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「おっ、やっと見えた…」
赤錆色をした闇の中で、センは場違いにもほっと安堵の息を吐きながら周囲を見渡した。
持ち主の手掛かりになりそうなモノがあればいいのだが、如何せんこの本の内容を示しているのか、拷問の様な描写や虐殺の様なシーンがフラッシュバックでばちばちと通り過ぎていく。
「あぁー…違ぇよ、そういうのじゃなくて…」
苛立ちも隠すことなく、ヂッヂッヂと三連発で舌打ちを鳴らしながら。センは淡々と、目の前で起きている風景をチェックしていく。
「違ぇって…もっと現実的な奴とかねぇのかよ…」
現実的ではない。
確かにそうだ。確かにこの光景は現実的ではない。
いや、現実的ではないのはどっちだ?
それは決して、絵画ではない。
それは決して、漫画ではない。
確かに存在する人間が。
確かに実在する人間が。
人間が知りうる知識と知りうる技術の全てを以て、壊されていく光景だ。
それを目の当たりにしながら、センはまたもう一つ舌打ちを放つ。
首を落とされた風景に痛みを感じない様に。
足を潰された風景に悲しみを感じない様に。
肩を砕かれた風景に同情を感じない様に。
これだけ残酷で、これだけ惨たらしい光景を。
目の前で次々と人間が壊されていく光景を。
センはまるで浮世絵をぼんやりと眺める様に、やり過ごした。
【聞こえて……のかと…ておる】
【……な】
【…いは勧めぬ…せめて…くをなめ…の方が…しい】
「ん?」
何か聞こえた気がする。
教師と生徒の会話だろうか?
「なんだよやっぱり現実的なのあるじゃん」
センはそう言いながら聞こえた方角に向かって、一歩、二歩と足を進めた。
ふと目を開けると。
そこは山奥にある沼地だった。
「は?なんだこれ?こんなとこ、裏山にあったか?」
緑化委員会が管理する裏山は確かにそこそこの高さと広さを誇っている。小さな川や水車小屋もあったはずだが、流石に沼があった記憶も記録もない。
「やっべ…なんか変な奴入ったか?」
センは溜息をついて、周囲を見渡した。辺りには霧が立ち上り。視界が悪い。やがて霧に包まれた茂みの奥から狩衣を着た青年が沼にやってくるのが見えた。
「……は?」
なんだあの男は?
誰だあの男は?
狩衣の青年は死んだ魚の様にどんよりと薄雲った眼で沼を見つめ、そのまま沼の中に足を入れる。
「いや、いやいやいやいやいや…」
この風景は何だ?
ここはどこだ?
ここは仙莱大学附属高等部の敷地内じゃないのか?
貴様 死ぬのか
「……」
頭上から声がして。見上げれば、木の枝にぶら下がってじっと狩衣の青年を見つめる小柄な少年がいた。
聞こえておるのか 死ぬのかと問うておる
「……そうさな」
入水は勧めぬぞ せめて毒を舐めろ その方がまだ美しい
「…其方らのあはれなぞ、聞くに堪えぬ」
貴様 名は
「は?」
名は何と申す
「何ゆえ封鬼師が名を告げねばならぬ?逆であろう」
名を申せ
「……籐家鬼祇大副千方よ」
ほぉ あの籐家か 不児女が裔の
「知らぬ。なんじゃ?ふじめとは」
センの目の前で、狩衣の青年と逆さづりの少年が淡々と言葉を交わしている。その光景から目を逸らす事も出来ず、視線は真直ぐと逆さづりの少年へと向けられていく。
その肌は人並み以上に青白く。顔つきも幼さと精悍さを合わせ持ち。
そして額にニョッキと隆起する瘤。否、角。
これは、鬼か。
何と広大な名か
「知らぬと申して居ろう。ゆるゆる逝かせて、」
千方よ
「今度は何じゃ…」
俺と賭けをせぬか
「っ!ヒッ!」
見た。
今、こっちを。
鬼がセンを見た。真直ぐと視線をそらさず。
賭けをしようと言いながら、狩衣の青年ではなく。
金色の眼が、
センを見た。
「っ、ぁ、あぁぁぁああああ!!!!!」
見つかった。
そう悟るや否や、センはそれまで一切崩さなかった表情をぐしゃぐしゃに丸めた状態で。
沼地を駆け出し逃げ出した。
間違えた。
間違えた間違えた間違えた!
後悔先に立たずとは言うけれど、それでも後悔してしまう。
どうしてこんなに足が進まない?
どうしてこんなに足が重い?
どうして私を見ていた?
どうして間違えた?
どうして間違えた?
どうして間違えた!
どうしてどうしてどうしてどうして。
どうしてこれを現実的だと思ってしまったんだ!
「畜生、畜生畜生ちくしょォ!」
泥濘に足を取られながら。
霧を両手でかき分けて。
茨で顔をひっかかれながら。
走って走って走りながら。
必死に助けを求めたのは。
「委員長、委員長。いいんち…岩崎ぃぃ!岩崎助けて!」
上司であり、■■でもある男の名前だった。
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