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「知ってるよ」
香夜子ははっとして顔を上げた。
なんとも嬉しそうな表情を浮かべていたから、それだけで和夫の胸の内には充実感が満ちた。言いたいなと思ったら言ってしまったけれど、和夫も今は今のままで好かった。
「おれも今初めて香夜ちゃんに好きだって言ったから。知ってる」
すとんと香夜子の胸にその言葉が優しく落ち着いた。
和夫は自分でも不思議なくらい柔らかな心持ちで話していた。そんな自分が嬉しくて、またふわりと香夜子の頭を優しくひと撫でしたのはやはり無意識。
「自信がなくてもいいんだってさっき香夜ちゃんが言ったから、つい言っちゃった」
やっぱりその言い方もさりげなくて、火照った頰が少し心地好いと思ったら、香夜子は無意識にくすりと笑った。
釣られて自分も笑ったくせに和夫は言った。
「忘れていいよ。嬉しいことがあって、つい言っちゃっただけ」
そうして和夫は青になった信号に目を遣り、行こうと促した。
気付いたばかりの気持ちを口にしたら目映くて、一緒に居られる時間が嬉しいからだとまで言えなかった。
今言える自分の精一杯はちゃんと伝わっていますようにと願いながら、香夜子は和夫の横顔を垣間見た。
まだこのままでしか居られなくて、このままでも居たい。
背中を押してくれる和夫の隣は心地好過ぎる。
やがて終わりも来るかもしれないと後ろ向きな想像も過ぎる。香夜子は終わりがあるかもしれないことも終わりはないかもしれないことも本当は知らない。
臆病で怖がりだからこそ、いつか自分から和夫に伝えたい。具体的な言葉をそのうち見つけたら。こんな自分に慣れることが出来たのは先輩のおかげだという感謝と一緒に。
その先のことは、違う新しい勇気がきっと必要だ。それはその時その時に考えればいいのかもしれない。
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