「ない、とは?」
本日の夕食代が入っている財布が鞄にないと気づいたその瞬間、さぁぁぁ…とセンの額から血の気が引いていった。
「財布がない…教室に忘れたかも」
「あらまぁ。それはすぐに取りに行かないと」
「悪い安齋、ちょぉ待ってて。すぐ教室行って、」
「いえ。そういう事でしたら、今日は他の人にお願いします」
「…大丈夫か?」
「ええ。適当にどなたか。ダメでしたら委員長にでも」
「おいおいおいおい」
「冗談です」
遠くで安齋が言う委員長が了承する声が聞こえて。思わずセンはダメだと却下した。
「大丈夫ですって。それよりキノさんのお財布の方が心配ですわ」
「…じゃあ、ごめん。気を付けてな?」
「キノさんもね?」
センはいつもの別れ際の挨拶として、安齋の手を両手で包み込み。ぎゅっと軽く握る。
「お疲れさん」
「お疲れ様でした。また明日」
「おい五戸。安齋を寮まで送ってくれ。私、忘れ物あるから」
「あ、はーい」
「悪い、お先!」
「おー。お疲れ」
「お疲れ様でしたー」
先輩やら後輩が口々に発する中、センは鞄を引っ掴んで委員室を飛び出していった。
「あー…くっそ…やらかした」
よく考えれば、安齋を寮まで送り届けてからゆっくり財布探しをしても良かったんじゃないかとも思ったが。しかしそれでも貴重品だ。その間に誰かに盗られでもしたら今日だけでなく明日の食事代もゼロになってしまう。大体、清生委員の財布が盗難に遭ったなんて割と格好悪い。聞く人が聞けば結構な間抜け話だ。うん。マジで恥ずかしい。こういった事は可能な限り迅速に行動するに限る。
そしてもし万が一盗られていたら、迅速に犯人を捕縛してしばき倒した末に、盗んでいない、拾ったと証言させるに限る。
叱られない程度の早足で向かった2年D組のドアをガラッと開けて。
「……なんだありゃ?」
自分の席に、百科事典並に分厚いハードカバーの本が置かれているのが見えた。
「……」
教室の外、および廊下の半径15m範囲内に人の気配はなし。
パチリと蛍光灯のスイッチを入れてから、トラップの可能性も視野に入れつつ教室の中に入ってドアを閉める。ゆっくりと足音を少しだけ大げさに立てながら、教室の中を順繰りに見回った。教卓、クリア。カーテンの裏、クリア。掃除用具入れ、クリア。ここまででトラップの存在及び発動も。
「…特になし、か……」
続いてセンは自分の席に近寄って。机に置かれている分厚い本をじっくりと観察した。
「全体の大きさはB5サイズ。厚さは目測約4.5㎝。表紙の厚さは約3㎜。色は…紺色?か?タイトル名称は金色のカリグラフィー表記。外国語で…き、キタブ、アンバーチョ?」
本の正体、不明。なけなしの英語力でタイトルを読もうにも、それが英語の羅列ではないと分かった以上、最早お手上げだ。自分のモノではないのなら誰かの本でなければいけないが、そんな見るからに胡散臭い誰かの本が自分の席に一体何の御用だと言うのか。如何せん職業病か、それとも元来の猜疑心か。それが自分の机にある事の裏を読んでしまう。
「……」
つんつんと指でつついても特に見えるものはなく。ゆっくり恐る恐る表紙をつまんで開いてみた。
「……ん?は?」
ここまではっきりと触れているのに、何も見えない。
いや、ここでは「見えると思っていたモノが何も見えない」と言った方が正確だろう。
目の前にあるのは自分の席である机と、その上にぽんと置かれた怪しい本。の、中表紙。黄ばんだ古い紙にやはりカリグラフィーで記された「Kitabu ambacho ogre imefungwa -thread isiyo na haki-」の文字。
それしかない。
それしか見えない。
「……いや、いやいやいやいや…」
思わずやや乱暴に本を手に取ってみるが、それでも何の変化も起きない。些か今更じみてはいるが、改めて慎重に1枚1枚頁を捲る。どうやら剃刀の類は挟まっていない。しかし、それ以上にセンはこの本が持つ別の意味に気づいてしまった。と、言うのも…。
「………うぇっ」
この本に描かれている挿絵が、健全な高校生には刺激が強すぎる。
バラバラに刻まれた人間の裸体と、角が生えた化け物。うねうねと捻じ曲がって解読不能な文字やマンガで見た事がある様なない様な魔方陣の類がこれでもかとページを埋め尽くし、流石のセンもぱたんと本を閉じてしまった。
「どこの魔導書だよこれ…」
とにかく普通の本でないことは良く分かった。ひっくり返した背表紙には、図書館の本なら必ず貼られているバーコードがぺたりと貼り付けられている。しかし。
「学校のじゃねぇよな…」
この場に学年唯一の図書委員がいない以上、確認のしようがないが。高校の図書館ならば必ずと言って良いほどあるはずの校名がなく。それ所か、市民図書館の名前などもない。ただ、バーコードがあるだけ。後ろならと巻末を開いても【寄贈書】とあるだけで図書館名はない。
いや、待て。これが、この怪しい魔導書擬きが寄贈書だと?
何で贈った?何で受け取った?
「怖ぇ図書館もあったもんだ…」
さて、どうしようか。
財布は机の奥で爆睡していた所を無事に保護。中身は1円も過不足なし。この後何か予定があるわけでもない。今すぐ帰らなければいけない理由もない。そして、これが自分の机にある以上、どうにかしなくてはいけない。職業病?何とでも言え。
「…15分だけなら、行けるか」
教室の時計を確認して。
念の為教室のカーテンを全て閉じて。
廊下に誰もいないのを確認して。
「うわ、ラストかよ…あっぶね」
鞄から取り出した無調整豆乳のパックにストローを突き刺して。じゅずずずぅぅぅと一気に吸い込み腹に収める。ふぅを息を吐きながら、ストローとパックを分別してごみ箱に捨てて。ゆっくりと席に着く。
「15分だけ…15分だけ…」
携帯のタイマーを15分に設定して、スタートボタンをポンとタップ。
居眠りするような体勢で、額を本の背表紙の上に乗せて目を閉じた。
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